三冠馬とは、競馬において特定の3競走に勝った馬のことである。
3競走の定義は国、地域、競走条件等で多々分類されているが、一般的には日本の中央競馬(JRA)のサラブレッド系3歳馬(2000年までは「4歳馬」と呼称)限定の「クラシック競走」におけるものを指す。
目次
中央競馬クラシック三冠
そもそも日本には「クラシック競走」とされる3歳(旧4歳)限定の大レースが存在しておらず、日本各地で行われていた帝室御賞典などが大レースとして扱われていた。その後不況からの馬産の衰退を食い止める目的で昭和7年(1932年)に本場イギリスの高額賞金レースでもあったダービーステークスを範に取った東京優駿大競走が設立、それに続く形で他のクラシックレースをモデルにした阪神優駿牝馬、京都農林省賞典四歳呼馬、中山四歳牝馬特別、横濱農林省賞典四歳呼馬が設立され、昭和14年(1939年)に五代クラシックが成立し、現在に至っている。下の表の施行場所などの情報はいずれも現在の物である。
レース名 | 施行距離 | 創設年 | 相当する本国のレース |
---|---|---|---|
東京優駿 | 東京 2400m |
昭和7年 (1932年) |
ダービーステークス 1マイル4ハロン6ヤード (約2420m) |
優駿牝馬 (牝馬限定) |
東京 2400m |
昭和13年 (1938年) |
オークスステークス 1マイル4ハロン6ヤード (約2420m) |
菊花賞 | 京都 3000m |
昭和13年 (1938年) |
セントレジャーステークス 1マイル6ハロン115ヤード(約2921m) |
桜花賞 (牝馬限定) |
阪神 1600m |
昭和14年 (1939年) |
1000ギニーステークス 1マイル (約1609m) |
皐月賞 |
中山 2000m |
昭和14年 (1939年) |
2000ギニーステークス 1マイル (約1609m) |
クラシック牡馬三冠
日本の中央競馬のサラブレッド系3歳馬限定「クラシック競走」である、
の3レースを指す。これらの競走に出走できるのはサラブレッド系3歳馬(旧:4歳馬)だけなので、競走馬にとって挑戦するチャンスは一生に一度しかない。ただし2000年までは「日本国内の生産馬」のみ出走でき、外国産馬(日本以外の国で生まれてから日本に輸入された馬)の出走はできない、などの制限事項があった。またクラシック競走は「繁殖馬の選定のための競走」という前提があるため、騸馬(去勢した馬)の出走は現在も不可能である。
2020年現在、8頭が三冠を達成している。このうち、シンボリルドルフ・ディープインパクト・コントレイルは三冠を達成するまで、すなわち菊花賞を勝つまで無敗であったので、「無敗(不敗)の三冠馬」と称されることがある。
セントライトの時代は、まだ現在のようなレース体系が確立しておらず、セントライトが達成した三冠のレース名も現在とは違って「横濱農林省賞典四歳呼馬」「東京優駿競走」「京都農林省賞典四歳呼馬」であった。(但し当時から「三榮冠」として、これらを三冠とする概念は存在していた。)
達成年 | 馬名 | 達成時戦績 | 生涯成績 |
---|---|---|---|
昭和16年 (1941年) |
セントライト | 12戦9勝 (小西喜蔵) |
12戦9勝 |
昭和39年 (1964年) |
シンザン | 11戦8勝 (栗田勝) |
19戦15勝 (天皇賞(秋) 有馬記念) |
昭和58年 (1983年) |
ミスターシービー | 9戦7勝 (吉永正人) |
15戦8勝 (天皇賞(秋)) |
昭和59年 (1984年) |
シンボリルドルフ | 8戦8勝 (岡部幸雄) |
16戦13勝(うち海外1戦0勝) (天皇賞(春) ジャパンカップ 有馬記念2回) |
平成6年 (1994年) |
ナリタブライアン | 13戦9勝 (南井克巳) |
21戦12勝 (有馬記念 朝日杯3歳ステークス) |
平成17年 (2005年) |
ディープインパクト | 7戦7勝 (武豊) |
14戦12勝(うち海外1戦0勝) (天皇賞(春) ジャパンカップ 有馬記念 宝塚記念) |
平成23年 (2011年) |
オルフェーヴル | 10戦6勝 (池添謙一) |
21戦12勝(うち海外4戦2勝) (有馬記念2回 宝塚記念) |
令和2年 (2020年) |
コントレイル | 7戦7勝 (福永祐一) |
11戦8勝 (ホープフルステークス ジャパンカップ) |
- 三冠馬は、その後にGI(級)レースを勝つと「3+勝ったGIレースの数」で「○冠馬」と呼称されることがある。例えばオルフェーヴルは2回の有馬記念・宝塚記念の3つで「六冠馬」、シンボリルドルフは天皇賞(春)・ジャパンカップ・ 2回の有馬記念で「七冠馬」。ただし、シンザンは宝塚記念に優勝しているが、当時はグレード制がなく「八大競走」の時代で、また宝塚記念もファン投票により出走馬を決めるグランプリではあるが八大競走の格に並ぶ格とされていなかったため、「六冠馬」ではなく「五冠馬」と称される。シンボリルドルフ、ナリタブライアン、オルフェーヴルは3歳(旧4歳)時に古馬対決となった有馬記念を制覇していることから「3歳(4歳)四冠馬」とも呼ばれることがある(なお、シンボリルドルフとコントレイルは三冠達成後の次戦にジャパンカップに出走したがいずれも敗れている)。また、ナリタブライアンは朝日杯3歳ステークス、コントレイルはホープフルステークスと2歳(旧3歳)GIを優勝しているが、2歳(旧3歳)GIは他のGIより格が落ちると見られているためか、これらを「○冠」に含めることは無い。但し近年ではレース体系の大きな変化および有力馬が凱旋門賞などの海外レースに遠征することが多くなったので、「○冠馬」という呼び方をされることは少なくなっている。実質「五冠馬」シンザンと「七冠馬」シンボリルドルフのための称号とみてよいだろう。
