レッドランサム(Red Ransom)は、1987年生まれのアメリカの競走馬・種牡馬である。馬名はオー・ヘンリーの短編小説「The Ransom of Red Chief(日本語題:赤い酋長の身代金)」に由来する。
概要
父Roberto、母Arabia、母父Damascusという血統。
父ロベルトは当該項目を参照。本馬が生まれた時期はボチボチGI馬が出始めた頃である。
母*アラビアは現役時代13戦3勝である。半兄(父Arts and Letters)にGI4勝を挙げたWinter's Taleがいる。
母父ダマスカスは1967年のプリークネスS、ベルモントS、ウッドワードSなどに優勝した活躍馬で種牡馬としても成功した。詳細は当該記事参照。
本馬はMill Reefなどの生産所有者であったアメリカのオーナーブリーダーであるポール・メロンによってヴァージニア州のロークビーステーブルで生産され、彼の所有馬としてマッケンジー・ミラー厩舎に預けられた。
競走成績
デビュー戦となった1989年8月2日のメイドン(未勝利戦)では、最終的にGIII3勝を挙げるFor Reallyという馬を3馬身半差の2着に破り、ダート5ハロン56秒80というサラトガ競馬場のコースレコードを叩き出して勝利した。月末に出走した一般競走もアタマ差で勝利したが、故障のためにBCジュヴェナイルをはじめとする重賞戦線には顔を出せなかった。
年が明けて3月3日のガルフストリームパーク競馬場の一般競走で復帰したが、後に1991年のエクイポイズマイルH(GIII)を勝つBright Againの1馬身1/4差2着に敗れ、その後故障[1]し引退した。通算成績は3戦2勝だったが、重賞は勝利どころか出走すら一度もなかった。
種牡馬成績
引退後はその快速ぶりを評価され、ケンタッキー州のワイナリースタッドで種牡馬入りした。産駒は初年度からよく走り、1994年の北米新種牡馬ランキングで1位を獲得すると、翌年には初年度産駒のうちの1頭であるBail Out Beckyがデルマーオークスを勝って早々に産駒からGI馬が出た。
産駒の特徴として、自身は短距離しか経験がなかったが、産駒は他のRoberto系種牡馬の多分に漏れず距離をこなせる馬が多かった。最も柔軟な活躍を見せたElectrocutionistは現役中に心臓麻痺で早世したが、現役時代は強い競馬を見せながらGIとは無縁に終わったマイラーのIntikhabが種牡馬としてそこそこ成功し、現在は同馬のラインが最有力後継となっている。
1999年に生産所有者のメロンが死去すると、ゴドルフィンを中心としたシンジケートに購買されてオーストラリアにシャトルされるようにもなり、2004年からは北半球における活動拠点をダーレーグループの英国拠点であるダルハムホールスタッドに移した。2009年11月に腸の手術を受けた後、合併症を起こし22歳で死亡した。産駒のステークスウィナーは100頭を上回り、GI馬も10頭以上出ている。
血統表
Roberto 1969 鹿毛 |
Hail to Reason 1958 黒鹿毛 |
Turn-to | Royal Charger |
Source Sucree | |||
Nothirdchance | Blue Swords | ||
Galla Colors | |||
Bramalea 1959 黒鹿毛 |
Nashua | Nasrullah | |
Segula | |||
Rarelea | Bull Lea | ||
Bleebok | |||
*アラビアII Arabia 1977 鹿毛 FNo.6-b |
Damascus 1964 鹿毛 |
Sword Dancer | Sunglow |
Highland Fling | |||
Kerala | My Babu | ||
Blade of Time | |||
Christmas Wind 1967 鹿毛 |
Nearctic | Nearco | |
Lady Angela | |||
Bally Free | Ballymoss | ||
Fair Freedom | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Nearco 5×5×4(12.5%)、Blue Larkspur 5×5(6.25%)
主な産駒
1992年産
1996年産
1997年産
2000年産
2001年産
2002年産
2003年産
2004年産
2005年産
- All American (牡 母 Milva 母父 Strawberry Road)
- Duporth (牡 母 Staging 母父 Success Express)
- Typhoon Tracy (牝 母 Tracy's Element 母父 *ラストタイクーン)
2006年産
2009年産
関連コミュニティ
関連項目
脚注
- *症状については、当時のサン・センチネル紙では「腱の炎症」、ブラッド・ホース誌の訃報記事では「種子骨骨折」とある。いずれにしても競走生命に関わるレベルの故障を発症したことは間違いない。
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