ヤン・ウェンリー(Yang Wen-li / 宇宙暦767年4月4日~宇宙暦800年6月1日)とは、田中芳樹の小説『銀河英雄伝説』に登場する自由惑星同盟軍最強の用兵家であり、テロリズムに倒れた不敗の英雄である。
恒久平和なんて人類の歴史上なかった。だから私はそんなもののぞみはしない。だが何十年かの平和でゆたかな時代は存在できた。吾々がつぎの世代になにか遺産を託さなくてはならないとするなら、やはり平和がいちばんだ。そして前の世代から手わたされた平和を維持するのは、つぎの世代の責任だ。それぞれの世代が、のちの世代への責任を忘れないでいれば、結果として長期間の平和が保てるだろう。忘れれば先人の遺産は食いつぶされ、人類は一から再出発する事になる。まあ、それもいいけどね。
座乗艦(第13艦隊司令官就任後)は「ヒューベリオン」、「レダII」、「ユリシーズ」。
石黒監督版アニメでの声優は富山敬、逝去後、青年時の配役として郷田ほづみ(のちに完全に後継)、同「黄金の翼」では原康義、「Die Neue These」での声優は鈴村健一、遠藤綾(幼少期)。舞台版の俳優は河村隆一(「初陣 もう一つの敵」では田中圭)、DNT舞台版では小早川俊輔。宝塚版は緒月遠麻、凛城きら。
概要
「銀河英雄伝説」における、自由惑星同盟側の主人公的存在。惑星エル・ファシルでの民間人300万人救出や、難攻不落のイゼルローン要塞を味方の損害ゼロで陥落させた事から「奇跡のヤン」「魔術師ヤン」と呼ばれ、主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムとは
と、私生活が質素な事とジョークのセンスが無いと言う共通点以外は対極の存在として描かれている。[1]
ヤン自身の実態は、歴史と紅茶が好きな以外は年金暮らしを希望するものぐさな問題児で、ユリアン・ミンツがトラバース法(軍事子女福祉戦時特例法/戦災孤児の養育に関する法律)でヤンの元に来るまでは雑然とした部屋に住み、地位や名声にも無頓着で野望も持たず、特に何か政治的・軍事的な行動をおこすわけでもないぐうたらな日々をすごす一士官だった。
軍人というのは敵を殺し、味方を死なせ、他人を騙したり出し抜いたりすることに明け暮れるろくでもない商売だ
他人に対し寛容・大らか・包容力を持ち合わせているが、嫌いな人間に対しては極端に意固地で毒舌家となり、温和な表情で辛辣な台詞を吐く。意外にも戦略家・戦術家としてはきわめて冷徹な一面があり、救援しようがないと判断した味方を見捨てるよう進言するようなところもある。万事に不器用、毒舌家のアレックス・キャゼルヌに「首から下はいらない」と評されるほど。
好きな物は歴史と紅茶入りのブランデーブランデー入りの紅茶。歴史家としてはアマチュア研究者程度としか言えないが、こと紅茶に関しては熱が入っており、コーヒーを泥水と考えている節がある。ただし本人が紅茶を上手く淹れられるかというとそんなことはなく、常にユリアンにまかせている。
戦略及び戦術作戦立案能力、用兵能力は作中で最強を誇り、所謂「武人」の意識が欠落している為逃走する事に一切躊躇わず、補給線を重要視し、エドウィン・フィッシャーの名人芸な艦隊運用をもって縦横無尽に銀河を駆け、撃墜王のオリビエ・ポプラン、陸戦無双のワルター・フォン・シェーンコップ、歴戦の老将ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツらを率いて、時には難攻不落といわれたイゼルローン要塞を味方の損害無しで陥落させ、時に奇計・妙計の限りをつくして崩壊寸前の同盟軍を幾度も救い、ラインハルト・フォン・ローエングラムから民主主義を守る為の講和の機会を引き出すまでに至った。
しかし、指揮をとった戦いでは一度も負けていない(あと一撃まで迫ったバーミリオン会戦は本人的には敗戦としているが、ラインハルト自身が敗北したとしている)ものの、どれほど戦場において戦術で優位に立ち勝利を重ねても、ラインハルトが戦略的な勝利を組織した状態で戦っている限りは絶対的な勝利は奪えない事もヤンは理解しており、実際、ラインハルトの知略により毎回寡兵で対峙する事を余儀なくされていた。
