ロビン・ファン・ペルシー(Robin van Persie, 1983年8月6日 - )とは、オランダの元サッカー選手・指導者である。元サッカーオランダ代表。
現役時代のポジションはFW。186cm78kg。利き足は左足。
概要
オランダ・ロッテルダム出身。バランスのとれた体格に、パワー、スピード、アジリティーのいずれにおいても水準を上回るフィジカル、そして優れたテクニックと強烈な左足のシュートを装備する、モダンなストライカー。若手時代はウイングの選手だったが、アーセナル移籍後にアーセン・ヴェンゲル監督によってセンターフォワードにコンバートされたことで才能が開花。プレミアリーグで2011-2012、2012-13シーズンと異なるクラブでの2シーズン連続得点王に輝き、30ゴールを決めた2011-12シーズンにはPFA年間最優秀選手賞を受賞。一方、若い頃はかなりの問題児だったことでも知られている。
フェイエノールトの下部組織を経て、2004年にアーセナルへ移籍。ティエリ・アンリが去った後の絶対なエースとなりキャプテンも務めたが、タイトルと無縁だった頃から2012年にライバルクラブであるマンチェスター・ユナイテッドに移籍し、アレックス・ファーガソン監督のラストイヤーにプレミアリーグ優勝をもたらしている。
オランダ代表には2005年にデビューし、102試合50得点を記録。FIFAワールドカップに3回、UEFA欧州選手権に2回出場。キャプテンを務めた2014 FIFAワールドカップでは6試合4ゴールの活躍によって前評判の低かったチームを3位に導いている。特にスペイン戦でのダイビングヘッドによるループシュートは有名であり、このゴールによって祖国の英雄ヨハン・クライフと同じ「フライング・ダッチマン(空飛ぶオランダ人)」と呼ばれるようになった。
現役時代から指導者になってからも日本人選手と縁があり、フェイエノールト時代は小野伸二、アーセナル時代は宮市亮、マンチェスター・ユナイテッド時代は香川真司とチームメイトだった。監督となってからはフェイエノールトで上田綺世と渡辺剛を指導している。
現役時代の経歴
生い立ち
1983年8月6日、ロッテルダムのクラリンゲン地区出身。父親は著名な彫刻家で、ロッテルダムの美術センターなどでスポーツを題材にした作品を発表してきた人物であり、母親も画家であり、ジュエリーデザイナーとして活動、姉と妹も後にアーティストなったという芸術家一家で生まれ育った。両親は離婚し、父親のもとで育てられることとなったが、経済的に不自由はなかったという。
父親は芸術家になって欲しかったらしいが、彼が選んだのはサッカーの道だった。5歳のときにSVBエクセルシオールの下部組織に入団。少年時代は活発でとにかく手のかかる子供だったが、サッカーに対しては驚くほど集中し、父はその姿を温かく見守り続けた。少年時代の彼がもっとも時間を費やしていたのはストリートだった。組織も規律もない自由なスタイルのストリートサッカーでテクニックを磨き、彼のキャリアの原点となっている。だが、自由なストリートでの経験から問題行動も増えるようになり、16歳のときに気まぐれな性格をめぐってコーチ陣と対立し、エクセルシオールを退団する。
それでも同年代の中ではすでに頭一つ抜けた才能を発揮しており、1999年に名門フェイエノールトの下部組織に移籍する。新天地では怪我に悩まされたが、アンダー世代の代表に呼ばれるなど将来を嘱望される選手となっていた。
フェイエノールト
2001-02シーズンにフェイエノールトのトップチームに昇格し、17歳でエールディヴィジでのデビューを果たす。当時のチームには小野伸二が所属しており、後に「小野よりうまい選手はチームにはいなかった」と評している。CFにはピエール・ファン・ホーイドンク、STにはヨン・ダール・トマソンがいたためポジションは左ウイングだったが、公式戦17試合に出場。UEFAカップ決勝のボルシア・ドルトムント戦ではスタメンで出場し、後半18分で交代となったが、優勝メンバーの一人となった。さらにはKNVB最優秀若手タレント賞を受賞。
