ミルトン・フリードマン(Milton Friedman、1912〜2006)とは、アメリカの経済学者である。シカゴ学派。マネタリスト。
概要
- シカゴ大学の経済学者。20世紀後半で最も世界に影響力を与えた経済学者と言える。1976年ノーベル経済学賞受賞。
- 代表作は「資本主義と自由」。
- 新自由主義を提唱。現在に至るまでのグローバリズムの基礎を作る。
- その思想はアメリカのレーガン大統領やイギリスのサッチャー首相の政治思想の基になった。日本でも中曽根首相や小泉首相などが新自由主義的と言われる。
- マネタリズムの提唱者。
フリードマンのキャリア
フリードマンはボンボンのケインズと違って貧しいユダヤ移民の家系であり、そのサクセスストーリーは典型的なアメリカンドリームの具現でもある。
フリードマンはオーストリア系移民の両親から4人兄弟の末子としてニューヨークのブルックリン地区で誕生した。両親の仕事は上手くいかず、収入はわずかで生活は常に不安定であった。父親はミルトンが高校生のときに亡くなり母子家庭になってしまう。それでも家族全員の支援と本人のアルバイトそれに奨学金を加えて大学へ進学する。時は1932年、世は大恐慌の最中であった。その後シカゴ大学へ移り経済学の猛勉強をこなす。シカゴ時代には後の妻となるローズ・ディレクターと知り合っている。
卒業後は大学や研究機関を経てクズネッツとの共同研究に没頭。計量経済学の父と呼ばれたクズネッツの下、独自の経済統計ツールを開発に成功した。この業績を彼本人は「数理統計学者としての能力は疑問の余地なく1945年の"VEデー"に頂点に達した」と述べている。VEとはヴィクトリー・イン・ヨーロッパ、つまり二次世界大戦の終了の日を指している。
1946年、フリードマンはシカゴ大学から講義の依頼を受け、これ以降シカゴ大学は彼の終生の拠点となった。それから研究論文を沢山出版して有名に、ノーベル経済学賞受賞をもってその名声は全世界へと広まる。
米のレーガン大統領、英のサッチャー首相、イスラエルのリクード政権、中国共産党への政策提言など、その影響力は圧倒的であり世界に与えた影響という観点だけで言えばケインズと並んで20世紀最高峰の経済学者となった。
2006年死去。実は結構最近の人である。
フリードマンの経済思想
その思想の本質は「徹底的なリベラル、自由市場至上主義(リバタリアニズム)」である。フリードマンは一切の政府の経済への介入を許さずレッセフェール(仏語で自由放任)を追求した。
その思想を分かり易く表現する、「資本主義と自由」においてフリードマンが撤廃すべきとする14の要項を見てみよう。
- 農業補助金の廃止
- 関税の撤廃(→TPPがこれ)
- 最低賃金の廃止
- 企業に対する規制の撤廃
- 政府による電波割当の廃止
- 公的年金の廃止
- 職業免許の廃止(医者なども含む)
- 教育バウチャーの導入(公立と私立の国による差別化を止める)
- 郵政民営化(日本は小泉政権の下で達成)
- 負の所得税の導入。
- 平時の徴兵制の廃止(日本では達成)
- 住宅補助金の廃止
- 国立公園の廃止
- 有料道路の廃止(→日本では民主党がやろうとしたけど失敗)
フリードマンの思想は「人間的自由」に最高の優先度を与えたため、市場を不完全として政府の介入を行うケインズ経済学とは真っ向から対立し学派と学派同士がぶつかり合う大論争となった。それ故フリードマンは強力な信奉者を得るとともにケインズ派の批難にもさらされることになる。
マネタリズム
フリードマンが主唱したマネタリズムとは良好な経済を形成するためには貨幣供給を行う中央銀行の役割を重視する考えのことである。中央銀行は日本では日本銀行、アメリカではFRB(連邦準備制度理事会)が存在する。
なんか難しそうだけど、要するに「通貨供給量が増えれば物価は上昇しインフレになる。供給量が減れば物価は下がりデフレになる」というだけの話だ。例えば、
A「日本が借金でやばいって? じゃあ政府がお金一杯刷ればいいじゃないw」
B「ばか、そんなことしたらインフレが起きて物価がジンバブエみたいにヤバいことになるだろ」
