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ロバート・ローズ(Robert Rose、1967年3月15日-)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(内野手)である。日本球界では横浜ベイスターズと千葉ロッテマリーンズに所属した。2024年からは火の国サラマンダーズの監督を務める。
「ロバート」の愛称「ボビー」と呼ばれることがある。また、同時期に活躍していたタフィ・ローズと混同されることが多いため、R.ローズと表記されることもある。しかし、こちらの方の綴りは“ROSE”である(タフィの方は“RHODES”)。
概要
火の国サラマンダーズ #98 監督 |
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ロバート・ローズ Robert Rose |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州 |
生年月日 | 1967年3月15日 |
身長 体重 |
180cm 77kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 二塁手、三塁手 |
プロ入り | 1985年 |
経歴 | |
選手歴 コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1985年のMLBドラフト5巡目でカリフォルニア・エンゼルス(現:ロサンゼルス・エンゼルス)に入団。
1992年に移動中の交通事故で骨折したためにマイナーに降格し、同年オフに横浜ベイスターズに入団。
横浜時代
当初は守備が期待されての入団で、打撃はそこまで期待されていなかった。同じく1993年に入団したグレン・ブラッグスの方が期待度が高かったが、いざ蓋を開けてみると、予想以上の活躍で、来日1年目から打率.325、19本塁打、94打点を挙げ打点王に輝く。また、長年チームのレギュラー二塁手だった高木豊から完全にポジションを奪い、同年オフに戦力外に至らしめた(ただ、実際のところは、駒田徳広獲得のために資金調達のためだったといわれている)。
1995年5月2日の中日ドラゴンズ戦、1997年4月29日のヤクルトスワローズ戦、1999年6月30日の広島東洋カープ戦と3度サイクルヒットを達成しているが、現時点でサイクルヒットを3回達成しているのはローズのみである。
1998年、3番鈴木尚典(同年首位打者)、5番駒田徳広(勝負強い満塁男)との強力クリーンナップで横浜をリーグ優勝・日本一に導いた(同年の打撃成績は打率.325、19本塁打、96打点)。
1999年、一度引退宣言をしたが後に撤回する。同年は開幕から例年以上にハイペースで打ちまくり、6月30日広島戦で自身三度目のサイクルヒットを達成する。7月22日ヤクルト戦ではセ・リーグタイ記録となる1試合10打点を挙げ、史上初めて前半戦(81試合目)で100打点を達成する。7月25日のオールスターゲーム第2戦(甲子園)で1試合6打点のオールスタータイ記録を挙げMVPに輝いた。
終わってみれば、打率.369、37本塁打、153打点(歴代2位)を挙げ、首位打者・打点王・最多安打のタイトルを獲得、特に打率.369は2008年に内川聖一に抜かれるまで右打者最高打率、打点は1950年に161打点を挙げた小鶴誠(松竹ロビンス)に次ぐ2位、192安打は2005年に青木宣親が更新するまでセ・リーグ記録だった。これだけの活躍をしたにもかかわらず、同年のMVPは優勝した中日の野口茂樹だった(同年の横浜は3位)。
2000年にも168安打を放ち最多安打のタイトルを獲得するも、そのオフにアメリカでの生活を家族が望んだことや、高額となった年俸・複数年契約の希望など、球団との条件面での折り合いがつかなくなったことから、横浜を退団・帰国した。
現在も横浜DeNAベイスターズのチャンステーマに自身の応援歌が使われるなど、DeNA史上最強の助っ人との呼び声が高い。
ロッテ時代
2002年に千葉ロッテマリーンズに入団。しかし春季キャンプ中の紅白戦で8打数無安打と極度の不振に陥り、そのままキャンプ途中に記者会見を開き、「野球に対する情熱と野球に関する全てのものがなくなった」と発言、プレーすることなく開幕前に退団、引退となった。パ・リーグには指名打者があったが、「グラウンドに立って守備で貢献したいタイプだった。自分の守備で失点につながるのは我慢ならなかった。」と後に明かしている。そのためロッテに在籍していたことはあまり知られていない。
引退後
2013年からテキサス・レンジャーズ1Aの打撃コーチに就任。
2018年からはボルチモア・オリオールズ1Aの打撃コーチを務める。
2024年からは九州アジアリーグの火の国サラマンダーズの監督を務める。
成績
通算打撃成績
通算:12年 Total |
試 合 G |
打 席 PA |
打 数 AB |
得 点 R |
安 打 H |
二 塁 打 2B |
三 塁 打 3B |
本 塁 打 HR |
打 点 RBI |
盗 塁 SB |
犠 打 SH |
犠 飛 SF |
四 球 BB |
死 球 HB |
三 振 SO |
併 殺 打 GDP |
打 率 AVG |
出 塁 率 OBP |
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MLB:4年 | 73 | 223 | 200 | 24 | 19 | 11 | 3 | 5 | 23 | 1 | 3 | 2 | 15 | 3 | 33 | 5 | .245 | .305 |
NPB:8年 | 1039 | 4525 | 3929 | 574 | 1275 | 238 | 36 | 167 | 808 | 16 | 1 | 50 | 488 | 57 | 566 | 144 | .325 | .402 |
タイトル・表彰・記録
タイトル | |||
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NPB | 打点王 | 2回 | 1993年、1999年 |
最高出塁率 | 1回 | 1997年 | |
首位打者 | 1回 | 1999年 | |
最多安打 | 2回 | 1999年、2000ねん | |
表彰 | |||
NPB | ベストナイン | 6回 | 1993年、1995年、1997年-2000年 |
月間MVP | 3回 | 1995年7月、1998年9月、1999年6月 | |
ゴールデングラブ賞 | 1回 | 1998年 | |
オールスターゲームMVP | 1回 | 1999年第2戦 | |
その他 | |||
NPB | サイクルヒット | 3回 | 1995年5月2日、1997年4月29日、1999年6月30日 |
関連動画
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関連項目
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