モノポリーとは、ボードゲームの一種である。
概要
モノポリー(Monopoly)とはボードゲームの一種である。日本語で「独占」の意味。
このゲームは世界中でプレイされるほどの大人気で、よく世界三大ボードゲームの一つに上げられている。(ただし世界三大ボードゲームの定義は国や地域、年代によって変わる)
定期的に世界選手権も開催されており、日本国内でも代表決定のための大会や選考会が開かれている。日本人のモノポリー世界選手権優勝者も存在する。(後述)
サイコロを使って遊ぶゲームなので、バックギャモンや絵双六の発展形のゲームだと考えると分かりやすい。ただし、このゲームで重要なのはボード内の不動産の購入やプレイヤー同士の交渉によってどれだけ、自分を優位な状況にできるかがポイントとなる。
最終的にお金を多く持ったプレイヤーが勝ち、または他のプレイヤーを全て破産させたプレイヤーが勝利となる。しかし、選手権として行われるゲームは制限時間内に他のプレイヤーを全て破産させるモノポリー勝ちが求められることになる。
それなりに歴史のあるボードゲームのため、少し調べると様々な逸話が出てくる。例として、銀行強盗が盗んだ金でモノポリーをしたり、銀行の資金が無くなったためにメーカーに追加紙幣を空輸させたりといったトンデモエピソードもある。
遊び方
プレイヤーが順番にサイコロを2個振り出た目まで駒を進め、そのマス目に書いてあるイベントや土地の購入イベント等に従う。
権利書が売れていないマスに止まった場合は購入することができるが、買わなかった場合は全プレイヤーによる競売となる(買わなかったプレイヤーも参加できる)。あくまで止まったプレイヤーに与えられるのは「定価で優先的に買う権利」である。
もし、そのマス目が既に他のプレイヤーの所有地の場合は、そのプレイヤーにマス目に書いてあるレンタル料を払わなければならない。また「交渉」を行うことによって自分の権利書と他のプレイヤーの権利書を交換したり、現金のやり取りなどを行うことができる。
資金が足りない場合の一時的なしのぎ方として、持っている権利書を抵当に入れることができる(所有権は手放さなくてもよい)。抵当に入れると権利書の評価額の半額を銀行から借りることができるが、返す際に借りた額の10%を上乗せして支払わないと抵当から出すことはできない。また、抵当に入れている間はレンタル料が受け取れないというデメリットもある。
レンタル料を払いきれなくなった場合は破産となるが、即座にゲームから離脱するわけではなく、仮破産として救済交渉を受ける機会が与えられる。このまま破産すると、破産したプレイヤーが持っていた権利書が破産させたプレイヤーに全て入るため、権利書の一極集中を防ぐ手立てである。他のプレイヤーが名乗りを上げ、破産しない程度の価格で権利書を買い取ることで寸前ではあるが踏みとどまることができる。
それらを繰り返し、最終的に制限時間までにお金を多く持ったプレイヤー、または他のプレイヤーを全て破産させたプレイヤーが出るまでプレイする。
歴史
(※モノポリーの歴史は諸説あるので、ここではその一説だけを参考程度に述べる)
モノポリーはアメリカで生まれたゲームである。いつ作られたかはハッキリしていないが1900年代前後にはもう既にあったと言う説もある。(バックギャモンや絵双六がそのゲームのルーツの一つとされる)
当初は、アメリカの経済大学院の教授や学生らが政治や教育上の試みとして一部でプレイされていたといわれる。月日が立ち、ある日そのゲームをプレイしたチャールズ・B・ダロウが、あまりにも面白すぎたために、改良して商品化をしたのが1935年と言われている。
当時アメリカは世界恐慌の煽りを受けて大量の失業者で溢れており、ダロウもその一人だった。失業前は暖房器具のセールスエンジニアだったが、その後はアイロンの修理から犬の散歩まで様々な仕事を受けて家族を養っていた。そんな中、国の救済窓口も閉鎖されてしまい、僅かな望みも持てない状況に陥った。
家で暇を持て余していたダロウは空いた時間を使い、モノポリーの原型を作り始めた。この際ボード上の土地の名称なども決めていったが、これは彼が生活に余裕があった頃休暇を楽しんでいたアメリカ東部のリゾート地、アトランティックシティの通りの名前から(マービンガーデンだけはもじっている)、ボード上の鉄道はアトランティックシティの鉄道とバス会社から引用した。いくつかアメリカの州の名前が入っているが、これはアトランティックシティの都市計画によるもので、通りの名前にアメリカの州名や世界の海の名前を付けたため。
周りの友人たちも仕事にあぶれていたため、夜になるとダロウの家でモノポリーに興じることが恒例となった。そのうちにゲームセットが欲しいと言う友人が現れるようになり、仕事のない仲間内で役割を分担してモノポリーの生産に取り掛かり始める。
