- イタリア共和国ロンバルディア州西部に位置する都市。
- 1.に所在するサーキットの略称。
正式名称はアウトドローモ・ナツィオナーレ・ディ・モンツァ(伊:Autodromo Nazionale di Monza)で、英語で「モンツァ・サーキット」とも呼ばれる。
本項では2.について解説する。
概要
イタリア・モンツァ市の北部にあるモンツァ公園内に位置し、1922年に建設された。
アメリカ合衆国のインディアナポリス・モータースピードウェイ(1911年)に次いで現存するサーキットでは世界で2番目、ヨーロッパでは最も長い歴史を誇るパーマネントサーキット(常設コース)である。
高低差がほとんどなく、長い全開区間を3つのシケインと2つの複合コーナーで結んだレイアウトが特徴で、現在のF1カレンダーの中で最も平均速度が高い超高速サーキットである。
平均時速は予選で260km/h以上、決勝でも約250km/hに達し、アクシデントによる中断が無ければ1時間20分足らずでレースが終わってしまう。
1980年を除いてF1イタリアGPは全てモンツァで開催されており、イタリア国内はもとより世界中から「ティフォシ」と呼ばれる熱心なファンが押し寄せるフェラーリの聖地である。
コースが広大な公園の森の中にあることから、特にNAエンジンの搭載が義務付けられていた時代はマシンのエグゾースト・ノートが反響し独特の雰囲気があった。
コースレイアウト
本節では、オーバルコースを使用しない現在のコースレイアウトについて解説する。
ヴァリアンテ・デル・レティフィーロ(Variante del Rettifilo)
ヴァリアンテはイタリア語でシケインを意味する語で、単に「レティフィーロ」とも呼ばれる。
コントロールラインを通過して最初に迎えるコーナーで、F1では約350km/h超から約80km/hまで一気に減速するビッグブレーキングが要求される。
最終コーナーのパラボリカから前車のスリップストリームに入り、レティフィーロのブレーキング勝負で前に出るのがセオリーだが、ただでさえダウンフォースを極限まで削った不安定なマシンで、単純計算でも僅か0.05秒ブレーキが遅れただけで20m近くオーバーシュートしてしまうため、ドライバーの度胸とブレーキング技術が要求される難しいコーナーである。
なお現在の形状になったのは2000年で、それまでは右・左の小さなシケインが2つ連続する形だった。
クルヴァ・ビアッソーノ(Curva Biassono)
レティフィーロを抜けた先の大半径の右コーナー。
コーナーの名前は公園に隣接して、向かって左側に隣接する町の名前から。
クルヴァ・グランデ(Curva Grande:大きなカーブ)という呼び方の方がお馴染みかも知れない。
ここはコーナーと呼ぶほどではない完全な全開区間なのだが、レティフィーロの立ち上がりが悪いとここで横に並ばれてしまうため、次のロッジアに向けて激しい位置取りが展開される。
ヴァリアンテ・デラ・ロッジア(Variante della Roggia)
単に「ロッジア」とも呼ばれる。
コース上で2回目のビッグブレーキングで、レティフィーロで決着のつかなかったバトルがここに持ち越されることがありオーバーテイクがしばしば見られる。
2つのエイペックス及び出口の縁石をうまく使うのがポイントで、ジャンプしてコントロールを失わない程度にイン側をカットしつつ、出口でグラベルにタイヤを落とさないよう縁石を有効に使って立ち上がる精度の高いコーナリングが要求される。
クルヴァ・ディ・レズモ(Curva di Lesmo)
普通のコースにあれば特に難しくないのだが、超高速コースのモンツァではダウンフォースを極限まで削って挑むため、1つ目・2つ目共に立ち上がりで膨らんでタイムロスしてしまうことが多い。
バンク角が大きく取られておりラインに乗せればマシンは綺麗に曲がっていくので、ライン取りを意識して通過するのが重要である。
コーナーの名前はビアッソーノと同じく、コース北隣の街の名前から。
クルヴァ・ディ・セラグリオ(Curva di Serraglio)
レズモを抜けた先でわずかに左に曲がっているところ。一応名前がある。
ここから次のアスカリまでの間の直線を「セラグリオ・ストレート」と呼ぶこともある。
コーナーの名前はコース右手にある小さな聖堂、ポルタ・セラグリオから。
ヴァリアンテ・アスカリ(Variante Ascari)
コース上3つめのシケインで、スピードが速い左・右・左の複合コーナー。
1955年にここで事故死した偉大なイタリア人レーサー、アルベルト・アスカリの名前を冠する。
(注:当時は単純な左コーナーであった)
バックストレートに向けてスピードに乗ったまま脱出したいのだが、気が逸るとダウンフォースの少なさから不安定なマシンを制御しきれずコースアウト、クラッシュに繋がりやすい。
やはり丁寧に脱出することを意識してラインをトレースするのが重要である。
クルヴァ・アルボレート(Curva Alboreto)
モンツァの最終コーナーで、2001年にドイツのラウジッツリンクにてプロトタイプカーのテスト中に不慮の事故で命を落としたイタリア出身のレーシングドライバー、ミケーレ・アルボレートの名を冠している。
