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ロベルト・バルボン(Roberto Barbon)とは、プロ野球選手のことである。故人。
概要
OB | |
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ロベルト・バルボン Roberto Barbon |
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基本情報 | |
出身地 | キューバマタンサス州 |
生年月日 | 1933年3月13日 |
没年月日 | 2023年3月12日 |
身長 体重 |
176cm 72kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 二塁手 |
プロ入り | 1954年 |
引退 | 1965年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1933年3月13日生まれ。キューバのマタンサス州に生まれ、14人兄弟の末っ子として育つ。
高校を卒業後、メジャーリーガーを目指し渡米。インディアンスやドジャース傘下のマイナーでプレー。
1954年、阪急ブレーブスからオファーを受け、「とりあえず1年だけやってみよう」と入団を決めた。
当時のバルボンは日本についての知識が殆どない状態であった。2月に初来日した際にはハワイを経由して来たこともあり、雪の積もる羽田空港で半袖シャツ1枚の状態で凍えそうになったという。
入団1年目の1955年から1番セカンドとして活躍。打撃面ではリーグ最多の163安打を放ち、打率.280を記録。また、走塁面ではリーグ2位の49盗塁に加え、リーグ最多の105得点・13三塁打をマークし、阪急攻撃陣のリードオフマンとして活躍。
1958年には38盗塁を記録し、初の盗塁王を獲得、ベストナインにも選出される。この年から1960年にかけて3年連続で盗塁王に輝いている。
1958年オフに帰国した際、キューバ革命が本格化し内戦状態となる。革命軍が首都へ進軍する前にバルボンは日本に戻っていたが、こういった事態により帰国が困難となってしまった。
1964年、新外国人として獲得したダリル・スペンサーに定位置を奪われ、守備固めでの起用がメインとなる。
1965年、トレードで近鉄バファローズへ移籍。規定打席に到達したもののリーグ最下位の打率.231に終わり、この年限りで現役を引退。
引退後はレストラン経営していたが、1974年に古巣の阪急でのコーチ就任に伴い閉店。コーチとしては1975年までの2シーズン務めた。
その後は阪急・オリックスの球団職員として勤務。通訳としてはボビー・マルカーノやブーマー・ウェルズらを担当し、ファンサービス部ではイベントをトークで盛り上げたりと、印象的な語りとキャラクターで人気を博した。
人物・エピソード
パワーこそ無かったものの、シュアな打撃と抜群の走力を武器に阪急の先陣を切ったリードオフマン。
打球反応がよく、走力の高さを生かした広い守備範囲も持ち味であった。
陽気な人物として知られ、関西弁をほぼ完璧に使いこなす様は「関西人より関西弁に精通してる」とまで評されている。通訳時代にはあまりに簡潔に関西弁で翻訳する様子も話題であった。
通算成績
打撃成績
通算:11年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1353 | 5154 | 4666 | 644 | 1123 | 33 | 260 | 308 | 74 | 17 | 369 | 28 | 608 | 69 | .241 | .399 |
獲得タイトル・記録
関連動画
関連項目
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