ライスシャワーとは、
- ウェディング用語で、新郎新婦に、ゲストがライス(お米)を降り注ぐセレモニーのこと。「子宝に恵まれるように」「食べるものに困らないように」という、夫婦への祝福の意味がある。 [1] [2]
- 新郎新婦に対して、ゲストが炊きたてのライス(お米)を投げつけるセレモニーのこと。とても熱い。 [3]
- 日本の競走馬。
- 3を元にしたウマ娘 プリティーダービーのキャラクター → ライスシャワー(ウマ娘)
- ブルボンヌ雪村の初音ミクオリジナル曲。
- 極端な量のコメント(コメ)の嵐のこと。
93年、天皇賞(春)。
極限まで削ぎ落した体に、鬼が宿る。
王者メジロマックイーンの三連覇を阻んだ、漆黒のステイヤー。その馬の名は...
ライスシャワーとは1989年生まれの競走馬。「関東の黒い刺客」「高速ステイヤー」「レコードブレーカー」と呼ばれた名馬である。主戦騎手は的場均騎手。
主な勝ち鞍
1992年:菊花賞(GI)
1993年:天皇賞(春)(GI)、日経賞(GII)
1995年:天皇賞(春)(GI)
![]() |
この記事では実在の競走馬について記述しています。 この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては 「ライスシャワー(ウマ娘)」を参照してください。 |
概要
父リアルシャダイ母ライラックポイント母父マルゼンスキーという血統。リアルシャダイはナリタブライアンの父ブライアンズタイムと同じRobertoの血を引いており、中長距離で良く走る馬を出した種牡馬である。
生まれた時から「小さいが良い馬だ」という評判であり、馬産地ではダービー候補として名が上がっていた程だったという。実際、2歳(現在の馬齢表記、ライスシャワーの現役当時は3歳)の7月という早い時期にデビューを迎えると新潟1200mの新馬戦をあっさり勝ち上がり。さらに3戦目で中山の1600mのオープンも勝って2勝目、日本ダービーの出走権もかなり現実的になる賞金をこの時点で稼いでしまう。後のライスシャワーのキャリアからするとこんな短い距離で早くに勝利を重ねたのは意外にも見えるが、2歳戦ならこのくらいの距離でも勝てるくらい能力の高い馬だったのだ。しかしながら体質が弱く、骨折などもありここから順調さを欠く。皐月賞は8着で、トライアルもさっぱり。2歳時に稼いだ賞金のおかげでダービーにはすべりこみで出られたものの、16番人気だった。
ところがライスシャワーは激走し、桁違いに強かったミホノブルボンにこそちぎられたものの、マヤノペトリュースを差し返す根性を見せて2着に突っ込んだ。馬番連勝は3万馬券という大波乱だった。もっとも、馬産地ではこの激走はそれほど驚かれなかったらしい。なんでも「ライスシャワーがダービーに出れたら買い」は常識だったらしく、ミホノブルボンとの馬連馬券を1000円ずつボーナス代わりに配った牧場もあったとか。
秋、セントライト記念(GII)と京都新聞杯(GII)を2着したライスシャワーは、絶好調のまま菊花賞に望む。
このレースは皐月賞、ダービーを圧倒的な強さで逃げ切ったミホノブルボンが無敗で三冠を達成するかどうかが焦点だった。ライスシャワーは2番人気。正直、淀を埋め尽くしたお客さんの大半はブルボンの三冠達成の瞬間を見に来ていた筈だ。
ところが、3~4コーナ途中で先頭に立ったミホノブルボンを直線ねじ伏せてライスシャワーが勝利。ダービー2着の雪辱を晴らしたのだったが、観衆からは「あ~」という溜息が漏れ「よけいなことすんな!」という罵声も上がる始末。この時からライスシャワーにはヒール役が定着する。(このレースではその裏で更に吊し上げられたキョウエイボーガンも出走していた。詳細は別記事にて)
翌年、ライスシャワーは天皇賞(春)への挑戦を決める。そこには天皇賞(春)を二連覇中。骨折休養明けながら産経大阪杯(GII)を5馬身差のレコードで楽勝していたメジロマックイーンが出走を予定していた。
はっきり言って、メジロマックイーンは物凄く強い。ライスシャワー陣営は生半可な事ではマックイーンを負かせない事をよく理解していた。マックイーンを負かすため、ライスシャワー陣営はライスシャワーを徹底して鍛える事を決意する。その調教は壮絶なもので、様子を見た他の調教師からは「レースの前に馬が潰れるぞ!」とさえ忠告されたという。出走時、ライスシャワーは前走から12kg減の馬体だった。それは正に試合前のボクサーを思わせる究極の仕上がりで「もはや馬には見えなかった」と的場均騎手が述懐したほどだった。
