ラップランド戦争単語

ラップランドセンソウ

ラップランド戦争とは、第二次世界大戦中のラップランド地方で行われた一連の戦闘である。
関係フィンランドナチスドイツソビエト連邦

経緯

1939年フィンランドにとって受難の年となった。隣ソ連フィンランドに対し、カレリア地方の割譲を要してきたのである。カレリア地方は第二の都市レニングラードから程近く、防上の問題から何としても押さえておきたい土地だったのだ。しかしカレリア地方には工業地帯があり、フィンランドにとってはまさしく生命線だった。しかも、カレリア地方と交換する形で得られる領土は未開拓地という得が一切い不等極まりないものだった。当然フィンランドは拒否。怒ったソ連軍事行動に移り、フィンランド領内に侵攻。強引に奪い取ろうと試みた。冬戦争の始まりである。フィンランド軍は寡兵ながらも善戦し、ソ連軍を痛めつけた。際世論もフィンランドに味方したが、ノルウェースウェーデンソ連との関係悪化を恐れて中立化。このため陸路での補給物資が受けられず、フィンランド軍は困窮。常に薄氷を踏む戦いを強いられた。そんなフィンランドに救いの手を差し伸べたがあった。ナチスドイツである。フィンランドドイツに接近し、両の関係は緊密なものになっていく。

1940年3月13日、耐え切れなくなったフィンランドソ連に講和を申し入れた。結果、モスクワ講和条約によりカレリア地方は没収されたが、かろうじて独立は守りぬく事が出来た。しかし浅からぬ遺恨を残すことになった。

1941年6月22日ドイツ軍ソビエト領に侵攻して独ソ戦が生起。この機に乗じてフィンランドカレリア地方の奪還を企図し、ソ連宣戦布告した(領内を爆撃された報復とも)。フィンランドは「これはフィンランドソ連間の問題で、冬戦争継続」で、不当に奪われたカレリア地方の奪還を的としたものだと強く訴えた。ゆえにこの戦いは継続戦争と言われている。しかしながら領内にはドイツ軍が駐留し、最前線ではフィンランドドイツの部隊が協同でソ連軍と交戦した。

ラップランド戦争

運命はフィンランドに味方しなかった。ドイツ軍を始めとする枢軸軍は敗退を重ね、ソ連軍が勢いを盛り返してきた。そしてソ連軍の侵攻が現実味を帯びてくると、フィンランドは単独講和を図ろうとした。ドイツ軍が圧をかけてくる中、面下でソ連と接触。そして1944年9月19日に休戦条約が成立。ソ連軍の進撃は止まり、フィンランドは助かったかに思われた。しかし……。ソ連は休戦条約締結の条件に、約3週間でフィンランド領内からドイツ軍を追い出す事を提示してきたのである。これが守られなかった場合、領内に侵攻すると脅しをつけて。これによりフィンランド軍は領内のドイツ軍22万名と戦う事になった。戦いの舞台になった地名を取って、ラップランド戦争と呼ばれる。

だが、今までともに戦ってきた仲間を向けるという事で両軍の士気はとても低かった。加えてフィンランドが単独講和する事を見越していた現地のドイツ軍は、あらかじめてフィンランド軍と協議して撤退の準備を整えていた。ドイツ軍及びフィンランド軍はしく戦うふりをし、犠牲者を出す事く撤退を開始。ソ連は両軍の動きを監視していたが、これを欺くために撃破した車両や重傷者を道路に放置。見事、ソ連を欺いてみせた。序盤の戦闘は「まやかし戦争」と呼ばれ、撤退作戦は順調に推移していった。
しかしながら他方面のドイツ軍にとって、フィンランドの単独講和は裏切り行為に他ならなかった。ノルウェーから飛来した独爆撃機や、フィンランド湾に展開したドイツ軍の重巡リュッツォウなどがフィンランド軍を攻撃し、損を出している。事情を知っているのはあくまで領内のドイツ軍だけだった。

ところがフィンランド首都ヘルシンキに置かれた連合管理委員会にソ連軍のツダノフ大将派遣されてからは一変。ツダノフ大将は両軍の戦闘が演技であると疑っており、詳細な報告まで要してきた。更に「本気で戦わない場合は休戦条約違反と見なして侵攻を開始する」と宣言。まやかし戦争はこれで終結し、ここから本気の殺し合いが始まった。

ドイツ軍ノルウェーして退却。その途上、フィンランドの離反に激怒したヒトラー総統ラップランドに対し焦土命を発。「二度と人が住めない土地にしろ!」と言ってきたのである。これにはドイツ兵も動揺した。それでも命に従って村や町を焼き払ったが、住民には手を出さず、しかも避難所となりうる教会学校はわざと残していった。このためドイツ兵に殺された住民は一人もいなかった。ソ連軍の難癖のような文句は続けられたが、フィンランド側は巧みに追及をかわし続けた。
一方でソ連軍も独自にドイツ軍への攻撃を仕掛けていた。しかし相手がフィンランド軍ではいので猛な抵抗を受け、計画に大きな遅延と狂いが発生。「ドイツ軍が元気なのはフィンランド軍がまともに戦ってないせいだ」と八つ当たりのような叱責をしている。

そして1945年1月19日フィンランド軍は境線を確保。ドイツ軍駆逐宣言を行った。こうして望まぬラップランド戦争は幕を閉じた。とはいえ領内には逃げ遅れたドイツ兵が散在していて、彼らが最後に境線を渡ったのは4月25日だったとされる。既に駆逐宣言をしていたフィンランドは「領内にドイツ兵はもういない」として、彼らの脱出を手助けした。

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2019/08/23(金)02時更新