ヤマニンゼファー(1988~2017)とは、日本の競走馬・種牡馬である。
馬名は冠名+ギリシャ神話の西風の神ゼピュロスの英語読み、ゼファーから。実際は資生堂の化粧品ゼファーからだが、語源はゼピュロスからであるのでそんなに違いはない。
主な勝ち鞍
1992年:安田記念(GI)
1993年:安田記念(GI)、天皇賞(秋)(GI)、京王杯スプリングカップ(GII)
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この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「ヤマニンゼファー(ウマ娘)」を参照してください。 |
血統背景
父はマイルの皇帝ニホンピロウイナー、母はヤマニンポリシー、母の父はブラッシンググルームという血統。母は祖母ヤマホウユウをアメリカに持って行って種付けして生まれたのだが、全兄の*ベイラーンが日本にいるにもかかわらずまだ産駒が走っていないブラッシンググルームをわざわざ付けに行ったので「金かけて*ベイラーンの弟なんか付けに行ったのか」とさんざ笑われたという。そうやって生まれたヤマニンポリシーは……未勝利を勝つのがやっとで繁殖入りしたが、繁殖牝馬として彼を産んだ。
ちなみに、同世代には父ニホンピロウイナーが秋天で捉えかけた皇帝・シンボリルドルフの最高傑作トウカイテイオーがいた。しかしたった一度、秋天でニ帝会戦を行った父世代と違い、子世代の運命は交わることはなかった。
吹き抜ける春風のごとし
骨膜炎が長引き、デビューは3月。新馬戦が終わる前に強行デビューとなった。調整不足は明らかであり、ダート戦ということもあり12番人気と非常に低評価であったが直線の短い中山で追い込んで快勝。続く条件戦も快勝すると、可能性を試すべくクリスタルカップへ。初の芝ながら3着し可能性を見せつける。
このあとはまた骨膜炎で秋まで休養。復帰後は2戦して1勝。陣営は格上挑戦でスプリンターズステークスに挑戦させたがさすがに荷が重く7着。
翌年は条件戦を2戦で突破。オープン入りすると京王杯スプリングカップで3着と好走する。そして迎えた安田記念、バンブーメモリーの前例を踏まえれば穴人気しそうなタイプだったが……。なんと11番人気。ダイタクヘリオスやダイイチルビーが揃っていたとはいえ、軽視され過ぎである。これが当時の鞍上で、GI未勝利だった田中勝春にはプラスになったのか、カミノクレッセを抑え込み重賞初制覇をGI初制覇で決めた。
しかし秋は好走すれど勝ち切れず、スプリンターズステークスで十中八九勝った流れをニシノフラワーのめちゃくちゃな脚でばっさりされた2着が一番目立った成績であった。
再びの春風
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6歳(旧表記)を迎えると、父が3着に敗れた天皇賞(秋)制覇を最大目標に定め、騎手としての相馬眼に優れていると言われていた田原成貴を鞍上に招聘。マイラーズカップと中山記念の二戦をこなしたが2着と4着となった。田原からは「この馬なら中距離でも大丈夫だよ」 と評価され、正式に秋天制覇を目指すこととなった。しかし春の目標は安田記念である。ということで京王杯スプリングカップへ。59キロを背負いながらシンコウラブリィを叩き合いの末ひねる。
安田記念へ向かうことになったが、主戦騎手の田中勝春が大恩ある師匠が見出した素質馬・セキテイリュウオーに専念するために裏開催を選んだのでゼファーには乗れなくなってしまった。ちなみに、田中勝春はこれで運が逃げてしまったのか中央では2007年皐月賞までGIを勝てなかった。負春の誕生である。ゼファーのせいじゃないんだけども。
そこで京王杯SCでも騎乗停止中の田中に代わり騎乗した柴田善臣を新たな主戦として招き、迎えた安田記念。 なかなか一番人気になれないジンクスでもあるのか二番人気。レースでは得意の2番手から根性と持続する脚で押し切り快勝。連覇達成となった。ちなみに怪我で欠場していたため父は安田記念は連覇出来ていない。割と意外な話。鞍上の柴田善臣は念願のGI制覇を達成した。この馬のおかげで関東の若手が二人も初GI勝利を達成したのである。 なんというヴァージンキラー。
