三菱スペースジェットとは、日本で開発されていた小型旅客機である。
概要
開発を手がけるのは、YS-11、ひいては戦時中に零戦を作り上げた、三菱重工業。2008年に開発部門が三菱航空機として独立し、以降は同社が開発を続けていた。
かつての正式名称は三菱リージョナルジェット (Mitsubishi Regional Jet)だったが、2019年6月13日に、「三菱スペースジェット」に改称された("スペース"は宇宙ではなく、広々とした客室空間を表現したもの)。
リージョナルジェット(以降、RJ)とは
平たく言えば、そこそこの乗客・貨物を積んでそこそこの距離を飛ぶ中規模ジェット旅客機のこと。
国内線などの、比較的短距離・小規模なフライトに使われる。大規模・大輸送量のジャンボジェットではオーバースペックになるような航空路を効率的に結ぶための旅客機である。
もっとも、このような中小規模旅客機の概念自体はジェット機誕生前から存在したものであり、そもそもYS-11も、多くはこのような用途に用いられた機体である。
これまでは、プロペラ機と比べて速度では勝るものの運用費用と燃費では比べ物にならず、長距離フライトにおいてジェット旅客機が主流となってからも長らく、中~短距離フライトではプロペラ機がなお主流であった。
が、1990年代に入り技術の十分な発展によって運用費用が大きく削減されたことで、これらの中~短距離フライトにおいてもジェット機の優位性が高まり、世界中の航空機メーカーがこれに適したジェット機=RJを開発・販売することを発表したのである。
現在、既に業界最大手であるカナダ・ボンバルディアとブラジル・エンブラエルが約1500機ずつを納入しており、市場を独占したかに見えたが、新興国の隆盛や各航空会社の再編などによってその需要はますます拡大しており、その世界中の航空機メーカーにとってもっとも熱い市場となっている。
機体
70席クラスのMRJ-70と、90席クラスのMRJ-90の2タイプが製造される。
機体性能・主要諸元に関しては→ http://www.mrj-japan.com/j/performance.html
MRJでは、従来のターボファンエンジンに比べて燃費を向上させたギヤードターボファンエンジン「PW1000G」を採用する予定になっている。PW1000Gの場合、プラット&ホイットニーの発表によれば「従来のターボファンエンジンからさらに10~15%程燃費を向上させられる」とされる。
ギヤードターボファンエンジンについては → ターボファンエンジン
2019年6月13日、三菱スペースジェットへの改称に伴い、MRJ-70はSpaceJet M100に、MRJ-90はSpaceJet M90に名称変更。座席数が少ない方が数字が大きくてややこしい。
略歴
計画開始まで
2002年、政府(経済産業省)が、『環境適応型高性能小型航空機(≒リージョナルジェット)』開発案を発表。これは、それまで各企業が横並びでぐだぐだと事業を進めていた国産旅客機開発計画=YSXからの脱却を図ったもので、意欲のある企業に自らの責任で開発させ、それに対して政府が相応の支援をするというものだった。
これに、富士重工業などの支援を受けた三菱重工業が唯一名乗りを上げた。
この時のことについて、三菱航空機・江川社長は、「零戦の技術を取り上げられて以来、弁当箱でもパン焼き機でも何でも作りながら、『いつか飛行機をまた造れる日が来る』と待ってきた。YS-11で失敗しても、また挑戦できる日を待っていた。今回が、その最後のチャンスだと思った」と語っている。
2003年、プロジェクトには三菱重工業が選ばれた。開発費500億円の内半分を経済産業省が負担し、富士重工業と日本航空機開発協会に加え、JAXAの支援をも得て、5年(当時の予定)に渡る開発に挑むことになった。
開発開始~延期 計画の大規模化
機体の大型化・客席の増加などが盛り込まれたことで、機体は再構築が重ねられ、2005年の時点で、初飛行は2011年へと延期されていた。この時点で、航空ショーに縮小モデルなどを展示するに至っている。
