偉人なら一度の忠告で反省する。凡人なら二度くりかえして諌められれば、まずあらためる。できの悪い奴でも三度も言われれば考えなおす。それでも態度を変えないような奴は、見放してよろしい
――”忠告”について、ヤン・タイロンの言葉より。
ヤン・タイロンとは、「銀河英雄伝説」の登場人物である。
CV.宗矢樹頼(石黒監督版OVA)、田中秀幸(Die Neue These)。
ヤン・ウェンリーの父親であり、彼の人格形成に多大な影響を与えた人物。
概要
自由惑星同盟の交易商人(S.E.731.09/28-783.03/27)。名字はE式で、ヤンを姓とする。
辣腕を知られる商人であり、人を引きつける微笑の蔭に隠された優秀な”商業用頭脳”によって財を成したが、恒星間商船の事故によって命を落とした。
石黒監督版OVAでは息子ウェンリーと同色の整えられた黒髪と口髭をもつ細面の中年男性として、Die Neue Theseでは、息子によく似たおさまりの悪い黒髪に口髭と顎髭をもつ野趣のある中年男性としてデザインされている。
経歴
はじめはどこかの会社に務めていたようだが、社長に見切りをつけ独立。一小商船の主からその才能によって成り上がり、交易会社を持つまでになった。そのあいだに結婚しているが、相手に浪費癖があったために離婚。美女として知られたカトリーヌ・ルクレールなる女性と再婚し、宇宙暦767年、一子ヤン・ウェンリーをもうける。
宇宙暦772年、急性の心臓疾患によって妻カトリーヌが死去すると、タイロンは妻の親族がウェンリーの親権を彼と争おうとしていることを察し、それまでオフィスで恒星間商船隊を指揮していたのをやめ、みずからウェンリーとともに商船に乗りこんで首都ハイネセンを去った。
以後約10年にわたり、宇宙船の中でみずからウェンリーを教育したが、宇宙暦783年、宇宙船の核融合炉の事故により死去。妻カトリーヌ・R・ヤンとともにタイロンの名が刻まれている墓は、ハイネセンの中心市街から北に150km離れた丘陵地帯に位置するサンテレーゼ公共墓地におかれた。
趣味
タイロンは西暦時代の古美術品収集が趣味で、エトルリアの壺、ロココ様式の肖像画、漢帝国の銅馬などといった骨董品を大金をかけて集めていた。これは、「金銭は懐中を、美術品は心を、それぞれゆたかにしてくれるぞ」という彼の考え方によるものだったようである。
美術品にたいする彼の愛情の表し方は独特の域に達しており、息子とともに商船に乗り込む前、自宅にいる時の彼の時間は、ほとんどが山積みになった古美術品を鑑賞し磨きたてることで消費されていた。再婚相手のカトリーヌ・ルクレールが未亡人だったことすら、「彼は配偶者まで古美術品をえらんだ」と噂される原因になったほどである。
その後も、息子の出生を聞いて「おれが死んだら、この美術品はみんなそいつのものになってしまうんだなあ」とつぶやいたきりで壺を磨き続けるなどタイロンは堂に入った変人ぶりを見せていたが、彼の死後、その相続された収集品のほとんどすべては贋作であったことが明らかになった。これについてウェンリーは、辣腕家のタイロンが趣味の古美術品に限っては鑑定眼を持たなかったことをおかしがるとともに、もし贋作とわかった上で集めていたとしたらそれもまたタイロンらしいことだと感じている。なお、収集品のなかで万暦赤絵だけはほんもので、ウェンリーが受け継いだが、のちの宇宙暦796年、ウェンリーの自宅が憂国騎士団の襲撃を受けた際に破壊された。
人生哲学
金銭はけっして軽蔑すべきものじゃないぞ。これがあればいやな奴に頭をさげずにすむし、生活のために節を曲げることもない。政治家と同じでな、こちらがきちんとコントロールして独走させなければいいのだ
商人として財を成したタイロンは、世の中の様々なものごとについて独特の哲学を持っていた。
たとえば金銭哲学がそのひとつで、「成功の秘訣」を問われたときには
おれは金銭(かね)を可愛がってるから……
恩を感じた金銭が出世してもどってくるのさ。銅貨は銀貨に、銀貨は金貨にな。要するに育てかたひとつだよ!