盾の木枯らし
秋は毎日王冠から始動するが、6着と完敗。まあ、これまでを見ても使って良くなる傾向はある馬ではあるので陣営は悲観しなかったのか予定通り天皇賞へ。中距離をこなすため厳しいスタミナ強化調教を施されたが、耐え抜きパワーアップして挑んだ。
この年の秋の天皇賞は本命不在の大混戦。メジロマックイーンは前哨戦圧勝でスーパーレコードを叩き出し、春の大阪杯の勝ちっぷりも込みで一番人気確実と言われながら最終追い切り後繋靱帯炎を起こし引退、有馬で痛めた腰を治していたら骨折までした散々な春から巻き返しを誓い秋天から復帰予定だったトウカイテイオーも結局有馬記念直行を決断し万全の調整をする方向になり、マックイーンを負かした黒い刺客ことライスシャワーはマックイーンを負かすために力を使い果たし秋絶不調、うっかりツインターボにもしてやられたと軸馬がいない状況だった。
人気を見ればタマモクロス以来の同一年天皇賞春秋制覇のかかったライスシャワーが押し出された1番人気だったが、あのナイスネイチャが2番人気、さらに逃げ芸人暴走機関車ツインターボが絶好調だったとはいえ3番人気である。七夕賞とオールカマーがすごい内容だったので前売りでは1番人気にもなったくらいであった。
みんな何を軸にしていいかわからん状況でパニクってたのだろう。そんななか、府中でGI2勝を挙げた馬とはいえゼファーはまた5番人気と若干忘れられていた。いい加減なんで軽視するんだとも言いたくなるが、こんだけ軸がなくても短距離馬はない、当時は皆がそう考えても不思議はない。
前哨戦は着順だけ見たら情けなかったし。レースではいつものように爆走するツインターボは捨て置き、2番手集団の先頭ロンシャンボーイの直後につけ、前二頭がテンプレ的に力尽きると彼らを潰して先頭に躍り出るが、 かつての相棒・田中勝春鞍上のセキテイリュウオーが外から強襲。
一旦は先頭に立たれるもののそれを類稀なる根性で差し返し退け、見事天皇賞(秋)を制覇。父ニホンピロウイナーの成し遂げられなかった天皇賞制覇を達成したのだった。お見事。
その後、秋天の疲れのためシンコウラブリイとの第四ラウンドとなる筈だったマイルCSは回避。短距離・マイル・中距離三階級GI制覇と前年のリベンジをかけてスプリンターズステークスに出走するが、覚醒した92世代最強スプリンター・サクラバクシンオーの横紙破りのスピードには敵わず2着、引退となった。ニシノフラワーといいこの世代は天敵である。
1993年は確固たる活躍馬がいなかったため、天皇賞と安田記念を取ったゼファーにも年度代表馬の目はあると思われたが、獲得タイトルが菊花賞のみで2着ばかりのビワハヤヒデが年度代表馬となった。
これには一部の識者から短距離馬の軽視ではないかなど批判の声が上がることとなった。1997年のタイキシャトルでも無理だったんだから仕方ない。取りたいなら1998年のタイキシャトルや後のロードカナロア、モーリスのように海外で箔をつけなきゃ無理というのが後に示されたわけで。ゼファーの場合叩きで仕上げるタイプとはいえ前哨戦負けすぎというのは印象面でマイナスが強かったのもある。
引退後・余談
引退後は種牡馬として最初はサンフォードシチーらを出しそこそこやれていたが後が続かず、2009年種牡馬を引退。その後はふるさとの錦岡牧場で功労馬として悠々自適の生活を送った。
2017年5月、29歳で死去。父やその近親は軒並み心臓麻痺で天に召されたが、ゼファーは老衰で、前日まで特段変わった様子もなかったとのこと。冒頭にもある「そよ風(ゼファー)、というには強烈すぎた」とは「ヒーロー列伝コレクション」でつけられた彼への賛辞であるが、その最期は名の通り、そよ風のような、静かなものになったようである。派手さでは同い年の二世皇帝トウカイテイオーの影に隠れてしまったが、マイルの皇帝の二代目ということもあり熱狂的ファンは少なからずいたようで、彼の血を引く馬が走る日には、ヤマニンの勝負服の色に染め上げられたゼファー魂という横断幕が掲示されていた。ヤマニンゼファー産駒がたくさんいた頃はパドック中継の半ば風物詩であった。