没後20周年を迎えた2021年に、彼に敬意を表する形で名称が改められた。
旧名称はクルヴァ・ディ・パラボリカ(Curva di Parabolica)で、イタリア語で「放物線」の意。今もこちらの名前で呼ぶ人も多い。
コースの前半と後半で半径が異なっており、単純にタイムを出すだけならば早めにクリップを取って後半は白線に沿って立ち上がるのが速いと考えるドライバーが多いようだが、タイヤマネージメントや前後のマシンとのバトルの中で最適なラインが変わる難しいコーナーである。
その他
- 最高速が重視されるサーキットのため、前後のウィング(特にリア)は「モンツァ・スペシャル」と称される薄い、ダウンフォース量と引き換えにドラッグ(空気抵抗)低減を狙った特別仕様のものが装着されることが多い。
- それゆえ、2020年にはレギュレーションで許可されたDRSの開口幅(85mm)まで可動できない薄さのリアウィングが持ち込まれ「他のコースよりもDRSの効果が薄い」という現象が発生した。
- 路面が非常にバンピー(凹凸が多い)であるため、ダウンフォース量の少なさと相まって正確なブレーキング、コーナリングが意外に難しい。
長時間走り続けていると振動が原因で頭痛や目眩を訴えるドライバーも居るらしい。 - レズモからアスカリにかけては樹木がコースに覆い被さるように生い茂っており、木の蜜が垂れて路面が滑りやすくなっていることがある。
- F1では4度に渡り、ロードコースとオーバルコース(1周約4.5km)を組み合わせた複合レイアウト(1周10km)でレースが開催されたが、オーバルコースは安全性を理由に現在は閉鎖されている。
セラグリオを立ち上がったところからコースがわずかに下り、アスカリの進入がわずかに上りになっているのはオーバルコースをアンダーパスするためである。 - これとは別に、ホームストレートから右手に曲がりアスカリを立ち上がった所までをショートカットする通称ジュニアコースが存在し、ジュニアフォーミュラや草レースなどで使用されている。
記憶に残るレース
- 1988年
ホンダエンジンを搭載しこの年16戦15勝と圧倒的な強さを見せたマクラーレン・MP4/4だが、プロストがマシントラブル、セナも周回遅れのジャン=ルイ・シュレッサーと接触しリタイア(10位完走扱い)を喫したことで、唯一の取りこぼしとなったレースがイタリアGPだった。
フェラーリにとっては奇しくも創業者のエンツォ・フェラーリが逝去した直後のレースであり、運も味方しエンツォの弔い合戦となったレースをゲルハルト・ベルガー、ミケーレ・アルボレートの1-2フィニッシュで飾った。
- 1999年
トップを走行中だったミカ・ハッキネンがレティフィーロで単独スピンを喫しリタイア。
ステアリングホイールを放り投げて降車すると、森の中で泣き崩れる姿が空撮で捉えられた。そっとしておいてやれよ…
- 2000年
イタリアGPで通算41勝目を挙げたミハエル・シューマッハが、レース後の記者会見で優勝回数がアイルトン・セナに並んだことについて聞かれ、幼い頃からその背中を追い続け、そして目の前で散って行ったヒーローに対する溢れる想いを堪えきれず涙を流した。
その後同じ質問を繰り返されたが「そんなの言わなくたってわかるだろ」と答えている。
- 2001年
アメリカ同時多発テロの直後に開催されたレースで、いくつかのチームがマシンのカラーリングを変更して出走、特にフェラーリは全てのスポンサーロゴを外し、文字通り赤一色となった車体のノーズコーンだけを黒色にすることで弔意を示した。
- 2008年
予選、決勝とも雨に見舞われた週末だったが、ウェットコンディションに乗じてフル参戦1年目のセバスチャン・ベッテルがポールポジションを獲得。
決勝でも序盤に大きなリードを築いたベッテルがそのまま逃げ切りF1初優勝。
F1史上最年少での優勝、史上最年少でのポール・トゥ・ウィンおよび史上最年少での表彰台、トロ・ロッソの初優勝および初の表彰台獲得(前身のミナルディ時代を含む上、姉妹チームのレッドブルにも先行)、フェラーリのカスタマーエンジンでの初優勝と記録づくめの1勝だった。
- 2019年
予選Q3で、各車がスリップストリームを取れる位置取りに固執するあまりお見合いが発生、結果としてアタックに向かった9台中7台が時間切れでタイムアタックできないという異常事態となった。 - 2020年
ケヴィン・マグヌッセンがマシントラブルに見舞われピットレーン入口にマシンを止めたことで、これを撤去するためセーフティカーが導入され、11秒後にはピットレーンの入口が閉鎖された。
ところがアントニオ・ジョヴィナッツィとルイス・ハミルトンがピットレーン入口の閉鎖を知らせる表示を見落としピットインしてしまったため10秒のストップ&ゴーペナルティという重い処分を受け、さらにセーフティカーが退いた直後にシャルル・ルクレールのクラッシュにより赤旗中断となったため、ハミルトンは完全に勝負権を失ってしまった。
反対にピットレーンの閉鎖直前にチームの機転によりピットインしたピエール・ガスリーが大きくポジションを上げ、再スタートでトップに立つとそのまま逃げ切り初優勝を果たした。
関連動画
関連項目
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