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ヴェルスパ大分とは、大分県大分市別府市・由布を本拠地とする、JFL所属のサッカーチームである。

チーム名称は「HOYO大分」。

概要

日本フットボールリーグ
ヴェルスパ大分
基本情報
創設年 2003年
クラブカラー
所属 JFL
ホーム
スタジアム
・レゾナックサッカーラグビー場Aコート[大分市]
佐伯総合運動公園 佐伯市陸上競技場[佐伯市]
中津総合運動場 永添サッカー場[中津市]
ホームタウン 大分県大分市別府市・由布
前身 HOYO大分
サッカークラブテンプレート

大分県東(くにさきに本社を置く豊洋精工株式会社を中核企業とした豊洋グループの実業団チーム「HOYO FC」として2003年に創設。創設にあたって、豊洋精工とその関連企業であるソイテックスジャパン株式会社の2社が設立体となった。なぜホームタウンに入れなかった。

創設前には、グループスポーツチームサッカーにするか野球にするかで議論があったのだが、Jリーグ参入に向けての筋が示されているサッカー界独自のわかりやすさが決め手となりサッカーチームにしたという逸話がある。

その後、2005年には、ジュニアチーム運営していた大分挾間町(現:由布)のクラブチームAtletico ELAN」を吸収し、チーム名を「HOYO Atletico ELAN」と称している。「Atletico」と「ELAN」はポルトガル語で、「スポーツの」及び「飛躍」を意味しており、まさに後述の標を掲げるクラブにとっては格好の言葉である。

2011年にはチーム名が「HOYO AC ELAN 大分」となる。併せて「NPO 大分スポーツ&カルチャークラブ」という新しい運営組織を設立し、クラブチームに移行している。どこかで聞いたことのある組織名だけど気のせいだと思うよ。

2013年元旦、突如チーム名を呼称であった「HOYO大分」にすることを発表する。理由として"旧名称(HOYO AC ELAN 大分)時は読み違いなどが多くあったため"exitとのことだが、そんな理由であっさり変更するとかちょっと不可解な気がしないでもない

2013年10月チームは再び名称変更を模索する。そして同年12月、「ヴェルスパ大分」という現在チーム名に変更した。なお、変更前は新しいチームカラーとして黄色が挙がっていたのだが、結局チームカラーは元々のメインのままとなった。なお、公式く、チーム名の変更理由としては「今までの名称は企業イメージが強かったから」というのをに述べている。

エンブレムは、の3本線と周囲のい模様は「おんせん県おおいた」の温泉を、中心部の山は由布岳鶴見岳・高崎山を、下部の大分県の県の豊後をそれぞれ表現。チームマスコットカピバラモチーフとしたヴェールくんとスパッピーちゃん。

歴史

『史上最強のアマチュアチーム』への道

当初のクラブ標はアマチュアNo.1』になることであった(なお、この項の題名は、『週刊サッカーダイジェスト』No.1135より引用した)。

清原栄二・クラブ代表(理事長)はもがプロチームJリーグす中、アマチュアNo.1をクラブがあってもいいと思っている。仕事をしながらレベルの高いチームサッカーをしたい人もいる。それぞれに選択肢があるし、そういうがあってもいいのではないか」っている。

一方、Jリーグ参加についてはまずはアマチュアNo.1の称号を得ること。大分県には大分トリニータがあり、そんなに性急に進める話でもない」と答えている。

さて、そんな標に向かって、クラブ大分県リーグ1部に昇格する前から、元Jリーガーを受け入れたりして強化を進めていた。しかし、県1部参戦1年、土壇場で優勝を許してしまったことが契機となったか、元Jリーガーを中心に即戦クラスの選手を更に補強することとなった。清原代表は「これだけ選手を補強した以上、県リーグでは負けられない」と述べていたが、その年の成績は3位だった。その後県1部参戦3年で初優勝を成し遂げ、九州各県リーグ決勝大会でも優勝して、九州リーグに昇格する。