2002-03シーズンにはフェイエノールトと3年半のプロ契約を結び、正式にプロサッカー選手となる。ところが、この頃からトラブルメーカーぶりが顔を出すようになり、2002年8月27日、UEFAチャンピオンズリーグ予備予選3回戦アウェイのフェネルバフチェ戦での態度の悪さに激怒したベルト・ファン・マルヴァイク監督によってリザーブチーム行きを命じられる。それでもトップチームに戻ってからはリーグ戦23試合8ゴールを記録。2003年2月6日のKNVBカップAGOVVアペルドールン戦では1試合5ゴールを決めている。それでもキャリアで最大の障害となる問題児ぶりは改善されず、夜遊びのせいでトレーニングやミーティングに遅刻する、エースのファン・ホーイドンクを差し置いてFKを蹴ってしまう、取材を受ければチーム事情を簡単に漏らし、過激なコメントでメディアを喜ばせるゴシップを提供する、など数々の問題を起こしていた。
2003-04シーズンはクラブとの契約延長交渉が合意に至らず、改善されないバッドボーイぶりからファン・マルヴァイク監督との関係は修復不能なレベルにまで悪化してしまい、シーズンの大半をベンチで過ごすことになる。2004年4月にはリザーブリーグのアヤックス・アムステルダム戦において乱入したフーリガンから暴力を受け、彼をかばったホルヘ・アクーニャは意識不明で病院に担ぎ込まれ、最大の標的だったファン・ペルシは相手チームのアシスタントコーチだったマルコ・ファン・バステンに守られながらピッチから逃げ去ることになる。この事件で精神的なダメージを受け、フェイエノールトでのプレーに限界を感じるようになった。クラブもトップチームのレギュラーですらない厄介者を追い払おうと動いたが、過去の規律問題のため、引き受け手はほとんどいなかった。そんな中、獲得に手を挙げたのはアーセナルだった。
アーセナル
2004年5月17日、イングランド・プレミアリーグの強豪アーセナルに4年契約で移籍。移籍金は275万ユーロ。2004-05シーズンは前年に無敗優勝した「インヴィンシブルズ」のメンバーが名を連ねていたことから前半戦のほとんどをベンチで過ごし、10月27日のEFLカップ、マンチェスター・ユナイテッド戦が移籍後初出場となり、初ゴールを決める。2005年に入ってからは新加入のホセ・アントニオ・レジェスと左サイドのポジションを併用されるようになる。2月26日のサウサンプトンFC戦では危険なタックルにより一発退場となる。このときヴェンゲル監督から論されたことが悪童だったファン・ペルシが改心するきっかけとなった。シーズン終盤はふくらはぎの負傷により離脱し、公式戦41試合10ゴールに終わる。
2005-06シーズンは出場時間が限定的となったデニス・ベルカンプに代わってセカンドトップとしての起用がメインとなり、エースであるティエリ・アンリのパートナーに抜擢される。シーズン序盤は公式戦8試合8ゴールと好調を維持し、2005年11月の月間最優秀選手に選出。活躍がクラブから認められ、2006年1月4日に5年間の契約延長を勝ち取る。ところが、その2日後のFAカップ、カーディフ戦で足を踏まれ、つま先を骨折するという重傷を負う。痛みを和らげるためにスパイクに穴を開けて試合に出場するが、本来のプレーをすることができなくなり、スタメンから外れることも多くなる。アーセナルにとって初のCL決勝となったFCバルセロナ戦でもベンチに入ったが、出場機会は訪れなかった。
2006-07シーズン開幕戦のチャールトン・アスレティック戦では右サイドからのクロスを空中でのジャンピングボレーで合わせるスーパーゴールを決め、ヴェンゲル監督も「生涯最高のゴール」と称賛するほどだった。アンリの負傷、ベルカンプの引退によってエマニュエル・アデバヨールとの2トップで起用されることが増え、好調を維持し続け、早い段階でキャリア初となるリーグ戦二桁得点を達成。ところが、2007年1月17日のマンチェスター・ユナイテッド戦でゴールセレブレーションをおこなった際に右足第5中足骨を骨折し、早々とシーズン終了となってしまう。結局、稼働したのはシーズンの半分くらいとなったが、それでも公式戦13ゴールでチームのトップスコアラーとなった。
