ルッキズム(英:Lookism)とは、外見(appearance)を理由とする偏見や差別を意味し、「優遇措置によって、魅力的であると認識された人々に有利に働くと同時に、機会の否定を通じて、魅力的でないと認識された人々に不利に働く」こと[1]。
より単純に言えば、「人を顔や体などの見た目で評価し、美男美女は優遇され、そうでない人は差別される」という考え方・扱い方である。
経緯
ルッキズムという言葉が初めて使用されたのは、1978年の『ワシントン・ポスト・マガジン』の中で「Fat pride」というタイトルの記事が、太っているというだけで尊厳を傷つけられていることに抗議し始めた人々が作り出した用語としてである[2] 。
「look」という英単語は「見る」という意味の動詞でもあるが、「容姿」「外見」も意味する名詞でもある(通常「s」を付けた「looks」として)。「ルックス」というカタカナ語として日本語でも広く用いられている。この「look」に「~主義」等を意味する接尾辞「-ism」を付加したものと思われる。「race:レイス」(人種)に「ism」を付けた「racism:レイシズム」と類似した成り立ちの語句である。
「レイシズム」が「人種差別」「人種主義」「人種差別主義」と訳されることを考えれば、この「ルッキズム」を和訳すると「外見差別」「外見主義」「外見差別主義」「外見至上主義」となろうか。あるいは「外見」を「容姿」や「容貌」「ルックス」に入れ替えてもよいだろう。
社会思想
ルッキズムは、「見る-見られる」という非対称性のある関係を問題化するための言葉である。この権力関係を扱うものには、大きくわけて2つ、フェミニズムとユニークフェイス運動がある。
「見る-見られる」関係においては、あらゆる人が見る側であり、そして同時に見られる側である。しかし、どちらの側に置かれがちであるかは社会的カテゴリによって不均等に配分されている。ジェンダーや障害、人種や民族などの社会的カテゴリーに基づく既存の差別構造が「見る-見られる」関係を規定するためである。したがって、現行の社会構造のなかで否定的な価値を付与されやすい何らかの差異を持たないマジョリティの側、その社会において「ふつう」とみなされやすい人々が見る側に配置されることになる。
フェミニズム
女性は自己の身体が、視線の持ち主=男性主体から性的欲望の対象として評価され、比較され、値踏みされる「見られる身体」であることを早いころから自覚させられる[3] 。
ユニークフェイス
「病気やけがなどが原因で、機能的な問題の有無にかかわらず、明らかに「ふつう」と異なる容貌をもつ人たちの集まり」[4]であるユニークフェイスの当事者が挑戦するのは、自分たちの顔に対する社会からの一方的な価値付与である。あざや傷痕のある顔に「ふつうでない」といった否定的な価値が押し付けられることの不当性を告発し、それを「固有の顔(unique face)」へと置き換えようとするのがユニークフェイス運動である[5]。
経済活動
ディスプレイ・ワーク
ファッションモデルに代表される身体の視覚的提示それ自体が職務の本質的要素であるような仕事のこと[6] 。
美的労働
現代資本主義の主要な特徴のひとつはサービス産業の隆盛であり、その中心を成すのは接客サービス業である。接客サービスは労働者と顧客との相互行為を通じてしか顧客に引き渡しえないため、雇用者にとって、労働者と顧客との接触する場(「サービス・エンカウンター)のコントロールが重大な関心事となる。今日の雇用者の多くが、同業他社との競争において優位に立つために、企業イメージやブランドの個性を身体で表現して顧客にアピールできる「美的スキル」を持つ労働者を雇用する必要を考えている。イギリスの労働社会学者ワーハーストらは、こうした労働を「美的労働」と名付けている[7] 。
美的労働は、労働者の身体が組織的な統制・管理の対象となる点に特徴がある。雇用者は、顧客の感覚に訴えることを意図して、募集、選抜、訓練、モニタリング、報奨といった過程を通じて労働者の外見や立ち居振る舞いを動員し、開発する。いわゆる「顔採用」は公然となされてきたわけではないが、美的労働研究が明らかにしているのは、労働者の外見に対する認識の変化である。従来は人格や個性に結び付けられ、不可変とされてきた外見が、「美的スキル」という呼び方が表すように、開発・訓練可能な「能力」と認識されるようになったということである。その一方で、外見は部分的には生来のもので、全面的な開発・訓練は困難であると考えられているため、雇用者はもともと外見の良い労働者を採用しようとする。つまり外見は、変えることができるとされる反面、変わりにくいともみなされるという二重性がある。そこで雇用者は外見の良くない労働者をフィルタリングしたうえで、外見の良い労働者を採用してさらなる「能力」開発を目指すことになる。
英米の調査研究によれば、雇用者が労働者に要請するのは中流階級の文化資本や既存のジェンダー規範に適合的で、「民族色が強過ぎない」外見であるという[8] 。逆に言えば、美的労働が重要な位置を占める社会では、労働者階級の出身者や民族的マイノリティ、支配的なジェンダー規範とは合致しない外見の人々が雇用を確保し維持するうえで不利な状況に置かれることになる。これは外見と直接かつ密接に結びつく形で雇用格差が生じる事態である。
倫理的批判
人格からの批判
見られる側に関わる問題として、労働者間に生じる格差と個人の尊厳をめぐる問題がある。格差については、出身階級によって雇用者が要請する外見や立ち居振る舞いに適合できる人とそうでない人がいる。アクセスが不可能あるいは困難な人は雇用の維持・確保をめぐって不利な立場に置かれ、社会的カテゴリーにおけるマイノリティ性が再生産されてしまうことになる。またアクセス可能な人であっても、いったん確保した雇用を維持するには、組織の統制・管理を強く内面化したうえで適応し続けることが要求される。個人の尊厳については、従来は外見は人格や個性と深く結びついており不可変なのだから、それを評価するのはよくないとされてきた。しかし外見が労働能力と同じように「向上」を期待されて評価対象になる状況では、個人の信条・信仰や民族性に基づく服装や髪型を断念させられるのは、抵抗感を覚えることになる。故に美的労働を捉えるうえでは従来の「可変(だから評価してよい)/不可変(だから評価してはならない)」という線引きは、再考を迫られる。