戦術レベルにおける偶然は、戦略レベルにおける必然の、余光の破片であるにすぎない
ヤンに戦略眼がなかったわけでは決してなくラインハルトの戦略を看破した事もあるが、ラインハルトが軍権や政権を手に入れ、強大な戦力と確固たる基盤をつくりあげたのに対して、ヤン自身は地位と立場が同盟軍一となっても腐敗しきっていた自由惑星同盟に対し
最高指導者は文民でなくてはならない。軍人が支配する民主共和制など存在しない。
吾々は軍人だ。そして民主共和政体とは、しばしば銃口から生まれる。軍事力は民主政治を産みおとしながら、その功績を誇ることは許されない。それは不公正なことではない。なぜなら民主主義とは力をもった者の自制にこそ真髄があるからだ。強者の自制を法律と機構によって制度化したのが民主主義なのだ。そして軍隊が自制しなければ、誰にも自制の必要などない。
私は最悪の民主政治でも最良の専制政治にまさると思っている。
とシビリアン・コントロールを遵守した為に戦略能力を活かす機会が得られず、また得る努力もしなかった為に発揮される事がなかった。結果としてヤン・ウェンリーの最終的な勝利を前提としない姿勢が、個人的な民主主義の理想により大量の戦死者を作り上げた虐殺者であると後世に評価されたりもしている。[2]
寡兵を率いて連戦に勝利し続けた事、石黒監督版アニメでの富山敬の名演技による人間味あふれる人物像が描かれた事、対陣の物語の主人公が容姿、軍務、政務など全てにおいてチートとも言える天才ラインハルト・フォン・ローエングラムであった事、有能な人材が泉のように湧き出る帝国軍に対して同盟軍の有能な将官が先に戦死し続け、ダスティ・アッテンボロー以降後が続かない慢性的な人材不足やアンドリュー・フォークによる同盟軍崩壊もあって最終的には報われなかった事、最期は暗殺された事、そもそもアンドリュー・フォークが(ryと言った点が日本人の心をくすぐったのか、原作者田中芳樹の「計算外」の大人気を博するキャラとなっている。
来歴
略歴 | |
宇宙暦767年 | 4月4日、誕生 |
宇宙暦772年 | 母カトリーヌ・ルクレール・ヤン、死去 |
宇宙暦783年 | 父ヤン・タイロン、事故死 |
宇宙暦783年 | 士官学校入学 |
宇宙暦787年 | 士官学校卒業 |
宇宙暦788年 | 中尉に昇進。 「エル・ファシルの奇跡」 |
宇宙暦788年 6月12日/9月19日 |
エル・ファシルの功績で大尉に昇進、四/六時間後に少佐に昇進。待命 |
宇宙暦788年 10月 |
任エコニア捕虜収容所参事官 |
宇宙暦789年 | 第8艦隊司令部作戦課勤務 |
宇宙暦792年 | シドニー・シトレ大将の副官として第五次イゼルローン要塞攻防戦参加。中佐昇進 |
宇宙暦794年 | 大佐昇進。ユリアン・ミンツを被保護者とする。 宇宙艦隊作戦参謀として第六次イゼルローン要塞攻防戦などに参加 |
宇宙暦795年 | 准将に昇進。第2艦隊次席幕僚として第四次ティアマト会戦に参加 |
宇宙暦796年 1月~3月 |
アスターテ会戦に参加、会戦後半の指揮をとる。 3月、功績で少将に昇進、任第13艦隊司令官 |
宇宙暦796年 7月~8月 |
イゼルローンを奪取。功績により中将に昇進 帝国領侵攻作戦に参加 |
宇宙暦796年 10月 |
アムリッツァ会戦で味方の壊滅を防いだ功績により大将昇進、任イゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官 |
宇宙暦797年 | 内乱勃発。第11艦隊撃破。アルテミスの首飾りを破壊し救国軍事会議鎮圧 |
宇宙暦798年 | 3月、査問会の為ハイネセンに召還 5月、イゼルローン要塞に帰還、ガイエスブルク要塞撃破。 ”神々の黄昏”作戦発動 |
