メルセデス・ベンツ(Mercedes-Benz )は、ドイツの自動車会社ダイムラー(Daimler AG )の乗用車、バス、トラックのブランドである。
概要
ドイツの技術者、カール・ベンツによって1883年に設立された世界最古の自動車メーカーの一つである。ベンツ&シー・ライニッシェ・ガスモトーレン・ファブリーク(ベンツ&シー :Benz & Cie )とドイツのガソリンエンジンのパイオニア、ゴットリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハらにより1900年に設立したダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社(Daimler-Motoren-Gesellschaft, DMG )が1926年に合併することで誕生したブランドである。
社名はダイムラー・ベンツとなる。同社は「メルセデス・ベンツ」ブランドの自動車や、戦車・船舶・航空機エンジンなどのメーカーとして発展をとげた。1998年、社名はダイムラー・クライスラー(~2007年)と変更されるも、ブランド名の変更はない。
日本においては、高価格帯の車種しか輸入されていないなどのブランド戦略によって高級車の代名詞とも言えるイメージが定着。しかし欧米では実用車・商用車、そして大衆車から高級車まで幅広く生産する自動車総合メーカーとして有名である。タクシーや救急車、トレーラーがメルセデスであることも一般的である。庶民に一番身近なのは路線バスであろう。メルセデス・ベンツ・シターロの連接仕様車が輸入されており、低料金で事実上運転手付きのメルセデスに乗れる。エンブレムも付いており、最後部の座席に乗るのがコツである。
また、指定暴力団が乗っている車というイメージが強く、近づきがたい印象も根付いているが、近年では流麗なデザインを採用するようになり、大きなイメージ変更がされている。逆に言えば「ベンツらしくない」とも呼べる。
近年のイメージ戦略の一環として、東京・大阪・羽田にベンツギャラリー・イベントスペースを併設したカフェ・レストランの「メルセデスミー」旧称:メルセデス・ベンツコネクションを出店している。詳細は当該記事へ。
「Das Beste oder nichts」(最善か、無か)の企業スローガンの下、「全ての形に理由がある」と言われるほど質実剛健であり、良い意味で過剰性能な品質に定評があった。
しかし1990年代中盤以降、コストダウンを進めメイン工場を南アフリカや中国、アメリカなどに置くことなどを推進した結果、内装設備のランクダウンにより一時期、乗り味や質感など品質低下していた時期が存在する。これにより1990年代後半では中古車価格が新車よりも高騰するという事態が発生。これに対し2000年以降のモデルに品質の改善を進め2004年から2005年までに起きたリコール騒動の影響もあったが、現在では品質低下以前以上の品質の取得に成功している。
「メルセデス(スペイン語で『慈悲深い人』の意味)」という名前は当時、ダイムラー車のディーラーを経営していたオーストリア・ハンガリー帝国の領事の娘の名である。「ダイムラー」という硬い響きを嫌い当時流行していたスペイン風の響きを持つ名前にしたとされる。その名残か、欧米では一般に「メルセデス」「メルセデス・ベンツ」と呼ばれる。それに対し、日本では「ベンツ」と呼ばれることも多いが。欧米と同じく硬い響きを嫌い、ディーラーは勿論オーナーなども「メルセデス」と呼ぶ。
エンブレムは、合併前のダイムラー社が使用していたスリーポインテッド・スターとベンツ社の円形月桂冠を併せデザインされたもので、3点にはそれぞれ「陸・海・空」の各分野でダイムラー・ベンツ社の繁栄が込められている。
主なモデル
モータースポーツ
日本ではラグジュアリーな高級車としてのイメージが強いが、モータースポーツにも参戦している。
1934年からモータースポーツへ参加し、同国のライバルであったアウトウニオン(現在のアウディ) としのぎを削りながら、数多くの勝利を手にする。
しかし、第二次世界大戦によってレースへの参加中止を余儀なくされ、ドイツは大敗して大きな被害を受けてしまう。
F1世界選手権
1954年にデビューし、参戦した6戦中4勝を挙げた、ファン・マヌエル・ファンジオがチャンピオンを獲得、翌年も7戦中4勝を挙げてファンジオが連続チャンピオンに輝き、スターリング・モスも1勝を挙げる(当時はコンストラクターズタイトルはなかった)。