九州リーグ参戦1年は13勝2PK勝ち1PK負けという圧倒的な成績で初昇格初優勝を成し遂げる。そして2年は、FC鹿児島とヴォルカ鹿児島というJリーグ昇格をす2クラブを、15勝2PK勝ち1敗という圧倒的な成績で抑えてリーグ2連覇を成し遂げる。ここ最近、昇格してから2年で九州リーグ連覇を成し遂げたクラブはいなかった。そんな偉業を、しかも「アマチュアNo.1をす」クラブが成し遂げてしまったのだから驚きである。

2連覇後、再び地域決勝大会に出場する。初出場したときは予選グループリーグで敗退したが、2回の出場は決勝ラウンドまで進出。入れ替え戦進出の成績である3位となったが、後にジェフリザーブズJFLを脱退し、松本山雅FCFC町田ゼルビアJ2昇格を決めたことから、Y.S.C.C.shizuoka.藤枝MYFCと共にJFLへの自動昇格が決まった。

Jリーグ参入への道

JFL参入初年の2012年、2年2013年リーグ15位と苦戦。辛くもJFL残留を決める状況にあった。この年の天皇杯2回戦では大分トリニータとの「大分ダービー」が実現している。
そんな中、2013年12月10日クラブ名を「ヴェルスパ大分」に変更。将来のJリーグ加盟を標として掲げるようになる。

2014年の多くを失いながらも、過去高順位の7位と順位を上昇させる。だが、その後のシーズンでも中位と下位を行き来することが続いていた。

2020年シーズンは開幕から快進撃を続け、ソニー仙台FCHonda FCと熾優勝争いを繰り広げることになる。そして第29節で1試合を残して首位が確定。初のJFL優勝を成し遂げるシーズン終了後、須藤監督が退任。

前年の初優勝でいよいよJリーグ加入が現実的なものとなり、2021年シーズンよりJリーグ年構想クラブ認定される。新監督として年代別日本代表アシスタントコーチなどを務めた山史が就任。リーグ戦では総合3位で終えるが、7月J3ライセンスの交付申請を見送っていたことからJ3リーグ昇格は実現しなかった。

2024年シーズンJ3ライセンスが交付される。ただし、均観客入場者数がJリーグが定める標に届いていないため、J3加入については継続審議となる。

仕事とサッカーの両立

これは2008年の実業団時代の情報なので、今はどうなっているのかは不明であることを踏まえた上で読んでいただきたい。

所属している選手のどは、豊洋グループ企業工場で働いている。当時の清原代表によると、引退後もホームタウンに残れるように考えているが、あとは引き続きサッカーに携わるのか、それとも仕事を続けるのかで、受け入れ先を変えているのだという。

また、サッカーに引き続き携わりたい選手に対しては優遇しており、例えばJFAコーチライセンスであるC級ライセンス取得までの費用を補助しているのだという。さすがにB級以上だと費用と時間が掛かっちゃうので補助はしていないとのこと。(ちなみにJFL以上の上位リーグ揮をとるには、A級以上のライセンスが必要となる(…「A級以上」とはいってもA級とS級しかない)。なお、Jリーグ揮をとるにはS級が必要となる。)

そして、ここからさらに上をす選手に対しては快く送り出す、という方針も持っている。

参考文献

関連動画

かった。(´・ω・`)

関連商品

豊洋グループオンラインショップ「ライネス」exit

関連コミュニティ

関連項目

クラブ公式サイト

ヴェルスパ大分 公式サイトexit

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1 記事作成主
2012/03/04(日) 19:08:56 ID: bLue+Go8pz
JFLでは久々に誕生した優良クラブだと思うんですが。(サッカー環境的な意味で)
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2 ななしのよっしん
2013/01/29(火) 20:28:19 ID: THuD2YtXw6
ソイテックジャパン ではなく ソイテック「ス」ジャパンでございます。
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3 ななしのよっしん
2013/12/18(水) 00:35:32 ID: bLue+Go8pz
>>3
ありがとうございます。修正しました。
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