メンヘラとは、2ちゃんねるのメンタルヘルス板にいるような人間のこと。ネットスラング。
概要
語源は2ちゃんねるの「メンタルヘルス板」より由来する。メンタルヘルス板とは「心の健康」について取り扱う板。
2ちゃんねらーの間で「メンタルヘルス板にいるような人間」をメンヘラーと略されるようになり、それがメンヘラになった。主に心に病気を抱えた人について使われる言葉として扱われている。
2015年頃からの用法で、メンヘラになることを「メンタルがヘラる」「ヘラる」のように表現することがある。異分析と思われる。
差別的な意味を含む場合もあるため扱いには注意しよう。
基本的にメンヘラの症状は性別で大きく異なる。他、風邪を引かないことが唯一のメリットである。
ヤンデレとの比較
ここ最近では、(ネットスラングとして)ヤンデレと比較され混同されることが多くなっているメンヘラ。現在境界が曖昧な両者の違いを比較した場合、相手への依存の仕方と愛情の向き方に差異があるという意見が多い。
- メンヘラ
- 誰かに愛情を向けてもらいたい、そんな自分が何より愛おしい
- 誰かに気を向いてもらうためになんでもする「かまってちゃん」行為がベースにある
- 自分という存在がそっぽを向かれるのを何より恐れるが、自分以外の他人がどうなっても知ったことなし
- 一言で言えば、「愛してくれないならここで死んでやる!」
- 特定の誰かを愛している、他は(時に自分自身さえ)どうでもいい
- 愛している特定の人のためになんでもする「護って、尽くす」行為がベースにある
- 愛している人にそっぽを向かれるのを何より恐れるが、それ以外の他人からどう思われようが知ったことなし
- 一言で言えば、「愛してくれないなら邪魔なあいつ殺す!」
ただし、これはいわゆる狂気的な愛情表現をいずれかに分類する場合の区分けであり、これとは別に単純に(恋愛感情抜きで)心を病んだ人を「メンヘラ」と呼ぶ場合も現在では多い。ここから見て「メンヘラ」と「ヤンデレ」は二律背反する概念ではないことに注意が必要である。
また、繰り返すが、ネットスラングとしての両者の差は未だ曖昧であり、ヤンデレとされているキャラがメンヘラの要素まで併せ持っている場合もある(『ヤンデレ』の記事の、狭義のヤンデレおよび広義のヤンデレの項も参照)。上記の「現在では『心を病んだ=メンヘラ』となっている」という指摘も踏まえ、「『ヤンデレ』は『メンヘラ』という広い『心の病』要素に包含される」という説もまた1つの見方であるという意見も多い。
精神科領域からの観点
「メンヘラ」は上記のように「ネットスラング」であり、医学用語ではない。
ところが「メンヘラ」というスラングが蔓延したために、自称メンヘラ、と言う、精神科外来の患者が増加しているのは事実である。
医学的定義による「精神病患者」と「メンヘラ」の違いは明白である。「精神病患者」は先天的遺伝や、後天的ストレスによって引き起こされる脳内物質の不均衡が原因であることがほとんどである。精神科領域には、疾患によりカテゴリーが分かれている。最も一般的な2分類は次のものである。「Ⅰ軸」と呼ばれるものは、上記の純粋な精神疾患を指す。例としては「うつ病、そううつ病、そう病(この3つは最近では「気分障害」とまとめられることが主流である)、統合失調症、てんかん(先天性・後天性にかかわらない)」の事を言う。一方「Ⅱ軸」と呼ばれるものは、主に「パーソナリティ」が原因である精神疾患を指す。
(精神疾病と人格障害は明らかに異なる区別されるべき概念である事は確かだが、そもそも両者は非常に併発しやすいという傾向にあるためどちらか片方を持っていればどっちも持っている可能性が高い。)
「メンヘラ」と一番近い医学的定義は、このⅡ軸の「パーソナリティ障害」である。しかしながら、Ⅱ軸は、精神科領域の疾患に含めるか、含めないか、盛んに議論されている。なぜならば、パーソナリティとはその人の「人格」そのものであり「人格とはその人の生の歴史そのものである」からである。ここから導かれる明白な疑問は「人格は治療の対象として扱うべきなのか」である。しかし、現代のように日本でも、一つの例としては、虐待などを受けて育ってきた人などは、社会に出たときに、社会に適合することが難しく、その結果ストレスがたまり、「Ⅰ軸」の精神病のような症状を発症することがあり、そのときは当然治療対象となる。
