一航戦(いっこうせん)とは、ブラウザゲーム【艦隊これくしょん~艦これ~】に登場する某大食艦空母の影響で、突如有名になった海軍用語である。正式名称は「第一航空戦隊」。
この項では、旧日本海軍における「航空戦隊」「航空艦隊」「機動艦隊(機動部隊)」について解説する。
艦隊と戦隊
艦隊
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戦隊(水雷戦隊) 戦隊 戦隊 戦隊(航空戦隊)
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軽巡洋艦 重巡洋艦 重巡洋艦 戦艦 戦艦 空母 空母
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(駆逐隊) (駆逐隊)
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駆逐艦 駆逐艦 駆逐艦 駆逐艦
ふつう「艦隊」とは上図のように、2隻以上の同一艦種によって構成される「戦隊」の集合体のことをいう。
日本海軍の場合は一般的に、
- 戦艦や重巡洋艦で構成されるもの・・・・・・「戦隊」
- 引率の軽巡洋艦と何隻かの駆逐艦で構成されるもの・・・・・・「水雷戦隊」
- 空母(もしくは水上機母艦)によって構成されるもの・・・・・・「航空戦隊」
- 潜水艦によって構成されるもの・・・・・・・「潜水戦隊」
と名づけていた。駆逐艦の集団は「駆逐戦隊」ではなく「駆逐隊」としていた。駆逐艦は原則として「戦隊」の旗艦になることはなく、軽巡洋艦が配備されない場合は「駆逐隊」のままで「艦隊」の指揮下に入っていた。
【例:真珠湾攻撃における第一航空艦隊(南雲機動部隊)の編成】
- 第一航空戦隊 空母「赤城」 「加賀」
- 第二航空戦隊 空母「蒼龍」 「飛龍」
- 第五航空戦隊 空母「翔鶴」 「瑞鶴」
- 第三戦隊(第一小隊) 戦艦「比叡」 「霧島」
- 第八戦隊 重巡洋艦「利根」 「筑摩」
- 第一水雷戦隊 軽巡洋艦「阿武隈」
※この他、「第一航空艦隊」全体としては第四航空戦隊(「龍驤」ほか)や第七駆逐隊(「朧」「曙」「漣」「潮」)なども所属していたが、ハワイまでの航続距離不足を考慮して別戦線へ出動。
航空戦隊の駆逐艦
→ トンボ釣り も参照
上図「第一航空艦隊」の編成において、各航空戦隊には空母しか配備されていないが、もともとの航空戦隊には空母の他に、2~3隻の駆逐艦が配備されていた。しかしその駆逐艦は老朽化・航続力不足が懸念されるものばかりだったので、真珠湾攻撃作戦においては第一水雷戦隊と第二水雷戦隊から第十七・第十八駆逐隊を引き抜いて、空母の護衛にあてた。
航空戦隊に配備された駆逐艦の役割は空母の護衛のほか、発着艦失敗で墜落・不時着した艦載機を救助する、いわゆる「トンボ釣り」の役目が与えられていた。南雲機動部隊以後、航空戦隊は空母のみで編成されるようになり、「トンボ釣り」は艦隊所属の駆逐艦全体で行うようになる。
航空艦隊と機動艦隊(機動部隊)
大日本帝国の軍隊は陸軍と海軍によって構成され、ついに最後まで「空軍」は編成されなかった。このため、日本軍の航空部隊は陸軍・海軍が各々に保有していたが、海軍の場合、航空部隊を「艦隊」に見立てて「航空艦隊」の名称をもって編成していた。一方、のちに「南雲機動部隊」として有名になる空母の水上艦隊も「航空艦隊」と名づけていた。
太平洋戦争の開戦時には「第一航空艦隊」と「第十一航空艦隊」が編成されていたが、前者は水上艦隊、後者は基地航空部隊である。
基地航空隊の「第十一航空艦隊」