レースは愛すべきバカメジロパーマーを先頭に、その直後にマックイーンが陣取るメジロ勢のペースで進んだ。ライスシャワーと的場騎手はこのマックイーンを徹底してマーク。背後に影の様に忍び寄った。直線入り口でメジロパーマーを交わし堂々と先頭に立つメジロマックイーン。そこへ外から黒い馬体が襲い掛かり、メジロ勢の2頭を一気に抜き去った。ライスシャワーである。身体を撓わせるような凄まじいフォームでライスシャワーは一着でゴール。メジロマックイーンの春天三連覇の夢を打ち砕いたのだった。ゴールの瞬間、的場騎手はガッツポーズなどせず、左手でそっと愛馬の首を撫でた。
君の場所、君の瞬間
自分の強みを
もっともいかせるのは
ここだと信じられる
舞台に立った君よ倒すべき相手は誰か
しっかりと見さだめて
勝つためのアイディアを
心に描いた君よその場所で咲け
その一瞬に賭けろ
これで現役最強馬の座は確定か?と思わせたのもつかの間、ライスシャワーは勝てなくなってしまう。9戦中2着が1回あるだけという惨憺たる有様で、ファンからは「ブルボンの三冠を阻んだのにだらしない」「こんなことならマックイーンに勝たせてやればよかったのに」「ナイスネイチャの指定席を盗るんじゃねぇ(有馬で3着した時)!」などと罵られた。連覇のかかった天皇賞(春)を目前に重度の骨折を負う不幸もあり、正直ライスシャワーは終わった馬扱いされるようになっていた。
6歳になり、ライスシャワーは天皇賞(春)に2年ぶりに出走した。前年の三冠馬ナリタブライアン、後の年度代表馬サクラローレルといった有力馬が相次いで故障で戦線離脱したのだが、負け続けたせいでレコードホルダーの看板も色あせてしまったのか、4番人気であった。しかし、レースでは3コーナーの下り坂でスパート。一気に先頭に立って逃げ込みを図った。おお!勝ったか!と思ったところで脚が止まり、外からステージチャンプが並びかけたところがゴールだった。思わずステージチャンプ鞍上の蛯名正義騎手がガッツポーズし、勢いでライスシャワー勝利の実況をした杉本清氏が直後に青ざめたほどのタイミングだったが、実は鼻差でライスシャワーが凌いでたのだった。蛯名さん大丈夫です。ウイニングランしてないからセーフです。
この勝利で、ライスシャワーへの評価は一変した。負け続けても諦めずに走り続け、遂に復活した小さな根性馬という評価になったのである。
このため、続く宝塚記念ではファン投票数1位になり、天皇賞の激走の反動から疲労が回復せず出走を躊躇していた陣営も、結局出走させることにした。この年は阪神競馬場が阪神大震災のために使えず、宝塚記念がライスシャワー得意の京都競馬場で行われる事になっていたということもある。
そして運命の宝塚記念。3コーナーでライスシャワーは崩れ落ちた。映像でも分かるほど左前足が折れていた。もう、助からない。誰の目にもそれは明らかで、誰もが胸を引き裂かれるような思いを抱いた。馬体を動かすことすらできなくなったライスシャワーにはその場で安楽死処分が取られた。ライスシャワーの遺体を運ぶ馬運車に向けて最敬礼をする的場騎手の姿は涙無しでは見られない。
ミホノブルボンを破った菊花賞とメジロマックイーンを破った天皇賞(春)は共にレコード勝ちで、無尽蔵のスタミナと息の長い末脚が持ち味の高速ステイヤーだった。反面、どうしようもなくダッシュ力が無く、とにかく長距離を走らないと真価が発揮できない不器用な馬でもあった。この頃から競馬体系が短距離重視に切り替えられつつあったのがライスシャワー最大の不幸であったろう。度重なる故障で順調さを欠いた事も痛かった。
ライスシャワーの事故、いわゆる「淀の悲劇」は衝撃的だったために、ライスシャワーと言えばあの事故、と言われるようになってしまったのは残念な事である。はっきり言って、競馬場で馬が予後不良になることは珍しい事ではない。悲しいが、競馬とはそういう過酷な場所なのであり、ライスシャワーのあの事故「だけ」を取り上げて悲劇にしたり美談にしたりするのはナンセンスである。さらに言えば、その陰でレコード勝ちを納め後に引退となったダンツシアトルの力走も忘れてあげないでほしい。