2007-08シーズンはアンリがFCバルセロナに移籍したため、新たなアーセナルのエースとして期待を背負うこととなる。その期待に応えて開幕から好調を維持し、公式戦10試合で7ゴールを記録する。だが、またしても負傷によって勢いに水を差されてしまう。10月の代表戦で膝を負傷し、2か月間戦線を離脱。12月12日のCLグループステージ、ステアウア・ブカレスト戦で復帰するが、間もなくして再発させてしまい再び離脱。その後は膝の負傷の再発を防止するために限定的な出場となってしまい、公式戦23試合9ゴールと不本意な成績に終わる。
2008-09シーズンは、2008年8月31日のプレミアリーグ第3節ニューカッスル・ユナイテッド戦での2ゴールがシーズンの初ゴールとなる。10月29日、トッテナム・ホットスパーとのノース・ロンドンダービーではアーセナルでの通算50ゴール目を決めるが、この試合でGKトーマス・ソーレンセンの挑発に乗って肩をぶつけて押し倒してしまい、退場となる。出場停止明けとなった11月30日のチェルシーFC戦では汚名返上の2ゴールを奪い、スタンフォード・ブリッジでの勝利に貢献。2009年1月はチームの全ゴールに関与するという圧巻の活躍ぶりを見せる。最終節のストーク・シティ戦で2ゴールを決め、リーグ戦チームトップとなる11ゴールとリーグトップとなる11アシストを記録。
2009-10シーズンは契約が残り1年となっていたことから去就問題が浮上するが、2009年7月に新たに長期契約を結んだことが発表される。開幕前にアデバヨールがマンチェスター・シティに移籍したことから、ヴェンゲル監督が加入当時から描いていたプランを実行し、本格的にセンターフォワードにコンバートされ、1トップとして起用される。9月12日のマンチェスター・シティ戦でシーズン初ゴールを決めるが、その後に前年まで相棒だったアデバヨールから頭を踏みつけられる事件が起こり、その後アデバヨールは3試合の出場停止処分を受ける。10月には公式戦7試合連続ゴールを記録し、プレミアリーグの月間最優秀選手に選出。ところが、11月の代表戦で足首を負傷し、当初は6週間の離脱と診断されたが、その後の診断によって5か月の離脱を要することが発覚。結局シーズンの大半を棒に振ることになり、リーグ戦16試合9ゴールに終わる。
2010-11シーズンは背番号を11から10に変更。8月28日にアーセナルでの200試合出場を達成したが、同試合で足首を負傷し、再び戦列を離れることとなる。またしてもシーズンの半分近くを棒に振ることになるが、復帰後の2011年1月1日、アウェイのバーミンガム・シティ戦でシーズン初ゴールをマーク。1月15日のウェストハム戦では2ゴールを決める。1月22日のウィガン・アスレティック戦では意外にも27歳にしてキャリア初となるハットトリックを達成。1月1日から2月12日までの間に10ゴールという驚異的なペースでゴールを量産。2月16日、CLラウンド16のバルセロナとの1stレグではほぼ不可能な角度からゴールを決め、逆転勝利に貢献。2月27日、EFLカップ決勝のバーミンガム戦では前半に同点ゴールを決めた際に膝を負傷し、再び3週間の離脱を余儀なくされる。3月のCLラウンド16、バルサとの2ndレグに間に合わせ、強行出場したものの不可解な判定によって退場となり、チームも逆転負けを喫する。その後も好調を維持し続け、リーグタイトルが絶望的となっても好調を維持。相次ぐ負傷離脱を経験しながらもリーグ戦25試合18ゴールとキャリアハイとなる数字を残し、この18ゴールは2011年に入っての半年で奪ったものだった。