太平洋戦争開戦時は台湾に司令部があって、東南アジア方面への陸海軍進撃の航空支援を行っていた。昭和16年(1941年)12月10日、マレー沖海戦でイギリス東洋艦隊の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」を撃沈した航空隊は、この第十一航空艦隊所属でサイゴン(現ベトナム・ホーチミン市)に進出していた第二二航空戦隊である。
第十一航空艦隊はその後、南太平洋方面に転進。ラバウルに司令部を置き、「ラバウル航空隊」で知られることになる海軍基地航空隊の主力をなす。
空母機動艦隊としての「第一航空艦隊」(南雲機動部隊)
→ 空母(艦これ) も参照
日本海軍では長らく、「航空戦隊」は戦艦や巡洋艦の「戦隊」とともに「艦隊」を構成する要素の一部にすぎず、その役割は戦艦・巡洋艦による艦隊決戦(砲雷撃戦)を、艦載機によって支援するものとして扱われてきたが、山本五十六大将(海軍兵学校32期)や小沢治三郎少将(海兵37期)の発想に基いて、空母を集中運用する艦隊が編成された。これが「第一航空艦隊」である。
「第一航空艦隊」は当然ながら、今で言う「空母機動部隊」のことであるが、「機動部隊(機動艦隊)」ではなく「航空艦隊」の名称が使われた。
と、正式名も略称も似ていて紛らわしいので、注意しなければならない。
第一航空艦隊の初代司令長官には南雲忠一中将(海兵36期)が任命された。この長官の下で、真珠湾攻撃やセイロン沖海戦などにおいて赫々たる武勲を挙げたことから【南雲機動部隊】の異名がつく。しかし南雲機動部隊は、周知のようにミッドウェー海戦において、「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の正規空母4隻を一気に喪失してしまう。
実は第一航空艦隊は編成上、常設の艦隊ではなく臨時編成の艦隊だった。このため作戦目的によって艦隊を構成する艦艇はたびたび入れ替えられ、ミッドウェー海戦のときには第五航空戦隊(五航戦)が艦隊から外れていた。
ミッドウェー海戦で所属の4空母を喪失したことにより、空母機動部隊としての第一航空艦隊は壊滅したものとみなされてしまい、昭和17年(1942年)7月14日をもって第一航空艦隊は解隊となる。
なお、少し紛らわしくなってしまうのだが、ミッドウェー海戦の際に別働隊として、軽空母「隼鷹」「龍驤」による空母部隊がアリューシャン列島方面へ出撃していたが、この部隊は「第二機動部隊」と名付けられていた。この関係で、南雲機動部隊こと第一航空艦隊は編成上、「第一機動部隊所属の第一航空艦隊」ということになっていた。図示すると、
になるのだが、「第一機動部隊」と「第一航空艦隊」は同じものである。海軍も、お役所仕事は大好きらしい。
空母機動部隊としての「第三艦隊」
ミッドウェー海戦に参加しなかった第五航空戦隊が第一航空戦隊に横滑りし、南雲司令長官・草鹿参謀長が再び任命された日本海軍空母機動部隊の新しい艦隊名は「第三艦隊」。組織図としては、
連合艦隊
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その他 第三艦隊 第二艦隊 第一艦隊 (連合艦隊司令部直属)
(空母部隊) (巡洋艦部隊) (戦艦部隊) 「大和」「武蔵」
という形になる。第三艦隊は常設艦隊とされたので、これが日本海軍初の常設空母機動部隊ということになった。このうち、第三艦隊と第二艦隊がガダルカナル島方面へ前進して、第二次ソロモン海戦と南太平洋海戦の2つの空母会戦を戦うことになる。
南太平洋海戦の後の昭和17年11月、南雲長官は佐世保鎮守府長官へ異動し、後任は小沢治三郎中将。ソロモンの戦いで軽空母「龍驤」が沈没、「翔鶴」が損傷したため、空母は建造中の正規空母「大鳳」や「雲龍」の就役を待って再編されることになり、本土へ後退する。一方で、一航戦と二航戦の艦載機・パイロットは、ラバウルの第十一航空艦隊とともに基地航空隊として使われ、「い号作戦」(昭和18年4月)や「ろ号作戦」(10月)に投入、消耗を強いられる。