- 引退後は全ての馬がJRA顕彰馬に選出されている。
- ミスターシービーとコントレイルを除く6頭には重賞を勝った兄弟が存在する(セントライト・ナリタブライアン・オルフェーヴルの兄弟に至ってはGI(級)レースを勝っている)。一方でミスターシービーは母シービークインが2頭目以降の産駒を残せず、重賞を勝つ云々以前に兄弟自体が存在しない。他の三冠馬の母の優秀さを考えると残念な話である。ちなみにコントレイルの兄弟には重賞はおろかオープンクラスもいないが、2020年に母がキズナの仔(ストームキャットの奇跡の血量)を受胎しており、生産者から期待を寄せられている。
- 8頭のうち2歳GIを制しているのは朝日杯3歳ステークス(現:朝日杯フューチュリティステークス)を制したナリタブライアンとホープフルステークスを制したコントレイルの2頭。
- デビュー戦で敗れたのはナリタブライアンのみ。
- デビュー戦が4歳(現3歳)時だったのはセントライトのみ。
- デビューから三冠達成まで全レースで1番人気だったのはミスターシービー・ディープインパクト・コントレイルの3頭。ディープインパクトは現役の全レースで1番人気を記録している。
- セントライトが三冠を達成したあと2020年現在に至るまで、最低1頭はいずれかの三冠馬が生存している。現在のところの最大生存頭数はナリタブライアンが三冠達成した時(1994年11月6日)~シンザンが亡くなるまで(1996年7月13日)の「4頭」である。
- 今のところ、世界的名種牡馬であるノーザンダンサー直系の三冠馬が存在しない(母方にその血を持つ馬はいる)。
- 三冠馬の取引内容は様々で、セリ市での購入が2頭(セントライト・ディープインパクト)、庭先取引が2頭(シンザン・ナリタブライアン)、生産者主体の一口馬主募集が1頭(オルフェーヴル)、生産者がそのまま馬主として走らせたのが3頭(ミスターシービー・シンボリルドルフ・コントレイル)である。
- ディープインパクト・コントレイルは親子での達成、更に無敗での達成である。
クラシック牝馬三冠
日本の中央競馬のサラブレッド系3歳馬限定「クラシック競走」である、
の3レースを指す。これらの競走に出走できるのはサラブレッド系3歳馬(旧:4歳馬)だけなので、競走馬にとって挑戦するチャンスは一生に一度しかない。さらに3レースの内桜花賞、優駿牝馬は牝馬限定戦のため、達成できるのは3歳(旧4歳)牝馬のみである。
2020年現在、日本初の二冠牝馬であるスウヰイスーが1952年に菊花賞で2着になったのを最高位にし達成できた牝馬は存在せず、さらに1970年にビクトリアカップが創設されて後述の牝馬三冠路線が確立してからは、二冠牝馬が菊花賞に一度も出走していない。ここでは達成馬が現れるまで暫定的にあと一歩まで迫った二冠牝馬を紹介する。
年度 | 馬名 | 残る一冠 着順 (優勝馬) |
備考 |
---|---|---|---|
昭和18年 (1943年) |
クリフジ | 中山四歳牝馬特別 デビュー前 (ミスセフト) |
東京優駿競走1着(変則三冠馬)。 |
昭和22年 (1947年) |
ブラウニー | 優駿牝馬 不出走 (トキツカゼ) |
菊花賞を優勝した最後の牝馬。 東京優駿競走3着。 |
昭和27年 (1952年) |
スウヰイスー | 菊花賞 2着 (セントオー) |
日本初の二冠牝馬。 菊花賞の着差は1/2馬身。 |
昭和29年 (1954年) |
ヤマイチ | 菊花賞 3着 (ダイナナホウシユウ) |
クリフジの娘。 |
昭和32年 (1957年) |
ミスオンワード | 菊花賞 10着 (ラプソデー) |
無敗の二冠牝馬。 |
昭和39年 (1964年) |
カネケヤキ | 菊花賞 5着 (シンザン) |
牡牝双方の二冠馬による対戦。 勝利したシンザンが史上2頭目のクラシック三冠馬に。 |
変則三冠
皐月賞・ダービー・菊花賞・桜花賞・オークスの五大クラシック競走のうち、桜花賞・オークスは牝馬限定競走のため、牡馬は前者3レースにしか出走できないが、牝馬は全5レースに出走可能であり、理屈の上では牝馬が「五冠」を達成することも可能である。しかし、桜花賞と皐月賞、オークスとダービーはそれぞれ1週後の連闘となるため、実行に移した牝馬はいない。
しかし現在のようなレース体系がとられていなかった時代、例えばオークス(当時は「阪神優駿牝馬」)は5月下旬ではなく10月上旬に開催されていたため、今とは異なる変則的な三冠に挑むこともできた。1943年の牝馬クリフジが、その唯一の例である。
達成年 | 馬名 | 生涯成績 |
---|---|---|
昭和18年 (1943年) |
クリフジ | 11戦11勝 (前田長吉) 東京優駿競走 / 阪神優駿牝馬 / 京都農林省賞典四歳呼馬 |
- 1947年にはトキツカゼが皐月賞、優駿牝馬を勝利し史上唯一のクラシック変則二冠を達成している[1]
