ミホシンザン単語

ミホシンザン

ミホシンザンとは、日本の元競走馬・種である。
シンザンの最高傑作
名はシンザン好きのさんがこれぞと思うに出会うまでとっておいたとっておきの名前とのこと。
ちなみにミホノブルボンとの共通点は皐月賞であるということだけであり、が同じだったりということはない。 

デビュー~皐月賞:シンザンを継ぐ者

言わずと知れた日本競馬の越えるべきとして君臨した偉大なるシンザンナポリジョオー、タニノムーティエらを輩出したムーティエという血統。
正直、彼が生まれた1982年当時でもすでに古臭さを感じる血統で、その上体も丸っこくて見栄えもしないため評価は低かったのだが
彼のとなった氏は何かを感じたらしく、調教師を説得して管理する約束を取り付けこのを購入。前述のとおりのとっておきの名前を付けたほど入れ込んでいた。

膜炎に悩まされ、さらに調教にも手間取りデビュー1月までずれ込んだが初戦を9ぶっちぎりで飾り注を集めると
条件戦とスプリングステークスを連勝し敗のまま皐月賞へ。快速サクラユタカオー折でリタイヤ、シンボリこの年の一番シリウスシンボリはゴタゴタで出走できずと有が欠け欠けだったとはいえ
一番人気に推されたのはシンザン息子ということもあったであろう。しかし5ぶっちぎっての圧勝劇で支持に応えてみせる当たり、恐ろしい才を引き継いでいたと言える。
だがこの皐月賞に臨んだ時の体調は最悪で、パドックですっ転びかねないフラフラっぷりだったという。それでも5身ちぎるんだから意味がわからない
右脚をかばって走ったため左前脚を折。ダービーは断念せざるを得なくなった。しかし軽度な折であったため軽く調教しながらに備えることになった。

復帰~5歳春:暗転する運命

折明け初戦はセントライト記念で迎えたが、不良馬場にノメりにノメり倒しろくに走れず5着に敗れてしまう。そう、ミホシンザンは馬場が重くなればなるほどスポイルされてしまうだったのだ。
シリウスは逆に重いほうがいいくらいのなので、馬場が重くなってた85年のダービーではミホシンザンは思ったように伸びず沈んでいたであろう。実際戦っても加藤ゆかりちゃーーーーーん!!!って言ったと思うよ。
気を取り直して京都新聞杯に挑んだがここは大楽勝。良馬場なら負けないことを明し迎えた菊花賞までが降って馬場が渋ったが、の回復で稍重まで戻ったため
彼を阻むものはなかった、スダホーク以下を軽くいなしての快勝で二冠達成。

そして、三冠を取れなかった分もシンボリルドルフを打ち負かしてやると挑んだ有馬記念。離された二番人気であり、ルドルフとどこまで戦えるか注された。
しかし結果は4身離されて敗れた。実況も「世界ルドルフ日本のミホシンザンを離す!」なーんていう始末。 
うん、まあ中山が一番得意な皇帝後顧の憂いも考えず全開で突っ走りやがったのが古初体験は辛いよな。というわけで翌年が勝負の年になったのだが
始動戦の日経賞は重馬場でひたすらノメるばかりで6着に敗退。なお悪いことにまた左前脚を折し休養を余儀なくされた。

5歳秋:苦難

競馬には間に合う程度の折だったためトライアルから始動したが、覚醒したサクラユタカオーレコードで爆走するのをに3着。
続く天皇賞(秋)ではサクラユタカオーに様々な不利があるとされ一番人気に推されたがまたもサクラユタカオーレコードで大爆走する中3着。
捲土重来を期したジャパンカップトリプティクやアワウェイリースターといった己より人気した外や一番人気ユタカオーには勝ったが
ジュピターアイランドとアレミロードの火の出るような叩き合いをボケっと眺めるような形になり3着。あれ?もしかして
そして有馬記念距離適性やジャパンカップ日本最先着を買われ一番人気に推されたがダイナガリバーはともかくギャロップダイナにも負けて3着。
おめでとう競馬3着コンプリート達成だ!…何もうれしかないな。新戦からの付き合いの柴田政人いわく、折した箇所をかばって全を出せていなかったという

6歳春~現在:二冠馬の矜持、そして…

というわけで、休養もなくアメリカジョッキークラブカップへ。柴田政人怒りの逃げ戦術で久々勝利を勝ち取る。続く日経賞では先行してねじ伏せる競馬で圧勝。
天皇賞(春)では圧倒的な支持を受けるが、前走や前々走の反動で体調が悪化しすぎて皐月賞以来の絶不調に陥っていた。(ノ`)アチャー
しかし負けるわけにはゆかぬと柴田政人渾身の内ラチぴったりめ先頭で押し切ろうとしたが、外からニシノライデンが凄まじい勢いで突っ込む。
内外並んだところがゴールであった。しかし彼はなんとかハナぎ切り薄氷の勝利を得た。が、どうせニシノライデンは直線で斜行やらかして失格だったので最悪抜かれても良かったのかもしれない。
体調最悪だったにも関わらず、ここで勝ち切って天皇賞親子制覇達成したんだからやっぱり強い。二冠伊達じゃない。
かしこの代償は大きく、レース後の彼は疲労困憊で死にかけであった。そしてそのまま調子は戻らず引退となった。

としてはマイシンザンを出したが、生まれるのが10年遅ければ成功したかもと言わざるを得なかった。
そう、トニービンブライアンズタイムサンデーサイレンスといった、90年代競馬を作っていった英才たちが覇を競う時代に突入してしまっていたのだ。
そこにセントサイモン直系で、世界的に先細りなボワルセルの枝をに持ち、もまたセントサイモン直系でプリンスローズの枝であるムーティエという血統では
逆にどうやったらいい成績残せたのか聞きたいレベルの逆だった。
かくして、最高傑作と謳われたミホシンザンも失敗したことにより、日本競馬の越えるべきであったシンザンの直系は絶えた。

引退後も功労としてと同じく谷川牧場にて余生を過ごしていた。同様長命であったが、2014年12月4日死亡32歳。
期待されていたの長寿記録を越えることは出来なかった。 

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1 ななしのよっしん
2014/05/05(月) 22:44:51 ID: fKIA93LQHV
動画少なすぎだろ・・・。
2 ななしのよっしん
2014/05/31(土) 23:58:08 ID: sj1Q+sFgoG
競走馬としてはに及ばなかったが、まだえる記録を作ることはできる。
偉大なの長寿記録をえるのは息子のこのしかいない。
3 ななしのよっしん
2014/08/04(月) 14:15:11 ID: 6QvRye3gBZ
32歳、まだ生きてるね
あれだけ虚弱体質だったがこんなに生きるなんてねぇ・・・

現役時代にあれだけ苦しんだんだからのんびり長生きしてほしいよ
とにかく怪安楽死なんてことにならないように願おう
4 ななしのよっしん
2015/01/10(土) 23:30:57 ID: sj1Q+sFgoG
残念ながら去年の12月に死去。合
5 ななしのよっしん
2018/12/12(水) 23:13:44 ID: Tp3uSj/73d
グレード制度導入後、初のクラシック二冠ってことであってる?