宇宙暦799年 1月 |
1月、帝国軍のフェザーン占領によりイゼルローン要塞を放棄 |
宇宙暦799年 2月 |
同盟軍史上最年少の元帥に昇進。帝国軍への正規軍によるゲリラ戦を展開 |
宇宙暦799年 3月 |
帝国軍のシュタインメッツ、レンネンカンプ艦隊とワーレン艦隊を撃破 |
宇宙暦799年 5月 |
バーミリオン星域会戦。 ラインハルトをもう一撃にまで追い詰める |
宇宙暦799年 5月5日 |
自由惑星同盟の無条件降伏により、全軍戦闘停止 |
宇宙暦799年 5月6日 |
ラインハルトと会見 バーラトの和約後に退役 |
宇宙暦799年 6月10日 |
フレデリカ・グリーンヒルと結婚 |
宇宙暦799年 7月 |
同盟政府に拘束され脱出。メルカッツ艦隊と合流 |
宇宙暦799年 12月 |
惑星エル・ファシルへ。革命予備軍司令官就任。 |
宇宙暦800年 1月~5月 |
イゼルローン要塞再奪取 回廊の戦い。ファーレンハイト、シュタインメッツを戦死させる |
宇宙暦800年 6月1日02:55 |
皇帝ラインハルトの元へ和平の会談に向う途中、地球教徒に暗殺される |
宇宙暦767年4月4日、銀河を股に掛ける商船持ちの貿易商を営むヤン・タイロンとカトリーヌ・ルクレール・ヤン夫妻の子に生まれ、5歳で母と死別し、以降は父に男手一つで育てられる。
早くから歴史に興味を持ち、歴史で食う身になる為、商人になる事を薦める父を説得して大学進学の許可をとりつけたものの、直後に父が星間交易船の事故で急死し、美術品もほとんどが贋作だった為にほぼ無一文になってしまったことで大学に行くことができなくなる。そのためタダで歴史が学べるからと言う理由から15歳で士官学校の戦史研究科に入学する。
元々軍人になる気が無かった為、戦史研究科が廃止となる際は親友のジャン・ロベール・ラップと共に廃止反対運動を起こすも賛同者が少なく廃止されてしまう。ジェシカ・エドワーズともこの頃に出会った。
帝国との戦争が長引いてイケイケになっている士官候補生の中、シミュレーション戦闘では補給を重視し『負けないことに徹する戦術』をとることで最優等生のマルコム・ワイドボーンを破っていた事から、ラップと共に戦略研究科に転科させられ
士官学校卒業時の成績 | |||
---|---|---|---|
戦史 | 98点 | 戦闘艇操縦実技 | 59点 |
戦略論概説 | 94点 | 機関工学演習 | 59点 |
戦術分析演習 | 92点 | 射撃実技 | 58点 |
卒業時の席次4840名中1909番 |
しかし、元々軍人になる気がなかった為その勤務態度は勤勉さとはかけ離れた仕事振りで「ごくつぶしのヤン」「無駄飯食いのヤン」と言った落第評価を受け、中尉としてエル・ファシル星域駐在部隊に赴任した際は帝国軍に敗れた守備部隊司令官アーサー・リンチ少将より、300万人の民間人脱出作戦の責任者を押し付けられた。
この時、後に妻になるフレデリカ・グリーンヒルと出会っているのだが、副官として再会するまですっかり忘れているありさまであった。
任務を放棄し戦線を離脱するリンチらを囮に300万人の民間人を無事脱出させる事に成功したヤンは、対外的にも英雄を欲していた軍部と政府の希望と、生者に二階級特進は無いという不文律もあって、9月19日10時25分に大尉に昇進後、同日16時30分に少佐に昇進[3]する。その功績と異例の昇進は同盟軍の宣伝により広く知られる事となり「エル・ファシルの英雄」「奇蹟のヤン(ミラクル・ヤン)」との賞賛を受ける身となった。このため、ヤンの軍歴の中で最も短いのが大尉で、最も長いのが少佐となっている。
その後、ヤン・ウェンリーは
勤勉さはエル・ファシルの時に使い果たした
として、銀河帝国側の主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムと違い「退役して年金暮らしをしながら歴史研究家になる」を夢に見、恩給が支給されるまでの奉公とばかりのやる気の無い態度で勤務し、軍内部ではエル・ファシルの功績を皮肉られる等、煙たがられる存在となっていた(とはいえ、少佐から七年間で准将まで昇進する程度の戦績は残している)。
