父の血。
疾風のような差し脚に、20余年の時を超えて、偉大な父の面影が重なった。
ナタの切れ味と評された、あの父の、走りっぷりまでしっかり受け継いでいたのか。
ミホシンザンよ、シンザンの息子よ、君は、僕たちに競馬のロマンを教えてくれた。
ミホシンザンとは、1982年生まれの日本の元競走馬・種牡馬である。
5冠馬シンザンの最高傑作。
馬名はシンザン好きの馬主さんがこれぞと思う馬に出会うまでとっておいたとっておきの名前とのこと。
ちなみにミホノブルボンとの共通点は皐月賞馬であるということだけであり、馬主が同じだったりということはない。
主な勝ち鞍
1985年:皐月賞(GI)、菊花賞(GI)、スプリングステークス(GII)、京都新聞杯(GII)
1987年:天皇賞(春)(GI)、アメリカジョッキークラブカップ(GII)、日経賞(GII)
デビュー~皐月賞:シンザンを継ぐ者
父は言わずと知れた日本競馬の越えるべき壁として君臨した偉大なる馬シンザン、母はナポリジョオー、母の父はタニノムーティエらを輩出したムーティエという血統。
正直、彼が生まれた1982年当時でもすでに古臭さを感じる血統で、その上馬体も丸っこくて見栄えもしないため評価は低かったのだが
彼の馬主となった堤氏は何かを感じたらしく、調教師を説得して管理する約束を取り付けこの馬を購入。前述のとおりのとっておきの名前を付けたほど入れ込んでいた。
骨膜炎に悩まされ、さらに調教にも手間取りデビューは1月までずれ込んだが初戦を9馬身ぶっちぎりで飾り注目を集めると
条件戦とスプリングステークスを連勝し無敗のまま皐月賞へ。快速サクラユタカオーが骨折でリタイヤ、シンボリこの年の一番馬シリウスシンボリはゴタゴタで出走できずと有力馬が欠け欠けだったとはいえ
一番人気に推されたのはシンザンの息子ということもあったであろう。しかし5馬身ぶっちぎっての圧勝劇で支持に応えてみせる当たり、恐ろしい才能を引き継いでいたと言える。
だがこの皐月賞に臨んだ時の体調は最悪で、パドックですっ転びかねないフラフラっぷりだったという。それでも5馬身ちぎるんだから意味がわからないが
右脚をかばって走ったため左前脚を骨折。ダービーは断念せざるを得なくなった。しかし軽度な骨折であったため軽く調教しながら秋に備えることになった。
復帰~5歳春:暗転する運命
骨折明け初戦はセントライト記念で迎えたが、不良馬場にノメりにノメり倒しろくに走れず5着に敗れてしまう。 気を取り直して京都新聞杯に挑んだがここは大楽勝。良馬場なら負けないことを証明し迎えた菊花賞。昼まで雨が降って馬場が渋ったが、天候の回復で稍重まで戻ったため
彼を阻むものはなかった、スダホーク以下を軽くいなしての快勝で二冠達成。
そして、三冠を取れなかった分もシンボリルドルフを打ち負かしてやると挑んだ有馬記念。離された二番人気であり、ルドルフとどこまで戦えるか注目された。
しかし結果は4馬身離されて敗れた。実況も「世界のルドルフが日本のミホシンザンを離す!」なーんていう始末。
うん、まあ中山が一番得意な皇帝が後顧の憂いも考えず全開で突っ走りやがったのが古馬初体験は辛いよな。というわけで翌年が勝負の年になったのだが
始動戦の日経賞は重馬場でひたすらノメるばかりで6着に敗退。なお悪いことにまた左前脚を骨折し休養を余儀なくされた。
5歳秋:苦難
秋競馬には間に合う程度の骨折だったためトライアルから始動したが、覚醒したサクラユタカオーがレコードで爆走するのを尻目に3着。
続く天皇賞(秋)ではサクラユタカオーに様々な不利があるとされ一番人気に推されたがまたもサクラユタカオーがレコードで大爆走する中3着。
捲土重来を期したジャパンカップはトリプティクやアワウェイバリースターといった己より人気した外国馬や一番人気のユタカオーには勝ったが
ジュピターアイランドとアレミロードの火の出るような叩き合いをボケっと眺めるような形になり3着。あれ?もしかして…
そして有馬記念、距離適性やジャパンカップ日本馬最先着を買われ一番人気に推されたがダイナガリバーはともかくギャロップダイナにも負けて3着。
新馬戦からの付き合いの柴田政人いわく、骨折した箇所をかばって全力を出せていなかったという
6歳春~現在:二冠馬の矜持、そして…
というわけで、休養もなくアメリカジョッキークラブカップへ。柴田政人怒りの逃げ戦術で久々の勝利を勝ち取る。続く日経賞では先行してねじ伏せる競馬で圧勝。
天皇賞(春)では圧倒的な支持を受けるが、前走や前々走の反動で体調が悪化しすぎて皐月賞以来の絶不調に陥っていた。(ノ∀`)アチャー
しかし負けるわけにはゆかぬと柴田政人渾身の内ラチぴったり早め先頭で押し切ろうとしたが、外からニシノライデンが凄まじい勢いで突っ込む。
