ヤマニンシュクルとは、2001年生まれの日本の競走馬である。黒鹿毛の牝馬。
「帝王」ことトウカイテイオー待望の牝馬のGI勝利産駒にして、不運により競走生活を終えることになってしまったことが語られる競走馬の内の一頭。
主な勝ち鞍
2003年:阪神ジュベナイルフィリーズ(GI)
2006年:中山牝馬ステークス(GIII)
概要
父トウカイテイオー、母ヤマニンジュエリー、母父ニジンスキーという血統。
父は「皇帝」シンボリルドルフの最高傑作にしてジャパンカップ親子制覇、1年ぶりの出走での有馬記念の勝利などで有名な無敗の二冠馬。
母ヤマニンジュエリーは競走馬としてデビューすることなく未出走で繁殖入りした。
母父ニジンスキーは現在最後の英国三冠馬で、種牡馬としてもマルゼンスキーやヤマニンスキーを日本競馬に送り込み優秀な成績を残している。
生産牧場のヤマニンベン牧場は創業者一族の名義で競走馬を所有する実質的なオーナーブリーダーで、牧場の名前も創業者の屋号である「やまにんべん」に由来し、中央競馬では屋号を短縮した「ヤマニン」の冠名を使っている。ちなみにヤマニンベン牧場は2001年に本家筋に当たる錦岡牧場に吸収合併されているため、ヤマニンシュクルの世代がヤマニンベン牧場としての生産馬の最終世代である。
2001年4月1日に生まれたヤマニンシュクルは創業者一族のひとり土井肇氏の所有となり、栗東の浅見秀一厩舎に入厩した。
現役時代
2003年7月の函館の新馬戦にて四位洋文騎手を鞍上にデビュー。ここを先団につけ上り最速で危なげなく勝利し、2戦目は強気にオープンクラスのクローバー賞に出走。ここはキョウワスプレンダの2着に敗れたが、北村宏司騎手に乗り替わった3戦目のコスモス賞では再び上り最速で差し切り勝ち。一気にオープン馬になった。その後再び四位騎手を鞍上に戻して10月のGIII札幌2歳ステークスへ出走。再び中断から上り最速で前へと迫ったが、上り2位タイで逃げるモエレエスピワールとアズマサンダースを捉えきれず、初めての重賞挑戦は3着に終わった。
その後ヤマニンシュクルは2歳牝馬の冬の大一番であるGI阪神ジュベナイルフィリーズに同じ浅見厩舎に所属していたヤマニンアルシオン、星野忍厩舎所属のヤマニンアラバスタと共に出走する。ここには前走で先着されたアズマサンダースや後の秋華賞馬スイープトウショウも出走して来ていたが、最終直線で逃げていた僚馬ヤマニンアルシオンを差し切りクビ差で勝利。ヤマニン軍団のみならず浅見厩舎、オーナーの土井氏も含めてのGI競走ワンツーを達成した。この勝利でヤマニンシュクルは2003年のJRA賞最優秀2歳牝馬の表彰を受けた。
3歳時は桜花賞トライアルのチューリップ賞から始動。ここは阪神ジュベナイルフィリーズで破ったスイープトウショウ、アズマサンダースに敗れ3着であった。2歳女王として牝馬三冠の舞台では強さを示したいところであったが、桜花賞ではダンスインザムードの3着、優駿牝馬ではダイワエルシエーロの5着、秋初戦のクイーンステークスでは逃げるオースミハルカに及ばず3着、秋華賞ではスイープトウショウに半馬身の差で惜しくも2着と、全戦で掲示板入りして安定して強さを見せ続けたがギリギリで勝ち切れず、しかもその後屈腱炎に罹ってしまい、3歳時は未勝利のままここで休養に入ることになった。
4歳時は屈腱炎がなかなか癒えず春は全休、復帰戦は前走から1年1か月後のGIエリザベス女王杯となった。屈腱炎に罹った後往時の走りを取り戻せず引退となった名馬も多い中、上り3位タイの差し脚を伸ばしてスイープトウショウ、オースミハルカ、アドマイヤグルーヴに次ぐ4着に入線し復活をアピールすることが出来た。しかし次戦の札幌2歳S以来久しぶりの牡牝混合戦となったGIII鳴尾記念では掲示板を始めて外してしまう7着に敗れてしまった。
5歳時は初戦の中山牝馬ステークスを前走から持ち直して4着と復調を見せ、次走のGIII中山牝馬ステークスでは前年優駿牝馬3着の実績もあるディアデラノビアを抑えて生涯初の1番人気になり、人気に応えてディアデラノビア、ヤマニンアラバスタを抑えて阪神ジュベナイルフィリーズ以来2年4か月振りの重賞勝利。屈腱炎からの長期休養から再びの重賞制覇へ見事復活を遂げた。
