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ロックソング
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ロックソング(Lochsong)は、1988年生まれイギリスの元競走馬・元繁殖牝馬

5ハロン(1000m)戦で類の強さを発揮し、逃げて後続をちぎり捨てる小細工のレースぶりも相まって名ムムタズマハルと同じ「Flying Filly(飛ぶ)」という異名を戴いた、英国競馬史上屈快速である。

概要

出自

Song(ソング)、Peckits Well(ペキッツウェル)、Lochnager(ロックナージェ)という血統。
血統表の備考を見ていただければ分かる通り生の短距離血統であり、それに恥じないスピードの持ちだったが、同時に大変な気性難で、しかも脚部不安があった。

このため、最初に入厩したジョンフィッツジェラルド調教師の下ではデビューすることなく、2歳暮れの時期にかつてミルリーフを手掛けたイアンボールディング厩舎に転厩。ようやくデビューしたのは3歳のことで、気性はこの後も良化するどころか悪化の一途を辿った。

ちなみに名のりは「Rocksong」ではなく「Lochsong」であり、「Loch」とはスコットランド方言で「」を意味する[1]が、本の気性は上記の通り「の歌」というのどか名とはかなりかけ離れたものであった。

雌伏

デビュー戦は7頭立ての6番人気だったが2着に好走し、2戦で初勝利。もっと強くなると感じたボールディング師の意向によってしばらくハンデ競走路線(欧州では重賞のない裏街道である)を進むことになり、3戦でも勝利して2勝を挙げ、そのまま休養入りした。

4歳時はシーズン最初こそ勝ったり負けたりを繰り返したが、シーズン4戦として出走したスチュワーズカップを勝つと、続けてポートランドハンデキャップエアーゴールドカップ逃げ勝ち、イギリスの短距離ハンデ競走路線の大競走であるこの3つのレースを同一年に制した初めてのとなった。そして重賞でも勝ち負けになるという手応えを感じたボールディング師は本を連闘でダイアデムS(GIII・6ハロン)に出走させたが、ここではサマースコールエーピーインディ兄弟叔父という良血ウルフハウンドに差し切られて1身半差の2着に終わった。

ウルフハウンドはこのレースの次走でフォレ賞(GI1400m)を勝ったため、ロックソングも期待されたのだが、5歳時は逃げゴール前で失速するというレースを連発し、シーズン初戦から数えて重賞4連敗を喫してしまった。

しかし、7月ランフランコ・デットーリ騎手とのコンビで出走した5ハロンリステッド競走・スプリンステークスにおいて、スタートからハナを切ったロックソングはそのまま4身差で圧勝。この距離とデットーリ騎手の手綱が非常にが合っていたのか、これを皮切りにロックソングの快進撃が始まる。

5ハロン戦のスピード女王

7月末のキングジョージS(GIII・5ハロン)を逃げ勝ち、6度の挑戦で重賞初制覇を達成したロックソングは、3週間後のナンソープS(GI・5ハロン)で遂にGI初出走となった。人気となっていたのはモーリス・ド・ギース賞(GI1300m)の勝ちカレッジチャペル、本と何度となく対戦していたパリスハウスらで、ロックソングは別定戦で5kg程度の恩恵を受けていた前走と異なり定量戦であったこともしてか6番人気止まりだった。しかしレースでは自慢の快速武器快な逃げを打ち、そのまま1身半差でり込んで優勝GI初挑戦ながら鮮勝利を飾った。

次走のスプリンカップ(GI・6ハロン)こそラスト1ハロンで止まってウルフハウンドの3着に敗れたが、フランスへ遠征してのアベイ・ド・ロンシャン賞(GI1000m)で彼女は物凄い勝ち方を見せる。
ウルフハウンドや前年に敗でミドルパークS(英2歳GI)を制したザイーテンらの有が出走する中、ロックソングは大雨を切り裂くようにスタートから爆走。ゴール前では失速するどころか更に後続を突き放し、1000m戦では非常識と言ってもいい6という大差をつけて逃げ切り勝ちを収めたのである。