2011-12シーズン開幕直前にセスク・ファブレガスが移籍したことでチームのキャプテンに任命される。2011年9月24日、ボルトン・ワンダラーズ戦で2ゴールを挙げ、アーセナルでの通算ゴール数を100に伸ばす。10月16日のサンダーランド戦では開始28秒という最速ゴールを決め、さらに左足のFKによって決勝ゴールも決める。10月29日、スタンフォード・ブリッジでのチェルシーFC戦ではハットトリックを達成。10月は安定したパフォーマンスとゴールの量産によってリーグの月間最優秀選手に選出。その後もコンスタントにゴールを決め続け、2011年で奪ったプレミアリーグでのゴール数は35となった。2012年に入っても勢いは止まらず、エースと呼ぶにふさわしい活躍を続けていたが、チームの成績は振るわず、タイトル争いから遠ざかっていた。2月4日のブラックバーン・ローヴァーズ戦ではシーズン2度目となるハットトリックを達成。さらにこの試合では2アシストまで記録する大活躍ぶりだった。これまで怪我による離脱を繰り返していたが、このシーズンは初めて年間を通してピッチに立ち続け、リーグ戦全38試合に出場。さらにゴール数はキャリアハイを大きく上回る30ゴールを記録し、初のリーグ得点王のタイトルを獲得。ちなみにプレミアリーグでの30ゴール到達はクリスティアーノ・ロナウドが達成して以来の偉業となった。この活躍によってPFA最優秀選手賞とFWA年間最優秀選手賞を受賞。チームは無冠に終わったが、個人としてシーズンの主役となった。
このままアーセナルの象徴的な存在となるかと思われたが、7月4日、アーセナルとの新契約にサインしないことを発表。事実上の退団宣言となった。
マンチェスター・ユナイテッド
2012年8月17日、イングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドへ4年契約で移籍。移籍金は2250万ポンド。背番号は20。移籍決定のわずか3日後のプレミアリーグ開幕戦エヴァートン戦で新天地でのデビューを飾ると、8月25日のフラムFC戦で移籍後初ゴールを記録。9月2日のサウサンプトンFC戦ではハットトリックを達成。この試合でプレミアリーグ通算100ゴールを達成。11月3日にはエミレーツ・スタジアムで古巣であるアーセナルと対戦し、PKでゴールを決める。12月9日、マンチェスター・シティとのマンチェスター・ダービーでは試合終了間際にFKによる劇的な決勝ゴールを決め、シティのプレミアリーグでの無敗記録をストップさせる。2013年になると2月以降10試合連続でノーゴールだった時期があったが、ユナイテッドが20回目のリーグ優勝を決めた4月22日のアストン・ヴィラ戦ではシーズン2度目のハットトリックを達成。自身にとっては30歳目前にしてキャリア初のリーグ優勝を叶えた瞬間でもあった。最終的に38試合26ゴールを挙げ、2年連続でのプレミアリーグ得点王のタイトルを獲得。
2013-14シーズンはFAコミュニティシールドのウィガン・アスレティック戦で2ゴールを決めれば、プレミアリーグ開幕戦のスウォンジー・シティ戦でも2ゴールを決める、好スタートを切る。ところが、勇退したアレックス・ファーガソン監督の後任となったデイヴィッド・モイーズ監督の古典的なスタイルによってチーム全体が低調となり、自身も前年ほどの活躍が見せられなくなる。2014年3月19日、CLラウンド16のオリンピアコス戦の2ndレグではCLで初となるハットトリックを達成。しかし、チームは無冠に終わり、自身もリーグ戦21試合12ゴールと1年目を下回る結果となった。
2014-15シーズンには先のワールドカップでオランダ代表で共に戦ったルイス・ファン・ハールが監督に就任。ワールドカップの疲労もあって開幕直後は調子を落としていたが、2014年9月21日のレスター・シティ戦でシーズン初ゴールを決める。10月26日のチェルシーFC戦では試合終了間際に劇的な同点ゴールを決めるが、このときシャツを脱いでゴールを祝ったことで警告を受け、ファン・ハール監督から「愚か」と公然と批判される。2015年2月21日のスウォンジー・シティ戦で足首を負傷し、2か月の戦線離脱を余技なくなれる。復帰後も調子が戻らず、公式戦29試合10ゴールと不本意な成績に終わる。シーズン終了後、ファン・ハール監督から構想外であることを告げられ、夏のプレシーズンマッチや紅白戦にも出場させず、ユナイテッドでの居場所を失い、追われるようにチームを去ることとなる。