基地航空隊としての「第一航空艦隊」
水上艦隊としては消滅した「第一航空艦隊」だったが、昭和18年7月、今度は基地航空隊として再編成される。サイパン島・テニアン島・グアム島などのマリアナ諸島を“不沈空母”に見立てて、米軍の反撃に備えようとするものである(名称は同じだが、南雲機動部隊時代の一航艦とは何の関連もないので、混同しないように注意)。
大本営直属の部隊として、昭和19年9月の完成を目標に内地で育成が進められたが、米軍の反攻が予想より早かったため昭和19年2月に連合艦隊所属となり、不十分な訓練・部隊編成のままテニアン島へ進出。マリアナ諸島への空襲と渾作戦によって消耗し、6月のマリアナ沖海戦ではほとんど戦力にならず敗退。7月、テニアン島で角田覚治中将以下の一航艦司令部は玉砕する。
一航艦の残存部隊はフィリピンへ逃れ、航空隊をかき集めて再建を図る。しかしフィリピンへの空襲や、10月の台湾沖航空戦で大きく消耗。行動可能な航空機がほとんどなくなったため、10月20日からのレイテ沖海戦ではついに神風特別攻撃隊を編成するに至る。
特攻でそれなりの戦果を挙げた第一航空艦隊と第二航空艦隊(二航艦)だったが、すぐに航空機が底をついてしまう。これにより、両航空艦隊は台湾へ後退。一航艦は昭和20年6月、二航艦は1月に解隊となる。主戦場が硫黄島・沖縄方面へ移ると、第三航空艦隊(三航艦)と第五航空艦隊(五航艦)が南九州を拠点に、特攻戦術を繰り広げた。
空母機動部隊としての「第一機動艦隊」
南雲機動部隊が臨時編成艦隊だったり、ソロモンでは編成上第三艦隊と第二艦隊が同列で、しかも第二艦隊の近藤信竹長官(海兵35期)が南雲中将の先輩だったことから、年功序列で第二艦隊(巡洋艦隊)が第三艦隊(空母隊)を指揮するなどというチグハグな運用(この時は近藤中将が、主力の指揮官である南雲中将の指導を受けると自ら表明したので、大きな問題にならずにすんだ)を続けていた日本海軍空母部隊だったが、昭和19年3月に至って、ようやく空母を中心に戦艦・巡洋艦も統一指揮する艦隊を編成した。これが「第一機動艦隊」である。
「第一機動艦隊」の長官は空母機動部隊である編成上、第三艦隊の小沢治三郎長官が兼任することになった。このため、第一機動艦隊のことを指して【小沢艦隊】と呼ぶことがある。
連合艦隊
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その他 第一航空艦隊 中部太平洋方面艦隊 第一機動艦隊(第三艦隊長官兼任)
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第二艦隊(戦艦・巡洋艦) 第三艦隊(空母)
本格的空母機動部隊となった「第一機動艦隊」は、第二艦隊が前衛・第三艦隊が後衛となり、第三艦隊の空撃で敵に打撃を与えた後、第二艦隊の砲雷撃で追撃することを意図。6月のマリアナ沖海戦をこの編成で戦ったが、大敗。「大鳳」「翔鶴」「飛鷹」の3空母と400機の航空機を失い、第三艦隊の空母戦力は壊滅してしまう。
10月のレイテ沖海戦では、戦力を喪失した第三艦隊が囮となって米艦隊を引きつけ、その隙に第二艦隊が米軍の上陸地点へ突撃する作戦が建てられた。第三艦隊と第二艦隊の力関係が逆転し、出撃地点も第三艦隊が本土、第二艦隊が東南アジアとなったため、第二艦隊は「第一機動艦隊」から独立。下図の編成となる。
連合艦隊
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その他 第二航空艦隊 南西方面艦隊 第一遊撃部隊 第一機動艦隊
