三式中戦車とは、大日本帝国陸軍が第二次世界大戦期に運用した戦車(と言う名の対戦車自走砲)である。
概要
対戦車戦闘の主役として本命視されていた四式中戦車・五式中戦車の開発が戦局の推移にどう考えても間に合わないと判断されたため、既存の車両である一式中戦車の火力強化型として開発された戦車である。必然的に性能に限界はあったが大戦末期の状況において3桁台の生産台数を記録したことは特筆に値するといえよう。
開発の経緯
1930年代の戦車としては世界水準といえる九七式中戦車を擁してWW2に参戦した日本であったが、米軍が装備しているM3軽戦車に対しては到底歯が立たなかった。しかし、装甲貫徹力に優れた47mm砲を搭載した九七式中戦車改の投入によってM3軽戦車の撃破にメドがつき、日本陸軍は戦車開発に一息つくことができた。だって他に開発・生産するモノ山ほどあるからしょうがないんだ、悲しむべきは基礎国力の差か。
しかし1943年末、米軍は本格的な75mm主砲級戦車・M4中戦車の太平洋戦線での運用を開始。九七式中戦車改の能力ではロクに歯が立たず、せっかく縮めた戦車の質的格差はふたたび大きく開いてしまったのである。1941年末のときよりも、はるかに。
もちろん日本陸軍もこの状況を手をこまねいて見ていたわけではなく、長砲身57mm砲、後に高射砲転用の75mm砲を完全新設計の車台に搭載した本格的な対戦車戦闘用戦車・四式中戦車や自動装填装置を備えた大型戦車・五式中戦車の開発計画も動き出してはいたのである。ただし試作車完成がいつになるか聞いたら鬼が笑うくらいの進展状況ではあったが。悲しむべきは基礎国力の差か。
かくして日本陸軍は大戦初頭の状況と同じ方向での解決策を模索することとなる。既存の戦車により大きな主砲を搭載した火力強化型の開発である。1944年5月にスタートした開発計画は昼夜突貫の作業で順調に進み、秋には試作車両が完成、テストを経て1944年12月に「三式中戦車」として制式化されたのであった。目標がはっきりしたときの日本人の仕事は早いなあ。そういう経緯のため、本社の開発時秘匿名称である「チヌ車」は四式中戦車・五式中戦車より後ろの型番となっている。
構造
ベースとして選定されたのは一式中戦車。1930年代の設計である九七式中戦車の構造を全面的にリファインし、戦車としての基礎体力をイチから鍛え直した車両である。・・・と一般的に言われているが実際は一式中戦車は本来は新機軸を盛り込んだ別の戦車として研究開発がすすめられていたが走行装置の開発に躓いてしまい、最終的にその妥協案として別途に主力戦車の火力支援車両として新規開発され1943年上旬にすでに完成していた二式砲戦車の車体に四十七ミリ用砲塔に装甲をとっつけて搭載したのが一般的に知られている一式中戦車だったりする。
(またこの二式砲戦車も航空機や火砲に資材を取られていたため半ば量産が放置されていた悲運の車両でもあった。)
このように日本軍が戦車開発を迷走しまくっている同時期の米軍がM4バンバン作りまくってることと比較すると、悲しむべきは基礎国力の差か。
主砲の原型として選定されたのは九〇式野砲。日露戦争終了後の旧式野砲である三八式野砲の更新のために長射程をウリとして1930年代初期に制式化されたものの、重量過大による戦略機動性の低下を参謀本部から嫌われてあんまり生産数が伸びなかった、これまた悲運の75mm級野砲である。
註)九〇式野砲が嫌われた理由のもうひとつが砲身寿命の短さによる運用コストの高さだが、一会戦のたびに敵を制圧するために撃って撃って撃ちまくる野砲としては問題でも、敵を目視したときだけ撃てばいい戦車砲としては砲身寿命の短さはそこまで問題にならなかったという。しかしまあ、運用コストが高いからって理由で旧世代兵器を使わせ続けるっていうのもまた世知辛い話で、悲しむべきは基礎国力の差か。