フェネルバフチェ
2015年7月14日、トルコ・スュペル・リグのフェネルバフチェSKに移籍することが発表される。7月28日、CL予備予選3回戦1st legシャフタール・ドネツク戦で新天地でのデビューを飾る。8月20日、UEFAヨーロッパリーグ・プレーオフ1st legのアトロミトス戦でヘディングシュートによる移籍後初ゴールを決める。8月23日、チャイクル・リゼスポル戦でスュペル・リグでの初ゴールを記録。2015-16シーズンの国内リーグではコンスタントにゴールを決め、31試合16ゴールを記録。一方、ELでは12試合1ゴールと結果を残せなかった。
2016-17シーズンからは背番号を10に変更。2016年10月31日のELグループステージ第3節ではオールド・トラフォードで古巣マンチェスター・ユナイテッドと対戦。チームは敗れたがゴールを決め、古巣のサポーターからも拍手を浴びる。11月6日のスュペル・リグ第10節アクヒサル・ベレディイェスポル戦では相手との接触によって左目を負傷するアクシデントに見舞われ、一時は失明の可能性も報じられた。2017年2月5日、カップ戦でのベシクタシュ戦では相手選手への挑発的な態度により2試合の出場停止処分を受ける。シーズンを通して度重なる負傷に悩まされ、出場機会が徐々に限定的なものとなり、24試合9ゴールに終わる。
2017-18シーズンは2017年9月の代表戦で負った左膝靭帯の負傷により離脱を強いられ、復帰後も子供たちの環境も考えてオランダに帰国を望んでクラブと揉めたことで出場機会が激減。2018年1月の時点で公式戦4試合0ゴールにとどまっていた。1月19日にフェネルバフチェとの契約を解除する。
フェイエノールト
2018年1月22日、古巣であるオランダ・エールディヴィジのフェイエノールトに14年ぶりに復帰することが発表される。背番号はデビュー当時と同じ32番となった。2月8日のフローニンゲン戦で復帰後初ゴールを決める。復帰当初はフィットしておらず、少しずつ出場時間を増やしながらのプレーではあったが、重要なゴールを決め、4月22日のKNVBカップ決勝ではAZ戦では0-2となるゴールを決め、優勝に貢献。
2018-19シーズンはキャプテンに任命される。35歳となって開幕を迎えたが、完全にフィットした状態でシーズンに入り、開幕戦のエクセルシオール戦とヘーレンフェーン戦で2試合連続ゴールを記録。2018年8月の月間最優秀選手に選出される。低調なプレーで苦しむチームにおいて存在感を示し続けていたが、2018年10月に2018-19シーズンを最後に現役を引退すると発表。2019年1月27日、アヤックス・アムステルダムとのデ・クラシケルでは2ゴールを記録し、6-2という歴史的勝利に貢献。2019年3月3日のFCエメン戦でハットトリックを達成し、キャリア通算200ゴールを達成。現役最後のシーズンは25試合16ゴールの好成績を残す有終の美を飾り、惜しまれながらユニフォームを脱ぐ。
オランダ代表
2000年にU-17オランダ代表、2001年にU-19オランダ代表に選出。2002年には18歳にしてU-21オランダ代表に選出。2004年と2006年にはUEFA U-21欧州選手権予選に出場。しかしいずれも予選で敗れ、本大会には出場できなかった。
2005年6月4日、2006 FIFAワールドカップ欧州予選のルーマニア戦で21歳でのオランダ代表デビューを飾る。代表2試合目となった6月8日、同予選のフィンランド戦で後半42分に代表初ゴールを記録。
2006年6月、ドイツで開催された2006 FIFAワールドカップでは当時アーセナルでレギュラーではなかったが、マルコ・ファン・バステン監督によってメンバーに選出される。大会では初戦からレギュラーとして起用され、グループリーグ第2戦のコートジボワール戦でFKによるゴールを決め、決勝トーナメント進出に貢献。チームはラウンド16でポルトガルに敗れたが、右ウイングをメインに4試合全てでスタメンで起用された。