- 1996年のNHKマイルカップ創設・2000年の外国産馬出走制限改定後、一冠目を皐月賞ではなくNHKマイルカップとしてNHKマイルC→ダービーのローテーションに挑むことができるようになり、長く牝馬にしか実現できなかった変則二冠が牡馬にもできるようになった。実際にキングカメハメハ(2004年)とディープスカイ(2008年)はその「変則二冠」を達成したが、いずれも秋は菊花賞ではなく天皇賞(秋)に挑戦することになっていたため、「NHKマイルC・ダービー・菊花賞」という「変則三冠」を達成した馬はまだいない。また、非常に過酷なローテーションとなるが距離適性としては菊花賞を絡めた前者より可能性が見出せる「皐月賞・NHKマイルC・ダービー」の「変則三冠」というパターンもあり、こちらも達成した馬は居ないが、タニノギムレットが実際にこのローテーションに挑んでいる(結果は3着→3着→1着)。
- 2005年にはラインクラフトが桜花賞、NHKマイルCを勝利し、牝馬初のクラシックレース2勝以外での変則二冠を達成した。
- 2007年に牝馬ウオッカがクリフジ以来となる「牝馬の東京優駿優勝馬」となったが、同馬の一冠目は桜花賞・三冠目は秋華賞で、ともに3着だった。
中央競馬牝馬三冠
の3レースの事を指す。これらの競走に出走できるのはサラブレッド系3歳(旧4歳)牝馬だけなので、挑戦するチャンスは一生に一度しかない。
桜花賞と優駿牝馬(オークス)は、皐月賞・ダービー・菊花賞と並ぶ「クラシック競走」であるが、秋華賞(旧:エリザベス女王杯、ビクトリアカップ)は日本独自の3歳牝馬限定競走なので、「クラシック競走」には含まない(モデルとなったレースはある)。
当初は1970年に創設されたビクトリアカップが三冠目だったが、エリザベス2世の訪日を記念して1976年にエリザベス女王杯が新設されることとなり、ビクトリアカップは廃止された。なお、ビクトリアカップ時代は三冠達成馬はいなかった。
1996年にエリザベス女王杯が4歳(現3歳)牝馬と5歳(現4歳)以上牝馬の混合競走に改編されたため、その年から秋華賞が新設されて牝馬の三冠目となった。
達成年 | 馬名 | 達成時戦績 | 生涯成績 |
---|---|---|---|
昭和61年 (1986年) |
メジロラモーヌ | 11戦9勝 (河内洋) |
12戦9勝 |
平成15年 (2003年) |
スティルインラブ | 7戦5勝 (幸英明) |
16戦5勝 |
平成22年 (2010年) |
アパパネ | 9戦6勝 (蛯名正義) |
19戦7勝(うち海外1戦0勝) (ヴィクトリアマイル 阪神ジュベナイルフィリーズ) |
平成24年 (2012年) |
ジェンティルドンナ | 8戦6勝 (岩田康誠) |
19戦10勝(うち海外2戦1勝) (ジャパンカップ2回 ドバイシーマクラシック 有馬記念) |
平成30年 (2018年) |
アーモンドアイ | 6戦5勝 (C.ルメール) |
15戦11勝(うち海外1戦1勝) (ジャパンカップ2回 ドバイターフ 天皇賞(秋)2回 ヴィクトリアマイル) |
令和2年 (2020年) |
デアリングタクト | 5戦5勝 (松山弘平) |
※現役 |
- メジロラモーヌはトライアル競走(報知杯4歳牝馬特別(西)、サンスポ杯4歳牝馬特別(東)、ローズS)も全て制した上での達成で「完全三冠」とも称されるが、現在では桜花賞で好走した馬はNHKマイルカップに向かうかオークスに直行するのが普通なので、今後同様の記録を達成する馬は現れないと思われる。
- スティルインラブは3競走全て2番人気での勝利(1番人気は全てアドマイヤグルーヴ)。達成後に出走したエリザベス女王杯でようやく1番人気になったものの、アドマイヤグルーヴの雪辱を許す結果となった。なお三冠がかかった最終戦で1番人気にならなかったのは牡牝合わせてもシンザンとスティルインラブのみ。
- 2012年ジャパンカップを制したジェンティルドンナが、その年の三冠牝馬として初めて年度代表馬に選出された。また、牡馬牝馬を通して初めて海外GIを制した三冠馬となった。
別の特記事項としては2020年現在、ジェンティルドンナは牡馬牝馬を通じて三冠の対象の3レースで、唯一複数の騎手が騎乗した三冠馬となっている。これは桜花賞・秋華賞で騎乗していた岩田康誠が優駿牝馬では騎乗停止中で騎乗出来ず、川田将雅が騎乗したことによる。 - デアリングタクトは現在唯一の無敗での達成だが、キャリアもほぼ最低限の5戦である[2]。
- 2020年天皇賞(秋)でアーモンドアイがシンボリルドルフから35年間破られなかったGI最多勝を更新。
更に続くジャパンカップでは無敗の三冠馬デアリングタクト・コントレイル相手に勝利し、GI勝利数を9勝に伸ばす。 - アーモンドアイの生涯獲得賞金は歴代1位の19億1526万3900円。
JRA秋古馬三冠・春古馬三冠
他の三冠との大きな違いは「複数回チャンスがある」という点である。しかしクラシック三冠は"世代最強"を決める競走であるのに対し、古馬三冠は"現役最強"を決める競走であり、クラシック三冠の数倍の馬と戦い、その頂点に立つ必要があるため、複数回チャンスがあるからと言って達成が容易であるわけではない。事実、2021年現在、秋古馬三冠を達成した競走馬は2頭しかおらず(年を跨いでの秋古馬三冠達成でもキタサンブラック一頭しかいない)、春古馬三冠に至っては定義づけがされる前も含め対象競走をすべて同一年に勝利した馬はただの1頭もいないという事実がそれを悠然と物語っている。
秋古馬三冠
