ロベルト・レバンドフスキ単語

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ロベルトレバンドフスキ
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ロベルト・レバンドフスキ(Robert Lewandowski, 1988年8月21日 - )とは、ポーランドサッカー選手である。
スペインラ・リーガFCバルセロナ所属。サッカーポーランド代表

ポジションはFW(CF)。184cm79kg。利き足は右足。称は「レヴィー」。日本サッカーファンからは「レヴァ」と呼ばれることも多い。

概要

ポーランドのワルシャワ出身。ブンデスリーガで5度得点王のタイトルを獲得した世界的なストライカー。左右両足からゴールを狙え、ヘディングも強く、ポストプレーの技術も高い万のFWである。バイエルン・ミュンヘンボルシア・ドルトムントの2チームで合計10回リーグ優勝を経験。7度得点王を獲得。また、2019-20シーズンでは公式戦47ゴール記録ブンデスリーガUEFAチャンピオンズリーグの2つのコンペティションで得点王となり、バイエルン三冠獲得に大きく貢献している。2020-2021シーズンブンデスリーガでは41ゴール記録し、リーグでの1シーズンでの最多得点記録を49年ぶりに塗り替えている。

2020年2021年と2年連続でFIFA男子年間最優秀選手賞を受賞。2020年新型コロナウィルスバロンドールの受賞は中止となったが、仮に例年通り開催されていればバロンドールを受賞していたと言われている。2021年にはバロンドールは惜しくも逃したものの、新設されたベストストライカーオブ・ザ・イヤーを受賞。

ポーランド代表の最多得点記録保持者でもある。2016年から2017年にかけてのロシアW杯欧州予選において、同予選の最多得点記録となる16得点記録している。しかし、ワールドカップ本大会やEUROといった大きな際大会ではクラブで見せているほどの実績を残せていない。

妻のアナ・レヴァンドフスキは空手であり、2009年世界大会で銅メダルを獲得した実績を持つ。

経歴

ポーランド時代

父親柔道サッカーの選手、母親バレーボール選手というスポーツ一家で育ち、幼い頃はサッカーの他に柔道バレーボールも両から教えられていた。本人はサッカーに専念したかったらしいが、後にプロサッカー選手となってから他のスポーツを教えられた経験が役立っている。

アスリートとして恵まれ環境で育っていたが、16歳のときに父親が病死する。このときから、プロサッカー選手としてデビューし、家族を支えることを決意する。

地元ワルシャワのクラブであるレギア・ワルシャワのユースを経て、2006年ポーランドIIリガ(3部)のズニチュ・プルシュクフへ入団。入団1年から15得点を挙げてIリガ(2部)昇格に貢献すると、翌シーズンはIリガで21得点記録した。サッカー選手として頭を現しつつあった2007年には、ワルシャ大学入学。その後、休学することになるが2017年学士課程卒業しており、卒業論文には自分のキャリアについての考察をまとめている。ちなみに、アナ夫人と出会ったのもこの頃。

2008年ポーランドエクストラクラサ(1部)のレフ・ポズナンへ移籍。ここでは2シーズンで58試合32得点記録し、2009-2010シーズンには18得点を挙げ得点王にき、リーグ優勝に貢献。21歳にしてポーランド内で獲得できるものは全て獲得している。

ドルトムント

2010年7月1日ドイツブンデスリーガボルシア・ドルトムントへ移籍。移籍は400万ユーロ。加入1年となった2010-11シーズンは、ルーカスバリオスの控えという位置づけであったが、ユルゲン・クロップ監督スーパーサブとして重宝し、8得点記録してリーグ優勝に貢献。

2011-12シーズンにはそれまでFWの1番手であったバリオスが負傷で長期離脱している間にポジションを奪いレギュラーに定着。当初は前線で孤立することも多かったが、クロップ監督導によってFWに必要な動きを教えられることで万ストライカーへと変貌。香川真司マリオ・ゲッツェといった若いタレントとの連携も深め、最終的に22得点記録し2年連続のブンデスリーガ優勝を経験。また、2012年5月12日のDFBポカール決勝では、バイエルンを相手にハットトリックの大活躍を見せ、チーム史上初の内二冠をもたらす。自身にとって、期待の若手からエースストライカーへと飛躍したシーズンとなった。

