ヨハン・ザルコ単語

ヨハンザルコ

ヨハン・ザルコexitとは、フランス南東部カンヌexit近郊のアンティーブexitに生まれアヴィニョンexitで育ったMotoGPライダーである。

1990年7月16日生まれ。

2007年レッドブルルーキーカップ(若手向け登竜門レース)の初代チャンピオンになった。

2009年からMotoGP125ccクラスに参戦を開始した。
2011年には125ccクラスランキング2位となった。

2012年からMoto2クラスに移り、2014年には戦闘力の劣るマシンで表台を4度獲得した。
2015年2016年戦闘力の高いマシンを使うチームに移り、Moto2クラスチャンピオンを連覇した。

2017年2018年は最大排気量クラスに移り、ヤマハサテライトのTech3で表台を合計6回獲得。
2019年からはKTMワークスで最大排気量クラスに参戦する。
 

ゼッケン5番

ゼッケンは5番を用している。

なぜ5番かというと、ヨハンにはコーチの役割を務めるローラン・フェロンexitがいて、この人は1980年代フランスライダーであるマックス・シャバルMax Chabal)のメカニックだった。そのマックス・シャバルはゼッケン5番を付けていた。ローラン・フェロンマックス・シャバルのことを絶賛していたので、ヨハンもゼッケン5番を付けるようになった。※この記事exitが資料
 
2007年のレッドブルルーキーズカップのときexitはゼッケン5を付けていた。
 
20092010年125ccクラス1年・2年シーズンゼッケン14を付けていたexit

この2年間はフランスライダーアレクシ・マスブーが5番を付けていて、ヨハンは5番を使えなかった。
困ったヨハンはゼッケン14番を付けることにした。
これは後述するがハンガリーライダーガボール・タルマクシexitを尊敬していたからである。
タルマクシはゼッケン14をつけて2007年125ccクラスチャンピオンとなっていた。

2010年中盤のアラゴンGPからアレクシ・マスブーは資金難で出走できなくなったexit
2011年の開幕戦にも間に合わず、アレクシ・マスブーは選手登録できなかった。
このためヨハンは気兼ねなく5番を使うことができた。

2012年からはヨハンMoto2クラスアレクシ・マスブーはMoto3クラスと分かれた。
Moto2クラスには他に5番を使うライダーがおらず、ヨハンは5番を使い続けることができた。


2016年まではただの5番だったexitが、2017年からはゼッケンに2つの金色五芒星を付けているexit
これは、2度のMoto2クラスチャンピオンを獲得したことを示している。
 

ヘルメット

フランスのヘルメットメーカーSHARKexit契約している。

旭日旗ヘルメット

わりと気分でコロコロヘルメットデザインを変えるが、一番多いデザインは旭日旗であるexit

ヨハンにはコーチの役割を務めるローラン・フェロンexitがいて、この人は19911992年頃にMotoGPメカニックをしていて、日本人ライダーファンだった。1990年代125ccクラスを席巻した上田昇exit坂田和人exit青木治親exitのことをヨハンに熱くっていて、それによりヨハン日本人ライダーを尊敬するようになり、旭日旗用するようになった。

旭日旗ヘルメットについての発言は、この記事exitと、この記事の後半部分exitにある。


紅白旭日旗ヘルメットを使うことが最も多いが、たまに違う色にすることがある。

チャンピオン獲得の直後や、地元フランスGPのときは旭日旗画像1exit画像2exit

2018年2月タイテストでは白黒旭日旗exit
2018年10月マレーシアGPでは銀色旭日旗exit

2018年10月オーストラリアGPの大会スポンサーフランスタイヤメーカーであるミシュランだった。ミシュラン企業色は黄色なので、青・黄色の旭日旗にしているexit
 

万国旗ヘルメット

最近ではあまり見られなくなったが、かつては、ヘルメットの側面に万国旗exitみたいな感じに複数の国旗を並べるヘルメットデザインを使っていた。この記事exitにはいくつか万国旗ヘルメットの画像がある。

これは、色んなからやってくる多籍のライダーに敬意を表する意味がある。この記事の後半部分exitっている。

ハンガリー国旗

後述するようにヨハンハンガリーライダーガボール・タルマクシに恩義を感じており、ハンガリーに対して感謝の心を持っている。

ゆえにヘルメットハンガリー国旗exitをあしらうことが多い。側面に上から赤・白・緑と配色するexitことが、2016年シーズンまで盛んに行われた(2017年以降のヘルメット側面exitモンスターエナジーに占拠されてしまい、ハンガリー国旗を入れることができなくなった)

このようにexitライダースーツのZarcoもハンガリー国旗フランス国旗で配色している。

「ヨハン・ザルコはイタリア系なのでイタリア国旗ヘルメットライダースーツにあしらっている」と言われるがどうもそうではなさそうなのである。ミシェル・プラティニサッカーの大選手)を初めとしてイタリアフランス人は結構多いのだが、ヨハン・ザルコはそうではないようなのだ。

イタリア国旗exitハンガリー国旗exitはよく似ているが、イタリア国旗は横に3色並べるので、少し違う。
 

小規模スポンサー

ヨハンには小規模なスポンサーがついていて、年に1回、そのスポンサーへの感謝のため、スポンサーカラーヘルメットにする。小規模スポンサーヘルメットを表にすると以下のようになる。

2015年 カタルーニャGPexit イギリスGPexit 日本GPexit マレーシアGPexit バレンシアGPexit
2016年 オランダGPexit バレンシアGPexit
2017年 カタルーニャGPexit オランダGPexit
2018年 スペインGPexit フランスGPexit イタリアGPexit カタルーニャGPexit

 

ハンガリー人ライダー ガボール・タルマクシとの縁

2007年レッドブルルーキーカップの初代チャンピオンいたヨハン・ザルコ。
しかし彼の祖国フランスはそれほどMotoGPの人気が高いわけではなく、スポンサー探しに難儀した。
結局、2008年はどこからも参戦できなくなってしまう。