そんなヤンに転機が訪れる。
パエッタ中将の幕僚としてアスターテ会戦に参加した際、宿命のライバルとなるラインハルト・フォン・ローエングラムと遭遇したのである。この戦いではジェシカとの結婚を控えていた親友ラップも戦死した。
対戦前にラインハルトの戦術を看破していたヤンだったが、それを強くパエッタに具申できなかった。このため予想通り自軍が敗れて犠牲者が増えていくことに心を痛めつつ戦況を見守っていたが、戦闘により負傷したパエッタの代わりに指揮をとるとラインハルトの運用を逆手にとり、味方の脱出の時間稼ぎをして全軍崩壊を防いだ。[4]
自由惑星同盟の本星である惑星ハイネセンに帰還したヤンは、政府と軍部の思惑もあり、少将に昇進の後にアスターテの敗残兵と新兵ばかりの半個艦隊である第13艦隊の司令官に任命された。この時、かつて出会った(そして忘れていた)フレデリカ・グリーンヒルが副官としてつけられている。
最初の任務は、これまで同盟軍が6度攻めて完敗した難攻不落のイゼルローン要塞をわずか半個艦隊で陥落せしめよというものだった。彼は奇計をもって内部に送り込んだワルター・フォン・シェーンコップらの手により、内部から陥落させると言う手をとって味方の損害ゼロで陥落させ「エル・ファシルの英雄」「奇蹟のヤン」の名の他に「魔術師ヤン(ヤン・ザ・マジシャン)」とも呼ばれるようになる。
イゼルローン要塞陥落により帝国と同盟の間で休戦協定を結べる可能性を考えていたヤンだったが、アンドリュー・フォーク准将の立案した帝国領侵攻作戦が発動。その結果、伸びきった戦線をラインハルトの軍に各個撃破され、ウランフやボロディンといった名将を失うと言う人的な損失も含めて同盟軍は甚大な被害を被り、これが後々までヤン・ウェンリーに寡兵で戦わざるをえない状況がつきまとう事の発端となった。
帝国領進攻の最後にアムリッツァ会戦での戦いで同盟軍の崩壊を防いだ功績から大将となったヤンはイゼルローン要塞司令官に着任したものの、次の相手はラインハルトでも帝国軍でもなく、副官フレデリカの父ドワイト・グリーンヒル大将率いる救国軍事会議のクーデターという悲しい結果が待ち受けていた。
老将アレクサンドル・ビュコックと共にラインハルトの戦略を予期していたにもかかわらず、イゼルローン要塞司令官という立場上、表立って身動きが取れなかった事でクーデターを防げなかった結果、クーデター勢力に加わってヤンの艦隊に敵対した第11艦隊の壊滅や、ハイネセンの防衛システム「処女神の首飾り」の破壊、そして亡き親友の婚約者であり、士官学校時代から付き合いのあったジェシカの死など、本来払わずに済んだ犠牲を出す事となった。
勢力が衰退する一方の同盟とは逆に、帝国の実権を手に入れたラインハルトはイゼルローン要塞排除を目論み、一方でフェザーンにより「ヤンに叛意あり」と吹き込まれた同盟政府によってヤンは査問会という理由でハイネセンに召還されてしまう。
社会的不公正を放置して、いたずらに軍備を増強し、その力を、内にたいしては国民の弾圧、外にたいしては侵略という形で濫用するとき、その国は滅亡への途上にある。
これは歴史上、証明可能な事実である
彼の言動や行動をいたずらにあげつらうばかりの政府首脳陣の態度に憤慨したヤン・ウェンリーは、
人間の行為のなかで、なにがもっとも卑劣で恥知らずか。
それは、権力を持った人間、権力に媚びを売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送りだすことです。
宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いをつづけるより、まずその種の悪質な寄生虫を駆除することからはじめるべきではありませんか
