レバンガ北海道とは、北海道札幌市を本拠地とするバスケットボールクラブ、及びBリーグに所属するプロバスケットボールチームである 。
概要
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日本バスケットボールリーグ(新JBL)参入にあたり、2011年に誕生したバスケットボールクラブである。
愛称の「レバンガ(Levanga)」は"頑張れ"が由来で、逆さま読みにした結果そうなった。・・・つまり一部分だけコンサドーレ方式に倣っている(※コンサドーレは"道産子(どさんこ)"を逆さま読みにしたものに"オーレ"をそのまま繋ぎ付けた愛称である)。
北海道では元々レバンガ以前から、『レラカムイ北海道(Rera Kamuy HOKKAIDO)』というバスケットボールクラブが2007年に誕生し、併せて傘下のプロバスケットボールチーム(※トップチーム)が新JBLへ参入した(※2007年は新JBL設立年)。しかし、経営難によりクラブは消滅の危機に遭った。それを受けて2011年、当クラブが誕生することになり、レラカムイ北海道トップチームを引き継ぐ恰好となった。
トップチーム略歴
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- 2006年、運営法人『株式会社ファンタジア・エンタテインメント』設立。翌2007年、クラブ及びトップチーム創設し、新JBLに参入。北海道で三番目のプロスポーツチームともなる。
- 2007年初年度は最下位(8チーム中)。以降長らく下位を彷徨い続けることとなる。
- 2010年、運営法人の経営悪化が表面化。クラブ運営は一旦、『株式会社日本バスケットボールオペレーションズ』(JBO。新JBL傘下の興行権取り扱い組織)が引き継ぐ格好に。一方で、トップチームはリーグ戦で振るわずともオールジャパン(※天皇杯)で初のベスト4入りを果たす。
- 2011年、上記の問題が解決されず、クラブどころかトップチームも消滅危機だったことにより、しびれを切らした"ミスターレラカムイ"の折茂武彦選手が新しく運営法人(一般社団法人北海道総合スポーツクラブ)を設立。前代未聞の「選手兼任のクラブオーナー」の誕生となるが、これはBリーグ開幕の2016年現在でも続く状況となっている。
- 2016年、Bリーグ開幕。色々有りながらも無事、B1リーグ所属が決まり現在に至る。
特筆事項
本当は引き継げれることが可能だった『レラカムイ』の愛称
2010-2011年シーズンに発覚した経営危機だが、クラブの運営権がJBOに移った後、「ファンタジア・エンタテインメントが"愛称『レラカムイ』の無償譲渡を拒否した"と発表」されたが、実際の所はファンタジア・エンタテインメントが愛称『レラカムイ』の無償使用許可を申し入れてもJBOが断っていた。JBOのその真意は謎に包まれたままである。
前代未聞の「選手兼任のクラブオーナー」
「選手兼任の監督」なら今宵も様々なプロスポーツチームで見掛けられる光景だが、2011年、クラブ設立経緯から選手兼任のクラブオーナーが誕生してしまった。その立場になったのは、チーム創設時にトヨタ自動車アルバルクから移籍し、その後『ミスターレラカムイ』と称され、現在のクラブ創設後は『ミスターレバンガ』と称される折茂武彦である。(※ちなみに元日本代表選手で家族持ちでもある)
以降、レバンガのオーナーとして経営にも関わっていく折茂だが、その初めについて"プロチームを経営することの厳しさはある程度覚悟していたが、ここまで大変だとは思っていなかった"と回想している。
余談だが、折茂本人は関東から北海道に来て"バスケットボールに対する意識が変わった"という。それまで「自分のための」だったのが「誰かのために」するようになったという。
・・・まだチームが『レラカムイ北海道』だった頃、ホーム開幕戦に数千人の観客が集まってくれて、曰く"トヨタ自動車時代では考えられない歓迎ぶりだった"とのこと。その時、「チームは北海道の方々に支えられている」ということを初めて痛感し、"応援してくれる方々のためにプレーしようという気持ちになった"と折茂は述べている。
また、「選手として」というより「人間として」成長させてくれたのが北海道であり、故に自分自身が北海道のためにチームを大きくしていこうと思うようになったことが、「選手兼任のクラブオーナー」の立場へと繋がっていった。