2012-2013シーズンは自身・クラブともに立ったタイトルこそかったもののUEFAチャンピオンズリーグで準優勝を果たすなど充実したシーズンを過ごした。とくにUEFAチャンピオンズリーグ準決勝・レアル・マドリー戦では1試合で4得点を挙げる活躍を見せ、決勝進出に貢献している。

契約最終年度となる2013-14シーズンは、に移籍の話が取り沙汰されたものの、結局ドルトムントに残留。ブンデスリーガCLの両方で順調にゴールを積み重ねていた。ところが、2014年1月になって最大のライバルであるバイエルンに翌シーズンから移籍することが発表される。当然ドルトムントサポーターからは批判を受けるが、本人は至って冷静にドルトムントでの残されたシーズン仕事をこなし、リーグ戦20得点記録し、自身初となるブンデスリーガ得点王にく。

バイエルン

2014年7月より、発表されていた通りドイツブンデスリーガバイエルン・ミュンヘンへ移籍。加入してすぐにジョゼップ・グアルディオラ監督からエースストライカーの座を任されると、期待通りに結果を残し、17得点マークし、リーグ優勝を達成。CLでも6得点をあげてベスト4進出を果たす。

2015-16シーズンは、チームとの連携がさらに深まったことでさらなる進化を遂げる。2015年9月22日ヴォルフスブルク戦では、後半開始から出場すると、リーグ史上最速となる3分22でのハットトリックを達成し、さらに2ゴールを重ねて8分59での5得点という圧巻のリーグ記録を作り出し、ギネスブック認定されている。9月26日マインツ戦ではリーグ戦通算100得点を達成。この年、アリエン・ロッベンフランク・リベリーの両って長期離脱するピンチに見舞われたが、そのを感じさせない程の決定を見せつけ、ゴール数は自己最多記録となる30得点記録。自身にとって2度となる内二冠と2度となる得点王を獲得。

2016-17シーズンは、開幕戦のヴェルダー・ブレーメン戦でハットトリックの活躍を見せる。最終節でピエール=エリックオーバメヤンにかわされて得点王のタイトルを逃しはしたが、2シーズン連続で30ゴールの大台に乗せる。また、公式戦通算のゴール数も2シーズン連続で40得点える。2017-18シーズンも29得点を決めて自身3度得点王を獲得。公式戦通算48試合41得点

2018-19シーズンは、チームは開幕から不振に陥るも、それとは関係なくいつも通りのペースゴールを積み重ねる。しかし、CLではリヴァプールFCに敗れ8年ぶりにベスト16敗退。シーズン中にチームメイトキングスレイコマンと殴り合いの喧嘩を引き起こす。嫌な空気の流れたシーズンとなったが、それでも2019年4月7日ドルトムントとのデア・クラシカーで2ゴールを決めて首位奪還に貢献し、そのままリーグ7連覇を達成。DFBポカール決勝でもRBライプツィヒを相手に2ゴールを決め、内二冠をもたらす。

バイエルンでの6年となった2019-20シーズンは、開幕から10試合連続ゴールというブンデスリーガ史上初の記録を作り出す、最高のスタートを切る。前半戦チームは低迷し、ニココバ監督が解任される事態になるが、自身は孤軍奮闘を続けていた。また、CLでも第5節のレッドスター・ベオグラード戦で僅か14分間での4ゴールという記録を作り出す。ハンジ・フリック監督が就任してからチームが復調しても、変わらずハイペースゴールを決めてみせる。最終的にゴール数はキャリアハイとなる34ゴールまで伸び、自身3シーズン連続5度得点王と共にブンデスリーガ8連覇を達成。2020年7月5日のDFBポカール決勝ではレバークーゼンを相手に2ゴールの活躍を見せ、連覇に貢献。さらに2020年8月に集中開催となったCLでも、ラウンド16のチェルシー戦、準々決勝のバルセロナ戦、準決勝のリヨン戦と3試合連続でゴールを決め、大会通算15ゴール記録して得点王にき、チームの7年ぶりのビッグイヤー獲得に貢献。このシーズンで奪った公式戦での通算ゴール数はキャリアハイとなる47ゴールとなり、バイエルンの2度三冠獲得の立役者となった。
2020年10月1日2位以下に圧倒的な大差を付ける票数を集め、UEFA年間最優秀選手に選ばれる。12月17日にはFIFAが選出する2020年男子年間最優秀選手賞を受賞。