の3競走のことを指す、この3競走をJRAは秋古馬三冠と正式に呼称してはいないが、競馬関係のマスコミ等の間では2000年から同一年に3競走を制覇した競走馬の馬主にはJRAから褒賞金(内国産馬は2億円、外国産馬は1億円)が贈られることから、クラシック三冠と区別するために使用されることがある。
達成年 | 馬名 | 達成時戦績 | 生涯戦績 |
---|---|---|---|
平成12年 (2000年) |
テイエムオペラオー | 19戦12勝 (和田竜二) |
26戦14勝 (皐月賞、天皇賞(春)連覇、宝塚記念) |
平成16年 (2004年) |
ゼンノロブロイ | 15戦7勝 (O.ペリエ) |
20戦7勝 |
- テイエムオペラオーはその年の古馬王道路線(天皇賞(春)、宝塚記念、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)を完全制覇し年内全勝(8戦8勝)も達成、満票で年度代表馬に選ばれ、JRA顕彰馬にも選出されている。
- ゼンノロブロイが秋古馬三冠を達成した有馬記念は2分29秒5という日本レコードで快勝しており、2019年の目黒記念で日本レコードは更新されたものの、コースレコードとしては未だに破られていない。
春古馬三冠
春古馬三冠は大阪杯がGIとなった2017年に定義された新たな三冠で、春の古馬王道路線である
の3競走を指す。こちらもJRAが正式に呼称している三冠ではないが、秋古馬三冠同様、同一年に3競走を制覇した競走馬の馬主に褒賞金(秋古馬三冠の褒賞金と同額)が送られることから競馬関係のマスコミ等で使用されることがある。前述のとおり春古馬三冠は定義付けがされる前も含めて達成した競走馬は存在しないものの、キタサンブラックは2017年には大阪杯と天皇賞(春)を勝利して春古馬三冠に王手をかけたが第三戦の宝塚記念で9着、秋古馬三冠は天皇賞(秋)、有馬記念は勝利したものの第二戦のジャパンカップで3着と、どちらもあと一つ勝てれば達成というところまで辿り着いている。
その他のJRAにおける、または関わる三冠
JRAで主に三冠の枠組みとして呼ばれたものを挙げる。いずれもレースの施行条件変更や制度の変化に伴い消滅している。
- 地方交流三冠
「帝王賞」「ブリーダーズゴールドカップ」「オールカマー」の3競走。1991年に設定された当時は数少ない中央・地方全国指定交流競走であり、3競走全てに勝利した馬にはボーナス1億円が贈られることになっていたが、オールカマーのみ地方では少数派の芝であることや、中央でのダート競走が盛んでなかったこともあり達成馬が無いまま1995年の交流元年を迎え、自然消滅。 - ダート交流三冠
1996年に中山競馬場で第1回が行われたユニコーンステークス(GIII)、同じく大井で新設されたスーパーダートダービー、1986年から盛岡で開催されていたダービーグランプリの3競走で三冠が形成され、1997年にダートの統一格付の導入により、スーパーダートダービーは(GII)に、ダービーグランプリは(GI)に格付され翌1998年も同じ格付で行われたが、大井がスーパーダートダービーのGII格付け不満を感じたなどにより、交流レースから離脱、代わりに1999年の7月にジャパンダートダービーを新設した等が理由でわずか3年でこの三冠は消滅となった。ちなみに三冠を達成したらボーナス2000万円が贈られるよう予定だった。
なお2024年から南関東競馬三冠がJRA所属馬にも開放されることから、形が違うものの似た形のダート三冠が出来ることになる。 - 小倉三冠
小倉競馬場にて開催される古馬平地重賞の「小倉大賞典」「北九州記念」「小倉記念」の3競走。呼称のみでボーナス等は出ず、複数年かけての達成でも呼ばれる。メイショウカイドウによる単年での達成の翌年である2006年から、北九州記念が1800mから1200mに距離短縮となったため消滅した。
馬名 各競走勝利年 最終戦績・備考 小倉大賞典 北九州記念 小倉記念 アトラス 1968年
(武邦彦)1967年
(武邦彦)1969年
(武邦彦)53戦13勝、小倉19戦7勝
小倉重賞完全制覇[3]ロッコーイチ 1975年
(河内洋)1974年
(武邦彦)1975年
(武邦彦)52戦9勝、内小倉12戦4勝 ミヤジマレンゴ 1978年
(武田悟)1976年
(武田悟)1976年
(武田悟)25戦9勝、内小倉9戦4勝 メイショウカイドウ 2005年
(武豊)2005年
(武豊)2004年
(藤田伸二)
2005年
(武豊)43戦11勝、内16戦8勝
小倉記念連覇、唯一単年でも達成
南関東競馬三冠
大井競馬場で開催される
の3競走が三冠競走とされており、東京王冠賞が秋から春に移動したり、各レースが距離短縮を行ったりしたこともあったが、2001年の東京王冠賞廃止までこれが続いた。三冠馬も2022年現在、この3競走が三冠競走であった期間にしか出ていない。また、羽田盃と東京ダービーは地方限定競走である為、当然ながら地方所属馬でないと南関東三冠は得られない。
2024年よりダートグレード競走における三冠レースを中心とした2・3歳馬競争の体系整備にともない、羽田盃と東京ダービーをJpn1に指定、ジャパンダートダービーの開催時期を10月上旬に変更し「ジャパンダートクラシック」に改称することで、南関東三冠改め3歳ダート三冠として催行されることになる。これにより中央馬にも南関東三冠馬改め日本3歳ダート三冠馬になれる可能性が出てくる。その一方での出走条件は3歳のみから、3歳牡・牝と明記されているため、騸馬は出走不可になる。
