ロジャー・フェデラー(Roger Federer)とはスイスのテニス選手である。
妻はマネージャーも勤める、元女子プロテニス選手のミルカ・バブリネック(現ミルカ・フェデラー)。
テニス界随一のおしどり夫婦としても有名。4児のパパ。
概要
Roger Federer | |
基本情報 | |
---|---|
国籍 | スイス |
出身地 | スイス:バーゼル |
生年月日 | 1981年8月8日 |
身長 体重 |
185 cm 85 kg |
選手情報 | |
利き手 | 右 |
バックハンド | 片手打ち |
デビュー年 | 1998年 |
テニス選手テンプレート |
四大大会最多勝利数の記録を持ち、史上最高のテニス選手と賞されることが多いテニスプレイヤー。
元々ジュニアランキング1位、ウィンブルドンジュニア優勝など期待の若手選手だったが、2001年のウィンブルドン4回戦で当時の芝の王者ピート・サンプラスを破り頭角を現す。その後しばらくは勝ったり負けたりの中途半端な成績が続いたが、2003年にウィンブルドンで四大大会初優勝すると、その後は驚異的なペースで四大大会を勝ち続けた。2007年、2008年のウィンブルドン決勝におけるラファエル・ナダルとの大激戦は名勝負として非常に有名。2009年には悲願の全仏オープン初優勝を挙げキャリア・グランドスラムの達成(男子史上6人目)と同時にサンプラスの持つ四大大会14勝の最多記録に並ぶ。同年のウィンブルドンではアンディ・ロディックとの77ゲームに及ぶ激闘を制し、サンプラスの目の前で四大大会優勝の最多記録を更新した。
翌2010年の全豪オープンでイギリス期待のアンディ・マレーを下して優勝した後、しばらく四大大会の優勝からは見放されたが2011年の全仏オープン準決勝ではノバク・ジョコビッチの開幕からの連勝を止めるなど光る活躍を見せていた。2012年のウィンブルドンでは準決勝でジョコビッチ、決勝でマレーを下し3年ぶりに優勝、ランキングも1位に復帰してサンプラスの1位在位記録を更新した。ウィンブルドンを会場として使用したロンドン五輪では準決勝でファン・マルティン・デル・ポトロと第3セット19-17という大激戦の末に勝利。決勝ではマレーにストレートで敗れたものの銀メダルを獲得している。
2013年はウィンブルドンでまさかの2回戦敗退を喫し、最終ランキング6位、四大大会での決勝進出無しといずれも2002年以来の低調な成績で今後が不安視されていたが、その後復活。2014年は決勝進出11回、うち優勝5回、年間トップのマッチ73勝で最終ランキング2位、さらに2015年も優勝6回を数えランキング3位でフィニッシュしている。この間ウィンブルドンとツアーファイナルズは2年連続準優勝、2015年は全米オープンも準優勝と存在感を見せ付けている。また2014年はスイスにとって初のデビスカップ優勝を経験したほか、2015年最初の大会となったブリスベンでは史上3人目となるマッチ通算1000勝の大記録を優勝で飾った。
2016年は故障がちで四大大会本戦連続出場も65大会でついにストップ。ウィンブルドンでは準決勝まで残ったが、ミロス・ラオニッチにフルセットで逆転負けしたあと残りシーズン全休が発表された。ツアータイトル無しで終わったのも2000年以来のことである。公式戦の復帰は2017年全豪オープンとなったが、決勝でナダルとのライバル対決フルセットを制して、まさかの優勝で復帰戦を飾った。同年ウィンブルドンでは史上最多8回目と最年長優勝の両方を達成。2018年の全豪オープンでも連覇を果たすなど完全復活の感がある。2月のロッテルダムでは史上最年長でのランキング1位復帰を優勝で決めた。余談ながら初めて1位に立ってから今回の復帰までの期間(14年17日)、前回1位から復帰までの期間(5年106日)も史上最長である。なお2016年休養の理由は「今後数年プレーするため」としていたため、当面引退するつもりはないようである。
2018年ウィンブルドンでは残念ながら連覇はならなかったが、それ以上にユニクロのウェアが衝撃を与えた(主に日本のファンに)。ナイキとの契約が3月で切れたこともあって噂には上がっていたが、まさか実現するとは…。なおRFロゴはナイキが権利を持っているため使えないが、フェデラー自身に権利を渡すよう交渉中の模様。スケジュール的に上海MSの直前となるジャパンオープンに出場する可能性は低いが、チャリティーやエキシビション等、何らかの形で来日する機会があるかもしれない。
よくわかるフェデラーの実績
(その1)
A:フェデラーはどれぐらい凄いの?
