ラインハルト・ハイドリヒ単語

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ラインハルトハイドリヒ
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ラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Tristan Eugen Heydrich)とは、

  1. ドイツナチス衛隊大将らび官僚のこと(1904-1942)国家安部の初代長官。ナチスにおける秘密警察網を作り上げ、不穏分子の摘発粛清、ならびホロコーストの推進者として周囲からは「金髪野獣」と呼ばれた。しかし、調子こいていたのがわざわいして、赴任先のチェコで暗殺された。2のモデル
  2. LightPCゲームDies iraeシリーズの登場人物。ニコニコ的にはこちらのほうが有名。詳しくはラインハルト・ハイドリヒ(Dies irae)参照のこと。

 この項では1について解説する。

概要

 1904年ドイツザクセン州ハレで誕生。父親音楽学校を経営する音楽家母親は宮廷に出入りしていた音楽教授という音楽一家に生まれる。フルネームラインハルトトリスタン・オイゲンハイドリヒ。ラインハルトというと何処ぞの銀河を征していそうな雰囲気があるが、父親自作したオペラ主人公からとったもので、ミドルの「トリスタン」はもはや説明不用。ちなみに名前は「ハインツ・ジークフリート」という。田中先生にちょっと聞いてみたい。
 貴族の出という訳ではないものの、名士というの生まれであり、父親教育を受けてバイオリンの名手になったという。このまま行けば父親の後を継いで音楽家になったかも知れないが、第一次世界大戦が勃発して、厨二病民族義に染まり始めたころから変わっていく。いや、本性が出始めたというべきか。

 義務教育が終了すると海軍に入隊。いくつかの艦隊勤務を経て、士官学校入学卒業した後に艦隊勤務という日々を送る。この頃に結婚。多国語に堪で周囲からは有能な軍人と見られていたが、同僚とは打ち解けられなかったという。順満帆に見えた海軍ライフであったが、中佐待遇の軍属のとの交際のもつれで軍法会議にかけられ、不名誉除隊の憂きにあってしまう。こうして闇に沈む人生を送るかに見えたが、次の出会いが全てを、そして数の人々を死へ送り込むこととなる。

 ヒトラーの側近で、大概の作品では諸悪の根源とされるハインリヒ・ヒムラーとの出会いである。

 ヒムラーは衛隊内部に情報機関を持たせたいと考えていて、その部門を任せられる人材を捜していた。ヒムラーとハインリヒの出会いは半ば偶然のようなものであったが、その才金髪碧眼という理想のアーリア人を体現したようなハインリヒの容姿にヒムラーは満足して即決で採用。こうして、ハインリヒの愉快な衛隊ライフが幕を開けることとなる。そして、これが国家保安本部の始まりだった。
 当初はIC課といっていたこの組織は狭い事務所に部下は3人、秘書は妻という小規模な体制でのスタートだったが、ヤクを得たジャンキーのごとく政府や軍の要人の情報収集に頭。努甲斐あって、IC課は勢を拡大していき、SD(衛隊情報部)となる。そして、様々な謀略活動を行いヒムラーとの二人三脚警察握、気がつけばSDはゲシュタポといった組織を飲み込んで、国家安部という一大組織となり、ハインリヒはその頂点に君臨していた。

 1941年9月23日ハインリヒはベーメン・レーメン保護領(チェコ)の副総督についた。ベーメンドイツ軍戦車や重機関銃を大量生産する軍需地帯であったが、ストライキが勃発して生産効率が落ちていたため業を煮やしたヒトラーハインリヒを派遣したものである。ここでもハインリヒは辣腕を発揮、反乱分子は1000人単位で逮捕&処刑を繰り返す一方で、となる労働者階級に対しては給与を上げ、雇用保険を創出するなどを使い分けることによって、ベーメン治安も落ち着いてきた。しかし、護衛もつけずにメルセデス・ベンツオープンカーチェコ内を走り回っていたことが命取りとなる。というより、それは殺ってくれていっているようなものである。

 結局、1942年5月27日イギリス軍の援助を受けた亡命チェコスロバキア政府の刺客の襲撃を受け、6月4日に落命。38歳

主な陰謀

 ハイドリヒが行った陰謀には以下のものがある。

創作での扱い

 いうちに退場したハイドリヒであったが、ナチスの様々な悪行に関わった人物であることから、仮想戦記では襲撃事件を乗り切って、大活躍するケースが多い。たとえば、「超弩級空母大和」ではラスボスになっている。「Dies irae」に至ってはいわずもがなといったところだろう。

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6 ななしのよっしん
2021/01/14(木) 19:49:50 ID: xJDzo/LwJd
こいつがイケメン扱いされてるのがマジ
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削除しました ID: ZNPVVIagfO
削除しました
8 ななしのよっしん
2021/03/27(土) 22:57:22 ID: IJX7KVCzAO
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9 ななしのよっしん
2021/03/27(土) 23:03:03 ID: 8t8rKpdgzn
そう考えるとアイヒマンもわりかしSS(特にSDとかRSHAとか)に染まってるよなあ
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10 ななしのよっしん
2021/03/28(日) 13:48:00 ID: IJX7KVCzAO
アイヒマン自身は「私は当時、命に忠実に従い、それを忠実に実行することに、何というべきか、精的な満足感を見出していたのです。命された内容はなんであれ、です。」と逮捕後に言してるからな。その行動原理がハイドリヒがめていた人材に合致したんだろうね。
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11 ななしのよっしん
2021/06/13(日) 15:56:11 ID: 5lo/YgwG00
美大落ちならぬ音大落ち(時代背景的にしょうがないけど)
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12 ななしのよっしん
2022/12/21(水) 02:52:29 ID: mHfrmxCGpm
スイ定期
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13 ななしのよっしん
2024/01/03(水) 18:41:34 ID: OLTF4KzkNx
 >>5
 『1944年7月20日ワルキューレ作戦実行日)ハイドリヒが生きて居たら、先ず間違いく其れに加担して居ただろう』とか言われたりもするからなぁ…。
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14 ななしのよっしん
2024/01/03(水) 19:08:04 ID: m0WVj7FjI3
>>13
まああんまり隠してなかったせいで暗殺後総統はじめ党やSSのお歴々から「あいつ死んだん?ウケるwww外地で護衛なしのオープンカー乗って襲撃されたとかマジバカじゃね?」みたいなリアクションなのがまた
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15 ななしのよっしん
2024/01/07(日) 18:58:46 ID: OLTF4KzkNx
 >>3
 しかも何の偶然か、2人とも秘密警察関係者かつ地方行政トップ経験者と言う…。強いて違いを挙げるとすれば民族国家的イデオロギーと言う違いがある事、プーチンには軍歴がソ連崩壊秘密警察一筋であった事、国家の最高導者になれたか否かと言う事しかい(ちゃんと探せば色々あるだろうが)ってのがね…。
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