概要
パナマ僻地のスラム街で誕生し、世界ボクシング史に大きく名を残す存在へと上り詰めた。ライト級時代は無双を誇り、殺人的なパンチ力で「石の拳」と呼ばれた。
1972年、デビュー31戦目でWBA世界ライト級王者を獲得後、12連続防衛(11KO)を果たす。三度目の防衛戦ではガッツ石松と対戦してKO勝ち。その間にも20戦以上のノンタイトル戦を挟むなど、異常なペースで試合を重ねる。
この時代の痩せているデュランは超イケメンであった(←ここ重要)。
その後いきなり一階級すっとばして、世界ウェルター級王者に挑戦する。相手はボクシング大国アメリカが誇るエリート・ボクサーの、シュガー・レイ・レナード。無謀と思われた試合だが、天才的な防御勘で相手の高速連打を避けまくり、叩き上げらしい泥臭い展開に持ち込んで判定勝ち。二階級制覇を達成し、世界中から注目を浴びた。
この試合をスタートとして、マーヴィン・ハグラー、トーマス・ハーンズ、シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュランの「四強」が、「黄金のミドル」と呼ばれる、世界ボクシング史に残る中量級全盛時代を演じることとなる。
しかしリターン・マッチでは、執拗なアウト・ボクシングでデュランに付き合おうとしないレナードに思わずキレてしまい、「ノー・マス(もう沢山だ)」の一言を残して試合を放棄、8RTKO負け扱いとなってしまう。
その後ジュニア・ミドル級王者も獲得して三階級制覇を達成したデュランは、いよいよ強豪ぞろいのミドル級へと足を踏み入れる。
四強の中では一人だけ年齢が上で、背丈もリーチも総て劣り、おまけに元のライト級から四階級も強引にウェイトを上げたため、この階級への挑戦は無謀と思われた。
絶対王者マーヴィン・ハグラーに判定で敗れたものの、周囲の予想を大きく裏切る大健闘で世間を驚かせる。
しかし反則並みのリーチを誇るハーンズには、あえなく2R失神KOで破れ、体格差の恐ろしさを思い知らされる。この試合の絶大なインパクトは「ラスベガス恐怖の一撃」と呼ばれ、語り継がれている。
しかしそのハーンズを二度も破ったアイラン・バークレーに打ち勝って、ついにミドル級王座を獲得、前人未到の4階級制覇を達成した。
対戦成績だけを見れば、四強の中ではもっとも分が悪い。
しかし、前述のようなハンディがあったことや、ハーンズとハグラーが勝てなかったレナードに勝ったこと、またライト級時代には無敵の強さを誇示していたことから、デュランは現在でも歴代PFPの一人として議論される存在である。
ちなみにデュランはその後も引退せず、実に25戦以上ものノンタイトル戦を戦い続け、竹原との激闘で知られるホルヘ・カストロにも判定勝ちした。
生涯戦績120戦104勝69KO16敗。
関連動画
関連商品
- 0
- 0pt