2020-2021シーズンブンデスリーガ開幕戦のシャルケ戦でゴールを決め、6年連続で開幕戦のゴール記録2020年10月4日の第3節ヘルタ・ベルリン戦では4ゴールを奪う大活躍を見せる。10月24日おこなわれた第5節フランクフルト戦でもハットトリックを達成し、開幕5試合での二桁得点到達というブンデスリーガ記録立する。他チームからのマークは厳しくなっているはずが、前シーズンを上回るペースゴールを重ね、2021年1月17日第17節フライブルク戦で前半7分に21ゴールを決め、ゲルト・ミュラーが保持していたブンデスリーガ前半戦での最多ゴール記録を塗り替える。1月24日シャルケ戦では32歳にしてキャリア通算500ゴールに到達。3月20日の第26節シュトゥットガルト戦では、シーズン4度ハットトリック記録し、ブンデスリーガの通算ゴール数が271ゴールとなり歴代単独2位記録保持者となる。しかし、3月下旬におこなわれた代表戦で右膝を負傷し、欠場となったCL準々決勝でチームPSGに敗れ、CL連覇のは潰えてしまう。5月9日ブンデスリーガ第32節ボルシアMG戦ではシーズン5度ハットトリックを達成し、試合前に決定していたバイエルンリーグ9連覇にを添える。5月15日の第33節フライブルク戦のゴールでついに40ゴールの大台に乗せ、1971-72シーズンゲルト・ミュラー立したシーズン最多得点記録に並ぶ。そして、5月22日最終節のアウクスブルク戦で試合終了間際にゴールを決め、ゲルト・ミュラー記録を塗り替えるシーズン41ゴールに到達。49年間破られなかった新記録立し、4シーズン連続6度得点王にく。また、自身初となるゴールデンシューを受賞。
2021年バロンドールこそ逃したものの、2年連続でザ・ベストFIFA男子選手に選出されている。

2021-2022シーズン開幕戦のボルシアMG戦でゴールを決め、リーグ開幕戦7年連続ゴールというブンデスリーガの新記録を打ち立てる。8月21日の第3節ヘルタ・ベルリン戦ではハットトリックを達成。また前のシーズンから第5節のボーフム戦のゴールまで公式戦19試合連続ゴール記録している。自身CL100試合の出場となった11月2日ベンフィカ戦ではハットトリックを決め、4連勝でのグループステージ突破をもたらす。12月27日ヴォルフスブルク戦でゴールを決め、ブンデスリーガ史上最多となる年間43ゴール記録する。2022年1月15日ケルン戦でもハットトリック記録し、ゲルト・ミュラー以来史上2人となるブンデスリーガ通算300ゴールを達成する。3月8日CLラウンド16 2nd legのザルツブルク戦では開始23分間でのハットトリックというCL速記録を立。ブンデスリーガでは35ゴール記録し、バイエルンリーグ10連覇に貢献。5シーズン連続7度となる得点王も獲得。2シーズン連続でゴールデンシューも獲得する。
一方で2023年までとなったクラブとの契約をついに延長せず、シーズン終了後には自らの口で移籍希望をはっきりと明言する。

バルセロナ

2022年7月19日スペインラ・リーガFCバルセロナへ移籍することが正式に発表される。当初はバルセロナが深刻な資難に陥っていたこととバイエルン側が抵抗したことで移籍は困難かと思われたが、移籍4500ユーロ契約が成立。背番号は「9」。
8月13日ラ・リーガ開幕戦ラージョ・バジェカーノ戦で新地でのデビューを果たすと、自身の誕生日でもある8月21日の第2節レアル・ソシエダ戦で移籍後初ゴールを含む2ゴールの活躍を見せる。さらにソシエダ戦から第7節のマジルカ戦までラ・リーガでは6試合連続ゴール記録。第10節のビジャレアルCF戦では2ゴールを決め、くもリーグ戦でのゴール数が二桁に到達する。ワールドカップによる中断期間直前となった11月8日の第14節オサスナ戦では前半で2度の警告を受けて退場となり、その際に審に対し不適切な行動を取ったことで3試合の出場停止処分を受ける。そのワールドカップ後は調子を落とすが、優勝の懸かったシーズン終盤になってさすがの決定調子を取り戻すと、23ゴール記録し移籍1年にしてリーガ優勝ピチーチ(得点王)を獲得。ブンデスリーガ時代と通算すると6シーズン連続で得点王になったことになる。