なお上記記載、ダート交流三冠が1998年まで存在していたが、再びJRA所属馬が出走できるダートの三冠レースとなる。
達成年 | 馬名 | 達成時戦績 | 生涯戦績 |
---|---|---|---|
昭和42年(1967年) | ヒカルタカイ | 17戦11勝 (竹山隆) |
31戦15勝(うち中央11戦3勝) (天皇賞(春) 宝塚記念) |
昭和50年(1975年) | ゴールデンリボー | 11戦6勝 (赤間清松) |
13戦6勝(うち中央3戦0勝) |
昭和53年(1978年) | ハツシバオー | 13戦10勝 (宮浦正行) |
17戦11勝(うち中央1戦0勝) |
昭和58年(1983年) | サンオーイ | 12戦8勝 (高橋三郎) |
29戦13勝(うち中央7戦1勝) (札幌日経賞) |
昭和61年(1986年) | ハナキオー | 12戦9勝 (堀千亜樹) |
13戦9勝 |
平成元年(1989年) | ロジータ | 12戦8勝 (野崎武司) |
15戦10勝(うち中央2戦0勝) |
平成13年(2001年) | トーシンブリザード | 7戦7勝 (石崎隆之) |
30戦9勝(うち中央3戦0勝) |
- トーシンブリザードは無敗で達成。また旧三冠競走に加えジャパンダートダービーも制したことから「四冠馬」とも呼ばれる。
- ロジータは唯一の牝馬での達成。川崎競馬場で行われる牝馬限定競走・ロジータ記念は彼女の功績をたたえて創設された。
- ゴールデンリボーは一冠目である羽田盃が交通ストの影響で延期されるというアクシデントに見舞われながらも三冠を達成した。
- ヒカルタカイは中央移籍後に天皇賞(春)を18馬身差で勝利、宝塚記念を当時のレコードで制すなど中央の競走馬とも互角以上の戦いを繰り広げた。
- ナイキアディライト、クラーベセクレタ、ハッピースプリントが新体系となってから羽田盃、東京ダービーを制し、三冠に王手をかけたが、いずれもジャパンダートダービーで敗れている。特にクラーベセクレタは後日カフェインの陽性反応が出たためドーピングによる失格処分となっている。
- シーチャリオットは羽田盃、東京ダービーを制し三冠に王手をかけたが故障のため出走を断念している。
イギリス競馬クラシック競走三冠
そもそも「クラシック競走」とは、近代サラブレッド競馬発祥の地・イギリスにおいて古くから開催されていた Classic (古典的・格式のある)なレースのことである。日本のクラシック競走も、これを模範としてレースが作られた。
レース名 | 施行距離 | 創設年 | 相当する日本のレース |
---|---|---|---|
セントレジャーステークス | 1マイル6ハロン115ヤード (約2921m) |
1776年 | 菊花賞 (3000m) |
オークスステークス (牝馬限定) |
1マイル4ハロン6ヤード (約2420m) |
1779年 | 優駿牝馬 (2400m) |
ダービーステークス | 1マイル4ハロン6ヤード (約2420m) |
1780年 | 東京優駿 (2400m) |
2000ギニーステークス | 1マイル (約1609m) |
1809年 | 皐月賞 (2000m) |
1000ギニーステークス (牝馬限定) |
1マイル (約1609m) |
1814年 | 桜花賞 (1600m) |
上記のように、イギリスには日本の秋華賞(旧:エリザベス女王杯)に相当するレースが存在しないため、イギリスにおける「牝馬三冠」とは「1000ギニー・オークス・セントレジャー」のこととなる。
2020年現在、牡馬三冠は15頭、牝馬三冠は9頭いる。また、1840年に牝馬クルシフィックスが1000ギニー・2000ギニー・オークスの「変則三冠」を達成している。
※イギリスにおいて現在、【三冠】の価値は急速に低下してしまっている。バーラムの三冠(1935年)から1970年まで、2000ギニー・ダービーの二冠を制した馬が5頭いたが、第二次世界大戦勃発の影響でセントレジャーが中止になった1939年のブルーピーターや故障引退した1949年の*ニンバスと1957年のクレペロはともかく、1967年のロイヤルパレスと1968年のサーアイヴァーは立て続けにセントレジャーを回避することになり、段々とセントレジャーの地位が低下してしまった。
1970年に無敗で三冠を達成したニジンスキーが三冠直後に凱旋門賞で2着に敗れると、この原因がセントレジャー出走による疲労だという憶測が広まり、「三冠忌避」の流れは加速した。そして1987年のダービー・セントレジャーを制したリファレンスポイントを最後に、2000ギニー優勝馬・ダービー優勝馬のセントレジャー出走自体が途絶えてしまっていた。
しかし全く無価値になったわけではなく、1994年に2歳GIのレーシングポストトロフィーを圧勝したセルティックスウィングが三冠挑戦を宣言した(同馬は2000ギニーで2着に敗れている)ほか、2012年、無敗で二冠を達成したキャメロットがニジンスキー以来42年ぶりとなる三冠達成へ挑戦したが、直線の猛追及ばず惜しくも2着に敗れる結果となった。
イギリス三冠馬
達成年 | 馬名 | 達成年 | 馬名 |
---|---|---|---|
1853年 | ウェストオーストラリアン | 1900年 | ダイヤモンドジュビリー |
1865年 | グラディアトゥール | 1903年 | ロックサンド |