B:テニスでは毎年四大大会が開催される。
A:うん。
B:2003年~2010年までの8年間だと延べ32人の王者が誕生する。
A:うんうん。
B:その32人のうち16人がフェデラーだ。
(その2)
以下が2003年~2010年の四大大会における優勝者の一覧である。
全豪 | 全米 | ウィンブルドン | 全仏 | |
2003 | アガシ | ロディック | フェデラー | フェレーロ |
2004 | フェデラー | フェデラー | フェデラー | ガウディオ |
2005 | サフィン | フェデラー | フェデラー | ナダル |
2006 | フェデラー | フェデラー | フェデラー | ナダル |
2007 | フェデラー | フェデラー | フェデラー | ナダル |
2008 | ジョコビッチ | フェデラー | ナダル | ナダル |
2009 | ナダル | デルポトロ | フェデラー | フェデラー |
2010 | フェデラー | ナダル | ナダル | ナダル |
わかりやすくするために03年以降のフェデラー以外の全選手を仮に藤井猛とする。
全豪 | 全米 | ウィンブルドン | 全仏 | |
2003 | 藤井 猛 | 藤井 猛 | フェデラー | 藤井 猛 |
2004 | フェデラー | フェデラー | フェデラー | 藤井 猛 |
2005 | 藤井 猛 | フェデラー | フェデラー | 藤井 猛 |
2006 | フェデラー | フェデラー | フェデラー | 藤井 猛 |
2007 | フェデラー | フェデラー | フェデラー | 藤井 猛 |
2008 | 藤井 猛 | フェデラー | 藤井 猛 | 藤井 猛 |
2009 | 藤井 猛 | 藤井 猛 | フェデラー | フェデラー |
2010 | フェデラー | 藤井 猛 | 藤井 猛 | 藤井 猛 |
フェデラー:優勝16回
四大大会優勝回数
全豪6回(2004,2006,2007,2010,2017,2018)
ウィンブルドン8回(2003~2007,2009,2012,2017)
主な記録
主だったもののみ。近づきながら抜けなかったニアミス記録も多い。細かく知りたい人はwikipedia等を参照しましょう。
- 男子では史上6人目の生涯グランドスラムを達成
- 世界ランキング1位連続保持記録「237週」を2008年に記録
- サンプラスが保持していた世界ランキング1位在位記録「286週」を更新(2018年ウィンブルドン終了時点で310週)
- アンドレ・アガシが保持していたランキング1位最年長記録「33歳133日」を更新(2018年末までの最終在位36歳320日)
- サンプラスが保持していた四大大会での優勝「14回」を更新(2018年全豪オープンで20回)
- 四大大会でのマッチ勝利数について、男子でジミー・コナーズが保持していた「233勝」を更新(2019年全豪オープン終了時点で342勝)
- ステファン・エドベリが保持していた全豪オープンのマッチ勝利数「56勝」を更新(2019年までで97勝)
- ジミー・コナーズが保持していたウィンブルドンのマッチ勝利数「84勝」を更新(2018年までで95勝)
- 四大大会での連続決勝進出「10大会」を記録(2005年ウィンブルドンから2007年全米オープンまで)
- 四大大会での連続準決勝進出「23大会」を記録(2004年ウィンブルドンから2010年全豪オープンまで)
- 四大大会での連続準々決勝進出「36大会」を記録(2004年ウィンブルドンから2013年全仏オープンまで)
- イワン・レンドルが保持していた四大大会での最多決勝進出回数「19回」を更新(2018年全豪オープンで30回)
- ビヨン・ボルグ以来オープン化後2人目のウィンブルドン5連覇達成
- オープン化後初の全米オープン5連覇達成(オープン化前の1925年ビル・チルデン以来84年ぶり)
- ウィンブルドン8回の優勝はウィリアム・レンショー、サンプラスの「7回」を抜き史上最多記録
- アーサー・アッシュが保持していたオープン化後ウィンブルドン最年長優勝記録「31歳11ヶ月25日」を更新(35歳11ヶ月8日)
- 全米オープン5回優勝はコナーズ、サンプラスと並んでオープン化後最多タイ記録
- 2008年ウィンブルドン決勝でナダルに敗れるまで芝のコートでの連勝記録「65連勝」を記録