我々はすでに知っている。ライスシャワーがいかにして生まれ、いかにして戦い、いかにして生きたのかを。それだけで十分ではあるまいか。これ以上、何を求めるものがあるだろうか。
彼らは自分の意志によって生きた。自分で戦う道を歩んだ。悲劇はその選択肢の中で、必然的に起こりうるべき結末だった。それを哀れみの念によって断ずることは、彼らの生き様そのものを否定することになる。
しかし、菊花賞と天皇賞(春)を二つともレコード勝ちするような高速ステイヤーは滅多に出てこない。ましてや絶対と言われたライバルを堂々打ち負かすような馬は。
京都を駆け抜けた黒い刺客。憎たらしいほど空気が読めなかったレコードブレーカー。ライスシャワーを思い起こす時はまずその勇姿を思い起こして欲しいものである。
「疾走の馬、青嶺の魂となり」。京都競馬場にあるライスシャワーの記念碑にはそう刻まれている。
勝ち取った3つの勲章は、淀の坂越え、過酷な長距離が舞台だった。
野望を咲かせた菊花賞、自信に満ちた5歳春の天皇賞。
黒鹿毛の四肢は、いずれもレコードタイムで駆け抜けてみせた。
そして7歳春の盾。執念の力走に、神々しいまでの輝きが蘇る。
静なる漂いに秘めた熱き想い、以心伝心なる的場との呼吸。
どんなに時が流れても、孤高のステイヤーの称号は君のものだ。
そして2021年
京都競馬場が行ったアイドルホースオーディション、その結果は以下の通りとなった。
ツイートを読み込み中です
https://twitter.com/KyotoKeibaJo/status/1428627913159503874
当時の現役馬4頭(カレンブーケドール・キセキ・メロディーレーン・ヨシオ)に混ざって、引退馬の中で唯一、没後26年を経過したライスシャワーが上位5頭に入り、アイドルホースのぬいぐるみが出ることになったのである。京都競馬場で活躍した名馬数多あれど、それらを退けてのこの結果が、「淀といえばライスシャワー」というファンの思いを象徴しているといえよう。
血統表
*リアルシャダイ 1979 黒鹿毛 |
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | |||
Bramalea | Nashua | ||
Rarelea | |||
Desert Vixen 1975 黒鹿毛 |
In Reality | Intentionally | |
My Dear Girl | |||
Desert Trial | Moslem Chief | ||
Scotch Verdict | |||
ライラックポイント 1979 栗毛 FNo.1-c |
マルゼンスキー 1974 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer |
Flaming Page | |||
*シル | Buckpasser | ||
Quill | |||
クリカツラ 1962 黒鹿毛 |
*ティエポロ | Blue Peter | |
Trevisana | |||
クリノホシ | *プリメロ | ||
オホヒカリ | |||
競走馬の4代血統表 |
関連動画
関連商品
関連項目
外部リンク
JRA賞特別賞 | |
優駿賞時代 | 1973 ハイセイコー(大衆賞) | 1978 テンポイント(マスコミ賞) | 1982 モンテプリンス(ドリーム賞) | 1983 アンバーシャダイ |
---|---|
JRA賞時代 | 1989 オグリキャップ | 1993 トウカイテイオー | 1995 ライスシャワー | 1998 サイレンススズカ | 1999 グラスワンダー、スペシャルウィーク | 2001 ステイゴールド | 2004 コスモバルク(特別敢闘賞) | 2007 ウオッカ、メイショウサムソン | 2009 カンパニー | 2016 モーリス | 2020 クロノジェネシス |
競馬テンプレート |
脚注
- *ライスシャワー | ウェデイング用語 | ゼクシィnet
- *結婚式の演出ライスシャワーの意味や起源は?方法や作り方は? | farny (ファーニー) by プラコレ
- *久米田康治『行け!!南国アイスホッケー部』
- 28
- 0pt