ル・マン24時間レースとは、世界三大レースの一つである。二輪、四輪の両方があるが、ここでは四輪について取り上げる。
概要
1923年5月26日に初開催され現在まで続いている、耐久レースの最高峰である。毎年6月中旬に開催され、毎年25万人を超える観客が押し寄せるビッグイベントである。参戦する者は完全なプロフェッショナルとは限らず、趣味の延長や情熱、ロマン、様式美で参加するチームやドライバーも少なく無い。このため、「偉大なる草レース」と称されることもある。
2020年の開催については、新型コロナウィルスの世界的流行の影響で延期になり、9月19日~9月20日の開催となった。2021年についても引き続きコロナウィルスの影響が及んでおり、8月21日~8月22日の開催となった。
土曜日の昼過ぎから夕方までの時間帯にスタートし、翌日の同時刻になるまでの24時間をひたすら走破する。そして、24時間が過ぎた時点で最も周回を重ねた車、すなわちトップを走っていた車が優勝となる。当然、そのままではゴールまで辿りつけないので途中でピットインし、タイヤ交換と燃料補給を行う。何時間かごとにドライバーも交代して疲労を回復しながらレースを続けることになる。こうして優勝する車が走り切る距離は、条件にもよるが優に5000kmを超える場合が多い。
ただ24時間チンタラと走りきればいい訳ではなく、ライバルと競り合いながら全力のレーシングスピードで走り続けるわけで、当然ながら車のエンジンやサスペンション、シャシーといった部品には過大なストレスがかかり続けることになる。こうして、何らかのトラブルが起きる可能性が非常に高くなるため、出場する車はただ速いだけではなく、24時間トラブル無しで走り切るだけの耐久性が要求され、万が一トラブルが起こっても早急に修理して戦線復帰することも考慮した設計である必要がある。「耐久」レースと呼ばれるゆえんはここにあるのだ。
しかし、どれだけ万全を期しても思わぬところからトラブルが起こることはある。さらに、レースである以上、ドライバーのミスや他車とのアクシデントによる破損も起こりうる。これらを全て乗り越えたものだけがゴールを迎えることができ、その中でトップだったものが勝者となるのだ。極端な話、23時間59分までトップを走っていても、そこで止まれば「負け」なのである。2016年のトヨタがまさにこれに近い状況で敗北したのは記憶に新しいところだ。[1]それ故に自動車メーカーをはじめ、あらゆる自動車を作る者にとって、ここで勝つことは何者にも代えがたい栄誉なのである。
エントリー枠には60台の上限が定められており、エントリーするには地域のスポーツカー耐久で結果を残していたり、前年のル・マンで好成績を収めていたり、WEC(世界耐久選手権)にフル参戦している必要がある。
場所はフランスのサルト・サーキット。一部公道を使用しており、その全長は13kmと、ニュルブルクリンク北側コース(ノルドシュライフェ)の20kmに次ぐ大きさ。最大の特徴は、かつて6kmにも及ぶストレートだったユノディエール。かつてはここで最高速度をいかに高めるかが重要だったが、今ではシケインが2つ設けられているので直線が速いだけでは勝てない。
現在ル・マン24時間レースはWECの1レースに組み込まれているが、ル・マン24時間レースの方がWECより格上の扱いになっている。同シリーズ内でも観客数や注目度は断トツ、開催方法や扱いも独特で、この辺は同じ世界三大レースのF1モナコGPよりは、インディアナポリス500マイル(インディ500)に近いところがある。またル・マンのみポイント2倍となっているために、WECのチャンピオンシップでも大きな意味を持つレースになっている。
ル・マンでは大別してLMP(ル・マンプロトタイプカー)とLM-GTE(ル・マンGTエンデュランス)の二つの2シーターマシンが使用されており、これらの規格は欧州のELMS(ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ)やアジアのAsLMS(アジアン・ル・マンシリーズ)、アメリカのUSCC(ユナイテッド・スポーツカー・チャンピオンシップ)など多くの耐久カテゴリで用いられている。このようにル・マンは耐久レースの代名詞的な扱いを受けている。
しかし、最高峰クラスであるLMP1はワークス参加が少なくなり、2018年以降ハイブリッドカーのLMP1hに参加するのがトヨタのみの状態が続いていた。そこで、2021年からは最高峰クラスを新たに設けた「ハイパーカー(LMH)」クラスとし、LMP2クラスを性能調整の上で継続することとなった。2021年は移行期としてLMP1マシンも性能調整の上で参戦可能であり、これでフランスのアルピーヌが参戦する。そして2023年からはフェラーリも参戦、58年ぶりの総合優勝をあげることになった。