フリードマンは1930年代の大恐慌に対して、その原因はFRBの無策にあると結論していた。当時のアメリカは供給過多のデフレ状態であった(ちなみに現在の日本もデフレ不況である)。そんな時には中央銀行が貨幣流通量を増やしてデフレを解消すべき、とフリードマンは述べたのだ。
しかし、その時期の経済学会はケインズ主義に忠実であったため、通貨(マネー)が経済活動に与える影響を軽視していたのだった。ケインズは経済を管理する為の金融政策、すなわち通貨供給量の効果を期待できないと主張していた。問題はインフレにある。ケインズ主義者たちはインフレは貨幣流通量とはほとんど無関係だと考えたのだ。
それに対抗しフリードマンはこう述べる。
「マネー・マターズ(問題は金にある)」
フリードマンによれば、通貨供給は景気循環とインフレーションにおける最大の決定要因であり、それは経済政策のもっとも有効なツールである。中央銀行は安定して安定的な貨幣供給を保障し、一定のペースで貨幣の通貨量を増やすことによってのみ経済成長を実現できる。
このフリードマンの提言は彼が予想した通り、1970年代にケインズ経済学がスタグフレーションによって行き詰まってしまったことにより一気に説得力を持つに至る。70年代後半にはイギリスとアメリカはマネタリズムを政治に反映させはじめ、FRBは正式に金融政策を実行に移した。
しかしながらマネタリズムの金融政策は結局スタグフレーションを解消することができず80年代の景気後退も防ぐことができなかった。後にフリードマン自身もこの政策が完璧ではなかったことを述べている。なんじゃそりゃ。
こうしてまたケインズ派は復活し、現在も「市場主義VSケインズ主義」の戦いは続いている。
シカゴ学派
シカゴ大学の経済学部の総称。別名マネタリズムとも呼ばれるこの学派は文字通りシカゴ大学の経済学者たちによって提唱された。彼らは自分たちのフィールドを学部ではなく、学派と呼ぶのだ。その中心的人物がフリードマンである。
シカゴ学派は経済学会全体において強力な集団でありシカゴ大学出身の経済学者は数多くノーベル経済学賞を受賞している。ちなみにシカゴ大学自体も最高峰の大学であり、総勢87名がノーベル賞を受賞している。例えばオバマ大統領はシカゴ大学の法学部卒である。
批判
上記のように多くの成果を残し、ノーベル経済学賞受賞をはじめとしてさまざまに評価されている人物ではあるが、非常に激しい毀誉褒貶にさらされる人物として知られており、批判も多い。
チリ共和国における自由主義経済政策の失敗
1973年、南米チリで軍事クーデターが起こり、選挙で選ばれていたアジェンデ社会主義政権が倒された。この時ホワイトハウスとCIA(アメリカ中央情報局)の支援を受けてクーデターを起こし権力を握ったピノチェト将軍の部隊は、アジェンデ政権を支援した多数の自国民と外国人シンパを虐殺した。(クーデター翌日だけで2700人の死体が確認された)
以後チリは10年以上に渡ってマネタリズムやさらに極端な「自由市場学説」の実験場として利用された。チリの若者はシカゴ大学に無料で招待され、シカゴ学派の信奉者として帰国した。彼らは新政権の中の経済省と中央銀行で経済技術者(テクノクラート)としてポストが与えられ、チリに自由市場を提供した。もっとはっきり言えば、売国政策を行わせたのだ。(国営の鉱山を海外資本に売り渡すなど)
チリ政権は当初成功しているかのように見え、フリードマンは”チリの奇跡”と呼んで賞賛したが70年代後半から急速な景気後退と失業率悪化、そして何より凄まじい格差を招いた。貧困率はアジェンデ政権の二倍の40%に達し、数百パーセントの超インフレを起こして崩壊した。こうしてピノチェト政権末期にはシカゴボーイズはシカゴギャングと呼ばれ追放され、一転しチリはケインズ的政策への軌道修正が行われた。
フリードマンはピノチェト時代のチリ経済に起こったことは自分にはいかなる責任はないと後に述べた。
「ショック・ドクトリン」
