リバタリアニズム(libertarianism)とは、政治思想の一つで、個人の自由を絶対的に重視する思想のことをいう。
「自由至上主義」や「完全自由主義」などといった訳語を当てられることがある。
その支持者のことをリバタリアン(libertarian)と呼ぶ。
概要
リバタリアニズムは、個人の自由権を絶対的に重視し、それに制約を加える国家(政府)の役割を最小限度にとどめ、小さな政府を志向し続ける思想である。
本思想においては、他者の身体や財産を直接的に侵害することのないかぎり、あらゆる個人や法人の行動は自由に認められる。また、他者の身体を侵害する行為であっても、それが本人の同意に基づく契約であれば認められる。
国家の権限および機能は、警察と軍隊による徴税および国民の身体・財産の保護のみに限られ、他のあらゆる個人的自由への規制は否定される。
例えば、リバタリアニズムに基づく社会では、次のようなすべての行為が各人の自由意志として認められる。新興宗教、政治活動、同性婚、一夫多妻などの重婚、薬物や麻薬の摂取、売買春、児童の飲酒・喫煙・性行為・自動車運転、同意に基づく安楽死、無免許での外科手術、など。
また、国民皆医療保険や生活保護といった政府による社会福祉(セーフティネット)は与えられず、財産のない国民が病死や餓死することについて政府は救済しない。
個人的自由の追求という共通点からは無政府主義(アナーキズム)の主張に類似することもみられ、関連性が指摘されることもある。しかし、無政府主義は一切の権力を否定するものであり、その点でリバタリアニズムとは明確に異なる。
私有財産の尊重
リバタリアニズムにおいてとりわけ重視されるのが、個人の財産権である。私有財産の尊重を追求し、政府が徴税により私有財産に干渉することを極力拒否する。それゆえ、減税を強く主張し、累進課税(富裕層がより多く納税することで富の再分配をはかる)制度を否定する。
累進課税および再分配を否定する結果として社会の経済的格差が拡大し(格差社会)、国民に貧窮する者が増えるといった社会現象が発生しても、リバタリアンはそれを特に解決すべき問題とみなさない(個人の自由な経済活動の結果であると考える)。その点で、リバタリアニズムは格差拡大を容認する思想といえる。
個人への干渉の否定
リバタリアニズムでは個人の所有権を尊重するが、それには「各人が、それぞれの身体を所有する権利を持つ」という自己所有権も含まれる。
この自己所有権を尊重するため、リバタリアンは他者による個人への干渉を否定する。政府が経済的弱者を救済するための雇用者への規制である労働時間・年齢の制限や最低賃金の制限などについて、リバタリアンは撤廃することを望む。同様に政府による国民の強制的な徴兵制度(兵役)なども拒否する(なお志願兵制度は個人の自由であるため問題ない)。また家父長制や一夫一妻といった伝統的な家族制度や婚姻制度についても政府が強制することは拒否する。
リバタリアニズムと直接の関係はないが、町内会費の徴収に基づく地域社会の相互扶助などといった政府ではなく民間人の間での相互扶助も、リバタリアンはその思想から否定する傾向にある可能性がある。
人工妊娠中絶についてはリバタリアンの間でも意見が分かれており、「妊婦の自由」という観点から容認する考えと、「胎児の自由」という観点から否認する考えとがある。
このため、「個人の自由」を強く愛する者がリバタリアンになる傾向があると考えられる。
既存の政治的勢力との距離
リバタリアンは既存の主流な政治的勢力とは距離が離れていることが多く、政治的に孤立している傾向にある。逆に、既存の主流政治勢力はリバタリアンを敬遠している傾向にあるとも考えられる。
日本の右派政党の主流とされる自由民主党や日本維新の会などは、天皇制(国体)の護持や伝統的な家族観を重視する傾向が強く、それを熱心に支持する人々が主導権を握っている。リバタリアンはそういった慣習を重視せず、個人の自由を重視するため、既存の右派政党の中で主流派に入りこむことは難しい。
日本の左派政党の主流とされる立憲民主党や日本共産党などは、社会保障や富の再分配の拡充を求める傾向が強く、それを熱心に支持する人々が主導権を握っている。リバタリアンはそういった福祉を重視せず、経済の自由を重視するため、既存の左派政党の中で主流派に入りこむことは難しい。
TwitterなどのSNS上で「私はリバタリアンである」と自称する者が散見されるが、彼らは既存の右派政党も左派政党も支持しないという政治的スタンスを取っている人が多いと指摘されることがある。
アメリカ合衆国においては、二大政党である民主党・共和党に次ぐ第三政党として「リバタリアン党」が歴史的に存在し、大統領選挙においても出馬している(ちなみに、同党と並ぶ第三政党として地球環境保護を重視する「アメリカ緑の党」もある)。なお、リバタリアン党員が大統領に就任したことは2021年現在で未だ存在しない。同国のリバタリアンは、リバタリアン党を支持するか、あるいは共和党の非・主流派(ティーパーティー運動など)として存在するかのどちらかを選択することが多いとされる。
なお、実業家の堀江貴文は自身をリバタリアンと呼称したことはないが、他者からそう分類されることがみられる。堀江は経済的自由の観点から自由民主党による新自由主義的な政策を支持することがあり、2005年の第44回衆議院議員総選挙に自由民主党公認において出馬した。しかし、堀江は一方で個人的自由の観点から天皇を戴く君主制度の継続には否定的であり、「日本国憲法が『天皇は日本の象徴である』から始まることには強い違和感を覚える」などの発言を同時期に行っていた。そのため伝統的な天皇制の護持を重視する自由民主党から公認を取り消され、無所属候補となった。選挙結果は落選であった。
仕事中毒(ワーカホリック)との関連性についての議論
リバタリアンと仕事中毒(ワーカホリック)との関連性について次のように指摘されることがある。
リバタリアンの一部は家庭というものを軽視し、個人として生きることを重視する。一方で仕事中毒(ワーカホリック)の人は、家庭に費やす時間を無駄と考えて家庭を軽視し、ひたむきに職場で長時間労働をする。
リバタリアンは個人の財産権を重視し、所得税の累進課税の弱体化を主張する。リバタリアンが望むとおりに所得税の累進課税を弱体化させると、「仕事を長く行うほど、お金を多く稼ぐことができる」と多くの人が考えるようになり、仕事中毒(ワーカホリック)の人がどんどん増えていく。
上記のような論理に基づき、リバタリアンと仕事中毒(ワーカホリック)とには共通する点があると考える者もいる。
関連リンク
関連項目
- リバタリアン党
- リバタリアン党(アメリカ)
- ソフトリバタリアニズム
- ハードリバタリアニズム
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