ラジカセとは、「ラジオカセットレコーダー」の略称である。
「何それ」って言った奴は親に聞け!親が知らなかったら祖父母に聞け!
概要
カセットテープを再生するテープレコーダー(テレコ)にラジオチューナーが合体した機器。取っ手が付いていて持ち運ぶことができ、電池で動くためどこでも使うことができる。ラジオとカセットが一体化することにより、複数の機械を持たなくても良いということで発売当時は画期的な製品であった。
現在では、ほぼ姿を消し電気店の片隅のラジオコーナーにひっそり置いてある。CDプレーヤーがついたのはCDが普及し始めた平成に入ってからで、それまではカセットの独占であった。発売後期には、オートリバース機能(自動的にA面B面が切り替わる)、ダビング機能(1デッキにマスター、2デッキにコピー)など多目的な機能が加わった。
余談ではあるが、テレビが付いたものはラテカセ(ラジオ・テレビ・カセットレコーダー)、CDプレーヤーがついた物は、CDラジカセ、MDに録音できる物はMDCDラジカセ、Network対応のものはNetラジカセ、ipod対応はpodラジカセと呼ばれるが、MDCDラジカセ、Netラジカセ、podラジカセに関してはカセットがついていない物が大半である。
歴史
日本初のラジカセは昭和43年(1968年)に発売された、AIWAのTPR-101という機種である。定価は2万5900円と、当時の大卒初任給(約3万円ちょい)に匹敵する高嶺の花だった。向かって左にカセットデッキ、右にラジオを配置したデザインは他の機種にも受け継がれ、文字通りラジカセの原型となった。
70年代に入ると多くのメーカーが参入し、様々な名機が誕生する。昭和49年にSONYが発売したCF-1980は70万台を売上げ、モノラルラジカセの代表的な存在となった。当時ソニーは細かい設定パネルを備えた機種をスタジオ録音機材になぞらえstudioシリーズと名付けて展開しており、この機種はstudio1980という名でも知られる。ちなみにマイナーチェンジ版であるCF-1980IIは、けいおん!にも登場している。
この頃、FM放送で流れる曲を録音する「エアチェック」が浸透。昭和48年(1973年)には機関車の音(当時は蒸気機関車の営業運転終了が相次いでいた)や鳥の声などを野外で録音する「生録」のブームが、ラジカセの普及を後押しした。
この生録ブームに火を付けたのがSONYの録音機シリーズ「デンスケ」である。高い録音性能を誇り人気があったデンスケをカセットテープに対応させ(元々デンスケはオープンリールの録音機だった)、ラジカセの機能を持たせた「カセットデンスケ」の登場で、野外録音をステレオ高音質で行うことが可能になったのである。「カセットデンスケ」はシリーズ展開され、なんと2005年まで生産が続けられた。
昭和50年(1975年)ごろから、ステレオラジカセがぼちぼち登場し始める。この頃、NHK-FMローカル放送のステレオ対応工事が行われている。ちなみに日本初のステレオラジカセは昭和47年にSONYが発売したCF-2550であった。側面にもスピーカーを備え、SONYが開発したMS(マトリクス)方式を採用し、小さい本体ながら広がりのあるステレオ音声を実現していた。
昭和53年(1978年)になると高音域の録音に向く「メタルテープ」が登場し、翌年には頭出し機能を備えた機種が登場する。録音された音声から無音部分を検知し、そこを頭出し地点にする(誤検知することもある)という単純なものであったが画期的だった。これを活用してラジカセを家庭用カラオケ機器として利用する流れも生まれ、歌を抜いたカラオケ用カセットが多く発売された。
またこの頃、ダブルカセットを搭載した機種も登場。ダビング、編集作業を一台でこなせるようになり、録音されたTV番組や歌を切り貼りした「MADテープ」が作られ始める。現在のニコニコ動画にも続くMAD文化はラジカセの進化によって誕生していったのである。
昭和55年(1980年)、三洋電機がカラフルな色を基調にし、「おしゃれなテレコ」と銘打ったU4シリーズを発売。黒ばかりで男性のものという印象が強かったラジカセに、女性向けのファッションアイテムという新たな路線を打ち出した。これをきっかけに各社がファッション色の強いラジカセを作るようになっていった。
昭和57年(1982年)にはCDの販売が開始され、CDラジカセの時代へと入っていく。昭和61年(1986年)にはSONYが重低音スピーカーを備えたCDラジカセ、ドデカホーンCDを発売。、小さなファッションラジカセから、バブルを後押しに高額の開発費をつぎ込んだ巨大なラジカセへと、ラジカセは再び大型化し始める。
この80~90年代に作られた巨大なラジカセはバブルラジカセと呼ばれ、オーディオマニアに根強い人気がある。しかしバブル景気が収まり、やがて崩壊するに従い、過剰なほどに搭載された機能はどんどん削られていった。90年代後半になると海外製の安いラジカセが台頭し、ラジカセへのハイスペック志向は収まっていった。
平成6年(1995年)ごろにはMDが登場し、ついにはカセットレコーダー機能を削いだ機種が登場し始める(メーカー側はラジ「カセ」ではなく「MDシステム」などの呼称を使用していた)。ここからカセットの役割をMDやSDカードに代替させた機種が登場していくが、高齢者向けのシンプルなラジカセなど、現在でもカセット搭載のラジカセはひっそり生き残っている。
関連動画
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関連項目
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