- プロ野球選手一覧 > ルパート・ジョーンズ
ルパート・ジョーンズ(Ruppert Jones、1955年3月12日-)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(外野手)である。日本では阪神タイガースに所属した元祖“バースの再来”でもある。
概要
OB | |
---|---|
ルパート・ジョーンズ Ruppert Jones |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | テキサス州 |
生年月日 | 1955年3月12日 |
身長 体重 |
180cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 外野手、一塁手 |
プロ入り | 1973年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1973年MLBドラフト3巡目でカンザスシティ・ロイヤルズと契約し、1976年にメジャーデビューをはたした。
1977年に新規球団のシアトル・マリナーズに移籍し、160試合に出場し打率.263、24本塁打、76打点を記録した。
1980年にニューヨーク・ヤンキース、1981年にサンディエゴ・パドレス、1985年にカリフォルニア・エンゼルスに移籍し、通算147本塁打を記録した。1977年と1982年にはオールスターゲームに出場した。
1988年はミルウォーキー・ブルワーズとマイナー契約を結んだがブルワーズに昇格することはないまま退団。テキサス・レンジャーズの傘下に所属していた。
阪神時代
1988年にバースの再来としてはふさわしい実績を引っ提げ阪神タイガースに入団。無論、バース並みの成績を残せろモノとファンは期待していたが、期待に応えることはできず、普通のネタ外人となった。
彼を語る上で欠かせないのが肩の弱さである。実は、来日前にすでに肩を故障しており、外野からの返球は下手投げであった。彼は一塁手としての出場もあったが、一塁手としても、一塁から二塁への送球も、投手への返球も満足に出来ない状態であった。そのため、投手が一塁のジョーンズの所までボールを受け取りに駆け寄るという光景がしばしば見受けられた。試合後、左肩を投手並みにアイシングしてもらってもいた。皮肉にも左肩が快方に向かい、打撃成績も上向いてきた頃に解雇が決まった。
人物
日本球界で初めて背番号00をつけた選手でもある(阪神の00といえば、2003年のリーグ優勝に大きく貢献した田中秀太がいる)。とんがり頭のスキンヘッドという風貌と合わせニックネームはゼロゼロ怪人。また、ベンチ内でお香を焚いていたという。
ジョーンズがとんでもない弱肩を披露した20年後の2010年、阪神で4番を張っていた金本知憲の肩が故障し、外野からとんでもないバックホームを披露した。このとき、ジョーンズを知っているマニアックなファンは誰もが思っただろう。「ジョーンズの再来」と。
成績
通算打撃成績
通算:13年 Total |
試 合 G |
打 席 PA |
打 数 AB |
得 点 R |
安 打 H |
二 塁 打 2B |
三 塁 打 3B |
本 塁 打 HR |
打 点 RBI |
盗 塁 SB |
犠 打 SH |
犠 飛 SF |
四 球 BB |
死 球 HB |
三 振 SO |
併 殺 打 GDP |
打 率 AVG |
出 塁 率 OBP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
MLB:12年 | 1331 | 5038 | 4415 | 643 | 1103 | 215 | 38 | 147 | 579 | 143 | 43 | 34 | 534 | 12 | 817 | 87 | .250 | .330 |
NPB:1年 | 52 | 180 | 169 | 19 | 43 | 9 | 1 | 8 | 27 | 4 | 0 | 1 | 9 | 1 | 51 | 3 | .254 | .294 |
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関連項目
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