ヤマニンパラダイス(Yamanin Paradise)とは、1992年生まれの日本の競走馬。鹿毛の牝馬。
3戦連続レコードで3歳女王に輝いたが、その後は故障に泣いたヤマニン軍団の未完の名牝。
主な勝ち鞍
1994年:阪神3歳牝馬ステークス(GⅠ)
概要
父Danzig、母Althea、母父Alydarという血統のアメリカ産馬。
父ダンジグ(ダンツィヒ)は僅か3戦3勝で引退したが、スピード型の産駒を出す種牡馬として世界的に大成功した。日本では海外の直線G1を2勝した直線番長*アグネスワールドが代表産駒で、ヤマニンパラダイスは直仔での唯一の国内GⅠ馬である。
母アルセアは*トワイニングの半姉で、アメリカで1984年のアーカンソーダービーを牝馬として初めて勝ち、同年のケンタッキーダービーでは1番人気に支持されるなど、GⅠ3勝、重賞6勝を挙げた名牝。
母父アリダーは1978年のアメリカ三冠全てで三冠馬Affirmedの2着に敗れた馬。種牡馬としては大成功を収め、サンデーサイレンスのライバルEasy Goerの父でもある。その一方で若くしての不慮の死に保険金目当ての殺害疑惑があるなど何かと運が無さ過ぎた馬として有名。
近親にはGreen Desert、ノーリーズン、Bayernなんかがいるバリバリの世界的良血馬である。
1992年4月25日にアメリカ・ケンタッキー州で生まれた彼女は、キーンランドのセールにて「ヤマニン」冠名の土井宏二オーナーの代理人として参加した浅見国一調教師によって80万ドルというお値段で落札され、土井家が所有することとなったが、宏二オーナーは彼女のデビュー前に亡くなってしまい、息子の土井睦秋オーナーが馬主業を引き継ぐこととなった(馬主名義は「土井商事」)。
※本項では当時の表記に合わせて、年齢を旧表記(現表記+1歳)で表記する。
楽園の乙女
楽園の快速少女
そのまま栗東の浅見国一厩舎に入厩したヤマニンパラダイスは、デビュー前の追い切りでいきなり3ハロン32秒台という猛時計を出すなどして大物として注目を集めた。1994年9月10日、中京・芝1200mの新馬戦にて武豊を鞍上にデビュー。1.3倍という断然の支持を受けると、2番手追走から逃げ粘るサツキムスメを悠々かわし、上がり最速で快勝。
そしてその勝ち時計が関係者や競馬ファンの度肝を抜いた。3歳レコード、1:08.2。……この数字だけだとこれがどのくらいのタイムなのかピンとこない人もいるかと思うので、同年の同条件の重賞と比較してみると、ゴールデンジャックが勝った桜花賞トライアルの報知杯4歳牝馬特別(GⅡ)が1:10.4。この3週間後にエイシンワシントンが勝ったセントウルS(GⅢ)が1:08.7。そしてニホンピロプリンスがこの年のCBC賞(GⅢ)で出したコースレコードが1:07.9である。すなわち古馬重賞レコード級のタイムを3歳(現2歳)牝馬がデビュー戦で出してしまったのだ。この3歳(2歳)レコードは結局、2012年に中京競馬場が改修されるまで破られることはなかった。
続いて向かったのは東京マイルのいちょうステークス(OP)。ここでは同じくマル外の大物として評判を呼んでいた牡馬のヒシワールドと人気を分け合い、2.1倍の同オッズで2番人気となったが、8頭立てのレースを中断馬群の中から進めると、断然の上がり最速で2馬身半差の圧勝。そして勝ち時計は1:34.7でまたも東京芝1600mの3歳レコード。これも同年の重賞と比較すると、ヒシアマゾンが勝ったニュージーランドトロフィー4歳S(GⅡ)が1:35.8である。
2戦2勝2レコードという文句なしの成績で、ヤマニンパラダイスは3歳女王決定戦、阪神3歳牝馬ステークス(GⅠ)に乗りこんだ。この年の阪神3歳牝馬Sは、牝馬限定戦となってからは最少の10頭立て。マル外なので桜花賞やオークスには出られないヤマニンパラダイスと、敢えてここで戦う必要はない……と内国産の有力馬が回避したとかなんとかで、ヤマニンパラダイスはなんと単勝1.2倍という圧倒的1番人気に支持される。
そしてヤマニンパラダイスはその人気に応え、2番人気の同じくマル外エイシンバーリンが超ハイペースで飛ばして逃げる展開を前目の好位で進めると、そのまま逃げ込みをはかるエイシンバーリンを余裕すら感じさせる末脚でかわし、追いすがったスターライトマリーを全く寄せ付けず悠々押し切って完勝。そして勝ち時計は実況も「やはりレコード!」と言い放つ1:34.7。牝馬限定戦となってからのレコードは前年にヒシアマゾンがマークした1:35.9だったが、それを1秒2も更新してしまった(まあ2年後にメジロドーベルに0.1秒更新されたけど)。