また、2023年からアメリカのデイトナ24時間を中心としたIMSA勢のためにボッシュ製の汎用ハイブリッドユニットを使用するLMDh規格を導入しGTPクラスを新設。LMHクラスと争わせる構想が立ち上がった。2023年はキャデラックが参戦し3位表彰台を獲得と上々の滑り出しを見せている。
日本との関係
古くから日本チームが参戦しており、トヨタ、日産、マツダの挑戦が有名である。プライベーターではシグマオートモーティブ(現SARD)、童夢、マツダオート東京(マツダスピード)、トムス、チーム郷、コンドーレーシングが参戦したことがある。
日本人ドライバーも日本チームだけで無く外国チームから参戦することは多く、中には国内でしか見れない日本人がル・マンだけ海外に出てくるケースも多い。女性ドライバーでは吉川とみ子、井原慶子が参戦し、井原はアジア人女性として初めてル・マンで完走した。
日本メーカーでは1991年にマツダが総合優勝(ドライバーはジョニー・ハーバートを始め3人共外国人)、2018年、2019年、2020年、2021年、2022年にトヨタが総合優勝した(ドライバーはセバスチャン・ブエミ、中嶋一貴、フェルナンド・アロンソ組が2連覇している。2020年はアロンソに代わってブレンドン・ハートレーがメンバーとなっている。2021年は小林可夢偉、マイク・コンウェイ、ホセ・マリア・ロペス組、2022年はブエミ、平川亮、ハートレー組)。プライベーターでは2004年にアウディを駆ったチーム郷、ドライバーでは1995年に関谷正徳、2004年に荒聖治が総合優勝したことがある(関谷はイギリスのチームとイギリスの車で、荒は先述のチーム郷で、日本チームであるがドイツの車での優勝であった)。また1983年・1990年にマツダ、1993年・1994年・1999年にトヨタ、1995年にホンダが日本チームとしてクラス優勝している。またポールポジションは日本チームでは日産・トヨタ、日本人では中嶋一貴、小林可夢偉が獲得したことがある。このように2017年まで日本チーム、日本車、日本人ドライバーの組み合わせでの総合優勝は無かった。だが、2018年のトヨタの優勝によって、日本人の中嶋一貴が日本チームと日本車との組み合わせでの総合優勝を達成した。この後、トヨタは5年連続で総合優勝を達成している。
エピソード
- 初開催の日となった5月26日は現在も「ル・マンの日」という記念日として制定されている。
- 1955年にメルセデスのマシンが観客席に飛び込み、86人の死者と200人の負傷者を出す大惨事が起きた。この事故の余波は大きく、欧州各国でモータースポーツが一時的に中止・禁止され、スイスに至っては2018年にフォーミュラEが開催されるまではモータースポーツ禁止が続いた。メルセデスはこの後30年間モータースポーツから姿を消した。
- かつてはル・マン式スタートと呼ばれるスタート方式が採用されていた。これは、スタート地点に静止状態でマシンを停めておき、コースの反対側からドライバーが「ヨーイドン」でマシンに走り寄って乗車、急いでエンジンを始動してスタートするというものである。スタートの雰囲気を盛り上げる点では効果があったが、出遅れたドライバーが順位を争って殺到する他のマシンと接触する危険もあった。
1969年、ジャッキー・イクスが各車が急いで出て行った後、ゆっくりと歩いてマシンに乗り込みスタートするという行動に出た。彼にはスタンドプレーをしようというような意図はなく、あくまで24時間もある中でスタート時に一刻を争うバカバカしさに迎合せずに安全を重視したためだった。しかし、直後に死亡事故が発生し、それは図らずも証明されてしまった。しかも、彼自身は優勝してしまうという皮肉のオマケ付きであった。
そして、翌年には予めドライバーがマシンに乗り込み待機、合図によって一斉にエンジンを始動してスタートする方法が取られた。(これは下記の映画、『栄光のル・マン』で見ることが出来る)さらに後年はローリングスタートが行われるようになり、ル・マン式スタートは姿を消した。しかし、日本の2輪レースの鈴鹿8時間耐久では未だに行われ続けている。 - 過去から現在に至るまでF1王者から会社社長、俳優、16歳の若手まで、本当に様々な人々が参戦してきた。なおF1を7度制したミハエル・シューマッハ、WRC9連覇のセバスチャン・ローブも参戦したことがある。近年では2015年に現役F1ドライバーのニコ・ヒュルケンベルグが参戦・総合優勝して話題となった。
- 最多勝ドライバーは9勝のトム・クリステンセン、最多勝チームはポルシェの19回。
クリステンセンは2000年代初めのアウディ全盛時代を中心に活躍し、勝利を重ねた。
ポルシェは「耐久王」の名を欲しいままにし、市販車のブランドイメージ作りにも絶大の効果を挙げている。 - 現在は安全のためにドライバー交代が義務だが、かつてピエール・ルヴェーというドライバーが1952年に一人での走行に挑戦した。彼はトップを走行していたが、残り1時間で疲労による操作ミスでマシンを壊してリタイアした。彼は、後に上記の1955年の大事故で悲劇的な最期を遂げることとなる。
