平安京に万里小路(現在の京都市柳馬場通)が存在した。苗字としては公家の苗字として知られ、藤原北家勧修寺流甘露寺家(吉田家)の分家に万里小路家があった。邸宅が万里小路に存在したことから万里小路を称したという。
宣房は後醍醐天皇の忠臣として知られる。また、時房の著した日記「建内記」は室町時代中期の代表的な日記である。賢房の娘、栄子は正親町天皇を生んだ。博房は幕末、攘夷派として活躍した。明治維新後は伯爵となった。
曖昧さ回避
人名
実在の人物
- 万里小路資通(万里小路家初代当主)
- 万里小路宣房(万里小路家第2代当主)
- 万里小路藤房(万里小路家第3代当主)
- 万里小路時房(万里小路家第9代当主)
- 万里小路賢房(万里小路家第12代当主)
- 万里小路栄子(万里小路賢房の娘 正親町天皇の母親 院号は玄徳門院)
- 万里小路充房(万里小路家第16代当主)
- 万里小路正房(万里小路家第27代当主)
- 万里小路博房(万里小路家第28代当主)
架空の人物
- 万里小路楓(ハイスクール・フリート) - 読みは「まりこうじ かえで」
関連項目
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