モニター艦(Monitor)とは、軍艦の一種。単に『モニター』と呼ばれることもある。
船としての様々な要素を切り捨て、大口径砲と重装甲による殴り合いに特化した大変漢らしい軍艦である。
概要
モニター艦は1862年、アメリカ南北戦争の最中、北軍が建造した軍艦「モニター」 (USS Monitor)の形式を基本とする軍艦の総称である。
分類上は砲艦の一種とされるが、日本での運用例が無いこともあってか、コルベットやフリゲートと同じくこれという日本語訳が無く、そのままモニター艦と呼ばれている。
軍艦「モニター」
「モニター」の特徴は主に5点、大口径砲、旋回砲塔、重装甲、スクリュー推進、そして、重量限界ギリギリまでこれらを詰め込んだ事による航洋性の欠如である。旋回砲塔などの採用から、後の戦艦の元祖、などと言われることもあるが、その外見は軍艦と言えば帆船であった当時はもちろん、後世の軍艦を知るものからしても異形の艦であった。
舟形に切り抜いた板をそっと水面に浮かべて、真ん中に缶詰を乗せたモノを想像していただきたい。「モニター」とはそんな船である。もちろん水面下には船体が隠れているのだが、河川での運用を想定し、平底で喫水は浅かった。
限られた船体にできうる限りの大口径砲を2門だけ載せ、少ない砲を最大限活用するために旋回できるようにし、砲撃の邪魔になる甲板上の物は出来るだけ排除し、側舷と砲塔に限界まで重装甲を施す。そんな論理を突き詰めた艦が「モニター」であった。航洋能力や居住性はスッパリと切り捨てられており、外洋に出れば波を被って水没の危機にさらされ(実際、モニターは回航中に沈没している)。調理設備も無かったため、乗員は弁当を持って乗り込んでいたという。
よくもまぁ、こんな艦を建造しようと思ったものであるが、見た目に違わず「モニター」は戦時急造された実験艦的な艦だった。排水量も1000トン未満と、後継のモニター艦達はもちろん、当時の艦艇の基準からしても小さな物である。
当時北軍は南軍が装甲艦を建造して北軍の海上封鎖を突破しようとしているという情報を入手、これに対抗すべく装甲艦の建造を試みていたのである。「モニター」はその中の一隻であった。
見た目からは懐疑的に見られていた「モニター」だったが、建造まもなく投入されたハンプトン・ローズの戦いで4倍の排水量を持つ南軍の装甲艦「ヴァージニア」を相手に4時間に渡る砲撃戦を行った。双方ともに相手に致命傷を与えることは出来なかったが、前日に北軍の軍艦2隻を一方的に葬っていた「ヴァージニア」を小さな艦が真っ向から止めて見せたのは多大な戦果であり、また結果的に南軍は北軍の封鎖を突破する事に失敗した。
モニター艦の栄光と終焉
北軍はハンプトン・ローズの戦果に注目、「モニター」を元にした艦艇の大増産に踏み切る。終戦までには数十隻のモニター艦が生まれ、戦場となったミシシッピ川などの河川を制した。南軍も装甲艦を建造して対抗しようとはしたのだが、元々工業力に劣っていたこともあり、十分な数を建造できなかった。
南北戦争が終わると、過剰になった艦は各国に売られ、また他の国でもモニター艦が作られた。
モニター艦は最強の軍艦であった。何しろ、マトモな航洋軍艦の搭載砲がせいぜい10インチという時代、最初の「モニター」でさえ11インチ、後継のパサイーク級では15インチと、口径だけなら後の超弩級戦艦並みの砲を積んでいた。南北戦争が終わって建造中止になったカラマズ-級に至っては20インチ砲の搭載が計画されており、完成していれば艦載砲の世界記録であったという(前装滑腔砲なので、性能的には後代の艦砲と比べるべくもないが…)。もちろんコレと撃ち合えるくらいの装甲も纏っているのである。こんな物が守っている所に装甲も無い普通の軍艦がノコノコと出かけていけば、あっさり返り討ちにされてしまうのは目に見えていた。
同じモニター艦なら戦えるのだが、航洋能力のさっぱりなモニター艦を海を越えて送り込む事も困難だった。帆船にモニター様の砲塔を搭載したりする試みも行われたものの、多くの問題を抱えていた。
守りは堅く攻めには使いづらい。しばらくの間、そんなモニター艦達が各国の港を守る、割と平穏な時代が続いたが、それもそう長い事では無かった。建艦技術は急速に進歩していた。木造であった船体は強度の高い鋼鉄になり、機関の性能も向上すると、それを土台により大きく、走攻守のバランスの取れた艦艇、戦艦や巡洋艦が生まれた。
問題は長射程化した砲弾が上から落ちてくることである。モニター艦が生まれた頃、砲は殆ど水平に撃たれていた為に側面を徹底的に守れば良かったのだが、上からも砲弾が落ちてくるとなると広い甲板を重装甲化しなければならなかった。
そしてモニター艦にはもう一つ天敵が生まれていた。水雷艇である。水面下への攻撃を可能とする新たな攻撃手段は上から落ちてくる砲弾以上に防御のしようがなく、足の遅いモニター艦は格好の標的だった。対策としては速射砲を多数積み込んで接近を阻止するのが有効とされてはいたが、元よりギリギリで作られていたモニター艦にそんな余裕は無かった。
新たな脅威に対抗するにはモニター艦をより高速化し、副砲を増やし、バランス良く装甲を施し、そのために船体を大型化し…それはもう戦艦であった。19世紀の終わりにはモニター艦は建造されなくなり、20世紀に入る頃には残っていた艦も次々と解体されていった。モニター艦の時代は終わったのである。
モニター艦の後継者達
海防戦艦
沿岸防衛を主任務とする、ある意味ではモニター艦の正当後継者が海防戦艦である。
砲こそ戦艦並みだが船体はそれほどでは無く、航続性なども控えめになっている。中小国の海軍でよく用いられた。詳しくは海防戦艦の項を参照。
河用モニター
軽装甲の小型艇に戦車の砲塔や重迫撃砲などを搭載し、河川域での哨戒や河岸への火力投射に利用するもので、かつての重武装のモニター艦とは異なる、装甲砲艇と呼ぶべきものである。
対地砲撃モニター
主に第一次大戦中、イギリスで建造された対地砲撃専門の軍艦である。元はドレッドノート・ショックのせいでイマイチ使いどころの無くなっていた旧式戦艦の砲を有効活用しようという試みであった。
軽巡洋艦程度の船体に戦艦の主砲を載せたもので、長射程を得るため仰角を大きく取れるようになっている。任務上、沿岸域、特に浅いバルト海での運用を考慮し、喫水は浅く作られていた。
無理矢理大口径砲を載せたという点では似ているが、対艦戦闘に使うようなものではなく、河用モニターと同じくかつてのモニター艦とは大分毛色の違う艦なのだが、ともあれ英国海軍はこれをモニター艦と名付けた。特に18インチ砲を搭載したロード・クライブ級は見た目のインパクトから英国面を体現する珍兵器の1つとされている。
イギリスは大陸への攻勢にこの種の艦を必要としていたようで、第二次大戦でも少数ながら同種の艦を建造している。
同じ戦時急造計画であった元祖「モニター」とは違い、こちらは真似されることはなかったが、巨砲を積んだ対地砲撃専門の軍艦、というのが見た目も相まってなかなかのインパクトを残したらしく、軍艦が対地砲撃を主任務とした場合、「モニター艦として使われた」といった言い回しをすることがある。
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