しかし後述する事故によって、F1から撤退を余儀なくされる。
1993年に、スポーツカーレースのパートナーであったザウバーのメインスポンサーとして再参入、翌年にはイルモアを買収してエンジンサプライヤーとして復帰を果たす。
1995年からはマクラーレンとワークス契約を結び、1998年のダブルタイトル、1999年のドライバーズタイトルに貢献する。
2009年にはフォース・インディアとブラウンGPにエンジンを供給し、ブラウンGPがダブルタイトルを獲得する。
その際に、スポンサーに乏しくチーム運営に不安のあったブラウンGPを買収、2010年からメルセデスGP(2012年からメルセデスAMGに改称)として、1955年以来のワークス参戦を果たす。とうとう、3年目の2012年にはニコ・ロズベルグが中国GPにて自身初優勝&チーム初優勝を飾る。また、ヨーロッパGPにてミハエル・シューマッハが復帰後初の表彰台に上る。だが、シューマッハは2度目にして完全な引退を迎えた。代わって、2013年からルイス・ハミルトンが移籍してくる。
2014年のエンジンがPU(パワーユニット)となった新規定から蓄えたパワーを爆発させ、2020年まで7年間ダブルタイトルを獲得する圧勝を収めた。詳細は→メルセデスAMGの記事へ
一方でメルセデスPU(パワーユニット)カスタマーのマクラーレン、アストンマーチン、ウィリアムズなども上位で結果を残しており、動力の面においても最強の呼び声が高い。
ル・マン24時間レース
1951年にル・マン24時間レースに参戦、翌年には優勝を果たすが、1955年にはクラッシュによって観客を含む200名以上の死傷者を出したことで、全てのモータースポーツから撤退を余儀なくされる。
1985年に、ザウバーがメルセデスエンジンをレース用にチューニングしてマシンに搭載、1986年にWSPCで初勝利を挙げる。
これに触発されて、1987年には技術支援を行い、翌年にはワークス参戦を宣言する。1988年ル・マン24時間は謎のタイヤバーストに見舞われて決勝を辞退するも、1989年のル・マン24時間で優勝を果たし、同年のWSPCでもチャンピオンを獲得する。
しかし、SWCと改められた1991年には参戦メーカーが激減、メルセデスはその年を以て撤退した。
ル・マン24時間レースでは、GT規定に変わった後、1997年からFIA-GT選手権で使っていたマシンで参戦したが、1999年には、CLRによるフリー走行、決勝でマシンが宙に舞うクラッシュを演じ、決勝での事故後、全車を引き上げ、ワークスでのル・マンからの撤退をする。
どうやら下2桁が揃っている年にル・マンに出場するとよくないことが起きるようだ。
ミハエル・シューマッハもここで育てられた。
ドイツツーリングカー選手権(DTM)
ル・マンへの参戦に呼応する形で参戦、5度のマニファクチャーラーズチャンピオンを獲得する。同選手権は1995年にITC(国際ツーリングカー選手権)に発展するものの、翌年にはDTMとともに終了する。
2000年に、新生DTMが設立されると、同年よりCLKで参戦。こちらでも5度のマニファクチャーラーズチャンピオンを獲得する。2012年は新規定により、Cクラスクーペで参戦している。
現在、日本で開催されているSUPER GTとマシン規定などの統合を目指しており、将来的にはこちらへの参戦も期待される。
ミカ・ハッキネンをはじめぺヤング先生やミハエル・シューマッハの弟のラルフ・シューマッハも出場していた。
SUPER GT
海外のGTカーレースでは参戦経験があるものの、SUPER GTではJGTC時代にHKSが独自改造してGT500に出走したことを除き、参戦することはなかった。
しかし2012年、GT300クラスにてSLS AMG GT3をもって、GREEN TEC & LEON with SHIFTが参戦している。2013年からは一挙に使用チームが5台に増え、優勝争いの常連となっている。また、人気チームのGSR初音ミクがBMWからメルセデスにシフトしたことも話題となった。
2016年からはSLSからエンジンをキャリーオーバーしたメルセデスGT AMG GT3が参戦、16、17と開幕戦で優勝を飾っている。
関連動画
市販車
F1ドライバー出演CM
メルセデスエンジンを積んだチームのドライバーが出演している。ユーモアなものも多い。
関連商品
外部リンク
関連項目
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