と言い捨てる。そして、どうせなら査問会で政府首脳が見せる醜態をしばらくの間意地悪く観察し、最高にドラマティックな展開の時に叩きつけてやろうと作っておいた辞表をまさに取り出そうとしたその時、カール・グスタフ・ケンプとナイトハルト・ミュラーによる、ガイエスブルク要塞をワープさせてのイゼルローン要塞攻略戦が始まったとの報が入った。この一連の事態で辞表を叩きつける機会を逸したヤンは、要塞砲同士の撃ち合いまで行われる中、間一髪でイゼルローン要塞に帰還し、ガイエスブルク要塞を破壊してケンプを戦死させた。
その後、今度はオスカー・フォン・ロイエンタールの率いる大艦隊の攻撃を受ける。そのさなかにラインハルトが”神々の黄昏”作戦を発動し、帝国と同盟をつなぐ2つの回廊のうちイゼルローン回廊と対をなすフェザーン回廊にある商業惑星国家「フェザーン自治領」の占領に成功。ヤンは戦略的な意味をなさないとしてイゼルローン要塞を放棄し、ランテマリオ星域会戦で敗北の危機に瀕していた同盟艦隊を救ってハイネセンに帰還、同盟軍史上最年少の元帥に昇進した。艦隊の再編や用兵について自由裁量を認められ、残存艦隊を率いて神出鬼没の奇計・妙計を巡らし、カール・ロベルト・シュタインメッツやヘルムート・レンネンカンプ、アウグスト・ザムエル・ワーレンらを撃破。ラインハルトに、バーミリオン星域会戦という、ヤンが最終的な勝利を掴める唯一の機会をセッティングさせた。
「お前が望んだことだ。望みどおりにしてやったからには、私の前に出てくるだろうな、奇蹟のヤン」
バーミリオン星域会戦でも、ラインハルトの恐るべき長期防御戦術を看破。この会戦での戦いぶりで「鉄壁」と呼ばれるようになるミュラーらを相手に、巧みな用兵で次々と防御線を打ち破り、旗艦ブリュンヒルトに対してあと一撃のところまで肉迫する。しかし、ラインハルトの不利を事前に予期していたヒルデガルド・フォン・マリーンドルフの策により動いていたウォルフガング・ミッターマイヤーとロイエンタールの両艦隊が、それよりわずかに早いタイミングで同盟首都星ハイネセンを制圧。自由惑星同盟政府が降伏し戦闘停止を命じたため、それに従った。この時シェーンコップらは「ラインハルト討つべし」と意見したが、民主主義の精神に反するとして却下している。[5]
四万隻の敵艦にかこまれて紅茶を飲むのは、けっこう乙な気分だな
ラインハルトと生涯唯一の会見を行ったヤンは、ラインハルトより最大級の評価をうけて帝国軍に誘われたが、
私が帝国に生を享けていれば、閣下のお誘いをうけずとも、すすんで閣下の麾下にはせ参じていたことでしょう。ですが、私は帝国人とはちがう水を飲んで育ちました。飲みなれぬ水を飲むと身体をこわすおそれがあると聞きます
として謝絶。ラインハルトは、ヤンの思想に対するアンチ・テーゼとして
それほど民主主義とはよいものかな。銀河連邦の民主共和政は、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムという醜悪な奇形児を産んだではないか
それに、卿の愛してやまぬ――ことと思うが――自由惑星同盟を私の手に売りわたしたのは、同盟の国民多数がみずからの意志によって選出した元首だ。民主共和政とは、人民が自由意志によって自分たち自身の制度と精神をおとしめる政体のことか
では、専制政治もおなじことではないのか。ときに暴君が出現するからといって、強力な指導性をもつ政治の功を否定することはできまい
と問うたが、これにも
私は否定できます。
人民を害する権利は、人民自身にしかないからです。言いかえますと、ルドルフ・フォン・ゴールデンバウム、またそれよりはるかに小者ながらヨブ・トリューニヒトなどを政権につけたのは、たしかに人民自身の責任です。他人を責めようがありません。まさに肝腎なのはその点であって、専制政治の罪とは、人民が政治の害悪を他人のせいにできるという点につきるのです。その罪の大きさにくらべれば、100人の名君の善政の功も小さなものです。まして閣下、あなたのように聡明な君主の出現がまれなものであることを思えば、功罪はあきらかなように思えるのですが……