2023-24シーズンラ・リーガ第3節ビジャレアルCF戦でシーズンゴールを決めると、ここから公式戦5試合連続ゴールを決めるなど、順調なスタートを切る。しかし、2023年9月23日のアラベス戦で2ゴールを決めて以降、怪による欠場もあって2か近くゴールから遠ざかってしまう。前半戦はリーグで8ゴールCLでは開幕戦の1ゴールのみと物足りない内容に終わる。

ポーランド代表

2008年9月10日南アフリカW杯欧州予選、サンマリノ戦で代表デビューし、初得点記録。しかしチームグループ5位に終わり、ワールドカップ出場を逃している。ブンデスリーガで活躍を見せるようになった2010年以降にはに定着し、代表でもエースストライカーとしての責を負う。

2012年6月には自開催となったUEFA EURO2012に出場。開幕戦となったギリシャ戦では、前半17分に大会のファーストゴールとなる先制ゴールを決めている。しかし、その後同点に追いつかれて引き分けに終わり、続くロシア戦、チェコ戦ではいずれもゴールを決めることができず。チームは1勝もできないままグループリーグ敗退に終わり、初の代表チームでの大舞台はほろ苦いものとなった。

ブラジルW杯欧州予選では、ブンデスリーガで見せる決定のように3得点しかあげることができず、チームイングランドウクライナと同居したグループで4位に終わり、またしてもワールドカップ出場を逃している。2014年からポーランド代表のキャプテンに任命され、EURO2016予選では、ライバルとなっていたアイルランドとの最終戦で2ゴールを決めるなど、通算13得点記録する。

2016年6月フランスで開催されたUEFA EURO2016では、守備的な戦術を採用したチームにあってグループリーグ3試合はノーゴールに終わる。準々決勝のポルトガル戦では、開始々に先制ゴールを決める。しかし、その後はポルトガルの守備に封じられ、チームPK戦の末に敗れる。

2016年9月からスタートしたロシアW杯予選では大爆発10月8日グループライバルと見られていたデンマークとの直接対決ではハットトリックの活躍により勝利をもたらす。2017年10月6日アルメニア戦でのハットトリックによって代表通算50得点記録し、ポーランド代表の歴代最多得点記録更新する。最終節のモンテネグロ戦では2-2で迎えた後半40分に勝ち越しゴールを決め、3大会ぶりとなるワールドカップ出場権獲得に貢献する。

2018年6月ロシアで開催された2018 FIFAワールドカップに出場。29歳にして自身初のワールドカップ舞台となった。しかし、相手の厳しいマークされて3試合とも不発に終わる。チームグループリーグ最初の2試合で連敗したことで々と敗退が決定。3試合ノーゴールに終わったことで批判を受けることになり、さらに大会後、敗退の不満からチームメイト批判するコメントを出してしまい、問題視される。

2021年6月EURO2020ではグループステージ第2節のスペイン戦では同点ゴールを決め、引き分けに持ち込むと同時に3度の出場で初めてグループステージゴールを決める。第3節のスウェーデン戦では2ゴールを決めるが、奮闘も報われず終了間際に失点したことでチームは最下位でグループステージ敗退。通算3ゴールと結果を残したものの、またしても悔しい結果に終わる。

2022年3月29日2022 FIFAワールドカップ 欧州予選プレーオフ決勝のスウェーデン戦ではPKによる先制ゴールを決め、を2大会連続のワールドカップ出場に導いている。11月に開催された本大会では、初戦のメキシコ戦でPKのチャンスが訪れるも、GKギジェルモ・オチョアストップされてしまう。しかし第2戦のサウジアラビア戦では前半に1アシスト記録した後、後半に待望のワールドカップゴールを決め、ポーランドを36年ぶりの決勝トーナメント進出に導く。初ゴールの際は、感極まってを見せていた。しかし、ラウンド16のフランス戦では終盤にPKで1点を決めたものの、チームは1-3で敗退となる。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2006-07 ズニチュ・プルシュクフ IIリガ(3部 27 15
2007-08 ズニチュ・プルシュクフ Iリガ(2部) 32 21
2008-09 レフ・ポズナン エクストラクラ 30 14
2009-10 レフ・ポズナン エクストラクラ 28 18
2010-11 ドルトムント ブンデスリーガ 33 8
2011-12 ドルトムント ブンデスリーガ 34 22
2012-13 ドルトムント ブンデスリーガ 31 24
2013-14 ドルトムント ブンデスリーガ 33 20
2014-15 バイエルン・ミュンヘン ブンデスリーガ 31 17
2015-16 バイエルン・ミュンヘン ブンデスリーガ 32 30
2016-17 バイエルン・ミュンヘン ブンデスリーガ 33 30
2017-18 バイエルン・ミュンヘン ブンデスリーガ 30 29
2018-19 バイエルン・ミュンヘン ブンデスリーガ 33 22
2019-20 バイエルン・ミュンヘン ブンデスリーガ 31 34
2020-21 バイエルン・ミュンヘン ブンデスリーガ 29 41
2021-22 バイエルン・ミュンヘン ブンデスリーガ 34 35
2022-23 バルセロナ ラ・リーガ 34 23
2023-24 バルセロナ ラ・リーガ