ある程度売れた時点でダロウは現在の生産能力ではとても需要に耐えられるものではないと早期に判断しており、アメリカのゲームメーカー大手、パーカーブラザーズ等複数社にモノポリーを持ち込んだ。だがこの時は業界が求めるゲーム像と乖離していたため、良い返事は貰えなかった。ダロウはその後も細々とモノポリーを生産して生活をしていたが、ニューヨークの大型玩具店FAOシュワルツがモノポリーの大量注文をかけていたのをパーカーブラザーズの社員が発見し、またそれを見かけた重役の一人が購入、家で夢中になってプレイした。すぐさまパーカーブラザーズは権利取得に動き、ダロウと契約を交わした。ダロウはモノポリーの印税で困窮生活から一転して巨万の富を築いた。
1935年のアメリカは世界恐慌の煽りを受け大不況下だったが、このゲームは不況に負けず大ヒットを飛ばした。近年ではモノポリーのドキュメンタリー映画も発表されることになった。
ダロウはモノポリーの発明者としてだけではなく、研究者や蘭の収集家としても名を残している。
アトランティックシティはモノポリーゆかりの都市として知られるようになり、都市計画で土地の名称変更をしようとすると全米のモノポリーファンから反対運動が起こされていた。特にダークパープル(現ブラウン)の地中海通りとバルティック通りの改名を試みた際は数多くのモノポリー愛好団体や、パーカーブラザーズの役員までもが反対運動に参加している。ただ現在はそう言った運動は鳴りを潜めたのか、イリノイ通りは1980年代にマーティン・ルーサー・キング・ジュニア通りに改められ、セントチャールズプレースは地名自体が消滅している。また、各鉄道名の引用元である会社名は統廃合もあり残っていない。パーカーブラザーズはこれからのアトランティックシティの都市計画がどうなろうとも、オリジナル版の地名を永久にボード上に残すことを決定している。なおパーカーブラザーズは現在アメリカ最大手の玩具メーカーハズブロの関連会社となっており、日本のモノポリー版権もハズブロの日本法人が保有している。
日本でのモノポリー
日本でモノポリーが発売されたのは1960年代だが、当初はあまり人気があるとはいなえかったと言われている。しかし、一部では熱狂的なファンもいて、1985年には日本人の南芳信氏がモノポリー世界選手権の4位になるなどの好成績を収めた。
ビートルズ来日時はファンがホテルに詰めかけるなどして外に出られなかったため、ホテルの客室でモノポリーに興じていたと言われている。
一般的な日本人にとってモノポリーの認知度を上げたのはコピーライターの糸井重里。1986年に彼がテレビの「笑っていいとも!」に出演し、モノポリーを紹介したことによってテレビ放映後に玩具店には視聴者からの問い合わせが殺到し、この日を境にマスコミに取り上げられる機会が急増した。(現在、糸井重里は日本モノポリー協会の会長であり、世界選手権8位の実績を持つ実力者でもある)
当時は折しも旅行ブーム。携帯ゲーム機のほとんど存在しない当時の旅行者は移動先やホテルで遊ぶためにこぞって荷物にモノポリーを詰め込んだ。
その後も、家庭用ゲーム機の普及に伴いモノポリーのゲームも多く発売されている。中でもSFCで発売されたモノポリー・ザ・ゲーム2は現在でもシリーズ作が発売されている中でも最高傑作と称されている。と言うのも、単に人気にあやかっただけの移植ゲームではなく、糸井重里を始め、モノポリー世界選手権覇者の百田郁夫も監修に加わり、製作スタッフにもモノポリー好きや国内選手権上位者が多く、交渉システムやCPUの思考ルーティンなどの作りこみが「わかっている」人にしか作れないクオリティだったためである。その後、特にPS2にプラットフォームを移してからのゲーム版モノポリーは悪化の一途を辿っている。
現在では、モノポリーに似たゲームも多く発売されていて、その中でも有名どころを上げれば「いただきストリート」「カルドセプト」はこのゲームに強く影響を受けているとされる(広義では桃太郎電鉄もこのゲームの亜種とされる場合がある)
世界選手権
初代販売元であるパーカーブラザーズ主催で1973年に第1回が開催されて以来、数年おきに開催されている世界大会。ハズブロが販売元になってからはハズブロ主催で行われている。
各国の競技団体が主催する選手選考会を勝ち抜いた各国の代表者とディフェンディングチャンピオンが開催地となる都市に集まり、予選、準決勝、決勝を経て優勝者を決定する。大会の進行は全て英語で行われ、非英語圏の出場者にはそれぞれ通訳が用意される。大会の円滑な進行のため第13回大会からアメリカ版のローカルルールであったスピードダイスが採用されているが、日本選手権ではまだ導入されていない。
第4回以降は優勝者に賞金が出るようになり、第7回以降の賞金額はゲームセットに入っている紙幣の総額となっている。第14回大会での賞金は$20,580。
第7回から日本人選手も出場するようになり、第8回と第11回大会は日本人選手が制している。第8回の優勝者百田郁夫は一時期テレビゲーム版モノポリーのディレクターを担当、質の向上とゲーム人口の増加に貢献した。百田氏はゲーム開発が本業であり、開発当時はエイプ所属、日本モノポリー協会の副会長でもある。第11回大会優勝者の岡田豊も協会専務。また日本人選手は勝ち上がり率が高く、第7回以降の半数の大会で決勝に進出している。
