ルー大柴を一言で指すなら、エンターテイナーである。異論は認める。
ルーのディスクリプションだ!
ハイスクール卒業と同時に実家を飛び出し、欧州各地で自作アクセサリーの露天商をしながらエグザイリング。ここで英会話、ならびに自身の芸風のベースができあがる。
帰国後、勝新太郎主宰の演劇学校に参加し、小堺一機と知り合う。小堺一機が関根勤とパーソナリティを務めた「コサキンDEワァオ!」においてルーの特異なキャラクターが トピックとなり、その後、1989年に関根が立ち上げた「カンコンキンシアター」へ参加、日本語・英語ハイブリッドの陽気すぎる語り口が話題を呼び、かつら会社のCMで決め台詞としていた「トゥギャザーしようぜ!!」とともにブレイク。バット、もともと本人が目指していたアクターとしてではなく、クセの強いコメディアンというポジションで落ち着いている。
ちなみに、日英ハイブリッドのトークスタイルは、上記のエグザイリング期間に加えて、ハイスクール時代のガールフレンドがベリーシミラーな口調の帰国子女だったこと、また、父親が日露中英クァトリンガルだったというシチュエーションも影響している。
1990年代後半からは舞台演劇をメジャーしていたため、自然とテレビジョンへ顔を出すチャンスが減っていった。そんな中、2003年に「探偵!ナイトスクープ」にて、ルーそっくりの祖父が他界後、元気がなくなった少女を励ましてほしいという依頼に応じ、それまでテレビで見せていたキャラクターを封印、あくまでも祖父になりきって依頼者家族と接した。
この姿が大きな感動を呼び、関西圏で好感度が急上昇。ルー本人も2007年頃からの再ブレイクのきっかけと語るほどであり、その後もナイトスクープには顧問として出演し続けている。
再ブレイクのきっかけとして、50歳を機にスタートしたブログも挙げられることがある。
こちらはテレビで見せるキャラクター同様の文章なのだが、ルーにしかクリエイトできない言葉遊び=ルー語として受け入れられ、かつてなら出川哲朗とポジションが近いからと敬遠されていた女子中高生にもグッドインプレッションを与えた。
ルーがアクトしてるムービー
やぶからスティックに関連生放送
青天のサンダー!なルーの商品
このページたちとトゥギャザーしようぜ!!
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