失意のどん底に陥っていたヨハンだったが、そこに手を差し伸べたのはハンガリーライダー
ガボール・タルマクシexitだった。ガボールはヨハンに優しくをかけ、トレーニングに誘った。
貧乏ヘルメットしか持っていなかったヨハンライダースーツブーツを贈った。
ガボールの父親が所有するゴーカートトラックで一緒にバイクを走らせた。
さらにはヨハン2009年MotoGPへ参戦できるように取り計らっている。

なぜガボールと親しくなれたかというと、ヨハンコーチであるローラン・フェロンexitさんであるアンドレア・フェロンexitハンガリー人で、同じハンガリー人のガボールに親しく話しかけることができたからである。

当時のガボールは125ccクラスチャンピオンを獲ったばかりでハンガリーの期待を一身に背負っており、
スポンサーも多く、羽振りもよかった。
貧乏なときに親切にされると一生恩を忘れないものだが、ヨハンもまさにそうであった。
ガボールとの絆は続いていてexitヨハンハンガリーを第二の故郷と感じている。

この動画exitには、ヨハンガボールのところへ行ってミニバイクで遊んでいる様子が映っている。

※この項の資料・・・記事1exit記事2exit記事3exit記事4exit
 

地中海風の姓とドイツ風の名前

ヨハン・ザルコ(Johann Zarco)という名前から、いくらか考察することができる。
 

Zarcoという姓は地中海周辺で見られる

ザルコ(Zarco)という姓は地中海周辺でしばしば見られる。

15世紀のポルトガルの探検ジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコexitという人がいる。
イタリアヴェネツィア大学教授に、ジュリエッタ・ザルコexitという人がいる。

Zarcoという姓を研究しているこのページexitでは、スペインで多く見られる姓だと解説している。

ヨハン・ザルコはカンヌexit出身で、これも地中海周辺の都市カンヌ出身の人がザルコ姓を名乗るのは、ごく自然なことと言える。
 

Johannという名前はドイツ風の名前

ところが、ヨハンJohann)という名前は、カンヌに似つかわしくないドイツの名前である。

ヘブライ語のヨハナンという名前がヨーロッパに伝わり、イギリスジョンJohn)、フランスジャンJean)、ドイツヨハンJohann)と変化して定着した。

ヨハンの日本語版Wikipediaexitを見ても、ヨハンという名前を付けるのはほとんどドイツ語圏である。
フランス語圏なら、普通ジャンという名前を付ける。ジャンの日本語版Wikipediaexitを見てもフランス人ばかり。

ザルはなにかドイツに縁があるのだろうか・・・
 

経歴

13歳でレースを始め、17歳にチャンピオンになり、18歳に浪人する

1990年7月16日に、フランスの南東部にあるカンヌexit近郊のアンティーブexitで生まれた。

2000年(10歳)のころ、バイクに乗り始めた。

2003年(13歳)のとき、ローラン・フェロンexitと出会った。ローランはヨハンに対しイタリアのポケバイレースに参加することを奨めたので、ヨハンもそれに従った。それが2004年14歳)のことである。

2005年15歳)はthe Senior Mini European Championshipランキング2位2006年16歳)はEuropean Open Championshipランキング2位になり、イタリア選手権125ccクラスランキング12位になった。

2007年17歳)には、レースに専念するため学校を辞めると、両親に猛反対されたので出した。出したのは中で、アンティーブexitを出てアヴィニョンexitまで約250kmを6時間かけて移動した。乗ったのは50ccスクーターである。※この記述の情報こちらexitこちらexit

転がり込んだ先はローラン・フェロンで、これ以来、長い間フェロン居候することになった。

2007年17歳)には、この年から始まった、MotoGPへの登竜門サポートイベントであるレッドブル・ルーキーズカップexitチャンピオンを獲得した。8戦のうち7戦で表台を獲得し、文句なしの圧勝だった。

現在ならレッドブルルーキーカップチャンピオンドルナがあれこれ手を回してMoto3クラスのどこかのチームに入団させてもらえるのだが、その当時はドルナがそういう努をしなかった。

ヨハンドルナ支援しでチームを探さねばならなかったが、フランスバイクレース人気と知名度は低く、ロクにスポンサーを集めることができなかったので、結局、MotoGPのどのチームにも入団できなかった。

MotoGPの代わりに、スペイン選手権のチームが見つかった。ところがそのチーム戦闘力の低いKTMマシンを使っていて、戦闘力の高いアプリリアマシンを使うライバルたちには勝てそうもなかった。そこでローラン・フェロンと相談して、スペイン選手権の参戦をとりやめることにした。

こうして、2008年18歳)はどこのチームにも所属できず、全な浪人となってしまった。その窮状を救ってくれたのが、先述のように、ハンガリー125ccクラスチャンピオンガボール・タルマクシである。
 

MotoGP125ccの3年目でチャンピオン争いする

2009年からMotoGP125ccクラス(現在Moto3クラスに当たる最軽量クラス)に参戦を開始した。

2009年2010年に所属したチームWTRサンマリノというチームで、サンマリノ共和国観光庁支援するチームだった。こちらexitが決起式の画像で、カラーリングサンマリノ国旗exitとおなじ水色である。

2010年シーズンシングルフィニッシュ5回、ポイント獲得13回と、堅調かつ元気よく走ったので、アジョ・モータースポーツexitからがかかった。同チーム2008年マイク・ディメッリオ2010年マルク・マルケスチャンピオンを獲得した名門中の名門である。

アジョ・モータースポーツアキ・アジョ監督exitの眼には定評があるのだが、今回も見事な抜だった。ヨハン2011年に快進撃を続け、ニコラス・テロルexitチャンピオン争いを繰り広げたのである。この年の成績を表にすると以下のようになる。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17
カタール スペイン ポルトガル フランス スペイン イギリス オランダ イタリア ドイツ チェコ アメリカ合衆国 サンマリノ スペイン 日本 オーストラリア マレーシア スペイン
6 3 3 5 6 2 5 2 2 2 5 2 2 1 3 3 re