という言葉を冗談として友人に言ってまわっていたことが、“金銭育ての名人”という彼のニックネームの由来となっている。このニックネームは好意的な意味のものとは言えなかったのだが、本人は気に入っていたようである。また、彼の「自分でコントロールできる範囲の金銭は、一定の権利を保証する」という哲学は、やがて息子ウェンリーへと受け継がれている。
記事冒頭に掲げた“忠告”についての言も、タイロンが持っていた一家言のひとつであり、かつて彼が独立して交易商人となったのは“能無し社長”に対して自身の哲学を実践したが故であった。しかし、この言葉をうけて、「四度めの忠告はしなくていいの?」と問いかけた息子へのつづく言葉が
四度めになればな、追放されるか投獄されるか、あるいは殺されるからだ。暗君という奴は、そういうものだ。だから四度めの忠告は、自分自身に害をおよぼすだけでなく、相手によけいな罪業をかさねさせることになり、誰のためにもならない
などというものであったことは、じつに彼らしいところというべきかもしれない。
さらに言えば、歴史に興味を持っていたウェンリーが、同盟では悪の権化かのように扱われるルドルフ大帝がなぜ民衆に支持されたか聞いた時にも、タイロンは
民衆が楽をしたがったからさ
自分たちの努力で問題を解決せず、どこからか超人なり聖者なりがあらわれて、彼らの苦労を全部ひとりでしょいこんでくれるのを待っていたんだ。そこをルドルフにつけこまれた。いいか、おぼえておくんだ。独裁者は出現させる側により多くの責任がある。積極的に支持しなくても、黙って見ていれば同罪だ
と返答している。この答えはウェンリーにとって、「とにかく悪人だったから」程度しか返さない他の人々のそれとはまったく一線を画すものだった。
こうしたタイロンの考え方が、幼少期の大半を宇宙船の中で育てられたヤン・ウェンリーの教育と人格形成、そして思想にきわめて大きい影響を与えたことは、おそらく間違いないところだろう。
家族関係
タイロン本人が古美術品に耽溺していたとはいえ、妻カトリーヌとの夫婦仲は悪くなかったようである。その死を聞いたときには青銅の獅子の置物をとりおとし「割れ物を磨いているときでなくてよかった……」とつぶやいて妻の親族を怒らせたりするようなこともあったものの、二人が入った墓に刻まれた「善良にして愛情あつき夫婦であったことを万人が知る」という決まり文句は、さほど事実とことなるものではないとされている。
息子ウェンリーについては、そばで壺を磨かせていたのを見て呆れたカトリーヌの親族が発した、「息子と古美術品のどちらがだいじか」という問いに「美術品を集めるには資金がかかったからなあ」と答えて当然のように憤激させ、あやうく親権問題を法廷に持ち込まれかける原因となった。長じたウェンリーが歴史を好んだことについてもタイロンはあまり乗り気でなかったようだが、金銭と美術品のほうに興味を持つよう促しつつも押し付けることはせず、ウェンリーがハイネセン記念大学の歴史学科を志望したときには「歴史で金銭儲けした奴がひとりもいなかったわけじゃない」と彼流の表現で認めている。
いっぽうで、古美術品を優先されたその本人のほうはといえば、タイロンの死後、遺産がほとんどなかった(先述したように収集品はほぼ贋物であり、会社関連の権利も抵当に入っていた)ために、大学進学を諦めて国防軍士官学校を選ぶ有様だったにもかかわらず、それなりには父親の愛情を感じていたようである。彼は「息子の目から見ても父親は変人だったが、変人なりに息子にたいして愛情らしきものはいだいていたようである」と評しており、「このていどは子の義務」として(少なくとも宇宙暦788年ごろまでは)半年に一度は墓参するようにしていた。
ちなみに、タイロンは墓参についても
墓に来るのは死んでからでいいんだ。せっかく安眠している人のじゃまをするんじゃない
などと一家言を有していたのだが、それがウェンリーが墓参を半年に一回からふやさない言い訳にもなっている。
補足
本伝一巻黎明篇では「四八年の生涯」となっているが、外伝「螺旋迷宮」の記述では「宇宙暦七三一年九月二八日――七八三年三月二七日」となっており、享年が51歳となるミスがある(いずれも創元SF文庫版で確認済)。
石黒監督版OVA外伝「螺旋迷宮」でCVを務めた宗矢樹頼は、のちにkikubonによるオリジナルキャスト朗読版「ダゴン星域会戦記」においてステファン・フォン・バルトバッフェルとビロライネンを務めている。いっぽう、「Die Neue These」で担当した田中秀幸は、石黒監督版アニメにおけるジャン・ロベール・ラップの担当声優であった。
関連動画
関連項目
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