個人タイトル

プレースタイル

CFタイプの選手としては世界最高のプレイヤーの1人と言われ、ストライカーめられるを全て持ち合わせている。左右両足、ヘディング共に世界トップレベルの精度を持ち、直接フリーキックからゴールを決めることもできる。加えて、ゴール前でのポジショニングセンスも高く、パスの出し手がいて欲しいところに常に取り、ダイレクトで合わせてゴールを決めるパターンが多い。

中戦でも圧倒的な強さを持っており、高さもさることながら屈強なドイツのDFを相手にしても負けないフィジカルの強さも武器である。身長は特別高いわけではないが、跳躍と体の使い方のうまさで補っており、ヘディンシュート打点の高さはを見るものがある。相手の裏を取る動きもうまく、ディフェンスとの駆け引きをしながらタイミングよく裏へ飛び出し、ゴールを奪う。ドルトムントに加入したばかりの頃はこのパターンが多かった。

ポストプレーの技術も高く、味方の選手を使ってゴールをお立てすることも選択肢に入れている。必要とあれば中盤のラインまで引いてきて楔の縦パスを収め、そこからいて動き直してゴール前に入り込む一連の動作を非常にスムーズおこなうことができる。足元の技術も高いため、ボールキープやパスの精度にも秀でている。

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1 ななしのよっしん
2015/08/22(土) 04:53:39 ID: iabxvEyRtZ
EURO16は出れそうだねポーランド
よかったよかった
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2 ななしのよっしん
2015/09/23(水) 09:44:09 ID: iabxvEyRtZ
一試合で5点とったぞww
>>sm27215347exit_nicovideo
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3 ななしのよっしん
2015/09/23(水) 14:12:07 ID: W85Mtu61di
CFでの完成度でいったら3本に入るだろうな
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4 ななしのよっしん
2015/09/23(水) 23:05:36 ID: GjyZUWdMqp
古典的なドイツCFってコメントを見かけたけど。
彼は足元もうまいし、タッチ数も多く、尚且つアシスト役もこなせる

新時代のFWだよね
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5 ななしのよっしん
2018/11/29(木) 02:09:37 ID: /Pi1911+Fc
ワールドカップもあった年だと言うのに記事の情報大分遅れているし、コメント数も少ないな…。
2018 FIFAワールドカップ レバンドフスキはもちろん、ポーランド代表チームの中心選手として出場した



ポーランド代表チームグループリーグで勝てず決勝トーナメントに進めず、一勝った日本代表との試合ではボール回し(パス回し)で時間稼ぎをされるというに合わされたのだが。

ひとつ勝って終わりたかったレバンドフスキたちには酷い事をしたと思うが、必要以上に恥じることをしてはいけないと思う。サッカー世界は過酷である

中のテレビで見ていて、全にボール回しの体勢に入りましたとアナウンサーさんが告げたとき、日本代表チームはいよいよ今まで経験した事もないことをこれからたくさん経験していくそうした時代になったのだとが吹くような感動を覚えた。


たまたま観ていたNHK衛星チャンネルドイツブンデスリーガの試合のテレビ放映でドイツ選手達に混じってレバンドフスキの顔を見て、
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
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6 ななしのよっしん
2021/05/09(日) 21:40:47 ID: mWLebbRhwg
バイエルンへの移籍が破談になった年に「ここを出るために頑るよ」って答えてたのが衝撃だった。
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7 ななしのよっしん
2022/11/27(日) 10:44:26 ID: FopPMMcUBi
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