レキシントン(Lexington)とは、1850年生まれのアメリカの競走馬。
種牡馬として、19世紀中期のアメリカにおいて史上稀に見る大成功を収めた。
生い立ち
父Boston、母Alice Carneal、母父Sarpedon。もう200年近く前のお方なのでよくわからん。
一応父のボストンは競走馬として活躍。本馬の曾祖母レディグレイから広がる牝系は現代でも現存しており、例えばウィジャボードが牝系子孫である。
因みに本馬はヘロドの系統に属している。欧州で勢いを失った後も北米やオセアニアではヘロド系種牡馬は活躍していた。
さて、そのレキシントンだが実は最初は「ダーレー」と名付けられていた。どうやらダーレーアラビアンの肖像によく似ていたのが理由だとか。更に言うと本馬はデビュー前に去勢されかけた。生産者のウォーフィールド博士(お医者さんだったらしいよ)が高齢による夫人の勧めから競馬事業を辞めようと考え、所有馬を全部去勢するようスタッフに指示。するとレキシントンはタマを切られる直前に縛られたロープから脱出し、スタッフに怪我を負わせた。これが原因で去勢は取りやめとなった。
競走生活
3歳から5歳まで走り通算成績は7戦6勝。当時は同じレースを何度か繰り返して勝敗を決める「ヒートレース」が主流であり、本馬も4マイル(6400m)のヒートレースを何度か制した事があり、当時行われていたタイムトライアルレースでは4マイルの世界レコードを残した。
3歳時に所有権がリチャード・ブロークという男に売却。この時に名前が「レキシントン」に改名された。因みにこのブロークという男はほら吹きラッパで、「レキシントンを生産したのは自分だし、母のアリスカーネルを生産したのも自分だけど、何故か今までウォーフィールドの手元にあった」と周りに言いふらしたとか。
ついでに書くと、3年間で7戦しかしていないのはブロークが掛け金を吹っかけたせいで応じる馬主がいないという現象が頻発していたかららしい。
5歳まで競走を続けたが、逆に言えば5歳までしか続けられなかった。何故かと言うと1855年頃になってレキシントンの視力は著しく低下し、間もなく全盲となったためである。現代の研究によって眼病を患っていた事が判明している。
引退後
引退後、ブロークの知人であるジョン・ハーパーが所有する牧場に預けられ、更に2年後の1858年にロバート・アレクサンダーという馬産家が1万5000ドルという当時アメリカのサラブレッドの取引における最高額とも言われる金額でレキシントンを買い取った。当時は頭大丈夫かと心配されたらしいが、「これ以上の値段で馬を売ってやる!」と言い張り、初年度産駒ノーフォークを1万5001ドルで価格設定したのは有名な話である。
初年度産駒がデビューする1861年には南北戦争が勃発し、競馬も規模が縮小して行われたり、産駒が軍馬として徴発されたり消息不明となったりと不運なスタートを切ったものの生み出される活躍馬は数知れず。ヒートレースからダッシュレース(1回だけの競走)が主流へと移る中でも変わらず産駒を送り続けた。
代表産駒には現代でプリークネスSにその名を残すプリークネス、種牡馬として活躍したノーフォーク、3歳牡馬競走を総なめにした最晩年の産駒デュークオブマジェンタがいる。
その活躍たるや凄まじく、14年連続、全16回に及ぶ北米リーディングサイアーという途方もない大記録を樹立。どんくらいヤバいかと言えば、*サンデーサイレンスが13年連続13回、サドラーズウェルズが13年連続14回+フランスで3回、*デインヒルが英愛仏豪で合計14回、かのキンチェムに種付けしたバッカニアという19世紀中期の活躍種牡馬(三冠牝馬フォルモサの父)が墺洪15回+独4回+英1回の20回といった感じ。
同じ地域での14年連続・16回のリーディングサイアーは現在でも最多記録である。仮にこれを超える事が出来たら正直、引く。あと健康を心配する。
イギリス人が「ジェネラルスタッドブックに載ってない馬がいたらそいつはサラ系だ」という趣旨のジャージー規則を制定したのも、元はと言えばレキシントンを血統表に持つ馬が欧州で走りまくったのが原因であるのだ。それを破壊したのが同じヘロド系であるトウルビヨンってのも面白い。
でもレキシントン系って聞いたこと無いな。という人もいるのも当然で、孫曾孫世代の後継種牡馬にはさほど恵まれず、20世紀に入る頃には直系子孫の活躍も少なくなり、21世紀を迎える前には本馬を直系父系に持つ馬は完全にいなくなった。
ただ本馬の本懐は牝系にその名を残すことにあり、何らかの形で本馬の血を引く馬は多数存在する。マンノウォーなど20世紀のアメリカ産の名馬にはだいたいレキシントンの血が入っている。現代ではレキシントンの血を持たない馬はほぼいないと断言できる。なぜなら世界的繁殖牝馬であるムムタズマハルや、大種牡馬であるネアルコはレキシントンの血を持っているのだから。
彼の遺した血は現代のサラブレッドを構築する要石となり、その足跡の偉大さは定量するのが困難なほどである。全米で最も古く権威ある競馬雑誌「ブラッド・ホース」が毎年出版する「Stallion Register」という種牡馬の目録があるのだが、その表紙は必ずこのレキシントンの肖像画となっている。
1875年に25歳で死亡。20年近く全盲で過ごしてきたが、アレクサンダーらにより大切にされ、南北戦争を生き抜いた。死後骨格標本が組み立てられ、スミソニアン博物館に寄贈、展示されている。「レキシントン」というバーボンがあるのだが、ラベルには本馬の肖像画がプリントされている。現代のアメリカにおいても、レキシントンは永遠のヒーローとして語り継がれている。
血統表
Boston 1833 栗毛 |
Timoleon 1814 栗毛 |
Sir Archy | Diomed |
Castianira | |||
Saltram Mare | Saltram | ||
Wildair Mare | |||
Sister to Tuckahoe 1814 栗毛 |
Ball's Florizel | Diomed | |
Atkinson's Shark Mare | |||
Alderman Mare | Alderman | ||
Clockfast Mare | |||
Alice Carneal 1836 鹿毛 FNo.12-b |
Sarpedon 1828 黒鹿毛 |
Emilius | Orville |
Emily | |||
Icaria | The Flyer | ||
Parma | |||
Rowena 1826 栗毛 |
Sumpter | Sir Archy | |
Robin Redbreast Mare | |||
Lady Grey | Robin Grey | ||
Maria |
クロス:Sir Archy 3×4(18.75%)、Diomed 4×4×5(15.63%)
関連動画
動画どころか写真が開発されて間もないので……
レキシントンの新しい写真とか発掘されたら(英語版Wikipediaには1枚ある)、発掘される度に博物館や蒐集家が札束で殴り合う光景が見られそう
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関連項目
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