日本代表として世界選手権に出場するためには、毎年開催される日本国内のタイトル戦で優勝して代表決定戦メンバーとして登録された上で代表選考会を勝ち抜く必要がある。
交渉で騙されないためのヒント
上記の通り、プレイヤー間の交渉はモノポリーの重要な要素の1つである。しかしプレイ経験の少ない初心者が、悪意を持った経験者に詐欺まがいの交渉を持ちかけられるケースが後を絶たない。かといって、騙されるのを恐れて一切交渉を受けなければ、勝利はほぼ不可能である。
そこで、交渉の優劣を見分けるためのポイントや、初心者が騙されやすい点を列挙してみた。
「気づかないうちに形勢が不利になっていた」というあなたは、ぜひ参考にしてみてほしい。
また、下記ヒント以外にもネット上で検索すれば戦術を解説しているサイトが多くヒットするのでそちらも見てみるといい。日本モノポリー協会以外にも各地で競技や愛好団体が活動中のため、そちらの交流会に参加して経験を積むのも手である。
(※追加・修正歓迎します)
- 基本的に最序盤はブラウン(旧ダークパープル)・公共会社、序盤はライトブルー・ライトパープル・鉄道、中盤~終盤はオレンジ・レッド・イエローがゲーム展開の中心となる。ダークブルーは一発逆転狙いの博打要素が強いが、展開次第でトップを走っているプレイヤーを一撃で引きずり落とすことも可能。グリーンは莫大な経営コストの割に、レンタル料やそれを得る確率が比較的低く、ゲーム全体を通して率先して経営するのには向かない(グリーンで3軒目の家を建てるコストでオレンジ以下はホテルが建つ)。だが、それを知っているプレイヤーがグリーンを嫌って交渉やセリに出すことも多く、定価より安く揃えることができる。それでも経営は難しいが、更地のままで放っといてもそれなりにレンタル料を稼げるし、抵当に入れて急場をしのぐこともできる。万一育てることに成功すれば他のプレイヤーには強大なプレッシャーになる。
- カラーグループのレンタル料は、(1つの土地あたり)家3軒目で大きく跳ね上がる。そのため、独占交渉の後で3軒目が建つかどうか(建たなければどれだけそれに近いか)が大きなポイントとなる。
- カラーグループを効率的に経営するためには、その色に見合った運転資金が必要である。例えばレッド(家1軒$150)を独占したのに運転資金が$500しかないならば、そのままレッドを経営するより他の色(ライトブルー辺り)と総取り替えの交渉を検討するべき。
- 確率上、全てのマスの中で一番止まりやすい場所は断トツで「刑務所(見学)」である。そのため、そこからサイコロを振って止まりやすい(約39%)オレンジはよく「最強色」と呼ばれている。運転資金の割に後半でも他のプレイヤーに十分対抗できる力があり、事実SFCモノポリー2最強のCPUもオレンジを最重要視している。その分権利書の売買も高額になりやすい。逆に、刑務所から近すぎるライトパープル、「GO TO JAIL」の先にあるグリーン~ライトブルーはレンタル料を得る機会が他より少ない。特にブラウンは確率上最も止まりにくいカラーグループのため、序盤に多少無理をしてホテルまで建てても「誰も止まってくれず自滅」という展開が往々にしてある。
- 序盤は安めのカラーグループで資金を稼ぎ、ある程度資金が集まったら高レベルのグループに経営転換するのが定石。低投資で比較的収入を得やすいライトブルーや鉄道は序盤人気を集めることになる。特にライトブルーは再起を図りやすいため、高額なカラーグループの経営に失敗した人と権利書をまるごと交換しやすい。鉄道は投資が購入費用以外に必要ない上、独占していれば常時収入のチャンスがあり、チャンスカード次第では一気に$400稼ぐことも可能なので、序盤~終盤まで持っていて損はないし、交渉材料にも使いやすい。
- チャンスカードには指定のマスに進むという指示のカードが多くあり、引いた場所と展開によってはゲームを左右する事態になりやすい(特に成長している状態のセントチャールズプレースやイリノイ通り、ボードウォークへ行くカードを引いてしまうととんでもないことになる)。その反対に公共基金はお金のやり取りをするカードが多い。また、家やホテルがある程度揃ってくると修理費として多額の支払いをしなければならないカードも存在する。その状況になってしまえばどうしようもないがゲーム開始後はカードをシャッフルしないため、どのカードが出たかは覚えておいて損はない。
- 場に家は32件、ホテルは12件しかないため、全てボード上で使われている場合は売却されて銀行に戻るのを待つしかない。それを利用したテクニック「家止め」が存在する。わざとホテルを建てずに家4件状態を維持して場の家の数を減らし、他プレイヤーのカラーグループ経営を妨害する戦法である。例えばブラウンとライトブルーを全て家4件にすると残りは12件になり、高レベルのカラーグループでも力を発揮しにくい状態に持ち込める。また家の数が少ない状態になると家も競売の対象になるため、資金を削る手段としても有用となる。
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