反グローバリズム活動家である「ナオミ・クライン」は、2007年にフリードマンによって提唱された新自由主義を強烈に批判する書「The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism(邦題:「ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く」)」を著し、大きな反響を得た。
同書でクラインは、フリードマンによって提唱された新自由主義について「危機に付け込んで改革を断行する」という負の性質があると糾弾した。既存の政府から大きな変化・改革を起こす場合、民主的に成立させようとしたら長い時間がかかるため、「戦争などで政府をぶっ壊してからその隙に市場経済を無理矢理成立させてしまおう」という方法をとる、と見なしたのだ。クラインはそういった方法について「ショック・ドクトリン」と名付け、激しく攻撃している。
同書内では上記のようなチリでの自由主義経済政策導入を「ショック・ドクトリン」の典型として挙げ、またチリだけでなく以後多くの国・地域にも用いられていると主張している。
- CIAが国内の不満分子を支援してクーデターを起こさせその国の政権を崩壊させる。(軍需産業が儲かる)
- その政府の重要ポストに、アメリカで教育を受けた経済技術者を送り親米的な政治を行わせる。(市場開放が始まり多国籍企業が儲かる)
- その結果経済が崩壊した場合、IMF(国際通貨基金)が支援して国の財政を完全に乗っ取ってしまう。緊縮財政が強制され国の財産は借金のカタに海外企業に二束三文で売っぱらわれる。
とされる。
批判に対する反論
上記に挙げたようなフリードマンへの批判については、反論もなされている。
例えば早稲田大学政治経済学術院教授の若田部昌澄氏はこう述べる。[1]
①フリードマンはピノチェトの経済顧問であったことはない。チリには1975年3月に6日間訪問し、単独ではなく数人で大統領と45分だけ会談した。その訪問では大学で講演し、チリで自由が脆いものであること、チリが政治的に自由でないことを述べている。またチリの大学からの名誉博士号贈呈の申し出は拒否している。
(②~③は略)
④ピノチェトのクーデター以前に、アジェンデの経済政策はすでに破綻していた。インフレ率は高騰し、誰が政権に就くにせよ高インフレの鎮圧が必要であった。しかも「シカゴ・ボーイズ」が招請されたのは、ピノチェトの当初の政策が失敗した後である。
⑤フリードマンは、高インフレについての処方箋として、「ショック療法」を提唱した。これは批判の的になったが、当時でもそして今も、高インフレに対して他に有効な処方箋があるわけではない。
若田部氏によれば、フリードマンが提唱した「ショック」とは高インフレから脱出するための手段であり、社会システムそのものの急激な変革を意味するわけではない。
またナオミ・クラインの著書「ショック・ドクトリン」については
新旧シカゴ学派を同一視しているなど歴史認識に問題がある。その他の点でも事実誤認が多く、陰謀論に傾いていることについてはRedburn2007,Norberg2008の書評を参照のこと。[2]
と指摘している。
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「資本主義と自由」は政治パンフレットのように一般人にも読みやすいぞ。「もし小泉進次郎がフリードマンの〜」は、日本の首相となった小泉進次郎が上記の14項目を成立させようとしたら? というifストーリーである。漫画だけど内容は中々重い。
関連項目
- 資本主義
- 社会主義
- 経済
- 経済学
- 経済学部
- 経済学者
- 学者の一覧
- 新自由主義
- グローバリズム
- 小さな政府
- 負の所得税
- ジョン・メイナード・ケインズ(倒すべき相手)
- F・A・ハイエク(影響を受けた人)
- サイモン・クズネッツ(大学時代の師匠)
- ポール・サミュエルソン(ケインズの追従者にして同時期に活躍したライバル)
- ショック・ドクトリン
脚注
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