『ダイヤを、つなぐ』
「ランナーを止めず電車を止める」とは、京急電鉄と箱根登山鉄道による『もうひとつの箱根駅伝』の1つである。
概要
毎年1月2日・3日に行われる「箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)」のコース上には、箱根登山鉄道の「小涌谷踏切」が存在する。2012年までは京急空港線の「京急蒲田(空)第一踏切」が存在した。
かつては国鉄東海道本線・横須賀線戸塚駅北側の「東海道踏切」を通るコースだったこともある。
これらの踏切によって選手の通過に支障を来さないようにするため、京急電鉄・箱根登山鉄道両社では出場選手の競技状況に応じて列車の抑止などを行っている。
京急蒲田(空)第一踏切
京急蒲田の踏切は、往路・1区と復路・最終10区のコース上に存在していた。1月2日の往路ではスタートしたばかりのため、ランナー全員がほぼ一斉に踏切を通過する。しかし、1月3日の復路ではアンカーが走っており、ランナー間の差は30分近くつくこともある。
沿線の「穴守稲荷神社」への参拝客も多いため、1月3日の午後に止めるなんてことは正直したくないし、実際無理。空港線が真の意味で羽田空港と直結するようになってからは更に……。かといって無理やり通常運行させた場合、足止めされたランナーの前を通る赤い電車が全国に生中継などされた場合の山のような苦情・非難は火を見るより明らかだし、いろんな意味で危ない。そんなわけでランナーが踏切で一時停止……なんてことは避けるようにしていた。
※ ちなみに、現在のルールでは踏切待ちで停止した時間はロスタイムとして記録から引かれるが、上述した戸塚大踏切がコースとされていた昔は列車の合間を縫う危険な踏切突破が常態化していたという。1939年には、専修大学を追っていた日本大学が踏切で足止めされ、優勝を逃してしまった。
現在の京急空港線は都営地下鉄や横浜方面からの直通電車が主体だが、さすがにこれではどうしようもないので、1月3日のランナー通過予定時刻前後は、空港行きの列車は川崎行きや品川行きに振り替え、空港線内は折り返し運転としていた。
それでもやっぱり空港アクセス路線なので、可能な限り列車を動かしたいし、駄目な場合でも通過完了後は速やかに回復させたい。そんなわけで、野戦司令室……もとい、現地本部と運転指令がテレビ中継・鶴見中継所・雑色から入ってくるランナー通過情報をもとに、選手の安全を一義にしたうえで、間隙をついて何とか列車を通せないか健闘していたのだ。踏切キャンセル(下記の動画から)なんて京急だからできたこと。
「安心して走ってもらおう」 →全ランナーを通すため、運行の一時見合わせを決断したときのコメント。
「とりあえず、無事でよかった」 →最終ランナーが通過した後、撤収前のコメント。
「(ダイヤ乱れは)すぐ戻るって」 →これぞ、KQクオリティ。
(関連動画より、現場従業員の声を引用)
なお、この踏切は第一京浜(国道15号)を横切っており道路交通に支障をきたしていたほか、単線で本線と平面交差していたため空港アクセス路線として大きなボトルネックとなっていた。そのため、2000年より京急蒲田付近連続立体交差事業として高架橋の建設が進行し、2010年5月16日に上り線のみ高架化が完了。2011年と2012年は下り線側の踏切を使わず、高架化された上り線のみを使って空港線内の折返し運転を実施したため、この光景は過去帳入りした。
2012年10月21日には下り線も高架化され、蒲田要塞の完成と同時にこの踏切も廃止。あの風景も現在では、箱根駅伝ファンや京急ファンの記憶の中、そしてニコ動の投稿者有志や日本テレビなどが保管する映像資料に残るのみとなった。
小涌谷踏切
箱根登山鉄道の小涌谷踏切は、往路・5区、復路・6区のコース上に存在する。ダイヤ変更は行わないものの、こちらでも現場に係員を配置し、踏切鳴動停止の処置や列車の抑止といった運行調整を行っている。
関連動画
2012年
往路
復路
2011年
2010年
往路
復路
2009年
2008年
関連コミュニティ
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 22
- 0pt