ルー・テーズとは、「鉄人」の異名を取る往年の名プロレスラーである。
概要
1933年、16歳でデビューして以来、1990年の蝶野とのエキシビジョンマッチを経ての正式引退まで、実に58年もの間現役でい続けたとんでもない親父さん。1948年に3度目のNWA世界ヘビー級王者となってから936連勝する(後述するがこの連勝は他ならぬテーズ自身が否定していたり、明らかに疑問点が存在するなど現在では連勝自体が作り話の一種として考えられている)などタイトル歴も多い。
グレート草津をバックドロップで、力道山をパイルドライバー(パワーボムの原型)でそれぞれ失神KOに追い込むなどガチファイトも強かった。その後、猪木・R木村・鶴田にバックドロップを教え、鶴田にフライングボディシザースドロップを、テリー・ゴーディにパイルドライバー(パワーボムの原型)を、蝶野正洋にSTFを教え、UWFインターナショナルの顧問を務め、「神様」カール・ゴッチと共に日本プロレス界の師として多大な貢献を果たした。
今の観点から見ればファイトスタイルは(当然だが)クラシカル、だが必殺のバックドロップはもちろんのこと、カウンターのボディシザースドロップなど飛び道具も使え、相手との間の外し方も見事。R・フレアーなどのムーブに大きな影響を与えているようだ。またグラウンド技ではダブル・リストロック(チキンウイング・アームロックという名前のほうが通りがいいが本人はこの呼び方にこだわった)を得意とし、「試合中1つだけしか技を使えないならこれを使う」というほどこだわっていた。「客にはっきり伝える」ことにもこだわりと誇りをもち、「らしい身体」を作るためのウエートトレーニングの容認、また自身の選手としてのコンディショニングも厳格に行なっていた。(動画見てみろ、マジでパねぇから。)晩年近くには格闘漫画の原作指導もしており、大変頭のやらかい親父さんでもあったことが伺える。(自身の薄い頭髪を試合中のネタにするほどにw)派生技まで含めるとバックドロップやパワーボムの使い手は多く、最近は獣神サンダー・ライガーの手によりフライングボディシザースドロップが復活するなど、2002年の没後もなお、彼の影響は大きい。
…とここまでだけなら「イイ人」で済むのだが、実はテーズには致命的欠点&悪評が存在する。
「カネに汚い&がめつい」
のである。
かの力道山がテーズを破って手に入れ、後に三冠王座の1つとなったインターナショナルヘビー級王座も実の所
「カネでルー・テーズから王座を買った」というのが関係者の証言で明らかになっている。
しかもその条件は「力道山1代限りの貸与。金額は900万円」と明らかに吹っかけた金額だった…
(しかも売却されたのは”タイトル”だけでベルトは個人所有だといって拒否された為、力道山が自分でベルトを作ったのは余りに有名な話)
更に笑えないのが後年ジャイアント馬場がインターナショナル王座を復活させた時に払った金額は倍の1800万円とも言われている。上記の様に「1代限りの貸与」だったにも関わらず、カネを積まれるとあっさり態度を変えるのが
テーズの特徴ともいえる。
(そのせいか全日本ではテーズは選手としての参加は1度もなく1983年にレフェリーとして登場のみである。)
それ以外にも力道山死後にグレート東郷と「トーゴー&テーズ・カンパニー」 という会社を設立し、日本プロレスの
乗っ取りを画策して失敗したり、1981年に国際プロレスの招聘で訪日した時は
「猪木、馬場、ラッシャー木村(当時国際プロレスのスター選手)で誰が一番強いか?」
という質問に対し、
と見事なまでにスポンサーに配慮した発言をしている。
更には1988年にレスリングスクールを作り北尾光司(元横綱双羽黒)、蝶野正洋、田村潔司と一緒に弟子入りした
セッド・ジニアスからコーチ料を月額7000ドル、総額約1千万円も大金を取りながら、自分ではほとんど教えなかった
という立派な詐欺行為まで行っているがプロレスマスコミが事実を報道しなかった為、あまり知られてはいない。
またテーズは1963年以降選手としてはセミリタイヤ状態になり、
1985年以降は実質的に引退状態であった。そしてその頃から代わりに行うようになったのが
「元NWA世界王者」である自分の名前を売り物にしてあちらこちらの団体に出没する事とだった。
1990年9月に新日本で「グレーテスト18クラブ王座」というルー・テーズが発起人となって作られ、
長州力が初代王者に認定されたが、 実はその半年前の3月に旧NWA世界王座ベルト(通称テーズ・ベルト)を
アメリカでインターナショナルワールドヘビー級王座として復活させて王者にしており、その半年後には
UWFインターナショナルに参加して同じくテーズ・ベルトを持ち出してプロレスリング世界ヘビー級王座として
名称で復活させ高田延彦を初代王者にするなどあちらこちらで名前や自分のベルトを出しながら
「カネ欲しさ」に 色々な王者を誕生させていた事が窺える。
(因みに新日本とはUWF参加を機に絶縁状態となり、グレーテスト18クラブ王座は92年に自然消滅。そしてUWFも
経営が傾いた途端に縁を切るなど実に「カネの切れ目が縁の切れ目」を見事に具現化した行動をとっている。)
トドメには1997年にあれほど愛着があるはずのテーズ・ベルトを6000万円でオークションに出品してしまった‥
おい、テーズ!
(因みにこのベルトは現在もテーズ未亡人が所有している事からどうやら誰も買い手が付かなかったようである。)
鉄人の華やかな活躍の裏にこういった一面があった事は忘れてはならない。
・因みにテーズとネタとしてつとに有名なのがNWA王者時代の936連勝ギミックだが、
「引き分けを挟んで936連勝」とか「連勝では無く936戦無敗」だったり「実は2000勝」等色々言われるが
英語版のWikipediaにもそんな記述はどこにもないばかりか当のテーズ本人が自伝で「そんなに勝利していない」と
明確に否定している。 (因みにNWA世界王座6度戴冠は旧NWA世界王座をカウントに入れれば本当の話)
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