世界規模で見れば「人格」はその人口だけ、それぞれのオリジナリティを持って存在する。それは単なる「差異」であり、直接病気とは結びつくことは無い。しかしながら精神科領域では、アメリカ精神医学会の病気鑑別チャート(DSM-5)が主流である。このチャートに従って「パーソナリティ障害」を認定しようとすると、例えば中東などのイスラム圏の人たちは、全て「反社会性パーソナリティ障害」や「強迫性パーソナリティ障害」に分類されてしまう。これはもはや医学ではなく、単なる「一意の社会観念」にそぐわない人を「病人」と決めつけているだけであり「魔女狩り」と非常に良く似ている。
(実際には文化的要因による行動は人格障害とは診断しないとされている。
なぜなら人格障害の診断は行動の異常性よりも動機の異常性に重点を置いているからである。
例えば同じ殺人であっても浮気をされて腹が立ったからカッとなって刺してしまったという理由で人を殺すのと悲鳴を聞くと頭痛が和らぐ気がするから殺したという理由とでは結果的な行動としての殺人は同一であったとしても明らかに質が異なることが理解できるはず。
このように人格障害の診断はそもそも何故その行動を取ろうとしたのか?という動機の異常性に観点を置いているからイスラムの人達は強迫性障害には当てはまらない。
だから人格障害者は根本的に思考回路が人とは全く異なり、明らかに異常な物の考え方をし、障害と呼ばれる中でもかなり異質で危険性の高い部類。
「頭が痛い、悲鳴を聞けばこの苦痛が和らぎそうな気がする」なんて理由で人を殺してしまうのを「個性」と言い切るのには明らかな無理がある。
また、普通人が人を殺す時にはそれなりに大きな理由があるものだが「なんとなく」などという特に理由もなく人を殺せてしまったりするのも人格障害の特徴)
「メンヘラ」と呼ばれる人は、単にパーソナリティが他の人に比べ「ユニーク」な少数派であるかもしれないし、実際にⅡ軸の特徴である、人格形成の過程に起った意図的でない何らかの歪みによって、Ⅰ軸に似た症状を持った精神科領域の治療を受けるべき人かもしれない。しかしどのような人格であっても、最初から否定するべきではない。相手が病的な症状を訴えているのなら治療が必要な「患者さん」であるかもしれないし、そうでなければ、単純に「あなたとの価値観などが大きく違う人」なのかもしれない。
(そもそも障害の定義とは「何らかの理由によって日常生活に支障を来しているもの」と結構大雑把な定義である。
だから人格障害もその言葉の定義を考えれば日常生活に支障を来すほどに人格が歪んでいる状態と捉えることが出来る。
現にそれが原因で本人が苦しんでいるのに「価値観の相違」で片付けるのはこれもまた無理がある)
概要にもあるように、今やネット以外の現実でも使われる一種のスラングである「メンヘラ」は、使うべき場所と場合を真剣に考えて使わなければ、もし「あなたはメンヘラだ」と言われた人が、本当の精神科領域の「患者さん」であれば、それは、間違いなく「侮蔑」である。
精神科領域は「目に見えない」ので、様々な誤解を招く。なので熟慮することなく「メンヘラ」という言葉を使ってしまう。では、もしあなたの周りに「ガン」で苦しんでいる患者さんがいたとしたら、あなたはその人に「(例えば)ガンラー(造語)」と、口にするだろうか? 末期がんで、ターミナルケア(痛みを取り除くためだけの最終的な医療措置)で、激痛を抑えるために「モルヒネ」を使っている患者さんに、「あなたはヤク中だ」と言えるだろうか? 答えは否である。
(ガンだったら本人が苦しいだけで他の誰にも迷惑をかけないが、人格障害は明らかに社会的な実害があり、他人に迷惑をかけるのだから侮蔑されるのにもそれなりの理由がある。
例えばDV、家庭内暴力を振るう人間などは正しくこの手の人格障害の類であることが多いが、現にDVの被害を受けた人達にそれは障害だから理解してやれ!なんて言っても神経を逆なでするだけだろう。)
以上、専門的な観点から「メンヘラ」についての認識を深めてみたが、これをよく把握するべきである。決して「メンヘラ」という言葉を使ってはいけないわけではない。寧ろ使った方が適切な表現が出来るかもしれない。しかし、ただ、注意して使うべき言葉だということである。
(これに関してはその通りだと思うよ)
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