2006年9月にスタートしたEURO2008予選ではチームトップの4ゴールを記録。しかし、2008年6月にオーストリアとスイスで開催されたEURO2008本大会ではファン・バステン監督がウイングタイプを置かないシステムを採用したことで控えとなる。それでもグループリーグ第2戦のフランス戦では途中出場からチームの2点目を決め、4-0での圧勝に貢献。スタメンで起用された第3戦のルーマニア戦では2試合連続となるゴールを決める。しかし、ラウンド16のロシア戦では途中出場となり、チームは敗退となる。
2010年6月、南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップに出場。大会ではアーセナルと同じ1トップのファーストチョイスとして起用される。グループリーグ第3戦のカメルーン戦で先制ゴールを決め、この試合のMOMに選出される。決勝トーナメントではチームが勝ち上がる中でゴールを決めることができず、決勝のスペイン戦では延長戦までフル出場。オランダは準優勝と快進撃を見せた大会となったが、全試合にスタメンとして出場しながら1ゴールに終わった。
2011年9月2日、EURO2012予選のサンマリノ戦では1試合4ゴールを決める。予選ではチームトップとなる6ゴールを記録し、本大会出場に貢献。
2012年6月、ウクライナとポーランドで開催されたEURO2012に出場。グループリーグ第2戦のドイツ戦でゴールを決めるが、チームは敗北。第3戦のポルトガル戦ではセカンドトップとして起用されるが、ゴールを決められず、オランダは3連敗でグループリーグ敗退となる。プレミアリーグで30ゴールを決めたキャリア絶頂期の大会だったが3試合1ゴールと不本意な結果に終わった。
2013年6月、ルイス・ファン・ハール監督から代表のキャプテンに任命される。同年10月11日の2014 FIFAワールドカップ予選ハンガリー戦でハットトリックを記録し、パトリック・クライファートのオランダ代表最多得点記録を更新。2014年W杯予選では予選全体でトップとなる11ゴールを記録。
2014年6月、ブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップにキャプテンとして出場。グループリーグ初戦となった前回王者スペイン戦では2ゴールの活躍でMOMに選出され、特に前半44分のゴールは左からのクロスをジャンプしながらでダイビングヘッド合わせたループシュートであり、名手イケル・カシージャスが全く反応できないスーパーゴールであった。第2戦のオーストラリア戦でも2試合連続ゴールを決め、首位でのグループ突破に貢献。第3戦のチリ戦は累積警告によって出場停止となったが、決勝トーナメントに入っても前線の格としてチームを牽引し続け、けっして前評判の高くなかったオランダをベスト4まで導く。3位決定戦のブラジル戦ではPKによる先制ゴールを決め、オランダを3位入賞に導く。大会を通して6試合4ゴールの活躍ぶりを見せた。
2015年8月、ロッベンにキャプテンの座を譲り、副キャプテンを務めることに。EURO2016予選では3ゴールを決めるが、不振に陥ったオランダはグループ4位でよもやの予選敗退となる。その後、年齢的な問題もあって代表からは遠ざかり、2年ぶりに代表に復帰した2017年8月31日の2018 FIFAワールドカップ欧州予選のフランス戦が最後の代表での出場となった。
個人成績
| シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2001-02 | フェイエノールト | エールディヴィジ | 10 | 0 | |
| 2002-03 | フェイエノールト | エールディヴィジ | 23 | 8 | |
| 2003-04 | フェイエノールト | エールディヴィジ | 28 | 6 | |
