そしていつか
友人たちの躍進に
誇らしさを感じながら
自分へのもどかしさも
また抱いていたいま先頭で走る僕は
逃げているのではなく
実は彼らの後ろ姿を
追いかけているのだ少しずつ差を詰めよう
そしていつか抜き去ろう
メジロパーマーとは、1987年生まれの競走馬。1992年の宝塚記念、有馬記念に勝った名馬である。
名前を聞くと「くすっ」と笑ってしまう、愛すべき名馬であった。いわゆる馬鹿コンビの片割れとして有名。もうちょっとかっこいい異名を付けてやれよ・・・。
主な勝ち鞍
1991年:札幌記念(GIII)
1992年:宝塚記念(GI)、有馬記念(GI)、新潟大賞典(GIII)
1993年:阪神大賞典(GII)
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この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「メジロパーマー(ウマ娘)」を参照してください。 |
概要
父メジロイーグル 母メジロファンタジー 母父ゲイメセン(Gay Mecene)という血統。地味?いやいや、これがメジロの血統ですよ。
名前こそアメリカゴルフの英雄アーノルド・パーマーから取られた立派な名だが、あんまり期待されないで育った彼。何しろ同期にはメジロライアンとかメジロマックイーンがいたのだ。それでも二歳戦で2勝しているのだから立派である。
が、その後は骨折などもありパッとせず、クラシックとは縁の無い路線をひた走る。なまじ2勝もしているため、分不相応のオープンクラスのレースに出るしかなく、入着もおぼつかない。困った関係者は障害レースに出走させるべく、パーマーに障害飛越練習をさせ始めた。しかし、これがあまり上手ではなく、まぁ、500万下に降格にもなるし、もうちょっと平地で走らせてみっか、ということになった。
ところが、降格直後のレースを二着した後、十勝岳特別を大差で逃げ切っちゃうのである。え~、勝つなよ。またオープンに出なきゃいけないだろう!と関係者が思ったかどうかは定かではないが、この時の逃げ切り勝ちで何かを掴んだメジロパーマー。次の札幌記念でも逃げ切り。初重賞勝利を果たすのである。
が、この後また勝てなくなり、やっぱりメジロパーマーは障害レースに送り出される事になる。重賞勝ち馬を障害に回すとは、容赦無いなメジロ牧場。初戦を勝ち、二戦目も二着となかなかの滑り出しだったのだが、何しろ障害飛越が下手糞で、こんな危ない馬は障害には使えないと平地に戻された。平地で駄目、障害でも駄目出しされてしまったメジロパーマー。使えない奴がたらい回されるのは人でも馬でも同じなんだなぁ。・・・おいやめろ。……やめてください。
が、パーマーはこの後、運命の出会いを果たす。山田泰誠騎手との邂逅である。山田騎手鞍上で、メジロパーマーは新潟大賞典に勝利。彼は山田騎手との出会いで「ハイペースで大逃げをかます」という芸を身に着けるのである。重賞二勝目。重賞を二つも勝ったのであるからもう堂々たるオープン馬である。もう使えない奴とは言わせないぜ!
大きな顔をして乗り込んだのが宝塚記念。が、ここでは彼は9番人気だった。実はこの時、メジロマックイーンが直前に骨折。大混戦、というか、がっかりムードが漂う感じのレースだった。人気も割れており、かろうじてカミノクレッセが一番人気。誰よりもがっかりしていたのがメジロ牧場の関係者で、メジロパーマーが出るというのに応援ツアーは中止され、メジロ牧場の関係者はほとんど応援に来ていなかった。
ところがである。メジロパーマーは暴走気味のハイペースでぶっ飛ばし、他の馬を振り回した挙句、底知れぬスタミナで直線を押し切ってしまったのである。阪神競馬場の観衆は唖然。いやいや、TVで観戦していたメジロ牧場の人々も呆然。関係者の口取り写真に名物馬主だった北野ミヤさんが写っていないというのだから、関係者にとってさえ信じ難い勝利であったのだ。もちろんファンだってびっくりだ。単勝は2310円である。
グランプリホースになったのである。これはもう一流馬に成長したのか?と思いきや。秋の京都大賞典は9着。天皇賞(秋)は17着。おいおい。特に天皇賞(秋)は後に馬鹿コンビの片割れと言われるダイタクヘリオスと並んで暴走してブービー惨敗という大馬鹿レース(ただ、1着との差は1.8秒とそこまで極端に離れていない。片割れの方は0.6秒差の8着で、出走奨励金を持ち帰っている)。このレースは、キャリアでただ一回となる藤田伸二の騎乗であったが、このとき藤田あぁぁぁぁ!と叫んだファンはあんまりいなかった。既に10番人気だったし。11番人気のレッツゴーターキンが勝ったのに驚き過ぎてそれどころでも無かったし。
そして有馬記念では15番人気。ブービー人気ですよ。下にはイクノディクタスしかいないんですよ。オースミロッチとかフジヤマケンザンとかサンエイサンキューとかよりも人気薄だったのですよ。春のグランプリホースが。ちなみに一番人気はトウカイテイオー。前走のJCを勝って「絶対」とまで言われていた。JC激走した馬は消しだとあれほど。
ところがこのレースがいわゆる「馬鹿コンビによる馬鹿コンビのための馬鹿有馬記念」とまで言われて伝説となるのである。
スタートから例によって頭が高い走り方で先頭に立ったメジロパーマー。トウカイテイオーは出遅れ。この時点で観客席に嫌な感じのざわ・・・てな雰囲気が漂っていた。一周目ののスタンド前、歓声に盛り上がったのか相棒のダイタクヘリオスが口を割ってメジロパーマーに競り掛ける。パーマーは譲らない。だんだんだんだんペースが速くなり向こう正面ではなんか物凄い勢いで馬鹿コンビ二頭が吹っ飛んで行く。あ~あ~あ~あ~、またやってるよあいつら。ファンは苦笑した。天皇賞(秋)でも馬鹿逃げをやった二頭である。後続が大きく引き離されても、ファンはまったく心配していなかった。
だがしかし、3コーナー手前から馬鹿コンビの暴走は更に激しさを増す。11秒台のラップが連発するのである。更に引き離される後続。そして、最後方でもたもたしているトウカイテイオー。ざわ・・・ざわ・・・。観客席でもざわめきが大きくなる。だが、これはトウカイテイオーがピンチか?くらいの心配であった。まだ誰も、前を行く二頭の事など気にも留めていない。しかしその時、フジTVの実況が叫んでいた「早く追いかけなければいけない!」