どうだろう、この好成績は。優勝こそ1回と少ないものの、2位の多さで大量のポイントを稼ぎ出した。そして、17戦中16戦で6位以上という安定感も素晴らしいランキング2位だったが、賞賛すべきである。

ところが、このシーズンは、3回ほど事件があったのだった。

1回の事件は、第5戦カタルーニャGPである。最終コーナーニコラス・テロルインを突いたヨハン
ニコラスを抜き去って逆転勝利を収めたかのように見えたが、最終コーナーで幅寄せを行ってニコラスをコース外に押し出したことをレース運営に咎められ、20秒のタイム加算となり6位にまで降格したexit

最終コーナーニコラスは、後続のヨハンを気にしてインを閉める窮屈なラインを通っており、直線で加速できない体勢だった。ゆえにヨハン理にインを突かず、直線の加速勝負に全てを託せば良かったと思われる。ところがヨハンは思いきってインを突いたので、幅寄せしてしまうことになった。

2回の事件は、第9戦ドイツGPである。このときエクトル・ファウベルとのマッチレースとなり、最終コーナーを立ち上がってフィニッシュラインを過ぎた時点でヨハンとエクトルがぴったり並んだexit。加速はヨハンの方が勝っていたのでヨハンもフィニッシュの直後に勝利を確信し、ガッツポーズした。ところが写真判定の結果は同着となり、競技規則に従い、レース中の最速ラップべることになった。エクトルの方が最速ラップが速かったので、またしてもヨハンは勝利を逃してしまったexit

3回の事件は、第12戦サンマリノGPである。最終ラップで、最後の勝負所である14コーナーで並びかけられたがギリギリ抜かれず、15コーナーニコラス・テロルを見事に抑えきったヨハン

最終16コーナーもしっかり立ち上がったが、このとき何を思ったか後ろを振り返ってニコラスのマシンに手を伸ばした。余計な動作をしたことでスロットルが戻り、速が落ち、チェッカーライン寸前で抜き返されてしまった。全世界MotoGP観戦者の頭の中に「?」の文字が浮かんだレースとなった。

この事件はニコニコ動画に紹介され、しかもニコニコ大百科の記事になってしまった。(なんというザルコのミス

このインタビュー記事exitによると、2011年ニコラス・テロルは良いバイクに乗っていて、何度もヨハンを一気に抜き去っていた。そのことをレース中に思い出して、本当に判断を失ってしまい(頭が真っ白になり)、ニコラスのバイクを手で止めようとしてしまった、のだという。

ライバルより劣るマシンに乗ったことで、ヨハンの精は徐々にむしばまれていったのである・・・。


結局、この年はランキング2位に終わり、軽量級チャンピオンの座はライバルニコラス・テロルにさらわれてしまった。2スト125ccクラスはこの年が最終年だったので、「125cc最後のチャンピオン」という格好いい称号を得ることはできなかった。
 

3年の雌伏を経て、Moto2クラス2連覇

2012年に、Moto2クラスに移った。

2012年日本TSRのマシンに乗り、ランキング10位でルーキーオブ・ザ・イヤー。
2013年はスッターのマシン乗り換え、2回の表台でランキング9位。
2014年はスッターのマシンのまま4回の表台でランキング6位、と着実に成績を上向かせていった。

2014年KALEXマシンランキング1~3位で、スッターのマシンランキング4~6位を占めていた。そのスッター勢の中で上から3番と、なかなか悪くない成績だった。

しかもシーズン終盤に3回の表台に立っており、これは周囲からの評価が一気に高まることになった。シーズン終盤というのは各チームマシン理解度が上がり、各ライダーの運転技術やレース勘もピークに達し、レースレベルが上がっているものである。そのシーズン終盤で好成績を残したのは素晴らしい

そこで、アジョ・モータースポーツを率いるアキ・アジョ監督exitが、ヨハンをかけ、入団させた。この抜は大成功に終わることになった。

2015年ヨハン戦闘力の高いKALEXマシンに乗り、大躍進。8回の優勝を含む14回もの表台を獲得してシーズンを圧倒。Moto2クラス世界チャンピオンを手にした。2015年のポイント変動表を見るとexit完全勝利だったことがわかる。もはや表情もすっかり変わり、格と余裕すら感じられるようになった。

2015年ドルナ制作チャンピオン紹介動画こちらexit


2016年ヨハンは敢えてMoto2クラスにとどまった。「最大排気量クラスからもいくつかがかかったが、良いオファーじゃなかった」とヨハンコメントしている。

2016年も強さをそのままに7回の優勝を含む10回の表台を記録。アレックス・リンストーマス・ルティと言ったライバルたちの挑戦を跳ね除けて2年連続のMoto2クラス世界チャンピオンとなった。これは2010年に中量級が250ccからMoto2に代わってからはじめての記録である。

2016年のポイント変動表を見るとexitシーズン前半は出遅れたしアラゴンGPを終えた時点で1ポイント差まで詰め寄られるしで、危なかった事がわかる。しかし、日本GPでライバルアレックス・リンスを一気に突き放し、そこからは見事に押し切った。

2016年ドルナ制作チャンピオン紹介動画こちらexit
 

2016年シーズン中の移籍動向 スズキにふられ、Tech3と契約する

2016年5月頃のヨハンにはスズキワークスからがかかっており、5月18日記者会見で「スズキのテストに参加する。スズキ系のチームから鈴鹿8耐に参戦することも依頼されたexit」とっていた。

ところがスズキワークスダヴィデ・ブリヴィオ監督アレックス・リンスの獲得を熱望し、スズキは6月20日にアレックスとの契約を発表したexit

ヨハンスズキにふられてしまったので、鈴鹿8耐の参戦をとりやめたexit。そしてヤマハサテライトチームであるTech3契約を結んだことを7月14日に発表したexit
 