さて、三式中戦車はこの九〇式野砲を一式七糎半自走砲用に改造した主砲を急造された旋回砲塔(元々は五式中戦車初期案用に設計されたもの。)に搭載しているのだが、急造ゆえにあちらこちらで非合理な部分を残したままの設計になっていることは触れておかざるを得ない。戦車砲であれば砲手が引き金を引いて発射するのだが、三式中戦車の主砲にはそれが無く、撃発手が拉縄(野砲における引き金の役割を果たす縄で、これを力いっぱい引いて野砲は発射される)を引いて発射する形式である(五名で運用する場合は無線手か車長が代用する。そのため拉縄を短くするのは禁止された)。照準すんのは砲手なのに発射するのは撃発手っていうことになると当然発射の微妙なタイミングあわせが困難になっちゃうのだが、急造兵器だからしょうがない。
擁護するならば、この拉縄方式は一式七糎半自走砲も同様である。三式中戦車が開発される2~3年前、すなわち太平洋戦争直前に、この一式七糎半自走砲を戦車部隊管轄の兵器「一式砲戦車」に改造する計画があったが、その際に対戦車戦闘に対する試験も行われている。
その結果、(待ち伏せでも)オープントップ方式の戦闘室と狭い水平射界では対戦車戦闘ではかなり不都合になる等の改良点があげられるものの、拉縄方式に関しては特に問題視されていない。(なお、一式七糎半自走砲は砲戦車としては最終的には不採用となる。)
三式七糎半戦車砲Ⅱ型 貫通性能表 | |||||
距離 | 装甲厚及び資料 (一式徹甲弾) | ||||
資料A(雑誌) | 資料B(雑誌) | 資料C(雑誌) | 資料D(雑誌) | 対戦車戦闘の参考(戦車関係)(陸軍機甲本部) | |
100m | 90mm | ||||
250m | 90mm(射角60度において70mm) | ||||
500m | 90mm | 80mm | 80mm | ||
1000m | 65mm | 70mm | 75mm | 65mm | |
2500m | 60mm | ||||
3000m | 40mm |
*対戦車戦闘の参考は実戦部隊向けの資料のため、数字の角を丸めている可能性がある。
*余談だが、貫通力の測定にて遠距離での数値を出す際には、実際に射撃するとなかなか当たらないため近距離での数値を元に遠距離時において弾速を計算してその弾速になるように装薬を調節して近距離で試験する。
*米軍が45年に行った鹵獲兵器の調査での九〇式野砲の貫通力は、250yd/3.5in(約230m/約88.9㎜)
500yd/3.3in(約454m/約83.8㎜) 750yd/3in(約685m/約76.2㎜) 1000yd/2.8in(約914m/約71㎜)
となっている。
*本車両の主砲である九〇式野砲改造の三式戦車砲Ⅱ型の貫通力以外の性能所元は、口径75㎜ 砲身長2883㎜
後座長約680㎜ 砲身重量約387㎏ 射撃姿勢重量約1000㎏ 初速668m/s(一式徹甲弾使用時)
*金質を改善した一式徹甲弾特甲を用いた場合500mで約100㎜の、1000mで約85㎜の垂直装甲板を貫通できた(ただし数字を丸めてある可能性が高い)。そもそも配備されていたかも不明。
もう一点特徴的なのは、通常の戦車であれば防盾の中にしまうまたは装甲板で覆うことで装甲防御を与えるはずの主砲駐退機が外部に露出していることにある。これは破損したら砲撃継続が不可能になってしまう重要部位なのだが、小型化したり設置位置を見なおしたりする余裕もなく、脆弱性を覚悟の上でこうしたものである。急造兵器だからしょうがない。(これはに四式/五式中戦車の主砲にも言える。ただしこちらは拉縄式ではない。)