1866年 | ロードリヨン | 1915年 | ポマーン |
1886年 | オーモンド | 1917年 | ゲイクルセイダー |
1891年 | コモン | 1918年 | ゲインズバラ |
1893年 | アイシングラス | 1935年 | バーラム |
1897年 | ガルティーモア | 1970年 | ニジンスキー |
1899年 | フライングフォックス |
- オーモンド、アイシングラス、バーラム、ニジンスキーは無敗で三冠達成。
- グラディアトゥールは初のフランス生産馬による三冠達成。
- ダイヤモンドジュビリーの馬主は、当時まだ王太子(プリンス・オブ・ウェールズ)だった英国王エドワード7世。
- ポマーン、ゲイクルセイダー、ゲインズバラの年は第一次世界大戦の最中で、ダービーとセントレジャーが本来開催場のエプソム競馬場・ドンカスター競馬場ではなくニューマーケット競馬場(2000ギニーの開催場)にて代替開催。
イギリス牝馬三冠馬
達成年 | 馬名 | 達成年 | 馬名 |
---|---|---|---|
1868年 | フォルモサ | 1904年 | プリティーポリー |
1871年 | ハンナ | 1942年 | サンチャリオット |
1874年 | アポロジー | 1955年 | メルド |
1892年 | ラフレッシュ | 1985年 | オーソーシャープ |
1902年 | セプター |
- フォルモサは2000ギニーにも勝利しているので「四冠馬」と称されることがあるが、2000ギニーで同着となった後の決勝戦に出走しなかったため、海外の資料では「3.5勝」などと扱われることもある。
- ラフレッシュの生産者は英女王ヴィクトリア(馬主は別人)。ダービーにも挑んだが、騎乗ミスで2着に敗れた。
- セプターは五大クラシック競走全てに出走し、ダービー(4着)以外で勝利した「四冠馬」である。
- プリティーポリーは1956年にリボー(16戦無敗)に抜かれるまでのヨーロッパ競馬における最多連勝記録となる15連勝(通算成績は24戦22勝)を記録し、「天下無双のポリー」と讃えられた。
- サンチャリオットの馬主は英国王ジョージ6世。第二次世界大戦の最中であり、第一次世界大戦時と同様にニューマーケット競馬場で代替開催となったオークス・セントレジャーで優勝した。
変則三冠馬
達成年 | 馬名 | 戦績 |
---|---|---|
1840年 | クルシフィックス | 1000ギニー / 2000ギニー / オークス |
BHBサマートリプルクラウン(廃止)
コロネーションカップ、オークス、ダービー、プリンスオブウェールズステークスのいずれか1競走とエクリプスステークス、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスで構成されていた三冠で、2003年に創設された。さらにインターナショナルステークスを勝利すればBHBグランドスラムとなる。
トリプルクラウンで100万ポンド、グランドスラムで500万ポンドのボーナスが支払われるということで創設されたのはいいものの、経費節減のためにわずか2年で廃止され、達成馬はいなかった。
ヨーロッパ三大レース(欧州三冠)
三冠という定義づけはされていないものの、ヨーロッパの代表的な3レースをまとめて呼称したもので、イギリスとフランスのレースで構成されている。なおこれを欧州三冠と呼ぶのは日本だけである。
の3レースを指す。ダービーはもちろん3歳限定戦だが、後者2レースは古馬も出走可能なレースである。しかし、達成した馬はいずれも3歳で全レースに勝利している。
達成年 | 馬名 |
---|---|
1971年 | ミルリーフ |
1995年 | ラムタラ |
- ラムタラは初戦勝利後2戦目にダービーへ出走。そのままキングジョージ、凱旋門賞と勝利し最低キャリアの4戦で達成、そのまま引退している。なおその翌年、フサイチコンコルドがわずか3戦で東京優駿に勝利。そのキャリアの短さから「和製ラムタラ」の異名をとった。
- キングジョージと凱旋門賞でラムタラの手綱を取ったランフランコ・デットーリは、この三大レース全てに勝利することを「競馬に関わる者が等しく抱く野心」であるとしている。
- 近年では距離や馬場適性を重視するためか、ダービーを制してもキングジョージを経由せず凱旋門賞に向かうパターンも度々ある。ゴールデンホーンとシーザスターズはダービー勝利後、エクリプスステークス、インターナショナルステークス、アイリッシュチャンピオンステークスを経由して凱旋門賞に勝利している。
- 上記に近い記録を持つ例としては2017年のエネイブルがいる。3歳でオークスステークス、キングジョージ、凱旋門賞を制したが、三大レース制覇などのような取り上げ方はされていない。
アメリカ合衆国競馬三冠競走(トリプルクラウン)
米国の競馬はヨーロッパ・日本と違って芝ではなくダート競走が主体であり、レース体系も大きく異なる。三冠は5月から6月にかけてのわずか5週間に施行される、
の3レースを指す。いずれの競走も牡馬・牝馬・セン馬全て出走可能だが、三冠達成はいずれも牡馬である。
1978年のアファームド以降、ケンタッキーダービー・プリークネスステークスを制した馬が13頭出たが、全て三冠目のベルモントステークスで敗れたか、故障による不出走という結果に終わった。そのためもはや現れないではとも言われていたが、2015年にアメリカンファラオが37年ぶりに達成した。更にその3年後にジャスティファイが達成している。