これをもってシーズンを終えたロックソングは6歳になっても現役を続行し、まずは初戦のパレスハウスS(GIII・5ハロン)を逃げて3身差をつけレコード勝ちすると、テンプルS(GII)ではを抑えてトップハンデに支持されたがそれを物ともせず、最後の1ハロンを流して快勝。続けてロイヤルアスコット開催に向かい、キングスタンドS(当時GII)に出走。「ロックソングVSその他」という構図になったこのレースでは単勝1.3倍の圧倒的人気に応えて威勢良く逃げ、そのまま2着以下に5身差をつけて圧勝した。

続けて出走したジュライカップ(GI)は距離が6ハロンでロックソングの得意分野でなかったこと、そしてデットーリ騎手が他に騎乗したため何度か騎乗していたウィリーカーソン騎手に乗り替わったこともあって1番人気を裏切り、最低人気にも先着されるブービー8着に大敗したが、デットーリ騎手上に戻った次走のキングジョージSでは後のGIレイクコニストンらを一蹴して優勝した。

しかし連覇をしたナンソープSで、ロックソングに悪夢が訪れた。
単勝1.62倍の断然人気に推され、パドックでは登場するだけで大歓を浴びていたロックソングだが、遂に気性の爆弾爆発し、パドックでイレ込み倒した挙げ句、レース前のパレード中になんと。一説には約3ハロンを走り回ったと言われるこの放全にガス欠となってしまったロックソングは中盤で々に逃げ潰れ、そのままシンガリ負けを喫してしまったのだった。

しかしがまともに発揮出来るような状態ではなかったことは明らかだったため、連覇がかかるアベイ・ド・ロンシャン賞では前走を度外視したファンにより単勝1.7倍に支持された。負けられない戦いとなったこのレースでは出負けから理やり先頭に立つという分の悪い競馬ながら最後は5身差で圧勝し、9年ぶり4頭の本競走連覇を達成した。

その後は引退レースとしてブリーダーズカップ・スプリント(GI・6ハロン)に挑んだが、ここでは遠征・初ダート距離・初の小回りコースという悪条件が重なって流石に厳しくなった上、ハナかれたこともいてシンガリ負け。これを最後に引退して繁殖入りした。

とにかくきっかり5ハロン(もしくは1000m)というレースにおいては類の強さを発揮し、これらの距離においては11戦8勝(GI4戦3勝)、2度ナンソープSを除けば着外に敗れたことすら1回もないという強さを誇った。これらのパフォーマンスが評価されたロックソングは5歳時・6歳時にカルティエ賞最優秀スプリンターの栄誉を得たばかりか、5歳時にはなんとキングジョージVI世&クイーンエリザベスSなどGI3勝の*オペラハウスを押しのけて年度代表馬にもいた。カルティエ賞最優秀スプリンター年度代表馬を同時受賞したのは現在に至るまでロックソングだけであり、最優秀スプリンターを2年連続で受賞したのも一の記録である。

なお、後にボールディング師は2002年引退に際してミルリーフと並んで本の名を挙げている(外部リンクexit)。ミルリーフがどれほどの名であるかはここに書くまでもないが、この言葉からはそれと並んで引き合いに出されるロックソングのもまたありありと分かるのではないだろうか。

繁殖牝馬として

繁殖入りしたロックソングは8頭のを産み、うち5頭が勝ち上がったが、重賞は出ず、入着もロックリッジのダイアデムステークス3着のみといささか寂しい結果に終わった。2014年5月に疝痛のため26歳で安楽死処置となった。牝系現在も残っているため、いつか血統表に「Lochsong」という文字のある快速が再び現れるのが見られるかもしれない。

血統表

Song
1966 鹿毛
Sing Sing
1957 鹿毛
Tudor Minstrel Owen Tudor
Sansonnet
Agin the Law Port Law
Revolte
Intent
1952 芦毛
Vilmorin Gold Bridge
Queen of the Meadows
Under Canvas Winterhalter
Shelton
Peckitts Well
1982 鹿毛
FNo.13-a
Lochnager
1972 黒鹿毛
Dumbarnie Dante
Lost Soul
Miss Barbara Le Dieu d'Or
Barbarona
Great Grey Niece
1976 芦毛
Great Nephew Honey Way
Sybil's Niece
Grey Shoes Grey Sovereign
Evening Shoe

クロス:Fairway 5×5(6.25%)

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関連項目

脚注

  1. *有名なものを例に引くとネッシー撃されたスコットランドネス英語圏では「Loch Ness」と表記される。
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