レナード・ブルームフィールド(1887~1949)とは、アメリカの言語学者である。
アメリカ構造主義言語学の第一人者であり、チョムスキー以前のアメリカの言語学を代表する人物である。
概要
ブルームフィールド一家はオーストリアからアメリカに移住し、ウィスコンシン南東部の片田舎に保養地を購入して、経営して生計を立てていた。
19歳の時にはハーバード大学を卒業し、その後ウィスコンシン大学、シカゴ大学へと進み、1909年にはゲルマン語学、インド・ヨーロッパ語族の比較言語学で博士号を取り、シカゴ大学を卒業した。その後シンシナティ大学とイリノイ大学でドイツ語を教え、1913年に一度休職し渡欧して、カール・ブルークマンのもとで学んだ。帰国後はイリノイ大学からオハイオ州立大学へ、そしてシカゴ大学に籍を置いた後イェール大学でサピア亡き後のスターリング・プロフェッサーとなっている。
ブルームフィールドの初期の研究はインド・ヨーロッパ語族の比較言語学を中心としていたが、イリノイ大学でタガログ語話者に協力してもらいタガログ語の入門書を作成、一方でアルゴンキン諸語の研究に本格的に取り組み始めた。また1920年代にはアメリカ言語学会の設立推進の中心的人物として活躍している。
ブルームフィールドの研究は行動主義心理学者のアルフレッド・ワイスの影響によって、過去の哲学的文法化やエドワード・サピアに見られる心理主義から距離を置き、フェルディナン・ド・ソシュール流のアメリカ構造主義言語学を『言語』などの著作で打ち立てたのである。彼は機械論的言語科学を用いて様々な言語を分析していった。
もう一つの功績が、後進育成のための集中言語プログラムへの関与で、この教授法や教材はブルームフィールドの考えを反映させ、1960年代までアメリカの外国語教育の実践に影響を与えたのである。
ブルームフィールド自身は1946年に脳卒中を患い一線を退いたが、ブルームフィールド以降派と呼ばれるバーナード・ブロック、ゼリグ・ハリス、チャールズ・ホケット、ジョージ・トレーガーといった研究者たちがその後10年間アメリカの言語学の主流になったのである(ケネス・パイクのように距離を置いたものもいたが)。ブルームフィールド以降派は、言語を科学的にとらえ言語間をまたいだ記述用語の一般化は控える、というブルームフィールドの立場を進展させた存在であったが、必ずしも行動主義への傾倒などのブルームフィールドのスタンスをそのまま継承したわけではなかった。
しかしノーム・チョムスキーをはじめとした生成文法学者たちが、彼らアメリカ構造主義言語学者たちからの影響をどの程度受けたかについては議論の真っ最中であり、現行の言語学においてブルームフィールドらをどのように取り扱うかはまだ定まっていない。
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