なお、日本の文献では「アメリカクラシック三冠」という記述が散見されるが、アメリカ競馬においてはclassicsという言葉に日本や英国の競馬のような定義づけはされていないため、一般名詞として「最高峰のレース」といった意味でしか使われない。したがって米トリプルクラウンを指してクラシック三冠と呼ぶのは適切ではない。
達成年 | 馬名 | 達成年 | 馬名 |
---|---|---|---|
1919年 | サーバートン | 1948年 | サイテーション |
1930年 | ギャラントフォックス | 1973年 | セクレタリアト |
1935年 | オマハ | 1977年 | シアトルスルー |
1937年 | ウォーアドミラル | 1978年 | アファームド |
1941年 | ワーラウェイ | 2015年 | アメリカンファラオ |
1943年 | カウントフリート | 2018年 | ジャスティファイ |
1946年 | アソールト |
- シアトルスルー、ジャスティファイは無敗で三冠達成。
- アメリカ競馬の初期の頃にはイギリスのレース体系を見習ってウィザーズステークス(1マイル・約1609m)、ベルモントステークス(12ハロン・約2414m)、ローレンスリアライゼーションステークス(13ハロン・約2615m)を三大競走としていたが、あまり定着しなかった。のちに当時の高額賞金レースであるケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークスを制したギャラントフォックスを新聞で三冠馬として取り扱ったため、こちらが定着した。アメリカ競馬最強の一頭マンノウォーはケンタッキーダービーは不出走だが、前者の3レースは全て勝利している。
- サーバートンの当時はまだ三冠が確立していなかったが、現在はさかのぼって初代の三冠馬と認められている。
- ギャラントフォックスとオマハは父子であり、現在のところ唯一の親子二代三冠馬。
- ウォーアドミラルは映画『シービスケット』でシービスケットのライバル馬として登場する。
- セクレタリアトは米国競馬史上最高の名馬マンノウォーに続く「ビッグ・レッド」の異名を取り、ブラッド・ホース誌選定『20世紀のアメリカ名馬100選』でもマンノウォーに次ぐ2位。また、ESPN社選定『20世紀のトップアスリートベスト100』において、馬でありながら35位に入選するという珍記録(?)を得た(このランキングではサイテーションも97位に名を連ねている)。
- アメリカンファラオは三冠達成後にブリーダーズカップ・クラシックを勝利しており、「グランドスラム」を達成している。ただしそもそもブリーダーズカップの創設は1984年であり、グランドスラムの挑戦例自体がこの1回しかない。2018年のジャスティファイも三冠達成後に陣営が挑戦を表明していたが、調整中の怪我が原因で引退、未挑戦に終わっている。
ニューヨーク牝馬三冠(トリプルティアラ)
の3つの3歳牝馬限定競走のことを指し、これをすべての競走がニューヨーク州の競馬場で行われる(エイコーンステークスはベルモントパーク競馬場、残り2競走はサラトガ競馬場)ことからニューヨーク牝馬三冠、またはトリプルティアラと呼称している。牝馬限定の三冠であるためか、アメリカ三冠とは違い過酷なローテーションにはなっていない。
なお、三冠の体系は過去に何度か変化している。2002年まではエイコーンステークス、マザーグースステークス(現在はGII)、CCAオークスの3競走を三冠競走としており、2020年時点での達成馬は全てこの体系で達成している。その後、2003年から三冠競走からエイコーンステークスが除かれ、アラバマステークスが新たに三冠競走に加えられるも、この体系の三冠競走は2006年までというわずかな期間で終了し元の体系に戻される。そして2010年にマザーグースステークスを三冠競走から除外し、2003年に一度三冠競走となったアラバマステークスを再び三冠競走に設定して、今の三冠の体系となった。
達成年 | 馬名 | 達成年 | 馬名 |
---|---|---|---|
1968年 | ダークミラージュ | 1989年 | オープンマインド |
1969年 | シュヴィー | 1993年 | スカイビューティ |
1974年 | クリスエヴァート | ||
1975年 | ラフィアン | ||
1979年 | ダヴォナデイル | ||
1985年 | モムズコマンド |
- ダークミラージュは日本での知名度は低いが三冠レースで2着につけた合計着差は28馬身と史上最大である(2位のラフィアンは24馬身)。またこの馬も、予後不良ではないものの後にレース中の事故が原因で死亡している。
- ラフィアンは無敗での三冠達成、その後マッチレース中の故障で予後不良の診断が下される。
- オープンマインドはのちに日本に繫殖牝馬として輸入されたが、不受胎が相次ぎ、結局残せた産駒は持込馬である牝馬イージーマインド(父イージーゴア)だけである。
- 2011年、オープンマインドとスカイビューティがアメリカ競馬殿堂入りを果たしたことにより、すべての馬が殿堂入りを果たしている。
その他の国の三冠レースの概念
アイルランド