2017年の快進撃

2017年、遂にTech3から最高峰MotoGPクラスデビュー。開幕戦カタールGPでは路面がちょい濡れのコンディションの中、いきなり先頭をブッチ切る走りを見せて観衆を驚かせたexit。結局、7周目に2コーナーで転倒リタイヤしてしまったもののexit、そのインパクトは十分であった。電子制御のレベルが低いサテライトチーム所属のルーキーが、開幕戦で6周にわたってトップ走行し続ける・・・驚愕だった。

そして、地元の第5戦フランスGPでヤマハワークスの二人のライダーヴァレンティーノ・ロッシマーヴェリック・ヴィニャーレスを相手に一歩も引かないレースを繰り広げ、マーヴェリックに続き2位に入賞exit、初の最高峰クラスでの表台を獲ったのである。パルクフェルメに入るヨハンにはザルコ・コールが送られたexit

終戦の第18戦バレンシアGPでもダニ・ペドロサ戦を展開。最終ラップの1コーナーで前に出たダニをとらえきれず僅差の2位に終わったがexit、殊勲の成績と言えよう。

2017年ヨハンの成績の凄いところは、ヤマハワークスの2人より上の成績で完走することを6回も繰り返したことである。電子制御のレベルが低く、予算が少ないので中古の部品を長く使い続けることが多く、マシン戦闘力が低いサテライトチームライダーが、18戦中6回、3分の1の確率ワークスライダー2人ををまとめて負かす・・・これはTech3にとって快挙であり、ヤマハワークスにとって恥辱の出来事だった。

ヤマハマシンを一番上手に操縦できるのは、ヨハン・ザルコじゃないか」と言われるほどであった。

2017年の成績は以下の通り。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18
カタール アルゼンチン アメリカ合衆国 スペイン フランス イタリア スペイン オランダ ドイツ チェコ オーストリア イギリス サンマリノ スペイン 日本 オーストラリア マレーシア スペイン
ヨハン Re 5 5 4 2 7 5 14 9 12 5 6 15 9 8 4 3 2
ロッシ 3 2 2 10 Re 4 8 1 5 4 7 3 Re 5 Re 2 7 5
マーヴェリック 1 1 Re 6 1 2 10 Re 4 3 6 2 4 4 9 3 9 12

 

2018年初頭の移籍動向 KTMワークスへの移籍を早期に決める

2017年ヨハン快進撃を受けて、Tech3エルヴェ・ポンシャラル監督ヤマハに対し、「ヨハン・ザルコへ最新ワークスマシンを供給してくれ」と何度も懇願したが、ヤマハに断られてしまった。この記事exitや、この記事exitっている。そのこともあり、2018年2月に、Tech3はヤマハとの提携を解消することを発表したexit

2018年1月24日マーヴェリック・ヴィニャーレスがヤマハワークスと契約を更新exit
2018年3月15日ヴァレンティーノ・ロッシがヤマハワークスとの契約を更新exit
ヨハンヤマハワークス入りの夢はあっさり潰えてしまった。

2018年5月3日ヨハンはKTMワークスと契約したことを発表したexit

実は4月頃に、レプソルホンダアルベルト・プーチ監督ヨハンに対して興味を持っていて、ヨハンとそのマネージャーローラン・フェロンに対して「会って話をしたい」と伝えていた。ヨハンローランはアルベルト・プーチ監督に対して「はい、そのうちお会いしましょう」と言ったが、そのころにはKTMワークスとの契約がまとまりつつあった。ローラン・フェロンKTMワークスとの契約をさっさとまとめてしまい、レプソルホンダの申し出を視した。

「会いましょう」と言われたのにその約束を反故にされたアルベルト・プーチ監督は、5月下旬の記事exitで、ムッとした感じで「ヨハンローラン・フェロン約束を守らなかった」とっている。

2018年6月6日レプソルホンダがホルヘ・ロレンソと契約したことを発表したexit
 

2018年 前半戦は良かったが、中盤から精彩を欠く

レプソルホンダスズキワークスへ移籍するのか、Tech3に代わる新たなヤマハサテライトチームへ移籍するのか、KTMワークスへ移籍するのか、などなど、多大な注を浴びながら2018年シーズンを迎えたヨハン

4月8日の第2戦アルゼンチンGPで僅差の2位になりexit5月6日の第4戦スペインGPで2位台、5月20日の第5戦フランスGPで予選最速タイム叩きだしてポールポジション獲得と、新しいシーズンになってもヨハンは絶好調だった。

特に第5戦フランスGPは決勝日に10万5203人の大観衆が詰めかけ、まさにスターになっていた。この観客動員数は、ル・マンブガッティサーキットフランスGPが開催されるようになった2000年以降で最も多い。フランスは決してMotoGP人気が高くないので、これだけ観客が増えるのは驚異的である。

ところが、第6戦イタリアGPから調子が少し下り坂になってしまう。MotoGPに帯同する記者たちも「ヨハンには精がない、覇気がない」と書く人が現れていた。

どうもヨハンは、KTMワークスの成績の悪さを見て、KTMワークスめに契約を結んだこと後悔したらしい。そして、KTMワークスとの契約導したローラン・フェロンとの関係も悪化したらしく、この記事exitで「第7戦カタルーニャGPから第9戦ドイツGPまで、ローラン・フェロンヨハンピットに来ていない」と報じられている。のちにローラン・フェロンとの関係は修復したが、2018年シーズン2017年シーズンほどの快進撃を見せることはできなかった。
 

2018シーズンオフ KTMへの適応に苦しむ

2018年11月バレンシアテストで初めてKTMワークスマシンにまたがったヨハンヨハンの口から出た言葉は「予想以上にKTMのマシンは悪いexit」というものだった。

ヨハンは丁寧な操縦をしてコーナリング速度を高める走り方が得意なのだが、KTMマシンはそうした走り方で速くなるマシンではない。この動画exitマシンの軌ヨハンが得意とする走り方で、オレンジ色のマシンの軌KTMマシンが得意とする軌である。