いやいや。3コーナーから4コーナーに掛けて、後続の人気馬たちの騎手たちは猛然と追い出していた。ちゃんと追い掛けていたのである。しかし馬鹿コンビの爆走。特に4コーナー出口でダイタクヘリオスを競り落としたメジロパーマーの脚色はまったく衰えない。直線では一人旅になったメジロパーマー。ここにきて、ファンもとんでもない事になりつつある事にようやく気が付いた。な、なんだそれ~!つーか、お前誰だよ!湧き上がる絶叫。
最後の最後で内からレガシーワールドが追い込んだが、僅かに届かない。大歓声というかファンの悲鳴に包まれながらメジロパーマーは一着でゴールラインを駆け抜けたのだった。山田騎手はパーマーの首を叩いて勝利を祝福。ついでにナイスネイチャは指定席。「ヒシマサルもトウカイテイオーも、ライスシャワーもどうしたんでしょうか」と実況は呆然とつぶやき、ファンはまったくだと同意した。単勝4940円。馬連はなんと31550円!とても宝塚記念馬がらみの馬券とは思えん。
グランプリ春秋連覇は史上4頭目の快挙だった。特に有馬記念はメジロライアンもメジロマックイーンも二着に敗れており、比較するのさえおこがましいとさえ思われていた同牧場の名馬二頭の鼻をあかす痛快な勝利だったと言えよう。
メジロパーマーは翌年、阪神大賞典に勝って天皇賞(春)に向かったが、ここには帰ってきたメジロマックイーンと生涯最高の仕上げであったライスシャワーがいた。史上最高レベルのステイヤー二頭を向こうに回し、パーマーは逃げて踏ん張る強い3着。阪神大賞典とこの天皇賞(春)のパーマーのレース振りは素晴らしいものであった。
が、この後は精彩を欠く。掲示板にも乗れないレースを続け、引退。だが引退レースの日経新春杯は二着に突っ込みファンを喜ばせたのであった。
なんつうか、波乱万丈な競争生活であり、障害レースに出た事がある馬が後に平地のG1に勝った例は史上唯一というサクセスストーリーの持ち主でもあり、馬鹿コンビでの大逃げ漫才で笑いも取ってみせるという色々とネタが多い馬であった。馬券的には一切信用出来ない馬であり、宝塚記念に勝った馬でありながら、彼はその後一回も一番人気になっていない。有馬記念後の阪神大賞典でさえ三番人気の体たらくだった。ハイペースで潰れない逃げ馬と言えば聞こえは良いのだが、なまじ展開が落ち着いてしまうと終いの脚が無いために直線で交わされ、そうするとやる気を失って沈没して掲示板にも残れないという極端な馬であり、怖くて買えない馬だったというのが正直なところである。
だが、同じような脚質だったツインターボに比べるとちゃんとG1に二回も勝っており、強い時には間違いなく強い馬であった。宝塚も有馬も展開のあやで勝ったとは言えない強いレースだったと思う。どちらにもメジロライアンもマックイーンも出ていないが、出ていてもおそらくパーマーが勝ったであろうと信じている。
ちなみに勝利したレースはすべて右回り(障害レースは除く)という、徹底した右回り巧者であった。
種牡馬入りしたことはしたが、ブライアンズタイムやサンデーサイレンスといった(現在でもJRAの歴史を塗り変えるレベルの)ブームには敵わず、また近年のスピード化の波に着いていけずで活躍馬を殆ど排出出来ず2002年に引退。唯一の活躍馬メジロライデンが障害馬だったのは何かの皮肉だろうか。
2012年4月、25歳で死亡。当時から屈指の個性派として、ニコニコ動画でもあの有馬記念の動画を中心として大人気のメジロパーマー。これからも希代の逃げ馬として長く語り継がれて欲しい名馬である。
関連動画
関連商品
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関連コミュニティ
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関連項目
JRA賞最優秀父内国産馬 | ||
優駿賞時代 | 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー | 1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン |
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JRA賞時代 | 1980年代 | 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン |
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1990年代 | 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー | 1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン | 1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード |
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2000年代 | 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当馬無し※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル | 2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス | 2007 ダイワスカーレット |
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※1.該当馬無しを除く最多得票馬はナリタトップロード。 | ||
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