内外並んだところがゴールであった。しかし彼はなんとかハナ差凌ぎ切り薄氷の勝利を得た。
体調最悪だったにも関わらず、ここで勝ち切って天皇賞親子制覇達成したんだからやっぱり強い。二冠馬は伊達じゃない。
しかしこの無茶の代償は大きく、レース後の彼は疲労困憊で死にかけであった。そしてそのまま調子は戻らず引退となった。
種牡馬としてはマイシンザンを出したが、生まれるのが10年遅ければ成功したかもと言わざるを得なかった。
そう、トニービン・ブライアンズタイム・サンデーサイレンスといった、90年代の競馬を作っていった英才たちが覇を競う時代に突入してしまっていたのだ。
そこにセントサイモン直系で、世界的に先細りなボワルセルの枝を父に持ち、母の父もまたセントサイモン直系でプリンスローズの枝であるムーティエという血統では
逆にどうやったらいい成績残せたのか聞きたいレベルの逆境だった。
かくして、最高傑作と謳われたミホシンザンも失敗したことにより、日本競馬の越えるべき壁であったシンザンの直系は絶えた。
種牡馬引退後も功労馬として父と同じく谷川牧場にて余生を過ごしていた。父同様長命であったが、2014年12月4日死亡。32歳。
期待されていた父の長寿記録を越えることは出来なかった。
血統表
シンザン 1961 鹿毛 |
*ヒンドスタン 1946 黒鹿毛 |
Bois Roussel | Vatout |
Plucky Liege | |||
Sonibai | Solario | ||
Udaipur | |||
ハヤノボリ 1949 栗毛 |
ハヤタケ | *セフト | |
飛龍[1] | |||
第五バツカナムビユーチー | *トウルヌソル | ||
バツカナムビユーチー | |||
ナポリジョオー 1975 栗毛 FNo.9-c |
*ムーティエ 1958 栗毛 |
Sicambre | Prince Bio |
Sif | |||
Ballynash | Nasrullah | ||
Ballywellbroke | |||
*タイタイ 1969 栃栗毛 |
Will Somers | Tudor Minstrel | |
*クヰーンスジエスト | |||
Anneiv | *ヴィエナ | ||
Singing Sister | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nearco 5×5(6.25%)、Gainsborough 5×5(6.25%)
主な産駒
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
JRA賞最優秀父内国産馬 | ||
優駿賞時代 | 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー | 1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン |
|
JRA賞時代 | 1980年代 | 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン |
---|---|---|
1990年代 | 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー | 1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン | 1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード |
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2000年代 | 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当馬無し※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル | 2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス | 2007 ダイワスカーレット |
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※1.該当馬無しを除く最多得票馬はナリタトップロード。 | ||
競馬テンプレート |
脚注
- *サイトによって表記ゆれがあるが、ここは「サラブレッド血統書・第1巻」(国立国会図書館デジタルコレクション)
の記述を優先した。
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