- オイル・ショック明けの1980年代にグループCと呼ばれる規定のマシンが認可された。ポルシェ956・962Cを初めとした様々なマシンが一世を風靡し、多くのファンを沸かせ、魅了した。日本企業も多数参戦していたため、ル・マンと聞くとこの時代を思い浮かべる人も多いだろう。詳しくは当該記事を参照のこと→グループC
- モータースポーツの常として、最高の性能を持つマシンが一番勝利に近いことは間違いない。しかし、このレースではその苛酷さ故に性能が低い下のクラスのマシンでも走りきった結果、ジャイアントキリングを果たした例が幾つかある。
- まず1965年、フェラーリとフォードのワークスが火花を散らし強力なエンジンを積むプロトタイプマシンを出してくるなか、同じプロトタイプながらやや非力なエンジンで、事実上GTカーであるフェラーリ250LMでエントリーしたプライベーターたち。しかし、ワークス勢はパワー故に無理があったのか次々自滅。なんと250LM同士でトップ争いが行われることになった。結局、NART(アメリカのフェラーリ輸入販売者のルイジ・キネッティが率いるチーム)のマシンが優勝。ドライバーはアメリカ人のマステン・グレゴリーとオーストリア人のヨッヘン・リントだった。そして、これは2023年にフェラーリ499Pが勝利するまでの58年にわたって、フェラーリのル・マン24時間レース最後の勝利でありつづけた。
- 続いて1979年、同じくワークスのプロトタイプ・ポルシェ936が悪天候にも翻弄されて潰れるなか、やはりプライベーターのポルシェ935がトップ争いする展開になる。クレマーの935K3が大幅なリードを築いていたが、終盤で燃料ポンプのベルトが切れ、これの修理でかなりのタイムロスとなる。しかし、それでも2位のディック・バーバーチームの逆転には至らず、ドイツ人のクラウス・ルードヴィッヒとアメリカ人のウィッテントン兄弟が市販車ベースのマシンでの勝利を掴んだ。
- 1980年、ワークスは市販車クラスに注力し、プロトタイプはヨースト・レーシングのポルシェ908/80(908をモディファイして936のカウルを被せたマシン)以外に有力なチームが無かった。そんな中、グループ6クラスにプライベート参戦していたジャン・ロンドーは、自らのマシンM379Bを1978年にルノーで優勝した経験を持つジャン=ピエール・ジョッソーと共に駆って出場していた。M379Bはポルシェ936とは比べるべくもないコスワースDFV+ヒューランド製ギヤボックスという「キットカー」であったが、相手のヨーストも旧型シャシーの寄せ集めであり、実情は互角と言えた。去年に続いてレースは雨に見舞われ、初めにトップに立ったポルシェ935や908/80はトラブルで後退。やがてトップに立ったロンドーが優勝した。ロンドーは自分の名をつけたマシンを自ら操って勝つという快挙を成し遂げた。また、プライベート参戦のマイナーなコンストラクターが勝利したという意味でも快挙だった。
- 1995年、メーカーワークスのエントリーがない中、性能にまさるポルシェエンジンのWSCマシン、クラージュC34と、GTマシンのマクラーレンF1・GTRの対決となる。当初、マクラーレンF1は4時間レース基準の耐久性しか持たず、ノートラブルで走り切るのは無理との下馬評だった(と言うか、設計者のゴードン・マーレイ自身がそう評していた)。しかし、当日は雨に見舞われて全開走行の時間が大幅に減り、結果としてマクラーレンF1の弱点は出なかった。一方でマリオ・アンドレッティらの駆るWSCマシンはトラブルやコースアウトで遅れ、JJレート、関谷正徳、ヤニック・ダルマスの乗る国際開発UKチームの勝利となった。上記1979年以来の市販車ベースのマシンの総合優勝である。
- 賞典外として、レギュレーションから大きく外れるような前衛的な形状や技術を用いたマシンが許可されることがある。それまで55台分だったガレージをこの特別枠のために増築したため、別名「ガレージ56」「ピット56」と呼ばれる。これまでに三輪と見紛う形状のデルタウィングやシリーズ式ハイブリッドのZEOD、手足の無い人でもドライブできるLMP2マシン、アメリカはNASCARのストックカーなどが参戦した(このうち完走できたのはLMP2マシンとストックカーだけである)。
- 世界的に有名なイベントであるがゆえに、これまで何度も映画・ドラマ・ゲームなどの題材になっている。
特に有名なのはスティーブ・マックイーン主演の映画『栄光のル・マン』(1971年)や映画『フォードvsフェラーリ』(2019年)である。
関連動画
関連項目
脚注
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