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第二遊撃部隊 第一航空艦隊 第二艦隊 第三艦隊
レイテ沖海戦のエンガノ岬沖海戦で、第三艦隊は空母「瑞鶴」「瑞鳳」「千歳」「千代田」を喪失。編成上は空母「隼鷹」なども所属していたが、搭載する航空機も動くための燃料も欠乏では何の戦力にもならなかった。
空母戦力の消滅により、昭和19年11月15日付で「第一機動艦隊」および「第三艦隊」は解隊となった。この後終戦まで、日本空母の艦隊が編成されることは無かった。
(参照) 航空戦隊所属空母の変遷
※赤字は水上機母艦。緑字は航空戦艦。附属の駆逐艦と第六航空戦隊以下は省略。
編成時期 | 第一航空戦隊 (一航戦) |
第二航空戦隊 (二航戦) |
第三航空戦隊 (三航戦) |
第四航空戦隊 (四航戦) |
第五航空戦隊 (五航戦) |
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昭和3年4月1日 | 赤城 鳳翔 | ||||
12月1日 | (解隊) | ||||
昭和4年4月1日 | 赤城 鳳翔 | ||||
11月30日 | 加賀 鳳翔 | ||||
昭和5年12月1日 | 赤城 鳳翔 | ||||
昭和6年12月1日 | 加賀 鳳翔 | ||||
昭和7年1月31日 | |||||
昭和8年11月15日 | 赤城 龍驤 | ||||
昭和9年11月15日 | 龍驤 鳳翔 | 赤城 | |||
昭和10年11月15日 | 加賀 | ||||
昭和11年6月1日 | 神威 | ||||
12月1日 | (解隊) | ||||
昭和12年8月27日 | 神威 | ||||
10月20日 | 神威 能登呂 | ||||
12月1日 | 加賀 | 龍驤 | 神威 香久丸 神川丸 | 能登呂 衣笠丸 | |
昭和13年8月1日 | (解隊) | ||||
12月15日 | 赤城 | 蒼龍 龍驤 | (解隊) | ||
昭和14年11月15日 | 蒼龍 飛龍 | ||||
昭和15年5月1日 | 赤城 龍驤 | ||||
11月15日 | 加賀 | 龍驤 鳳翔 | |||
昭和16年4月10日 | 赤城 加賀 | 鳳翔 | 龍驤 | ||
8月11日 | 鳳翔 瑞鳳 | ||||
9月1日 | 龍驤 春日丸 | 翔鶴 瑞鶴 | |||
昭和17年4月10日 | (解隊) | 龍驤 祥鳳 | |||
7月14日 | 翔鶴 瑞鶴 瑞鳳 | 隼鷹 飛鷹 龍驤 | (解隊) | (解隊) | |
昭和18年4月1日 | 隼鷹 飛鷹 龍鳳 | ||||
昭和19年2月1日 | 翔鶴 瑞鶴 | 瑞鳳 千歳 千代田 | |||
4月1日 | 大鳳 翔鶴 瑞鶴 | ||||
5月1日 | 伊勢 日向 | ||||
7月10日 | 瑞鶴 | (解隊) | |||
8月15日 | 雲龍 天城 | 瑞鶴 瑞鳳 千歳 千代田 |
伊勢 日向 隼鷹 龍鳳 |
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11月15日 | 雲龍 天城 葛城 隼鷹 龍鳳 信濃 |
(解隊) | 伊勢 日向 | ||
昭和20年3月1日 | ※戦艦大和等の かき集め状態 で実体無し |
(解隊) | |||
4月20日 | (解隊) |
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関連項目
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