2019年3月カタールテストでもヨハンは下位に沈んでいる。
 

ライディングスタイル

技巧派で、ヤマハのマシンにぴったり合う

ブレーキを強にかけることもせずアクセルを思い切り開けまくることもせず、綺麗に上手に乗る。綺麗に神経質に走行ライントレースしていく技巧ライダーである。

ヨハンのような技巧ライダーヤマハマシンにぴったり合うので、ヤマハでの成績がよい。2017年はTech3ヤマハマシンを使うプライベートチーム)で大躍進した。
 

力を入れず、メリハリを付けず、ダラ~っと乗る

技巧のライディングを少し否定的に表現すると、「を入れず、メリハリを付けず、ダラ~っと乗る」となる。

2018年イタリアGPの予選で、G+の解説に訪れた原田哲也さんが、こうっていた。
「ヨハン・ザルコはしい加速をするわけでもない、しい乗り方をしない。ブレーキングからマシンを寝かしこむときもしい寝かせ方をしない。見ている上では『メリハリを付けていない』という感じ。ダラ~と乗っているように見える」

しかしながら、そういうダラ~っとした乗り方でヨハンは速いタイムを出しているのだから、文句の付けようがない。

この記事exitでは、「今日は少ないで速く走ることをしました」とっており、いかにも技巧と言った印を受ける。MotoGPライダーの中には、マルク・マルケスのように体を使ってしくプッシュするライダーがいるが、ヨハンはそれとは正反対である。を抜いて、スムーズに走るのがヨハン
 

ソフトタイヤを使いこなす

2017年2018年ヨハンソフトタイヤを選ぶことが話題となった。
どのレースでも決まってヨハンは柔らかいタイヤを選び、それを上手に乗りこなしている。

ソフトタイヤというのは非常に乗りやすい。旋回、切り返しといった操作を簡単に行える。
また、タイヤに熱を入れることも容易いので、序盤にペースを上げることができる。

一方で、ソフトタイヤは長持ちしにくいという欠点があり、普通ならレース後半にペースを落とす。
ところがヨハンソフトタイヤを使っていながら後半もあまりペースを落とさないのである。

ソフトタイヤを使いながらも後半のペースを落とさないためには、電子制御一杯工夫すれば良い。
2013年チェコGPでゲスト解説の山田さん(ブリヂストンの中枢の人)が「最近は電子制御が発達したのかソフトタイヤレース終盤まで機するようになった」と言っている。
ところがTech3はプライベートチームワークスチームにくらべて電子制御の人員が少なく、飛び抜けて電子制御が上手いチームではない。

電子制御チームでもソフトタイヤを最後まで機させる走りができる、これはヨハンの「タイヤを長持ちさせる技巧のライディング」が非常に優れてることの明である。
ヨハン自身も「スムーズな走りがの強みだと思う。タイヤマネージメントのためにも、スムーズに走ることが大切。しく走るよりスムーズな走りのほうがいい」とこの記事exitコメントしている。彼の理をしないアクセルワークブレーキング、これがソフトタイヤ長持ちの秘になっているのだ。

こちらの記事exitでは、ニコラ・グベールexit(最大排気量クラスタイヤを独占供給するミシュランの中枢の人。全ての最大排気量クラスチームデータを閲覧できる立場にある)がヨハンアクセルワークの繊細さ・丁寧さに驚かされたとっている。
 

バックフリップ(バク宙、バク転)

ヨハンは優勝した時に、パフォーマンスとしてコースサイドガードレールやタイヤリアの上から、バックフリップ(バク宙、バク転)を披露する。レーシングスーツは安全のためにバイクの操作以外の体の動きを大きく制限する上、レーシングスーツがだいたい6.5kg、ヘルメットがだいたい1kg、ブーツがだいたい1kg、そういった重装備を身につけての行為なので、その難易度は非常に高い。如何に彼が身体に優れているかの明であり、ファン采を呼んでいる。

一番最初にバク転を行ったのは2015年アルゼンチンGPだった。動画1exit動画2exit

Youtubeで検索するexitと多数のバク転動画ヒットする。この動画exitはなかなか鮮明で上手くまとまっているので紹介しておきたい。

2015年10月11日日本GPでMoto2チャンピオンを決めた記念に、バイクの上からバク転exit

車の上からバク転exit

2016年10月30日マレーシアGPでMoto2チャンピオンを決めた記念に、レーシングスーツヘルメットを着用した影武者と一緒にバク転。画像1exit画像2exit

実はこの影武者は、ヨハンかまたはジェロームJérôme)なのだという。この記事exitこのページexitでそう書かれている。兄弟そろってとんでもない身体をしている。


バク転について、ヨハンこの記事exitで次のようにっている。

「元・義の影でバク転を始めた。はもともと飛び跳ねることが好きで、16歳の頃は学校パルクールexitフランス軍事訓練から生まれた、走る・跳ぶ・登るといった移動行為に重点を置くスポーツ)をやっていた。ふとした思いつきで、ゲーム感覚で、バク転でお祝いをすることを始めた。」

ヨハンがいて、しかも結婚して離婚までしていることまで明らかになってしまった。
 

少年時代からのコーチ ローラン・フェロン(Laurent Fellon)

ヨハン・ザルコをるときに欠かせないのは、ローラン・フェロンexitである。

13歳の頃から現在に至るまで付き合いがある。コーチマネージャー・パトロンとして、様々な形でヨハンを支えてきた。
 

ヨハンに出会うまでの経歴

1961年8月17日フランス南部のアヴィニョンexitで生まれる。

フランス1990年代中盤まで徴兵制が存在していて、18歳以上の男子に1年の兵役が義務づけられていた。ローランも軍隊に行ったのだが、そこでなんと挺兵(paratrooper)になったとこの記事exitこの記事exitで書かれている。

挺兵というのは、落下(パラシュート)で飛行機から降下して敵地に降り立ち、敵軍をかき回す役割を果たす兵のことである。どこのの軍隊でも挺部隊は最精鋭部隊とされ、知・体・精が特に秀でているものが選抜されて挺部隊になる。日本自衛隊では、第1空挺団が有名である。