| 2004-05 | アーセナル | プレミアリーグ | 26 | 5 | |
| 2005-06 | アーセナル | プレミアリーグ | 24 | 5 | |
| 2006-07 | アーセナル | プレミアリーグ | 22 | 11 | |
| 2007-08 | アーセナル | プレミアリーグ | 15 | 7 | |
| 2008-09 | アーセナル | プレミアリーグ | 28 | 11 | |
| 2009-10 | アーセナル | プレミアリーグ | 16 | 9 | |
| 2010-11 | アーセナル | プレミアリーグ | 25 | 18 | |
| 2011-12 | アーセナル | プレミアリーグ | 38 | 30 | |
| 2012-13 | マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 38 | 26 | |
| 2013-14 | マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 21 | 12 | |
| 2014-15 | マンチェスター・ユナイテッド | プレミアリーグ | 27 | 10 | |
| 2015-16 | フェネルバフチェ | スュペル・リグ | 31 | 16 | |
| 2016-17 | フェネルバフチェ | スュペル・リグ | 24 | 9 | |
| 2017-18 | フェネルバフチェ | スュペル・リグ | 2 | 0 | |
| フェイエノールト | エールディヴィジ | 12 | 5 | ||
| 2018-19 | フェイエノールト | エールディヴィジ | 25 | 16 |
個人タイトル
- オランダ年間若手最優秀選手賞(2002年)
- PFA年間最優秀選手賞(2011-12)
- FWA年間最優秀選手賞(2011-12)
- PFA年間ベストイレブン : 2回(2011-12, 2012-13)
- プレミアリーグ得点王 : 2回(2011-12, 2012-13)
指導者としての経歴
キャリア初期
現役引退後は1年ほどイングランドで解説者や家族と旅行をするなどして過ごしていたが、2020年5月に古巣フェイエノールトでディック・アドフォカートのもとで非常勤のアシスタントコーチに就任。
2021年5月、2021–22シーズン開幕からフィールドコーチとしてサポート役として正式に加入し、同時にクラブのU-16チームの共同監督にも就任。
2023–24シーズン、U-18チームとUEFAユースリーグのU-19チームの共同監督に昇格。U-18は2023年のムラデン・ラムリャク記念トーナメントで優勝。UEFAユースリーグではグループステージを勝ち抜いたが、ラウンド16でバイエルン・ミュンヘン相手に敗退。
ヘーレンフェーン
2024年5月17日、オランダ・エールディヴィジのSCヘーレンフェーンの監督に就任することが発表され、本格的に監督としてのキャリアをスタートさせる。初試合はアヤックス・アムステルダム相手に敗戦。エールディヴィジ第4節AZアルクマール戦では1-9という記録的な大敗を喫している。2024-25シーズン途中古巣フェイエノールトからのオファーを受け、わずか8か月で退任。在任期間中は7勝6分10敗の勝ち点「27」で9位につけていた。
フェイエノールト
2025年2月23日、成績不振で退任したブライアン・プリスケ監督の後任としてフェイエノールトの監督に就任。就任してすぐに訪れたCLラウンド16のインテル戦ではトータルスコア1-4で敗退。2024-25シーズンのエールディヴィジでは指揮を執った8試合で勝ち点22を稼ぎ、CL予備戦出場権獲得の3位入りに導く。