余談だが、代表産駒であるサンフォードシチーは種牡馬にこそなれず乗馬として馬事公苑で暮らすことになったが、高崎競馬を舞台にしたNHK朝の連続テレビ小説「ファイト」で主人公と関わりをもつ馬タロウとしてレギュラー出演。名俳優っぷりを見せていた。
胴の詰まり発達した四肢をもつ、わかりやすいほどの短距離馬だったが、気性は素直でおとなしく、しかしレースでは根性を発揮し一歩も退かないという完成された馬であった。それが遺憾なく発揮されたのが天皇賞(秋)であり、かかることなく先行し直線では根性で距離を乗り越えてみせた。柴田善臣も「ゼファーの完璧な勝利だよ、もう一回やれって言われてもできない」と語っている。
ちなみにゼファーは必要以上にチャカつかずおとなしかったが、ヤマニンポリシーはガーサント肌にブラッシンググルームと気性難×気性難の配合で生まれた馬だったため、産駒は総じて気性が激しかったらしく、管理調教師で上の姉二頭も管理した栗田博憲師は「またヤマニンポリシーの子ですか……」と当初は嫌な気持ちを持っていたとか。
血統表
ニホンピロウイナー 黒鹿毛 1980 |
*ステイールハート 黒鹿毛 1972 |
Habitat | Sir Gaylord |
Little Hut | |||
A. 1 | Abernant | ||
Asti Spumante | |||
ニホンピロエバート 鹿毛 1974 |
*チャイナロック | Rockefella | |
May Wong | |||
ライトフレーム | *ライジングフレーム | ||
グリンライト | |||
ヤマニンポリシー 鹿毛 1981 FNo.1-m |
Blushing Groom 1974 栗毛 |
Red God | Nasrullah |
Spring Run | |||
Runaway Bride | Wild Risk | ||
Aimee | |||
ヤマホウユウ 黒鹿毛 1968 |
*ガーサント | Bubbles | |
Montagnana | |||
ミスタルマエ | ハクリヨウ | ||
*バドミントン | |||
競走馬の4代血統表 |
主な産駒
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 競馬
- 競走馬の一覧
- 1991年クラシック世代
- ニホンピロウイナー
- ニシノフラワー
- サクラバクシンオー
- ツインターボ
- ナイスネイチャ
- 柴田善臣
- 田中勝春
- ファイト(連続テレビ小説) - 産駒のサンフォードシチーが出演
JRA賞最優秀父内国産馬 | ||
優駿賞時代 | 1982 メジロティターン | 1983 ミスターシービー | 1984 ミスターシービー | 1985 ミホシンザン | 1986 ミホシンザン |
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JRA賞時代 | 1980年代 | 1987 ミホシンザン | 1988 タマモクロス | 1989 バンブービギン |
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1990年代 | 1990 ヤエノムテキ | 1991 トウカイテイオー | 1992 メジロパーマー | 1993 ヤマニンゼファー |1994 ネーハイシーザー | 1995 フジヤマケンザン | 1996 フラワーパーク | 1997 メジロドーベル |1998 メジロブライト | 1999 エアジハード |
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2000年代 | 2000 ダイタクヤマト | 2001 該当馬無し※1 | 2002 トウカイポイント | 2003 ヒシミラクル | 2004 デルタブルース | 2005 シーザリオ | 2006 カワカミプリンセス | 2007 ダイワスカーレット |
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※1.該当馬無しを除く最多得票馬はナリタトップロード。 | ||
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