- 2006年ドバイ決勝でナダルに敗れるまでハードコートでの連勝記録「56連勝」を記録
- 2005年マスターズカップ決勝でダビド・ナルバンディアンに敗れるまでATPツアー決勝での連勝記録「24連勝」を記録
- サンプラスが保持していた芝コートでの優勝回数「10回」を更新(2018年終了時点で18回)
- コナーズが保持していたハードコートでの優勝回数「49回」を更新(2018年終了時点で68回)
- ATP史上初となる3年連続の2桁優勝を記録(2004年~2006年)
- ATPツアー最終戦6回の優勝は史上最多記録(過去にレンドルとサンプラスが5回優勝)
- コナーズ、レンドルに次いでATP史上3人目となるマッチ通算1000勝を達成
- コナーズに次いでATP史上2人目となる通算優勝回数100回を達成
プレースタイル
史上最高のオールラウンダーと言われる。全盛期はフォアハンドの強打でウィナーの山を築いたイメージが強いが、正確なポジションに入れるフットワーク、スピードは中の上程度でもバリエーションとコースの読みづらさでエースを奪えるサーブ、オープンコートを作れる展開力など各種能力が非常に高いレベルでバランスしている。ネットプレーはネットに行くまでのミドルコートのボールタッチが非常に上手いほか、ロブで上を抜こうとしてもハイバックボレーを決めてくる。技術的な引き出しが多く、相手によってプレースタイルを対応させることができる。
攻めてよし、守ってよしの選手と思われているが、本質的には先手必勝型の超攻撃的選手である。ある解説者の表現を借りるなら「駆逐型テニスの最高峰」。守備的なテニスが主流になる中、積極的にウィナーを狙う攻撃テニスのスタイルを維持してきた。圧倒的な攻め手の速さは初対戦の若手選手にとってはもはや初見殺しと言って良いレベルで、錦織圭も初対戦のときは一方的にやられている。元々攻めの速い選手だったが、恐らく年齢的にロングラリーが厳しくなってきたからだろう、2010年にポール・アナコーンをコーチに迎えた辺りから展開の速さ、ネットへの積極性は増してきている。特にネットプレーについては2013年オフにステファン・エドベリにコーチを変えてから、サーブ&ボレーやチップ&チャージがさらに増えた。
2015年夏には相手の2ndサービスに対してサービスライン付近でハーフボレー気味に返して、そのままネットにつく新戦術「SABR」(sneak attack by Roger)が話題になった。近いプレーは1980年前後のボレーヤーたちもやっていたらしいが、当時とは用具の性能が違うため、現役でやれるのはフェデラーくらいのものだろう。
一般的に片手打ちバックハンドではバックサイド高めが処理しにくく弱点とされることが多いが、これはフェデラーも例外ではない。ただし甘くなれば回りこみフォアの餌食なので、弱点とは言っても高精度で攻め続けられないと、なかなか活かせない。ナダルが天敵になっているのは左利きフォアのエッグスピンでここを攻められるのが大きい。
クレーコートが苦手と言われることがあるが、あくまでも本人比なことに注意。クレーコート勝率は75%を超えており、これは例えば現役だとダビド・フェレール、引退済みの選手だと全仏オープン3回優勝のグスタボ・クエルテンなどのクレーコーターよりも高い数字となっている。またかつてMSだった頃のハンブルグでは4回も優勝している。そもそも全仏オープンは優勝こそ1回だけだが準優勝が4回、つまるところ某土の怪物に阻まれてきただけなのだ。
エピソード
- タイガー・ウッズと仲が良く、ウッズが全米オープンのフェデラーの試合を観戦したことがある
- 日本に来日したときにTOTOのトイレを絶賛していた
- 双子の娘が「将来ウィンブルドンの女王になるか?」という賭け事の対象になった
- 双子が生まれやすい家系なのか、2014年には男の子の双子が生まれている
- 故郷バーゼルはATPツアー・スイスインドアの開催地だが、会場の聖ジャコブホールは「ロジャー・フェデラー・アリーナ」の愛称がつけられている。なおこの大会の最多優勝者は当然ながらフェデラーである(9回)
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関連項目
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