ローラン・フェロンというと意志を曲げないといった印があるが、元・挺兵と言われるとその意志の強さも納得してしまう。

兵役を終えたローランはバイク大好き青年に戻り、自分で整備したバイクレースに出場した。ホンダ50ccマシンワンメイクレースや、ホンダ125ccマシンワンメイクレースや、ヤマハ350ccマシンワンメイクレースに出た。これらのレースは参加者が多く、ローランはバイクレースを学ぶことができた。

1983年22歳)にお金が尽きたのでレースを辞め、以降はメカニックとして働くことになる。

1980年代フランス内選手権で走っていたマックス・シャバルMax Chabal)のメカニックだった。

19911992年頃にはMotoGPのどこかのチームメカニックだった。このときは速くて勢いのある日本人ライダーが次々登場してきて、ローランに強い印を与えた。

1990年代の終わり頃には、ライダー育成の仕事を始めた。

2003年にヨハン・ザルコと出会い、それから現在までヨハンへのコーチを続けている。
 

ブルース・ルルフォと出会う

1996年頃には、ブルース・ルルフォ(Bruce Rulfo)exitという人に出会っている。

この人はスポーツで、柔道帯・スノークート(上を滑走する自転車状のそりで走る競技。こういう風に滑るexit)の世界チャンピオン5回獲得という人である。

1971年8月14日生まれで、25歳になった1996年頃、ポケバイで走り始めた。そのときにローラン・フェロンと出会って一緒にレースして、ローランから「ポケバイを辞めて、もっと本格的なバイクレースをしろ」と奨められた。ブルースルルフォはそれに従い、2000年フランス600ccチャンピオンになり、FIM世界耐久選手権3位を獲得し、フランス1000チャンピオンに2回いている。

ちなみにブルースルルフォは、2004年、当時14歳だったヨハン・ザルコと会っている。
ローラン・フェロンブルースルルフォへ「君の若い頃に似た凄い子供がいるぞ!」と紹介した。

ブルースルルフォは、ヨハン・ザルコをスキー場へ連れて行き、スノークートを教えた。
ヨハンはとても運動神経がよく、すぐにブルースルルフォを追い越し始めるようになったという。

こちらのブログ記事exitに、14歳のころのヨハン・ザルコがスノークートをしている画像が多く掲載されている。
 

家出してきたヨハン・ザルコを迎え入れ、ヨハンの師匠となる

ヨハン・ザルコは2007年17歳の時に学校を辞めて出して、アヴィニョンexitまでやってきてローラン・フェロンに転がり込んだ。

それから長いことローラン・フェロン居候し続けている。最初の5~6年は、フェロン邸の居間のソファで寝ていたとこの記事exitが報じている。2015年のインタビューexitでも「ローランのに住んでいる」とっている。

それまでもローランの導は熱心だったが、ヨハン居候し始めてから2人の関係はより一層緊密になった。「ローランはコーチバイクの操縦を教える人)であり、マネージャーヨハンに関する契約交渉の代理人)であり、メンターである」と、しばしば英語記事で表現される。

メンター(Mentor)とは、良き導者とか、頼りになる助言者とか、師匠などと訳されることが多い。精的な支柱といった感じの言葉である。

ヨハンヘルメットの後頭部には、こんな感じexitに、ローランとヨハンが肩を組んでいる写真を貼ることがあった。二人三脚MotoGPを戦い抜いてきたことを示している。

ヨハンがパルクフェルメに帰ってきたときは、詰めかけてヨハンを祝福する。画像1exit画像2exit画像3exit
 

MotoGPのパドックで変わり者のマネージャーとして有名になる

ヨハン・ザルコのマネージャーとしてMotoGPパドックの有名人だったローラン・フェロン

ローランは結構頑固な人で、この記事exitに書かれているエピソードでもそのことがよくわかる。
「ある年、ヨハン・ザルコはMoto2クラスの某チーム契約をした。ところがローラン・フェロンは、そのチームについて気に入らないところがあったので、ヨハンが結んだ契約を取り消してしまった」

また、ローラン・フェロン英語を話せないことでも有名だった。フランス語イタリア語スペイン語なら話せるが、英語を話せない。MotoGPパドックでの公用語英語なので、英語を話せない人がマネージャーになって契約交渉をするのは本当にしかった。普通神経の持ちなら、「英語が話せないから、身を引こうかな・・・」と考えるのだが、ローラン・フェロン神経が図太いので、英語を話せないままマネージャー仕事気でやっていた。

また、ヴァレンティーノ・ロッシ批判をするという点でも周囲から驚きので見られていた。ご存じのように、現在MotoGPはロッシの人気依存していると言ってよいので、ロッシを批判する人は本当に少ない。

2018年5月5日に、ローラン・フェロンが「ロッシが権力を使って、ヨハン・ザルコのヤマハワークス入りを阻止したんだexit」とコメント

それに対してロッシは「僕にはセカンドライダーを選ぶ権力などないexit」と否定するコメントを出した。

ローラン・フェロンが正しいかどうかはともかくとして、ロッシ批判をやってのけるローラン・フェロン神経の図太さには恐れ入るしかない。
 

ヨハンにマネージャー職を解任され、ただのコーチになる

経歴の項でも述べたとおり、2018年シーズン中盤からヨハン・ザルコはKTMワークス契約したことを後悔し始め、KTMワークスとの契約導したローラン・フェロンを解任しようと考えるようになった。

そのためか、第7戦カタルーニャGPから第9戦ドイツGPまで、ローラン・フェロンヨハンピットに姿を現さなくなった。このため、ヨーロッパメディアはそろって「マネージャー職を解任されたローラン・フェロンが、ヨハン・ザルコを裁判で訴えるかも知れない」と書いていた。