それでも砲塔リングの拡大によって360度どこにでも主砲を向けられる密閉砲塔を装備、しかも1940年代戦車の世界水準技術である砲塔動力駆動を実現。急造兵器として切り捨てられるところは切り捨てつつも、最低限必要な要素だけはしっかり取り入れていることは高く評価すべきであろう。また、小口径砲による至近距離射撃や歩兵の肉薄攻撃といった手法に依存せざるを得なかった日本の対戦車戦闘に、中距離からの砲撃戦によって米軍戦車を仕留められる可能性をもたらしたことは前線にとっての大きな福音となるはずであった。既に存在していた一式七糎半自走砲と比較しても、密閉・旋回砲塔の採用で実質的な耐久力と戦闘力は大きく増していたと思われる。
ただし、防御力の話だけは勘弁な! 一式中戦車と同レベルの防御を施すのがせいぜいで、75mm級の戦車砲で撃たれても耐えられるような防御力は望みようがなかったんですわ、やっぱり。
生産と運用
能力はあるのに巡りあわせの悪さで軍中央から半ば見放されてた兵器たちが出会い、技術者のおじさんたちの熱意と努力で新型戦車に生まれ変わり、銃後の民と前線の兵士たちの期待を背負って雄々しく敵を撃つ!
……となると実に熱い燃え展開なのですが、現実はそんなに甘いもんではありませんでした。
1944年12月に制式化された三式中戦車ですが、制式化されても実際に生産しなくちゃ兵器としての役には立ちません。そして部隊編成するにはそれなりのまとまった数の生産が必要ですし、部隊編成しても実戦に使うためにはそれなりの訓練期間も必要になってくるのです。そして、実戦投入できるレベルの最初の三式中戦車部隊の編成が完了した1945年春には、もう日本軍にこの車両を活躍させられる戦場は存在していませんでした。硫黄島は既に米軍の手に落ち、沖縄は既に十重二十重に米軍艦船によって包囲されていました。日本近海には我が物顔で米軍空母が遊弋し、そこから発進した攻撃機がめぼしい船舶を片っ端から沈めていく状況だったのです。この状況では米軍が上陸してくるまで温存する以外、できることは何もありませんでした。
かくして三式中戦車は実戦投入の日を迎えることなく、1945年8月15日を迎えました。大戦末期の絶望的な戦局においても100両を越える数の三式中戦車が生産され部隊配備も進められており、もし日本が本土決戦の道を選んでいたならば日本陸軍の最新最後の戦車として米軍を迎え撃つこととなっていたでしょう、が……。
余談
この戦車の乗員の一人だった司馬遼太郎によって後年「ヤスリで削れる装甲」とDisられたことからいろいろ毀誉褒貶されちゃってたりする
ちなみに使用されている鋼板は第三種防弾鋼板でありこれは高温焼き入れ及び高温焼き戻し後表面のみ焼き入れを施した鋼板で、従来の戦車に用いられてきた装甲と比較して柔軟性があったらしい。
これに対して上記の反論が書かれた雑誌が販売された直後、九州かどこかの戦車工場で働いていたという人物から「戦争末期には防弾鋼板がなかったため、三式中戦車にはただの鉄を使った」という旨の手紙が送られてきたという。ただし、この逸話は発言者であるドイツ戦車研究家の富岡吉勝氏の伝聞であり、それが事実かを精査したわけではなく、噂の域を出ない。
結局、三式中戦車の装甲が防弾鋼板か普通鋼かは、記憶違いを伴う証言のみによって構成されている以上、新資料がでない限りは真相は闇の中と考えるべきであろう。
現存車両は茨城県土浦の陸上自衛隊武器学校に静態保存・展示されている1両のみ。同校に保存されてた八九式中戦車がまさかのレストアを経て自走できるようになったことだし、誰か三式も蘇らせてあげてくれませんかね?
