ランフランコ・デットーリとは、イタリア人騎手である。
フランキーの愛称でも知られ、53歳を迎えた現在でも伝説を残し続ける騎手である。
概要
1970年12月15日ミラノ生まれ。
父ジャンフランコ・デットーリも英2000ギニーを2勝するなど実績を残しており、日本のGⅠレースも4勝している。
16歳で騎手デビュー、トリノで初勝利を上げると翌年にはイギリスでも勝利。
1990年には10代騎手としてレスター・ピゴット(戦後直後から活躍した名騎手)以来の年間100勝を挙げ、1996年にはアスコット競馬場開かれた英チャンピオンズデーで開かれた7つのレース全てで勝利した。
1992年以降ドバイの有力馬主であるゴドルフィンと専属契約を締結。デイラミ、ドバイミレニアム、ファンタスティックライトなどの有力馬に騎乗していたが2012年末に専属契約を解消。一時期ゴドルフィンとは疎遠関係にあったが、2020年頃から再び騎乗するようになり翌21年でG1を勝利している。
この間、大レースで活躍する機会が見られなかったイギリスのジョン・ゴスデン調教師の主戦騎手になると一転、ゴールデンホーンで凱旋門賞を制覇。更に同厩舎のエネイブルで2017年と2018年の凱旋門賞を制覇。他にもステイヤーのストラディバリウスなど多数の有力馬に騎乗するようになり、現在に至る。
勝利後に行う『フライングディスマウント』は馬上から飛び降りるシーンとして、多くの競馬ファンに周知されている。
日本にも何度か来日しており、シングスピール、ファルブラヴ、アルカセットでジャパンカップ3勝。また、イーグルカフェにも騎乗してGⅠを勝利している。
2023年に引退予定であったが、12月に翌年(2024年)アメリカでの現役続投を表明した。
アメリカではニューゲートに騎乗し、サンタアニタHを制覇した。
エピソード
- 2000年にニューマーケットからグッドウッドに小型機で向かう途中、墜落事故に遭っている。この事故で重傷を負ったが、2か月後に生還。この出来事で大英勲章を受章した。
なお、2006年に空き巣の被害に遭った際、勲章も盗まれてしまった。 - 阿寒湖ステイゴールドが海外遠征で勝利した際の2着馬に騎乗していた。特に香港ヴァーズの際にはレース後、黄金旅程ステイゴールドに騎乗した武豊に「僕とは相性が悪い」と嘆き、引退レースだった知るや「ユタカは寂しいだろうけど、僕にとっては良いニュース」と返している。
- 身長163cmと騎手にしては高身長。その不利を埋め合わせるためか、利尿剤など主催者側が禁止になる前の薬物を使用していたことを2010年に明らかにした。
- 2012年9月フランスで騎乗した際の検査にてコカインの陽性反応が検出。12月に6か月間の騎乗停止を言い渡された。
なお、騎乗停止中はCelebrity Big Brotherというテレビ番組に出演。 - 副業としてロンドン・ドバイ・上海などでイタリアンレストランやピザ屋を経営している。
- 2019年に短期免許で11月9日から12月2日までの約1か月間騎乗予定だったが、直前にオーストラリアのメルボルンカップで騎乗した際に制裁を受けて、11月23日から12月2日の2週間だけになった事がある。
この時日本に来た時はM.デムーロの部屋で平日は夜遅くまではしゃぎ、時には夜中の3時まではしゃいでいたとかで、M.デムーロは付き合うのが大変だったらしい。
またこの間に阪神競馬場で武豊とワンツーでゴールした際に「ぬるぬる!ぬるぬる!」と叫ばれたと、武豊が自身のCS放送の番組「武豊TV2」で語っている。事のきっかけは武豊らと料亭で食事をした際に蓴菜が料理に出され、これは何?と尋ねた際に武豊が「このぬるぬるしたやつは蓴菜って言うんだよ!」と答えたのだが、語感が気に入ったのかことある事に「ぬるぬる!」と言うようになり、レース中にも言われたとの事である。
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