チーム内のゴタゴタを書き立てることが大好きなSPEEDWEEKは、長文の記事をせっせとアップロードしていた。記事1exit記事2exit

結局、裁判沙汰にはならず、「ローラン・フェロンマネージャーではなくなったが、コーチとしての仕事は続けてもらっている」とヨハンが8月上旬にコメントしたexit。また、同時にTwitterで「ローラン・フェロンに協力してもらってトレーニングしているexit」と書き込んでいる。

2018年11月18日バレンシアGPには、ローラン・フェロンが再びヨハンピットにやってきていた。
 

ローラン・フェロンの家族

様はハンガリー人で、アンドレアという人である。こちらの画像exitに写っている。

息子はロレンソという。2004年7月15日生まれで、奇遇にもヨハン誕生日が一日違い。

レンソ・フェロンは案の定というかやはりというか、バイク大好き少年に育っており、2019年レッドブルルーキーカップに出場する。このページexitで紹介されている。ゼッケンはやっぱり5番。

ヨハンSNSにもしばしば登場する。画像1exit画像2exit  喋っている動画もある。動画1exit
 

レーシングスクール Z&F GRAND PRIX

フランスにおいて、バイクレース人気がない。
Moto2を2連覇したのに、何も生活が変わらなかった」とヨハンこの記事exit愚痴っている。

ローラン・フェロンヨハンフランスバイク人気の低さに危機感を抱いていて、後進の育成に熱心である。

Z&F GRAND PRIXexit」というレーシングスクールを共同で開設し、少年ライダー導している。
Z&Fとはもちろん、ザルコとフェロン、という意味。
2013年の頃に始めたらしい。毎週水曜日に10名のライダー(7歳から12歳)を導するという。

いくつか動画があり、熱心な導である。世界トップクラスの現役ライダーが定期的にやってくる、これは子どもたちにとって嬉しいだろう。 動画1exit動画2exit動画3exit画像1exit画像2exit画像3exit


この動画は、投稿者コメントフランス語翻訳されており、必見。




このレーシングスクールヤマハフランス支援を受けていて、使われるマシンヤマハのPW50exitである。PW50Peewee(ピーウィー)とも言い、5歳程度の子供向けの小さなバイクマルク・マルケスジャック・ミラーカル・クラッチローといった多くのMotoGPライダーがPW50で育ってきた。

ヨハン・ザルコは2019年からKTMワークスの一員となるので、2019年以降は、このレーシングスクール広告に出るのが難しくなった。
 

ジャン=ジャック・ラクロワ(Jean-Jacques Lacroix)

MotoGPの予選や決勝において、3着以内に入ったり、あるいは独立チームメーカー支援を受けないサテライトチーム)の中の最上位になったりすると、パルクフェルメに戻る権利を得る。

ヨハンは速いライダーなので、予選や決勝のあと、パルクフェルメに戻ってくることが多い。

そのとき、を着た年配の人がヨハンを出迎える姿がたびたび見られる。わりと人相が良く、温厚そうな印を受ける。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit画像5exit



この人はヘルメットメーカーSHARK技術者で、ジャン=ジャック・ラクロワ(Jean-Jacques Lacroix)exitという人である。SHARKの企業色は青と赤なのでexit、ラクロワさんもシャツを着ている。SHARKの所属ライダーシャツを着てイベントに出る姿はしばしば見られる。画像1exit画像2exit

クロワさんはヨハンヘルメットの洗浄、燥、調整、汗止め処理、修理を行い、細やかな支援をしている。この記事exitこの記事exitで、MotoGPに帯同するようになって20年の大ベテランだと紹介されている。

2016年からはホルヘ・ロレンソがSHARK契約したので、ホルヘのヘルメット清掃・修理も担当している。この記事exitっている。

こちらの動画exitでは、ラクロワさんが喋っている。この画像exitは作業中の様子を映している。

ちなみに、ラクロワ(Lacroix)とは、十字架という意味。英語にするとthe crossとなる。
 

お財布ライダー

2009年から2011年までの125ccクラス時代はチームから給与をもらったことがなく、それどころかチームお金を払っていた。2012年Moto2クラスへ昇格して、そこで初めてチームから給与をもらった。

自分でスポンサーを見つけてチームをもたらし、自分もスポンサーからわずかなを恵んでもらう、こういうのを「お財布ライダー」とか「支払いライダーpay rider)」という。
ヨハンの場合はさらにひどく、コーチローラン・フェロンが私財を売ってを用意していた。
一方でスペインライダーはやすやすとスポンサーが付き、Moto3チームからも給与が出ていた。

・・・ということを、2014年8月のこのインタビューexitっている。

2015年2016年は有チームアジョ・モータースポーツに移籍したが、この2年間は給だったらしい。この記事exitで書かれている。

2017年2018年はTech3に所属した。このチームは給料を(ワークスチームべて少ないながらも)ちゃんとライダーに払う事で有名である。おそらく、ヨハンも給料を貰ったと思われる。

2009年から2018年までの10年間で、給料を貰ったのが5年だけ、と見てよい。

2019年からヨハンKTMワークスに所属している。ワークスチームは給料が良いので、これでやっとヨハンローラン・フェロンに恩返しができる。
 

音楽

レース直前に音楽を聴いて精統一するライダーは多いが、ヨハンはあまりそういうことをしない。たまにレース直前に聴くこともあるが、熱心に聴くことはない。

とはいえ、音楽は好きな方で、レースを離れた日常生活においていろんな音楽を幅広く聴く。
聴くだけではなく、ピアノギター演奏する。

2018年4月このインタビューexitでは、「4年以上前からYoutubeで独学を重ね、ピアノを弾けるようになってきた。ピアノ教室に行ったことはない。最近はギターを弾くようになった」と答えている。

2018年10月この記事exitでは、「あくまでピアノ趣味で、実家で14、5歳の時に始めた。を出てからはあまりしてなかったけど4、5年前から再開した。TVがなかったからピアノを弾いていたんだ。友達と集まった時にピアノ演奏したりするよ。歌はあまり上手くないからね」と答えている。