と返答。
私は、あなたの主張にたいしてアンチ・テーゼを提出しているにすぎません。
ひとつの正義にたいして、逆の方角に等量等質の正義がかならず存在するのではないかと私は思っていますので、それを申しあげてみただけのことです。
これは私がそう思っているだけで、あるいは宇宙には唯一無二の真理が存在し、それを解明する連立方程式があるのかもしれませんが、それにとどくほど私の手は長くないのです
その後、バーラトの和約が結ばれるのとともにヤン・ウェンリーは退役し、フレデリカ・グリーンヒルと結婚する。[6]
しかし平和な時間は長くは続かず、平和を貪っているように見えるヤンに疑心を抱いた帝国高等弁務官レンネンカンプと、それを利用したパウル・フォン・オーベルシュタインの扇動をうけた同盟政府により、ヤンが暗殺されかける事件が発生。シェーンコップらにより救出された後は、同盟政府最高評議会議長ジョアン・レベロとレンネンカンプを拉致してハイネセンを脱出し、メルカッツと合流。その後独自の艦隊を組織し、エル・ファシル独立政府に身を寄せてエル・ファシル革命予備軍司令官となる。つづく第十次イゼルローン要塞攻防戦では、政治的な問題から自身はエル・ファシルに留まったものの
健康と美容のために、食後に一杯の紅茶
という、要塞放棄時に予め仕込んでおいた中枢コンピューター制御システムの停止コードによって要塞を無力化、再奪取した。[7]
しかし、結果的に彼が帝国と同盟の和平を乱してしまった為に大親征が発動。ヤンの理解者であったビュコックが、マル・アデッタ星域会戦で老練な戦術を駆使して帝国軍に苦戦を強いたものの、圧倒的な戦力差は覆せずに民主主義に殉じる結果となった。
宿命の対決なんてないんだよ、ユリアン、どんな状況のなかにあってもけっきょくは当人が選択したことだ
理解者を失ったヤン・ウェンリーは悲しむ間も無く、イゼルローン要塞奪還のために、そして何よりも自分と戦場で雌雄を決したいという欲求を満たすために迫り来る皇帝ラインハルト率いる大親征艦隊との戦闘を余儀なくされる。狭いイゼルローン回廊で戦う地の利を生かして圧倒的な戦力差を埋めていく。帝国軍の艦隊連携の乱れをついてアーダルベルト・フォン・ファーレンハイトを戦死させ、続いてシュタインメッツを戦死させる等して帝国軍を疲弊させるも、自らの用兵の実現者だった艦隊運用の名人エドウィン・フィッシャーを失い、物心ともに戦線の維持が限界点に達するギリギリのタイミングで、ようやくラインハルトから講和の為の会談の機会を得る事に成功した。
宇宙暦800年6月1日。巡航艦レダII号に乗ってラインハルトの元へと向ったヤンは、道中にフォークが乗艦した武装商船の襲撃に会うも、ヤンの警護のために近くまで航行していた帝国軍艦艇が武装商船を撃沈、救助される。その帝国軍艦艇からの、直接会って挨拶をしたいという通信をエル・ファシル政府の首脳陣が受理したため乗艦を許可するが、実はその帝国軍鑑艇こそがヤン暗殺を企む地球教のテロリスト本隊の擬装であり、フョードル・パトリチェフやライナー・ブルームハルトの奮戦も虚しく、ヤンはレダII号艦内の通路で乗り込んできた地球教徒の銃撃を受けることとなる。
ヤンの両手は赤く染めあげられた。彼がこれまで流してきた血の量にくらべれば、ささやかなものであったが。
そして同日午前2時55分。左大腿部の動脈損傷による出血多量により、33歳の若さで還らぬ魔術師となる。
ごめん、フレデリカ。ごめん、ユリアン。ごめん、みんな……
訃報を知らされたラインハルトは、報告したヒルダがいる前で、一度も勝てなかった相手と戦う機会を永遠に失った事に激しく取り乱した。帝国の将兵もまた、この訃報はヤン・ウェンリーによる「孔明の罠」と思ってしばらく信じられずにいたという。
