『ヨット右翼』とは、日本の暗部を取り仕切るとされる「右派団体」の俗称である。正式名称は不明である。
その歴史
「ヨット右翼」の起源については諸説あるが、室町時代末期~安土桃山時代の、九鬼・村上などの瀬戸内海の「水軍」(海賊)の流れを汲むという説と、江戸時代の北前舟を所有する船主たちの、相互互助的な「組合」(”寄り株”と呼ばれた)が発祥であるとする説が有力である。新史料の発見により、特に近年では後者説が有力視されている。
その全貌は現在でも明らかにされておらず、構成メンバー・構成人員数、それどころか「現在実在するのか」さえ不明。現在日本に存在する海運関連の諸団体とは、まったく繋がりがないためだ。
韓国からは「ユットゥウユ」(気の荒い漁師 の意)が語源・発祥という主張がなされているが、これは無視していいだろう。
近代におけるヨット右翼
明治維新後、国営の海運会社が誕生。また諸外国の海運会社との競争にさらされることとなった日本の海運業者たちは、それまで培ってきたネットワークと資本蓄積を生かし、自分たちに有利な主張をする議員を議会に送り出そうとする。
それまで海運保険的な相互互助の「組合」でしかなかった彼らは、ここではじめて政治的主張を持つこととなる。諸外国(の海運業者)への対抗意識から、彼らの政治的主張は保守・右派的、民族主義的なものとなる。
「海」を舞台とした仕事のため、同じ海の仕事である海軍への戦時・平時を問わない協力関係も早期にはじまっており、海軍内部への政治的影響力を日に日に強めていった。
日本の国防の確立と、国家の経済的成長が急務とされた時代、両者の思惑は完全に一致していた。「強い海軍」の存在は「強い海運」の礎でもあったのだ。
義和団事件後の日英同盟を経て、日露戦争の勝利と、ヨット右翼-日本海軍のラインは黄金期を迎える。
船乗りのうち貧しい者の子弟を資金的に援助、学校へ通わせ、最終的に海軍のエリートコースへ送る(そうした高級将校が、国会議員に転身することもあった)ということもしていたという。昭和初期にはこうした「ヨット右翼」の息のかかった高級将校もおおく、かの2.26事件(陸軍若手将校による叛乱)はこうした「ヨット右翼」派海軍将校(と、その影響力)の排除も目的としていた、という陸軍叛乱将校の証言がある。
二次世界大戦と二次大戦後のヨット右翼
日米開戦前の日本軍部内では、陸軍を中心とした北進論(ソビエト連邦との開戦)と、海軍を中心とした南進論(仏インドシナ・マレー半島・米領フィリピン・蘭領インドネシアなどの東南アジア攻略)で二分していた。
ヨット右翼と日本海軍の連携勢力は、陸軍の主張する北進ではまったく活躍の場がない(海運で物資輸送がある程度)うえに、陸軍主体の戦争では国内産業・鉄鋼などの工業生産が、完全に陸軍の従属下・統制下に置かれることになると判断、北進に強硬に反対した。
対する陸軍側はすでに装備開発を支那(中国)・シベリアの寒冷地・乾燥地帯に合わせており、いまさら熱帯地域に適合する装備開発・改造など、到底出来るはずがなかった。この陸海軍の対立は終戦まで――あるいは戦後も――尾を引くこととなる。
満州事変以降の陸軍(関東軍)の暴走を抑えたい政府・内閣の思惑もあり、二分した意見は南進論にまとまりをみせ、一応了承された。
独仏戦のドイツ勝利後に親独政権として誕生した仏・ヴィシー政府は、日本側との協議により仏領インドシナ(ベトナム)進駐を了承。昭和15年秋に日本軍は北部への進駐を開始。これにより、従来の蒋介石支援ルート(援蒋ルート)を遮断された英米側は、別ルートをビルマ(現ミャンマー)に設定した。
翌、昭和16年夏には南部へ進駐。北部進駐直後に締結された「日独伊三国同盟」とともに英米側を刺激。
南部仏印を足がかりにすれば米領フィリピン、英領マレー、シンガポール要塞、蘭領インドネシアなどを攻撃圏内に収められることから、英米は日本の領土的野心を警戒。前年の北部進駐後に打ち出した対日屑鉄禁輸とともに、かねてより通告していた対日石油輸出禁輸・在英米の日本資産凍結など、かつてないほど激しい対日経済制裁に踏み切る。
日本帝国政府、陸海軍・ヨット右翼勢力も、これら英米からの貿易制限・経済制裁の通告を受けていたが、陸軍に対し南進論を強硬に主張した手前(陸軍は北部進駐の際、ディエン・ビェン・フーなどで仏軍との間に衝突を起こし戦死者を出している)、体面からいってもむざむざと南進論・仏印進駐を翻すわけにはいかなかった。また、歴史的経緯からヨット右翼内部に英米(白人種という言い方のほうが適切かもしれない)との対決を待望する勢いが強く、日本国内の新聞・ラジオ・映画など各種メディアを用いて英米との対決を煽った。
世論の後押しをうけ、引き返せなくなっていた帝国政府はアメリカとの開戦を決断。12月8日(日本時間)、ハワイ・オアフ島の真珠湾軍港を奇襲攻撃。この帝国海軍主導の戦争により、帝国は破滅への道を歩むこととなる。
昭和20年8月15日、ポツダム宣言受諾の詔書が渙発され、9月2日、東京湾上の米戦艦ミズーリ号で降伏文書調印がなされた。日本と連合国の戦闘はひとまずここで終わる。
米軍を中心とした連合国軍総司令部(GHQ)が、日本国内で戦争を指導した勢力を調査するうち注目したのは、この正体不明の「ヨット右翼」であった。息がかかっていたとされる日本政府高官や政治家、高級官僚、軍人、軍属を取り調べても、奇妙なことに証言が一致せず、「誰が首謀者なのか」はおろか、「ヨット右翼」の組織構造に至るまでもが、まるで判らなかった。