3戦3勝、3戦すべて破格のレコードタイム。この年同じく外国産馬のヒシアマゾンが重賞6連勝でエリザベス女王杯を勝ち有馬記念でナリタブライアンの2着とすさまじい活躍を見せていたが、ヤマニンパラダイスはそれ以上の大物かもしれない、という予感を覚えさせるに足るだけの破格の成績で、もちろんこの年のJRA賞最優秀3歳牝馬を受賞した。
……だが……。
失楽園の乙女
結論から言うと、ヤマニンパラダイスの圧倒的な輝きは3歳だけで終わりを告げた。
終わりの始まりは阪神3歳牝馬S後の軽い骨折である。もともと桜花賞への出走権のないマル外だったので、無事に治るのであればそれ自体は大きな躓きではないはずだった。
だが、6月のニュージーランドトロフィー4歳S(GⅡ)で復帰したときには、既に彼女の3歳時の輝きは褪せていた。1番人気に支持されたが、平凡なタイムで見せ場なく6着。無敗も連続レコードも終わりを告げた。ちなみにこのレースの10分前に発走していたのが、ライスシャワーの悲劇があった宝塚記念。ライスの悲劇の動揺の中、ヤマニンパラダイスの強いところを見て落ち着こうとしていた当時の競馬ファンはレコード娘の惨敗でダブルパンチを食らうハメになった。
しかもその後にまた故障で彼女は戦線を離脱。5歳となって復帰したものの、その後の彼女の戦績に語るべきことは多くない。年末のポートアイランドステークス(OP)で2年ぶりの勝利を挙げ、6歳初戦の京都牝馬特別(GⅢ)で2着。その後浅見国一調教師の定年で息子の浅見秀一厩舎に転厩し、続く読売マイラーズカップ(GⅡ)でも3着と復調の気配を見せたものの続かず、安田記念(GⅠ)を12着に敗れたあと、マーメイドSへ向けた調教中に両前脚を骨折。競走能力喪失の診断が下り、現役引退となった。通算17戦4勝 [4-1-2-10]。
戦績だけ見れば一介の早熟3歳女王という感じだが、ただの早熟馬がデビューから3戦連続で破格のレコードを出せるかと言えばそんなことはあり得ない。類い希なスピードを持ちながら、故障に泣いた未完の大器、と評する方が正確だろう。
引退後はヤマニン軍団の持つ錦岡牧場で繁殖入り。初仔のヤマニンセラフィム(父*サンデーサイレンス)は2002年の京成杯(GⅢ)を同着で制し、その全妹の第3仔ヤマニンアルシオンは2003年の阪神JFでヤマニンシュクルの2着に突っ込んでヤマニン冠ワンツーを達成した。ヤマニンセラフィムは種牡馬入りし、2011年の阪神大賞典を勝ったナムラクレセントを輩出している。牝馬もヤマニンアルシオンを含む3頭が繁殖入りして彼女の血を繋いだが、孫世代が今のところほとんど繁殖入りしておらず、牝系の血が続くかどうかはやや不透明。
ヤマニンパラダイスは11頭の仔を産み、2016年で繁殖を引退。その後は錦岡牧場の育成場で休養馬のパートナーなどを務めながら余生を過ごしていたが、2018年に26歳で死亡した。
血統表
Danzig 1977 鹿毛 |
Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
Lady Angela | |||
Natalma | Native Dancer | ||
Almahmoud | |||
Pas de Nom 1968 黒鹿毛 |
Admiral's Voyage | Crafty Admiral | |
Olympia Lou | |||
Petitioner | Petition | ||
Steady Aim | |||
Althea 1981 栗毛 FNo.A4 |
Alydar 1975 栗毛 |
Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | |||
Sweet Tooth | On-And-On | ||
Plum Cake | |||
Courtly Dee 1968 黒鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | |||
Tulle | War Admiral | ||
Judy-Rae |
クロス:Native Dancer 4×4(12.50%)、Nearco 4×5(9.38%)、Nasrullah 5×4(9.38%)
関連動画
勝った1994年阪神3歳牝馬ステークスの動画がないのでYouTubeのJRA公式で見てください。
関連リンク
関連項目
親記事
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兄弟記事
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