結果的に、帝国と同盟以外の有志による第三勢力と化したヤン一党だったが、彼の遺志はユリアンとフレデリカに引き継がれた。そしてその遺志は、シェーンコップやメルカッツといった多大な犠牲を払いながらも、ユリアンの手によって直接ラインハルトの元にもたらされ、民主主義の精神は無事生き残る事が出来たのであった。
キャゼルヌ先輩は一つだけいいことをしてくれたよ。
それはユリアン、おまえを私のところへ連れてきてくれたことさ
名言録
- 「英雄など酒場に行けばいくらでもいる、その反対に歯医者の治療台には一人もいない。」
- 「お前にむけて閉ざすドアを私は持っていないよ。はいりなさい」
- 「戦争の90%までが後世の人が呆れるような理由で起こった。残りの10%は当時の人でさえ呆れるような理由で起こった。」
- 「固い信念なんてものは、かえって信用がおけんね。だいたい戦争なんてものは固い信念を持ったもの同士が起こすんだからね」
- 「半数が味方になってくれたら大したものさ。」
- 「人間の社会には思想の潮流が二つあるんだ。生命以上の価値が存在する、という説と生命に勝るものはない、という説とだ。人は戦いを始めるとき前者を口実にし、戦いをやめるとき後者を理由にする。それを何百年、何千年も続けて来た・・・」
- 「いいかい?ユリアン。軍隊というのは道具に過ぎない。それもない方がいい道具だ。そのことを覚えておいて、その上でなるべく無害な道具になれるといいね。」
- 「せっかくの年金も同盟政府が存続しないことには貰いようがない。従って私は老後の安定のために帝国軍と戦う訳だ」
- 「いわなくて後悔するよりは言って後悔するほうがいい」
- 「用心しても、だめなときはだめさ。」
- 「相手の予測が的中するか、願望がかなえられるか、そう錯覚させることが、罠の成功率を高くするんだよ。落とし穴の上に金貨を置いておくのさ」
- 「君がいてくれないと困る。私はものおぼえが悪いし、メカにも弱いし、有能な副官が必要なんだ。」
- 「それにしても人類というのは、決断したくないときに決断しなくていいのなら、人生というのはどれほど薔薇色に包まれていることだろう」
- 「ことばでは伝わらないものが、たしかにある。だけど、それはことばを使いつくした人だけが言えることだ」
- 「国家が細胞分裂して個人になるのではなく、主体的な意志を持った個人が集まって国家を構成するものである以上、どちらが主でどちらが従であるか、民主社会にとっては自明の理でしょう」
- 「そうでしょうか。人間は国家がなくても生きられますが、人間なくして国家は存立しえません」
- 「正しい判断は、正しい情報と正しい分析の上に、はじめて成立する」
- 「私にとっては政治権力というやつは下水処理場のようなものさ。なければ社会上、困る。だが、そこにすみついた者には腐臭がこびりつく。近づきたくもないね」
- 「戦術は戦略に従属し、戦略は政治に、政治は経済に従属するというわけさ。」
- 「信念のために人を殺すのは、金銭のために人を殺すより下等なことである。なぜなら、金銭は万人に共通の価値を有するが、信念の価値は当人にしか通用しないからである」
- 「法に従うのは市民として当然のことだ。だが、国家が自らさだめた法に背いて個人の権利を侵そうとしたとき、それに盲従するのは市民としてはむしろ罪悪だ。なぜなら民主国家の市民には、国家の犯す罪や誤謬に対して異議を申したて、批判し、 抵抗する権利と義務があるからだよ。」
- 「いや、私はそれほどロマンチストじゃないよ。私が今考えているのは、ローエングラム公のロマンチシズムとプライドを利用していかに彼に勝つか、ただそれだけさ。じつはもっと楽をして勝ちたいんだが、これが今回は最大限、楽な道なんだからしかたない」
- 「大丈夫だよ。無理するのは私の趣味じゃない。心配してくれてありがとう」
- 「平和の無為に耐えうる者だけが、最終的な勝者たりうる。」
- 「陰謀やテロリズムでは結局のところ歴史の流れを逆行させることはできない。だが、停滞させることはできる。」