(噂の為信憑性が低いが、八九式と三式は一緒にレストア予定でオリジナルエンジンにて稼動する予定だったが自衛隊内のぐだぐだで部品を紛失及び破損、八九式はドンガラにつめただけで三式は走行不能になったとか。 四式の探索を漁協が妨害しているというもっともらしいデマがあったため、あんまり信用しない方がいいかも)
改良型
211台目から砲塔を四式にあるいは主砲の五式七糎半戦車砲Ⅱ型に換装する計画が存在した。試験ではなんともなかったらしいが、三式戦車砲Ⅱ型に換装した時点でさえ、足回りや機動性が一式中戦車と比べて悪化したため実戦で使いモンになったかどうか・・・。しかし撃発方式も拉縄式から引き金型になり上述の問題やM4に対する対戦車能力の向上もあり当然だが欠点だけではない。
*試製七糎半戦車砲Ⅱ型の性能諸元(一部)
口径・・・75㎜
砲身長・・・4230㎜
全備重量・・・・2221㎏
後座長・・・390~398㎜
砲口初速・・・818.4m/s(一式徹甲弾)・829.7m/s(四式榴弾)
使用弾種・・・一式/四式徹甲弾 四式榴弾
貫通性能・・・不明(1000m/75㎜もしくは1000m/100㎜という数値があるが、前者はs、18年度の目標値。後者は本砲竣工時の目標値であり20年度付けの資料にも記入されているが何を元にした数値なのかは不明)
・・・ただこの五式七糎半戦車砲の供給は資源不足やベースの砲の生産数の少なさから実際に一定数配備できたのかは怪しく四式及びこの三式の改良型の量産型は砲身のみ(薬室・砲架除く)を五式の物から九〇式野砲の物に換装したモノを搭載する計画も存在した。実際の量産型もそうなっていた可能性が高いといわれることから、いかに本砲の供給が絶望的だったかが伺える。そうなった場合でも撃発方式は五式と同じ引き金式であることと対戦車能力の低下は否めないものの、装薬は五式と同じものを使用する可能性が高いので三式七糎半より高い対戦車能力になる利点は残る。
(ただしただでさえ短い砲身寿命は間違いなく更に激減するであろう。忌むべきは基礎国力の差か。)
この火力強化案のほかにも本車の主砲を37㎜~47㎜砲に換装した新型の指揮戦車も構想されていた。
敵主力戦車の所元
- 陸軍が昭和19年6~7月ごろまでに想定していたM4シャーマンの性能所元(一部)
砲塔正面85㎜(90~65°) 防盾部39㎜+85㎜(曲面) 車体正面下部51㎜/上部65㎜(1944年時点では45°、1945年時には55°それぞれ傾斜としている。)
砲塔側面65㎜(80°) 車体側面44㎜-39㎜(90°) 車体後面39㎜-30㎜
主砲は75㎜40口径 副武装は機銃2 高射機銃1
*・・・昭和20年5月の時点でもほぼ同様の物を想定。(ただし傾斜角度の記載なし)
*2・・・戦車用法によれば「三式は600mにおいて四式は1000mにおいてM4戦車の正面を貫き得るも命中角の関係上その公算は僅少にして側背面を攻撃することを要す。」としていた。(45年の時点で鋳鋼製であると想定?) - M1重戦車の性能諸元一部抜粋(試作重戦車M6あるいはM26が元ネタと思われるが誤認の原因は不明)
重量57t 乗員6~7名 速度40~30㎞/h 主武装・・・76・2㎜~105㎜の長砲身砲×1 37mm砲×2
副武装・・・12.7㎜重機×2 7.62機銃×2 高射機銃×1
装甲(正面)200~240㎜ 装甲(前部)160~180㎜ 装甲(その他?)70~80㎜
関連作品
動画
PSのタンクシムソフト「パンツァーフロントbis」より、本土決戦を想定した「串良」マップ。低い彩度で描かれた日本の典型的な農村の光景。執拗な重砲射撃の中、迫り来る大量のM4シャーマン・M26パーシングを迎撃する絶望的なマップですが、僚車として三式中戦車が登場します。
MMDモデル
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 7
- 0pt