評価対象の線引きについて、社会学者の立岩真也(1997)によれば、自分にとって手段でありコントロール可能で他社に譲渡してよいと思うものは、その人に固有のものではなく、他者もまた請求して受け取ることができる。自分が売買の対象にしてよいと思うものは自分にとっての手段であり、他者への譲渡が予定されているから、その人だけのものにする理由はない。これに対し、その人にとってコントロールする対象ではなく、自分から切り離して他者に譲り渡したいと思わないものについては、他者もまたその譲渡を要求してはならない。こうした線引きを設定しなければ、ある人のもとにある生命や身体が奪われること、思想・信条を取り下げられること、制服の不着用や髭を生やすのを諦めされることなどを認めないという判断を導くことはできないという。
以上を踏まえると、手足や頭を使って行う労働と美的労働との間には相違点がある。手足や頭を使う労働は、他者にやってもらったり別の手段を用いたりして代替可能であり、自分から切り離して他者に譲渡してよいと私達が思うものである[9] 。他方、外見の良し悪しは他者に代替してもらうことはできない。自分の外見では誰かと出会い、関係を構築することができない、困難があるからといって、自分と他者の外見を取り替えることは不可能である。
法的規制
雇用者の側に関わる問題として、企業イメージやブランドの個性を身体で体現して顧客にアピールできる労働者を雇いたいという判断は正当化できるかどうかがある。経済学者の大竹文雄(2005)によれば、顧客が美男美女に対応してもらうことを好むためにそうした従業員の生産性が高くなる場合、彼/彼女らが労働市場で得をすることは「生産性の裏付け」がある限り「効率性の観点から」何ら問題ではないとされる。
しかし、いくつかの法律のレベルでは外見を理由とする差別は禁止されている。アメリカ合衆国では、おもに性別、人種、年齢、障害など他の理由による雇用差別を禁止する法律に基づいて、州レベルではワシントンD.C.法は「個人の外見」、カリフォルニア州サンタクルズ市条例は「身体的特徴」、サンフランシスコ市条例は「体型」にもとづく差別を禁止するなど、問題にされてきた[10] 。また黒人を雇えば白人の客が来なくなるとか、男性客は美人の女性客室乗務員を好むとかいう主張は、俳優やモデルなど外見と職務との関連性が強い場合や、業務運営上の必要性が明確な場合を除いて、正当化されていない[11] 。
参考文献
- Ayto,J. 1999 Twentieth Century Words, Oxford University Press.
- Desir,2010 “Lookism:Pushing the Frontier of Equality by Looking beyond the Law.“University of Illinois Law review,No.2
- Hamermesh,D.S. 2011 Beauty Pays:Why attractive people Are More Successful,Princeton University Press.(=2015 望月衛訳『美貌格差-生まれつき不平等の経済学』東洋経済新報社)
- 松本学他編 2001『知っていますか?ユニークフェイス一問一答』解放出版社
- Mears,A. 2014 “Aesthetic Labor for the Sociologies of Work, Gender, and Beauty,”Sociology Compass, 8(12)
- 森戸英幸 2008「美醜・容姿・服装・体型-「見た目」に基づく差別」森戸・水町編『差別禁止法の新展開-ダイバーシティの実現を目指して』日本評論社
- 西倉実季
- 大竹文雄 2005 『経済学的思考のセンス-お金がない人を助けるには』中公新書
- Rhode,D.L. 2010 The beauty Bias:The Injustice of Appearance in Life and Law, Oxdford University Press(=2012 栗原泉訳『キレイならいいのか-ビューティ・バイアス』亜紀書房)
- 立岩真也
- 上野千鶴子 1998 『発情装置-エロスのシナリオ』筑摩書房
- Warhust,C. et al.2010 “Aesthetic Labour in Interactive Service Work:Some Case Study Evidence from the “New”Glasgow.”The service Industries Journal,20(3).
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関連項目
- 美/醜
- 美人/イケメン/美女
- ブサイク/ブス
- セクシズム/性的対象化 [12]
- 差別
- ジェンダー
- フェミニズム/マスキュリズム
- 人種
- 障害
- 美容整形
- 社会学
- 外見至上主義 ※曖昧さ回避
- 美人だから成り立つ話
- ※ただしイケメンに限る
- かわいいから許す
脚注
- *Desir 2010:632
- *Ayto 1999
- *上野 1998
- *松本他 2001:8
- *石倉 2018
- *Mears,2014
- *Warhurstet al. 2000
- *西倉 2019
- *立岩 2004
- *森戸 2008
- *Rhode 2010=2012
- *外見で差別を受けるルッキズムと同様に、こちらは「性別」を理由とした優遇や差別のこと。
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