メジロオーとは、1958年生まれの日本の競走馬、種牡馬。黒鹿毛の牡馬。
概要
父ゲイタイムはイギリス女王エリザベス2世の所有馬で、1952年の英ダービーで2位入線後、斜行による妨害の異議申し立てをすれば繰り上がりで優勝となったはずなのにゴール後の放馬脱走で機会を逃し着順通り2着となってしまった「幻のダービー馬」。引退後日本に輸出され54年から供用、メジロオーがデビューした頃には重賞馬を5頭出していて、後には2頭のダービー馬を出した。
母キヨハは中央で48戦3勝。母父プリメロは産駒によるクラシック競走通算15勝を成し遂げた大種牡馬。
3歳から4歳まで メジロオーに秘策あり
メジロオーは1960年12月11日中山の3歳新馬でデビューした。13頭立て9番人気の10着というパッとしない結果だった。次走は翌1961年の1月7日の4歳未勝利で鞍上は八木沢勝美に乗り替わりとなった。八木沢は尾形藤吉厩舎の所属であったが以後大久保末吉厩舎のメジロオーの主戦となる。レースは4着に敗れたが3月4日の次走で勝ち上がり未勝利を脱出。それから2着、4着、3着、4着と惜しいレースが続き、5月14日の4歳30万円以下をハナ差で何とか勝利してダービーへの切符を手に入れた。
こうして迎えた28日の東京優駿競走、23番人気の大外32番、その上球節を痛めて追い切りでも軽くびっこを引いていた。大久保は手前が変わるまで追ってはならないとだけ指示を出した。八木沢はとても勝ち目はないから他の馬の迷惑にならないように馬群の後ろからついていくことに決めた。ダービーとしては初のゲートが開いた時、観客が悲鳴を上げたがその理由を知る由もなかった。YouTubeの映像では「メジロオーが行きました」「メジロオーが先頭」「メジロオーが5番手であります」と実況されているがこれケンロクオーの間違いらしく本物のメジロオーは後方に位置取っていたという。3コーナー入口では中段に居たがすぐ傍に先行策で知られた1番人気ハクシヨウがいることに驚き、「保さん、勝つのに、なんでこんなところにいるんだ」と思わず声を掛けるもハクシヨウ鞍上の保田は気づかず上がって行ってしまった。各馬が次々とスパートを切るなかメジロオーは4コーナーを後ろから3番手で回り、最後の直線で大外に持ち出した。メジロオーが3頭を交わして猛然とスパートしてから先の記憶は八木沢の頭から抜け落ちた。ゴール前300mでチトセホープがハクロウを競り負かし、クリフジ以来の牝馬のダービー馬かと思われた瞬間外からハクシヨウが来襲、これはハクシヨウだと思われたら今度は大外からメジロオーが追いつき、クリノハナとタカハタのデットヒートを再現するかのような大接戦で2頭が並んでゴール版を駆け抜けた。長い長い写真判定の結果、まさに髪の毛一本の差でハクシヨウの勝利となった。
大久保調教師は「相手の鼻があんなに高くなければ」と悔しがった。八木沢は「あの1600m地点で自分も一緒に上がって行っておけば…」「いい馬に乗せてもらっていたから、うまくいってれば、もう1つ2つダービーを勝ててたと思うんですよ。ヤシマドオターもそうだし、メジロオー、あれは取れてた。私の方から保さんにあげたようなものですね」と後々まで自らの騎乗を後悔し続けた。しかし、そんな気持ちを知らない周囲は八木沢の騎乗を大絶賛。観戦していた蛯名武五郎調教師は「今年のダービーでも、メジロオーであんなに後ろにいたのに、よく追い込んで、鼻差までハクシヨウを追いつめたのは、実にみごとである」と称賛し、保田隆芳騎手も尾形藤吉調教師から「ハクシヨウだからあれでも勝てたが、ほかの馬だったら逆に鼻の差でやられていただろう」と言われ、己の油断と気のゆるみをしみじみと反省し、「メジロオーがもっと大外を追い上げてきてハクシヨウとぴったり並んでの競り合いにならなければあるいは負けていたかもしれない」と分析している。
こうして、本人も知らないメジロオーの秘策が周囲によって形作られていく中で、八木沢勝美が今年の春引退するかもしれないという噂が流れたことを蛯名は自らの著書『騎手から見た競馬必勝法』に書き留めている。
秋は10月1日のセントライト記念から始動するも4着、次走は菊花賞の叩きとして減量騎手に乗り替わるもブービー6着惨敗。蛯名曰く「彼が乗ればあんなことはない。やはり、しぶい脚質で、追わせていく馬には、彼の騎座の使い方で馬自身が先へ行くようになるのであろう」と、イマジナリー八木沢をやっぱりべた褒め。本番たる菊花賞では八木沢騎乗でアタマ差2着と惜敗、有馬記念も5着に敗れこの年を終えた。
5歳 天皇賞への道
1962年は古馬の一大目標天皇賞を目指すことになる。先ずは1月7日の中山のオープン戦5歳以上を勝利すると、アメリカジョッキークラブカップ、スプリングハンデキャップ、目黒記念、ダイヤモンドステークスと次々に重賞に挑戦して距離が延びれば好走、短ければ惨敗と典型的なステイヤーぶりを発揮。4月14日京都のオープン戦5歳以上でダービー馬コダマを破るも休養を余儀なくされ肝心の天皇賞には出走できなかった。10月21日のオープン戦で復帰するも殿負けの6着惨敗で引退、種牡馬入りした。
通算成績20戦4勝[4-4-2-10]
産駒にこれといった活躍馬はいないがアラブの名俊スマノダイドウの母父となっている。
主戦騎手だった八木沢勝美は1965年に調教師となりメジロギャランで管理馬初出走と初勝利を挙げ、1966年にメジロマジヨルカがクイーンカップを制し重賞初制覇。馬主の北野豊吉は1967年にメジロ牧場を開設し、メジロ軍団の歴史が本格的に始まっていくこととなる。
血統表
| Rockefella 1941 黒鹿毛 |
Hyperion | Gainsborough | |
| Selene | |||
| Rockfel | Felstead | ||
| Rockliffe | |||
| Daring Miss 1939 栗毛 |
Felicitation | Colorado | |
| Felicita | |||
| Venturesome | Solario | ||
| Orlass | |||
| キヨハ 1947 鹿毛 FNo.[3-e] |
*プリメロ
|
Blandford | Swynford |
| Blanche | |||
| Athasi | Farasi | ||
| Athgreany | |||
| 第弐オーイエー 1937 鹿毛 |
Buchan | ||
| Orlass | |||
|
*オーイエー
|
Ethnarch | ||
| Forest Lassie |
クロス:Orlass 4×4(12.5%)、Gainsborough 4×5(9.38%)
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 2
- 0pt