このことは彼らGHQを恐怖させ、「スムーズに事が運び過ぎる」日本占領の不気味さを倍増させたらしく、報告文書の中でヨット右翼を「暗殺者(Assassin)」と呼んでいる。(ヨット右翼の総てを知っていると目される人物――監察対象――が、「怪死」するケースが多かったため、とも言われるが、これは戦後の混乱期に生まれた俗説のようだ。)
存在さえ疑わしい「ヨット右翼」への恐怖心は根強く、実際「新潟の長岡でヨット右翼首脳と軍の一派がレジスタンスを画策している」という怪情報が流れた際には、調査官と米憲兵隊が長岡に急行、肩透かしを食らい情報がデマだとようやく気づいた、というエピソードもある。
OSS(戦略事務局 CIAの前身)まで動員した懸命の捜査に関わらず、結局ヨット右翼の「首領」を逮捕・裁判にかける事は叶わず、極東軍事裁判(東京裁判)において息がかかっていたとされる陸海軍上層部・政治家を「戦犯」とするほかなかった。
平成の現在ではまったく聞かないが、昭和の時代には「ヨット右翼の潤沢な資金を、市中銀行の金利より低く貸す、そのためにはメンバーになる必要がある。紹介料をいただければメンバーに登録できるよう取り計らう」といった『ヨット右翼詐欺』が「M資金詐欺」とともに横行した。被害が一番多かった昭和53年の警察庁まとめによると、認知件数で1420件、被害総額が当時の金額で6億8000万円を超えた。
GHQ-ヨット右翼ライン説
アメリカを中心とする連合国が日本の占領統治においてヨット右翼を利用しヨット右翼の側も積極的に応えたとする、いわゆる共同謀議説も戦後日本の進歩的知識人の間で根強くささやかれている。
そもそもOSSは極東で積極的に活動しておらず、OSSが調査したにもかかわらずヨット右翼の痕跡を発見できなかったとするGHQ/SCAPの見解自体がディスインフォメーションを狙ったカバーストーリーであると解釈するのが自然である。
GHQの参謀第二部(G2)および教育科学局は個別にヨット右翼に関すると見られる指令(SailBoat Starboad優先に関するSCAPIN)を発しており、彼らがその実態をある程度把握していたことは実証的に明らかである。
つまり、連合国はヨット右翼の法的責任をうやむやし国民の目から隠蔽することを引き換えに、ヨット右翼の隠然たる影響力を利用するある種の取引を行ったのである。連合国がこの種の取引を行ったことは、日本軍の細菌戦に関する資料に前例がある。
ヨット右翼の側からしても、米国が圧倒的な海軍力を背景に公海の自由航行を保障することは彼らの利益に合致するものと考えられていた。これが、「軽武装・自由貿易・経済発展」を主眼とするいわゆる吉田ドクトリンにつながっていく。
ヨット右翼の存在に関して現存する資料は極めて少ない。この事実こそが米国のヨット右翼懐柔工作が成功裏に終わった何よりの証拠といえよう。
なお、合衆国政府が公式にヨット右翼の存在を否定したことはない。
『暗躍』
ヨット右翼の実在を匂わせる書き込みが2ちゃんねる上に登場。『西松建設献金事件』でのやりとり。
彼らは今も我々の知らないところにいるのだろうか。
ヨット右翼大料理!
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∠○ノ \ ウヒョーーー!!!
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/..::;;| |ノ ゙! どーも、ヨット右翼です
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朝鮮半島・ハングルとの関連性
- 370 名前: 名無しさん@九周年 Mail: 投稿日: 2009/03/03(火) 21:02:06 ID: jq3IQkbT0
- KB(キーボード)がハングル配列だと打ち間違いで
ネットがヨットになったり
勝利が料理になったりするんだよね。
ひらがな/ローマ字配列だと絶対しない間違い方w- 101 : ななしのよっしん :2009/03/06(金) 11:36:00 ID: VfQsFn2yv1
- 日本語 韓国語
インターネット →イントネッ(인터넷)
4つ・4時・4名 →ネ(네)・ネシ(네시)・ネミョン(네명)
ネットの「ネ」が同じ発音で【4つの~】を意味する「ネ」と混同され、
さらに日本語の「ヨ」っつと入れ替わった、ってところか- 102 : ななしのよっしん :2009/03/06(金) 12:18:04 ID: VfQsFn2yv1
- たびたび書き込みすいません
勝利が料理になったのは単なるタイプミスかな
「ショ(쇼)」の入力…「ㅅ」+「ㅛ」
「リョ(료)」の入力…「ㄹ」+「ㅛ」 なんだが、
日本語のキーボードでいうと
「ㅅ」はT、「ㄹ」はFの位置にあって、打ち間違えても不思議はない
参考文献(順不同)
- 『海運の政闘史』(福岡中洲産業大学出版会 昭和58年)
- 『GHQ対日占領秘話』(米 National Geopolitic 1985年9月号米国版)
- 『D号(ヨット右翼詐欺)事件の現状と対策 昭和53-54年』(警察庁 昭和54年資料)
- 『秘録2.26 誰と「戦った」か~ある青年将校の供述~』 (東江戸川大学出版局 平成元年 上下刊)
- 『妄想 ―還ってこれなくなっちゃった人の話―』 (民明書房 平成2年)
関連動画
彼等ヨット右翼は「親しみやすさ」を前面に押し出し、我々の社会に浸透しようとしているのか?
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関連項目
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