自分は素人で、難しいことはたくさんありますが、周りのサポートがあってここまでできました。まだまだ未熟ですが、みんなが同じ方向を向いてチームを作っていけるよう頑張っていきたいです。
一日入団契約
ナショナル・バスケットボール・リーグ最終シーズンの2015-2016年シーズン、レバンガ北海道はある元アマチュア選手と「一日入団」の契約を交わすことになる。
・・・その契約を交わすことになった人物の名は「佐藤竜弥」。彼は学生時代、U-18日本代表に選ばれ、日本体育大学バスケットボール部『日本体育大学ライオンズ』では全日本大学選手権大会(インターカレッジ)4連覇を成し遂げるなどの実力の持ち主だった。卒業後は札幌市役所バスケットボール部に所属し、選手として同チームの北海道代表としてのオールジャパン(天皇杯)出場、また、市立屯田中央中学校バスケットボール部の顧問を務めるなど、北海道バスケットボール界の発展に貢献していく。
だが、そんな彼を突如、「悪性リンパ腫」という病魔が襲いかかった・・・。
以降、闘病していくことになるが、その姿を観た日本体育大学の同級生らは、彼の力になろうと『佐藤竜弥を励ます会』を設立。同会では100人以上の会員を集め、彼の夢であったプロバスケットボール選手を叶える為に、レバンガに一日入団の契約を申し入れる。これに応えたレバンガはNBLの許可を取り付け、夢を実現していくこととなる。
この夢の実現にはまだ詳細があった。以下は折茂武彦クラブオーナーの話。
竜弥はレバンガの選手の先輩でもあるんですが、実は大野篤史(※)から"5月1日に広島とレバンガの試合の時なんですが・・・"という相談があったんです。その内容としては、竜弥が今闘病中なので励ますためにも何かできないかと。
私は竜弥と対戦経験があったので、彼が北海道のバスケットボールにどれだけ貢献していたかも知っていたのですが、今そのような状況にあることを初めて知って。そこで、会社とも話し合って、NBLにも了解を取ってホーム最終戦の5月2日に1日入団してもらうことにしました。大野も"最終戦の方がいいかもしれないですね"と了承してくれました。
異例中の異例の出来事でしたが、バスケットボール人として彼を励ましたかった、これに尽きます。
BUSINESS NOMAD JOURNAL『【地方創生・北海道】北海道のためにプロスポーツチームができることとは・・・レバンガ北海道・折茂武彦社長(後編)』より
<※大野篤史:日本体育大学インターカレッジ4連覇メンバーの一員。当時は広島ドラゴンフライズのアシスタントコーチ>
様々な人達の支えが大きな力となってこの契約が実現したことについて佐藤は入団会見にて"病気に打ち勝ち、またバスケットに携わり、生徒が待つ教壇にも戻り、応援に恩返しをしたい"と新たな決意を述べ、会見に集まった記者や観覧者からは大歓声が沸き上がるのだった・・・。
しかし病魔はそんなことをお構いなしに彼の身体を貪り続けた。その結果、一日入団から23日後、佐藤は帰らぬ人となった・・・。
なお、死去したことを公表したクラブは公式サイト上でこう追悼した。
ご家族の方々に哀悼の意を表するとともに、レバンガ北海道のチームの一員として最後まで戦ってくれた故人の意思を受け継ぎ、これからも共に戦ってまいりたいと思います。
レバンガ北海道 旧:公式サイト『【訃報】レバンガ北海道#23佐藤竜弥選手について』 より
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関連コミュニティ
関連項目
- Bリーグ
- 北海道 - 札幌市
- その他の北海道のプロスポーツチーム(※但しレバンガと異なり、いずれも北海道発祥ではない)
- アルバルク東京/トヨタ自動車(※レバンガ北海道創設者である折茂武彦の出身チーム及び出身会社)
クラブ公式サイト
参考文献
- BUSINESS NOMAD JOURNAL『【地方創生・北海道】バスケットボールの一選手からプロチーム経営へ・・・レバンガ北海道・折茂武彦社長』
- 札幌市『さっぽろ創造仕掛け人(第8回)』
- スポーツ報知『【バスケ】レバンガ、難病の元アマを「1日限定選手」に。ホーム最終戦でベンチ入り』
- スポーツニッポン『レバンガ北海道"1日限定選手"の佐藤竜弥さん死去』
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