ヨハンピアノを弾く動画は多い。動画1exit動画2exit動画3exit動画4exit
 

家族と彼女

ヨハンはあまり家族についてらないので、両親のことなどはよく分かっていない。

(もしくは)がいることは分かっている。

また、2016年マレーシアGPでバックフリップを一緒に敢行したジェローム(Jérôme)は、かもしくはなのだが、この記事exitで「カイロプラクティックをしている」「2018年スペインGPでヨハンのところにやってきていて、話し相手になっていた」と報じられている。

カイロプラクティックとは、整体院などで行われる施術で、格(とくに脊椎)の歪みを矯正して、体の痛みを自然治癒させる技術のことである。整体院でカイロプラクティックをやってもらうと「バキバキッ」との音がするので楽しい。

Jérôme Zarco chiropractor」とGoogle検索してみると、なんだかそれっぽい人が出てきた。
このページの人exitが、ヨハンであると思われる。勤め先がアンティーブで、これはヨハン実家があるである。

このFacebookのページexitでは、2014年9月3日に勤め始めたと書いてある。



ヨーロッパ記者たちから「地味だ」「銀行事務員みたいだ」と言われているヨハンだが、この記事exitチェコモデル彼女がいると報じられている。2018年のこの記事exitでは、「付き合い始めて3年」と書いてある。

ヨハンのInstagramのこの画像exitの>をクリックすると、彼女の姿が出てくる。ヴェロニカ・シエロヴァ(Veronika Thielovaというらしく、Instagramのアカウントがあるexit

画像検索するとexit2014年ケータハム時代に知り合ったらしい事が分かる。
 

アヴィニョンへの愛着

ヨハンにとってはアヴィニョンでバイクの腕を磨いた記憶が強いらしく、この記事exitでも「カンヌ生まれですが、アヴィニョン出身と言うことにしています」「スポンサーになってくれた企業はアヴィニョンの企業ばかりでした」とっている。実際、アヴィニョンでのモータースポーツ熱はなかなか盛んであるらしい。

2007年から、少なくとも2015年までは、アヴィニョンにあるローラン・フェロンに住んでいた。

2018年12月の記事exitでは、「ローランのから離れたところに住んでいる。25分で行き来できる程度の距離」と報じられている。

先述のレーシングスクールZ&F GRAND PRIX SCHOOL』は、このゴーカート乗り場exit練習を行っている。アヴィニョン地から西に87km離れた山の中にある。
 

その他の雑記

あまり手好みではなく、TwitterInstagramはつい最近の2016年12月に開設したばかりである。また、サングラスメーカーとの契約2018年になって初めて行った。2017年までは一切サングラスを付けていなかった。

携帯電話を持っていない、とライディンスポーツ2017年7月号にて報じられているが、2019年2月アップロードされたこの記事exitで、「携帯アプリで好きなのはWhatsapp」と答えている。

MotoGPライダーは、自分とライバルになる同排気量クラスライダーには冷たく、自分のライバルにはならない他排気量クラスライダーには優しい」とよく言われるが、ヨハンはまさにその典である。2017年シーズン振り返りG+座談会で、中上貴晶が以下のようにっていた。「ヨハン・ザルコとは2016年までほとんど口をきかない間柄だったが、2017年になってお互いの参戦クラスが別になった途端、ヨハンの方から急に親しく話しかけてくるようになった。空港で話しかけられたり、パドックで遠いところからわざわざやってきて『調子どう?』と話しかけられたりした。ヨハンは『日本大好き』とも言っていた。2017年になって急に話す機会が増えた」

いまどきのMotoGPライダーらしく、オフロード車を使ってダートトラックでトレーニングするexit

マリンスポーツを楽しむヨハンexit。腕が太い。

アルベルト・プーチからの導はあまり受けていない。ヨハンが若い頃はダニ・ペドロサの成長期で、プーチはペドロサにかかりっきりだったからである。

パスタが好みの食べ物。

好きな映画ボヘミアン・ラプソディーexitキャッチ・ミー・イフ・ユー・キャンexitライフ・イズ・ビューティフルexit

一部のファンからは「Zarco Fighter」と呼ばれている、とこの記事exitで書かれている。

左利きである。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit


ライダーの中にはジンクスを大事にする人が多く、マシンへのまたがり方を細かく決めたりする。
ところがヨハンはそういうジンクスをあまり持たないらしい。

とはいえ、癖になっている動作は1つあり、それはヤンキー座りexitである。ピットの中の椅子掛けている状態からマシンへ向かうとき、ヤンキー座りをして、それからマシンに歩いていく。動画1exit動画2exit
ヨハンヤンキー座り画像は趣深い。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit
スターティンググリッドにてマシンの隣でもヤンキー座りする。画像1exit

藤原らんかの絵はこちらexitこちらexit

ピットの中には守りのようなフィギュアが飾られている。画像1exit画像2exit画像3exit画像4exit

サインボードには旭日旗が描かれている。画像1exit画像2exit画像3exit

フランス語英語イタリア語スペイン語の4カ国語を話すことができる。英語MotoGP公用語なので必修である。2004年頃はイタリアのポケバイレースに参加していたので、そのときイタリア語を覚えた。2017年日本GPのとき、原田哲也さんがヨハンに話しかけたそうだが、そのときイタリア語で会話したという。イタリア語スペイン語は酷似した言なので、片方憶えればもう片方も喋れるようになる。


Johannという文字を見るとフランス人は大抵が「ジョハン」と発音する。フランス人がジョハンザルと発音している動画は多く見かける。動画1exit動画2exit動画3exit

MotoGP公式実況ヨハン・ザルコと発音している。動画1exit動画2exit動画3exit Johannというのはドイツの名前なので、ドイツヨハンと読むのは一応正しい。
 

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ヨハン・ザルコ

1 ななしのよっしん
2017/12/29(金) 09:16:17 ID: wzvQfgPfrO
サンマリノGPのガス欠は忘れられない

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2019/08/22(木)11時更新