- 「いい人間、立派な人間が無意味に殺されていく。それが戦争であり、テロリズムであるんだ。戦争やテロの罪悪は結局そこに尽きるんだよ。」
- 「大人になるという事は、自分の酒量をわきまえるという事さ。」
- 「世の中は、やっても駄目なことばかり、どうせ駄目なら酒飲んで寝よか」
- 「世の中でいちばん有害なばかは、補給なしで戦争に勝てると考えているばかだ。」
声優
石黒昇監督版「銀河英雄伝説」の劇場版及びOVA第一期から第三期までのアニメ版では、名優富山敬が声を担当している。時にずぼらな怠け者、時に冷静な歴史の観察者、時に勝利のタクトを振るう戦術家、そしてユリアンの師にして父親を演じきった富山敬だったが、OVA第三期にてヤン・ウェンリーの最期とユリアンに語りかけるシーンを演じた後に病に倒れ、自身がヤンそのものであるかの如く帰らぬ人となった。
OVA第四期にもヤン・ウェンリーの登場は予定され、音声合成の可能性や代役を検討したものの、第四期ではモノローグやユリアンの回想に絵のみ登場したり、ナレーションで語られるのみとなったという。その後、OVA「銀河英雄伝説外伝」では「そこで描かれる青年期のヤンとして別の声優を当てる」という発想で新たな声優を当てることにしたものの、「一人一役」をテーゼとする「銀河声優伝説」ゆえに未出演の声優からの選出は難航。だが、「装甲機兵ボトムズ」のキリコ・キュービィー役で知られる郷田ほづみが、一時期休んでいた声優業に復帰したことから誘いを受けて声を担当。事実上、郷田がヤン役を後継した。
なお、富山氏の存命中に制作された「銀河英雄伝説外伝 黄金の翼」では原康義が声を担当した。これはこの作品が道原かつみ版コミックを元にキャラデザイン、メカデザイン、声優を他のOVA作品と意図的に変更した異色作であったためであり、富山氏の健康状態が理由ではない。
多田俊介監督による「銀河英雄伝説 Die Neue These」では鈴村健一が声を担当。ちなみに鈴村健一は駆け出しのころ石黒監督版「外伝」に端役で参加した経験を持つ。4話における幼少期のヤンは、フレデリカ役の遠藤綾が担当した。2022年には鈴村が第16回声優アワードで富山敬賞を受賞し、当人も「縁を感じる」とコメントしている。
関連動画
関連コミュニティ
関連項目
ヤン艦隊軍人 |
|
関連人物:自由惑星同盟 |
関連人物:銀河帝国 |
関連リンク
脚注
- *諸葛亮や陳慶之がモデルとの説があるが、原作者の田中芳樹はモデルは特にいないとしている。
- *ヤン・ウェンリーが最初から本気になっていれば、被害は少なくすんだとも言われたりしているらしい。英雄に祭り上げられた者のつらいところである。
- *外伝『螺旋迷宮』の記述。「黎明篇」では標準暦6月12日午前9時大尉昇進、同日午後1時少佐昇進。
- *石黒監督版の長篇『わが征くは星の大海』ではアスターテ会戦の前の第四次ティアマト会戦にて両者は戦っている。同作中では、ラインハルト(当時はミューゼル姓)の奇策により同盟軍全体が劣勢に陥った際に、ヤン自ら撤退戦の殿軍役を志願し、自分が座乗した戦艦ユリシーズをラインハルトの旗艦ブリュンヒルトの真下ほぼゼロ距離の位置に潜り込ませ、ブリュンヒルトを人質に取るような形で味方が撤退する時間稼ぎをした後、速やかに自身も撤退した。
- *この時、アレックス・キャゼルヌの協力もあり、後事の事を考えてメルカッツに艦隊を与えて戦場から逃走させるような戦略眼を見せた。
- *結婚生活は、ユリアン・ミンツが不在だった事と、フレデリカの調理の腕前が壊滅的だったこと、二人とも家事が苦手だった事から、毎日イベントが発生していたらしい。
- *前回をふまえて、名将コルネリアス・ルッツがイゼルローン要塞に配されていたが、通信を駆使した詭計とコンピュータを外部から落とされるという事態は予期できていなかった。
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