一応アイリッシュ2000ギニー、アイリッシュダービー、アイリッシュセントレジャーは存在するが、すぐお隣の国に本家三冠レースが存在するため、アイリッシュ2000ギニーやアイリッシュダービーに有力馬が出走することはあるものの三冠レースとは認識されていない。そもそもアイリッシュセントレジャーは日本やイギリスと異なり古馬にも開放されているので、長距離レースとしての側面が強い。
牝馬路線としてアイリッシュ1000ギニー、アイリッシュオークスも存在するが、こちらも同様である。
フランス
かつてはプール・デッセ・デ・プーラン(フランス2000ギニー)、ジョッケクルブ賞(フランスダービー)、ロワイヤルオーク賞(フランスセントレジャー)が三冠扱いとなっていた。
しかし、2000ギニーはともかく他の2レースはというと
達成馬も1899年のパースと19世紀にまで遡る必要がある。
なお、ジョッケクルブ賞は2005年に2400mから2100mに距離を短縮しており、それに伴いロワイヤルオーク賞の代わりにパリ大賞典を三冠目とした路線が確立した。この三冠の達成馬はまだいない。この三冠路線成立以前も含めれば、以前のフランス三冠を達成したパースのみが達成している。
牝馬路線としてはプール・デッセ・デ・プーリッシュ(フランス1000ギニー)、ディアヌ賞(フランスオークス)、ヴェルメイユ賞が存在する。ヴェルメイユ賞はクラシック競走ではない牝馬限定競走で、ビクトリアカップのもととなった競走である。こちらは現在も三冠路線として認識されており、最近では2008年にザルカヴァが達成している。
ドイツ
一応メールミュルヘンスレネン(ドイツ2000ギニー・GII)、ドイチェスダービー(GI)、ドイチェスセントレジャー(GII)という三冠路線は存在するが、3歳春に実績を残した競走馬は主にイギリスやフランスの大レースに向けて調整されるため、ドイツ国内での三冠レースという概念はほとんど存在しない。過去にケーニヒスシュトゥールのみが達成している。
旧ソ連
2歳王者決定戦の「М・И・カリーニン記念」、ソビエトダービーに当たる「ボリショイ・フシエソユツニー賞」、古馬チャンピオンを決める「ソビエト社会主義共和国賞」という特殊な三冠レース体系が取られていた。主な達成馬にアニリンがいる。
ブラジル
パート1国のブラジルではリオ地区やサンパウロ地区などで競馬が行われており、様々な三冠体系が存在する。
一例としてリオ地区では「ヒオ・ヂ・ジャネイロ州大賞」「F.エドゥアルド・ヂ・パウラ・マシャド大賞」「クルゼイロ・ド・スウ大賞(ブラジルダービー)」の3レースが牡馬三冠、「エンヒキ・ポソロ大賞」「ディアナ大賞」「Z.G.ペイショート・ヂ・カストロ大賞」の3レースが牝馬三冠となっており、前者は12頭、後者は5頭が達成している。
2021年にはブラジルで繋養されて余生を送っているアグネスゴールドの産駒・ジャネールモネイがリオ牝馬三冠に挑戦し見事に牝馬三冠馬となった。前年シーズンの2020年、マイスキーボニータはリオ牝馬3冠戦を1着、1着、2着だったので同じ産駒が雪辱を晴らすこととなった。
チリ
エル・エンサージョ・メガ(芝2400m)、チリセントレジャー(ダート2200m)、エル・ダービー(芝2400m)で構成される。三冠競走に芝とダートのレースが混合しているのは世界でも稀。
カナダ
例年は6~8月に行われ、6月のクイーンズプレート(AW10ハロン≒2000m)、7月のプリンスオブウェールズステークス(ダート9.5ハロン≒1900m) 、8月のブリーダーズステークス(芝12ハロン≒2400m)の3レースで構成されている。全てでコースの違いがある極めて珍しい競走体系になっている。
2020年は新型コロナウイルスの影響で3レースとも延期になる中、カナダを拠点にしている日本人の福元大輔騎手がマイティハート(Mighty Heart)で二冠を勝利。2003年のワンド以来17年ぶりの三冠に挑んだが、ブリーダーズステークスでは7着であった。
香港
クラシック三冠は3歳ではなく4歳限定で、香港クラシックマイル(芝1600m)、香港クラシックカップ(芝1800m)、香港ダービー(芝2000m)で構成される。いずれも香港所属馬のみが出走可能。
達成したのはラッパードラゴン(2017年)、ゴールデンシックスティ(2020年)の2頭のみ。
これとは別に古馬も対象とした国際三冠レースが2つある。香港トリプルクラウンシリーズは香港スチュワーズカップ(芝1600m)、香港ゴールドカップ(芝2000m)、香港チャンピオンズ&チャターカップ(芝2400m)、チャンピオンスプリントシリーズはセンテナリースプリントカップ(芝1200m)、チェアマンズスプリントプライズ(芝1200m)、クイーンズシルヴァージュビリーカップ(芝1400m)で構成される。
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関連項目
脚注
- *他に出走したクラシックレースの東京優駿競走は2着で惜しくも変則三冠は逃した。
- *デアリングタクトの前に無敗で牝馬二冠を達成したミスオンワードは優駿牝馬が8戦目。3冠目の菊花賞は優駿牝馬から連闘で出走した東京優駿を含めて12戦目である
- *当時は小倉3歳Sと小倉障害S(現在の小倉2歳Sと小倉サマージャンプの前身)がいずれも重賞では無くオープン特別のため。なお、小倉3歳Sについては勝利している。
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