2025-26シーズンはCL予備戦3回戦フェネルバフチェ戦に敗れ、本戦出場を逃す。エールディヴィジでは自身の志向する超攻撃的なスタイルで好スタートを切ったものの、シーズン半ばに入って失速。2026年3月にアドバイザーとして加わったディック・アドフォカートの影響もあって現実的なスタイルに転換したことで調子を取り戻し、最終的に2位でシーズンを終えたが、首位PSVとは19ポイント差をつけられた。ELでもリーグフェーズ敗退と精彩を欠いた。一方、自らが才能を開花させた上田綺世が25ゴールで得点王のタイトルを手にしている。シーズン終了後の6月7日、クラブから解任が発表される。
プレースタイル
若手時代は左ウイングとしてプレーし、アーセナル移籍後はセカンドトップがメインとなり、その後センターフォワードにコンバートされた。キャリア初期は破力とパス精度、そしてシュートのセンスによってデニス・ベルカンプの再来と言われていたが、キャリアと共に巧みなトラップとポストプレー、パワフルな左足のシュートでゴールを奪うストライカーへと変貌した。
最大の武器はやはり一振りで流れを変えることができる左足であり、ストライカーとしてのシュート精度とシュートの種類はハイレベル。キャノン砲のような強烈なシュートを放ったかと思えば、鮮やかな放物線を描くコントロールシュートも放ち、どちらも確実に枠を捉える。クロスやパスにダイレクトで合わせる技術も一級品で、アクロバティックで強烈な印象を残すゴールが多い。
足元の技術にも長けており、ストリートサッカーで培ったボールコントロールは183㎝という大柄な体格からは想像できないほどボールタッチが繊細で早い。時にはフットサルと思わせる程の華麗なテクニックを披露することもある。足が長く、懐も深いためボールを相手の届かない場所に保持するキープ力に加え、、足が長く、懐も深いためボールを相手の届かない場所に保持するキープ力も備えている。さらにはフィジカルコンタクトも強く、激しいプレッシャーに晒されてもボールを失わない。局面を打開することも、味方に時間とスペースも与えることができ、味方からすると安心してボールを預けられることからポストプレイヤーとしても世界トップクラスだった。
元々ウイングの選手だったためチャンスメイクにも長けており、得意の左足から絶妙なタイミングとスピードで味方に合わせる精度の高いクロスを送り込む。また、相手のマークを逆手に取ってサイドに流れてCBを引っ張り出し、味方に走り込むスペースを与えるスペースメイクの技術に長けている。そして、独特の間合いと感性によって精度の高いラストパスからアシストも多く記録していた。ストライカーに定着してからもパスを出す方がゴールの可能性が高ければ躊躇なくパスを選択していた。
プレースキックのスペシャリストとしても知られ、フリーキックから左足からのパワフルなシュートでゴールを狙うのみならず、フリーキックやコーナーキックで味方にピンポイントで合わせるボールを送りこむこともできた。
1人で局面を打開するタイプのFWではないため、モイーズ監督時代のマンチェスター・ユナイテッドのように前線で孤立することが多くなると能力を十分に発揮することができない。真価を発揮するためには、ウェイン・ルーニーやヴェスレイ・スナイデル、アリエン・ロッベンのようにさまざまな形で絡み援護してくれるアタッカーの存在が不可欠となる。
人物・エピソード
- 祖母がインドネシア出身であるため、インドネシアにルーツを持っている。
- オランダ系モロッコ人の女性と結婚し、2006年に長男、2009年に長女を授かっている。
- 子供の頃から問題行動が多く、学校ではトラブルを何度も起こして授業から排除されていた。
- 卓球が得意で、アーセナル時代はよくチームメイトとプレーしており、チーム内で卓球の王と呼ばれていた。
- 若手時代にFKのキッカーを奪って以来、ピエール・ファン・ホーイドンクとは不仲にあり、2014 FIFAワールドカップで低調なプレーをしたとき、解説者だったファン・ホーイドンクは急先鋒となってファン・ペルシを批判した。
- 2012年にライバルクラブであるマンチェスター・ユナイテッドに移籍した経緯から、キャリアの大半を過ごしたアーセナルとは絶縁状態にある。
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