この後ヤマニンシュクルは得意とする牝馬重賞路線へと向かい新設されたばかりの第1回ヴィクトリアマイル7着、マーメイドステークス8着の後、夏には久しぶりのクイーンステークスで2着に入った。秋競馬は府中牝馬ステークス7着を叩きに前年のリベンジを目指してエリザベス女王杯へと向かった。
2006年のエリザベス女王杯は前年優勝馬スイープトウショウ(2番人気)、桜花賞2着のアドマイヤキッス(3番人気)、ヤマニンシュクルに2着で敗れた中山牝馬Sから4戦連続3着と安定感を見せていたディアデラノビア(4番人気)、優駿牝馬2着のフサイチパンドラ(7番人気)などの強豪が集まった。中でもここまで無敗で牝馬二冠を達成したカワカミプリンセスが単勝2.7倍の1番人気で出走してきており、同じく2.9倍と近い倍率だったスイープトウショウとカワカミプリンセスの一騎打ちとみられていた。
本番のレースでヤマニンシュクルは15頭中10番手あたりを進んでいたが、いつものように差し脚を伸ばそうとしたところで突っ込んで来たカワカミプリンセスに進路妨害をされてしまい勝負所でスパートが出来ず、初めての2桁着順である12位で入線。カワカミプリンセスは1位入線して連勝記録を6勝に伸ばしたかと思われたが、この進路妨害によりヤマニンシュクルの1つ下の順位へ降着となり、12着となっている(1着はフサイチパンドラ)。
更に入線後違和感を感じた四位騎手が下馬、ヤマニンシュクルは医師の診断を受けることになった。結果は進路妨害の際に体勢を崩したことに起因する「右前浅屈腱不全断裂での競走能力喪失」で、このレースを最後に引退して繁殖入りすることになった。
なおヤマニンシュクルはカワカミプリンセスの妨害により故障し引退となってしまったが、妨害した側のカワカミプリンセスも降着以降1度も勝てなくなってしまい、2頭共にその後の命運に影を落とすことになってしまっている。
引退後
引退後は故郷の錦岡牧場で繁殖入りした。トウカイテイオー産駒唯一の牝馬のGI馬としてトウカイテイオーの血を引く活躍馬の誕生が期待されたが、今のところ重賞勝ちなどの優秀な産駒は現れていない。ヤマニンシュクルは2020年に繁殖牝馬を引退し、2023年現在は功労馬として余生を送っている。
エピソード
競走馬を擬人化したソーシャルゲーム「ウマ娘 プリティーダービー」において、スイープトウショウのストーリーに「水色リボンのウマ娘」として、レースではシュガーニンフェという名前でヤマニンシュクルをモデルにしたと思われるキャラクターが登場する。またカワカミプリンセスのストーリーでは名前は登場しないもののエリザベス女王杯での降着の件が取り上げられており、被害者役として「ウマ娘A」が登場するが、同一人物なのかははっきりしていない。
血統表
トウカイテイオー 1988 鹿毛 |
シンボリルドルフ 1981 鹿毛 |
*パーソロン | Milesian |
Paleo | |||
スイートルナ | スピードシンボリ | ||
*ダンスタイム | |||
トウカイナチュラル 1982 鹿毛 |
*ナイスダンサー | Northern Dancer | |
Nice Princess | |||
トウカイミドリ | *ファバージ | ||
トウカイクイン | |||
ヤマニンジュエリー 1991 鹿毛 FNo.3-c |
Nijinsky II 1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Flaming Page | Bull Page | ||
Flaring Top | |||
*ティファニーラス 1983 黒鹿毛 |
Bold Forbes | Irish Castle | |
Comely Nell | |||
Sally Stark | Graustark | ||
Sally Ship | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Northern Dancer 4×3(18.75%)
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関連項目
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