ロバート・クビサ(Robert Józef Kubica,1984年12月7日-)とは、ポーランド共和国・クラクフ出身のレーシングドライバーである。
概要
古都クラクフ出身の、ポーランド人初のF1ドライバー。個性的なルックスが人気となっている(出典:フジテレビ)。若手ドライバーながら、髪の毛が薄く、全世界のF1ファンから心配されている。また、その髪型から2ちゃんねる、ニコニコ動画などではワカメなどの愛称で親しまれている。
良い人そうに見えるが、やはりサーキットを離れると好感の持てる青年となる。
2011年シーズン直前にラリーに出場したが、そこで右腕を複雑骨折をする重症を追ってしまう。
手術は成功したものの、右腕の感覚を取り戻すことはできず、ロータスF1との契約を解消した。
2012年からはローカルのラリーに参戦、2013年からはヨーロッパ・ラリー選手権、WRCでの参戦を発表した。本人はF1への復帰を望んでいたが、戦うだけの体を取り戻せず、ラリードライバーの道へと正式転向した。
2013年はWRC2クラスでチャンピオンを獲得し、2014年から最上クラスのWRCにフォード・Mスポーツから参戦した。
名前の表記について
日本における姓の表記は「クビサ」「クビツァ」「クビカ」など揺れがある。
これはデビュー当初は国際的に「Kubica」をローマ字読みして「クビカ」と読まれていたのだが、次第に速さを見せて注目されるにつれて日本で「クビか?」という縁起でもないジョークが飛ばされるようになったからか、BMWザウバーF1チームから「クビカという呼び方はやめてほしい」とのお達しがあった。
そして2006年ハンガリーGPからクビになったジャック・ヴィルヌーヴに代わってレースドライバーになることが発表された際、プレスリリースに次のような記載がなされた。
つまり「Kubicaは『クビーツァ』と発音する」とわざわざ宣言しているのだが、これを読んだ某モータースポーツジャーナリストが「t」も発音することを失念してしまったため「チーム公式から『クビサ』と呼んでくれとお達しが出た」と解釈し、そのまま日本では「ロバート・クビサ」の呼称が定着してしまったのが事の真相のようである。
ちなみに川井ちゃんが本人に直接確認した所、どう呼ばれようと構わないとのこと。
とは言え、ポーランド語でのフルネームの発音は「ローベルト・ユーゼフ・クビーツァ」[1]であり、メディアの方では原音主義の原則により「ロベルト・クビツァ」表記に換わりつつある。
ニコニコ動画では「クビサ」がタグとして多く使われるため、差し当たり当記事でもこれを採用している。
F1での経歴
2006年
2007年
- 第15戦・日本GP…濃霧と大雨に祟られ、自ら巻き上げる水煙によりほぼ視界ゼロ、という最悪なコンディションなのにレース続行、という過酷な状況下での最終Lap、フェラーリのフェリペ・マッサとの6位争いの一騎打ちに敗れる。
2008年
この年は一時ポイントリーダーに躍り出て、終盤までチャンピオンの可能性を残した。また、チームメイトのハイドフェルドより予選・決勝ともに先行することが多く、クビサへの評価が大きく上がった年でもあった。
2009年
2010年
2011年
グループ・ロータスが加わってロータス・ルノーGPに名称変更。シーズンの活躍を期待されるも、オフシーズン(2月)に参戦したラリーで右手を複雑骨折するクラッシュを演じる。
76日間の入院生活の末、4月24日に退院した。
しかし、リハビリや治癒状態などを見た上で、その年でのレース復帰は見送られた。
クビサの代役として、かつてBMWでチームメイトとなっていたハイドフェルドが就いた。
リハビリを続けるものの、F1を走るだけの感覚をつかむことはできず、ロータスとの契約を解消した。
ラリーでの経歴
2013年 WRC・ERC
WRC2クラスで7戦中5勝してチャンピオン獲得。初参戦のERCではリタイヤに苦しみ、個人総合29位に甘んじる。
2014年 WRC・ERC
WRCクラス参戦(フォード・Mスポーツ)で最高位6位(ラリー・アルゼンチン)。ERCは緒戦オーストリア・イェンナーラリーで首位を獲得したのが効いて年間個人総合13位、ベスト「アイスマスター」(雪道ラリーでの高ポイント獲得者)に輝いた。
2015年 WRC
自らのチームを立ち上げてWRCへの参戦を継続するも年間12位。財政面の問題から翌2016年のWRC開幕戦を最後に撤退した。
サーキット復帰(2016年)
2016年3月、ムジェロ・サーキットで開催された12時間耐久レースに出場し、2011年以来のサーキットレース復帰を果たした。
2017年はWEC・LMP1にバイコレスからフル参戦予定だったが、チーム脱退に伴い参戦を断念した。
F1復帰(2018年~)
2017年6月にルノーのF1テストに参加し116周を走破した。ウィリアムズにて10月に2回のテストを実施し、安定したパフォーマンスを見せた。引退するフェリペ・マッサの後任として注目されたが、チームはセルゲイ・シロトキンの起用を決め、クビサをリザーブドライバーとして採用した。
2018年の夏季休暇期間中、ウィリアムズのレギュラードライバーだったランス・ストロールの父親が率いるコンソーシアムが、フォースインディアを買収した。2019年に向けてストロールの後任探しが注目されたが、資金難に直面するウィリアムズが、メルセデスのジュニアだったジョージ・ラッセルの起用を先に決定したことから、あと1名は持参金も重要視されるとみられた。資金面で不利だったクビサに対し、母国ポーランドの石油会社PKNオーレンがスポンサーについたことから、ウィリアムズはクビサを正ドライバーに採用した。
2019年にF1フル参戦を果たしたものの、はウィリアムズの不振に加え、チームがラッセルを重用したことから、同年限りでウィリアムズを離脱した。
2020年、F1デビューチームであるBMWザウバーの流れを汲むアルファロメオ・レーシングに、スポンサーのPKNオーレンと共に移籍してリザーブドライバーとなる。その傍らでドイツ・ツーリングカー選手権に参戦するも、表彰台1回きりの未勝利・年間15位に終わる。
2021年も前年同様アルファロメオのリザーブを務める。並行してチームWRTの耐久レースプログラムにも参加。ヨーロピアン・ル・マン・シリーズで3戦2勝を挙げ、満を持してル・マン24時間レースのLMP2に出走。クビサの乗る41号車が首位を保ち、チームメイトの31号車と最終周回までワン・ツー体制を築くも、チェッカー目前で41号車は電気系統のトラブルによりリタイア。クビサはクラス優勝を逃した。F1夏季休暇後の第13戦オランダGPと第14戦イタリアGPでは、正ドライバーのキミ・ライコネンが新型コロナウィルス陽性と判定されたため、リザーブのクビサがカーナンバー「88」をつけて代役参戦を果たした。
エピソード
- 非常に長身であり、2007年オフにダイエットしたことが、2008年の好調につながったという説がある。
- フェルナンド・アロンソと仲がよく、バドックでポーカーをしているシーンが目撃されている。それと対照的に、クビサと年齢もキャリアも近いルイス・ハミルトンとはあまり仲が良好ではないといわれている。
関連動画
個性的なルックスが人気になっていることがわかる。
関連項目
脚注
- *ポーランド語の発音の参考(forvo.com)
● Robert Kubica
● Józef
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