モロク(Moloch)とは、一般的にユダヤ・キリスト教で忌避される悪魔のうち、代表的なもののひとつである。牛の頭部を持ち、子供の生贄を要求する残忍な悪魔として知られる。
概要
モロクはメレク(Melek)、モレク(Molech)ともいわれ、西アジア地方で影響力の大きかった古代神と考えられている※1。その名前はヘブライ語の「王」に由来するという。当時の王には農耕の収穫を保証し、利益を擁護する特別な力が必要とされていた。モロクはそういった加護と引き換えに生贄を要求したが、彼が欲した血肉は敵部族や囚人ではなく、王の初子であった。
ユダヤ教が生まれる前のエルサレムのヒンノムの丘には、ゲヘナ(gehenna)※2と呼ばれる火の祭壇があり、儀式の際にさまざまな楽器をやかましく演奏するなか、親が生贄とする我が子を火の中へ投げ込んだ。これは聞くにたえない子供の悲鳴をかき消す狙いがあったようだ。ユダヤ教が浸透してもしばらくこの儀式は続き、幾人かの王が息子を生贄に捧げたが、やがて儀式が廃止されるとこの祭壇は荒廃し、ゴミや罪人の焼却場と化した。その悪臭と黒煙から、のち唯一神教において「死後の懲罰の場所」の名称に採用された。
こういった歴史から旧約聖書には、いたるところモロクへの非難が書かれており※3、代表的なところではモーセが「モレクへ向けて汝の種(子供)を火の中に通らせることがあってはいけない」と語っている。しかし当時の歴史を知る重要な資料であるラス・シャムラ石版は、子供の犠牲について言及しておらず、「モロク」は神ではなく単に儀式の名称だったのではないか、という見方がある。
※1 聖書ではアンモン人(ヨルダン東部に住んでいたセム系人。エジプトの神アンモンの子孫を自称した)の神にされているが、実際はパレスチナからアフリカのフェニキアまで広く信仰されていた。
※2 「ge」「hinnom」という二つのヘブライ語の組み合わせが発祥で、意味としてはそのまま「ヒンノムの丘」になる。
※3 そういう割にはヤハウェもアブラハムに「息子をモリアの山の上で生贄に捧げよ」と命じたことがある。ただしアブラハムは息子の代わりに雄羊を生贄にしており、これはモロク儀式の決別と読みとくこともできる。
現在のモロク
現在知られるモロクの姿は、牛頭人身のブロンズ製(あるいは真鍮製)の炉である。絵師によってその細かい形状は違うが、「牛頭人身の炉」という部分は変わらない。牛頭になった由来は判然としないが、後年のラビらは「モロク像の内部には七つの戸棚があり、小麦粉、キジバト、牝羊、牡山羊、人間の子供が入れられた」と語っており、この七つの戸棚から、ペルシャのミスラ神(七つの神秘の部屋を持っていた)と混同されたのかもしれない。ミスラ信仰には雄牛を生贄にする儀式があった。
悪魔資料としては定番なコラン・ド・プランシーの「地獄の辞典」では、モロクは涙の国の君主で地獄会議のメンバーである。王冠をかぶった子牛の頭と腕の長い人の体を持ち、ほかの毒々しい挿絵の悪魔たちに比べれば、呑気な子牛の顔は若干かわいらしく見える。
ちなみにエルサレムの南、ゲヘナの近くにはトペテという谷があり、生贄にされた子供が埋葬されたと言われる。同名の場所がチュニジアにもあり、どういうわけかここもモロクの生贄にされた死体が埋葬されたことになっていて、オカルトや神話好きな観光者向けの名所になっている。
関連動画
関連静画
関連コミュニティ
関連項目
- 2
- 0pt