2006年には、2タイプを開発することをはじめとして、細かいスペックやコンセプトが固められた。
が、この時点で計画は当初と比べてかなり巨大化・長期化していた。
2007年、開発が進み、座席や荷物格納などを実際の通りに据えつけた、実物大模型を航空ショーに出品する。航空機業界においては、この実物大模型を出して初めて土俵に上がれる。このときには、後述のような、低燃費・高安全性など、競合機との差別化を目的として掲げられたコンセプトも形になって現れていた。
この年、政府が、既に1200億円にまで膨れ上がっていた開発費の内、400億円を負担すると決定する。
さらにボーイング社の出資も決定された。 そして三菱は、エンジンなど主要部品の調達先、さらに高揚力装置などの開発におけるパートナー企業を本格的に募集・決定した。
事業化
2008年、ANAからの発注を受けて、量産が決定。三菱航空機が設立されてMRJの事業化が為された。この時、三菱は、開発に携わっていたボンバルディア機からも撤退している。
徐々に国民からの注目も集まり、2010年9月、詳細設計を全て完了し、製造段階に入ったと発表。
2014年10月に飛行試験機の初号機がロールアウト、2015年11月11日、初飛行に成功した。[1]
初号機の納入時期については延期を繰り返しており、2020年2月の発表では2021年以降とされている。[2]
一部報道では累計開発費は1兆円にも達する可能性があるとのこと。[3]
2020年5月、三菱重工は新型コロナウイルスの感染拡大による需要減を鑑み、開発計画の大幅な見直しを決定。M90(90席クラス)の量産は先送りに、M100(70席クラス)は当面の間、開発を見合わせると報道された。
販売・競合
RJ市場は、カナダ・ボンバルディアと、ブラジル・エンブラエルが複占し、ロシア・スホーイの『スーパージェット』や、中国の『ARJ-11』、そして日本のMRJなど新興勢力が挑むという状況であった。
ところがボンバルディアは近年経営不振に陥り、2018年にCシリーズをエアバスへ売却、2019年にRJ部門を三菱重工へ売却した。これにより三菱スペースジェットはボンバルディアのCRJシリーズを引き継ぐ形となる反面、合計7億5千万ドルの追加支出を背負うこととなった。
一方エンブラエルも2019年に旅客機部門をボーイングに売却する(ボーイング80%・エンブラエル20%の持株比率で合弁会社設立)。つまり三菱スペースジェットは世界最大の航空機メーカーであり長年ビジネスパートナーとして関係の深いボーイングと対決する格好となった。
また、米航空会社とパイロット組合の間で取り交わされる労使協定「スコープ・クローズ」の動向が注視された。これは運用される機体の座席数と重量を制限するもので、三菱・エンブラエルともに2019年の制限緩和を見越して90席クラスの機体を重点に開発してきたのだが、予想に反して制限は継続となった。
開発中の機体では、三菱SpaceJet M90とエンブラエルE-Jet E2シリーズがこの制限を超過しており、実際M90は100機分の契約解消という憂き目を見た。
新型コロナウイルスパンデミック
2019年に中国・武漢で始まった新型コロナウイルス感染症の流行は、2020年に入って世界規模の爆発的な感染拡大を起こし、特に欧米圏で猛威を奮うこととなった。
各国が対策としてロックダウン(都市封鎖)・渡航制限・外出制限等、人の移動を大幅に規制する政策を打ち出した結果、旅客機業界は深刻な打撃を被り、前述のボーイングとエンブラエルの事業統合も白紙化された。
2020年10月30日に三菱重工業は「一旦立ち止まる」という表現で開発の凍結を発表していたが、2023年2月に開発中止を正式に発表した。[4]
アメリカに持ち込んだ4機の飛行試験機のうち既に2機が解体、開発を行っていた三菱航空機は社名を「MSJ資産管理」に変更している。
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関連リンク
関連項目
脚注
- *https://www.mhi.co.jp/news/story/151111.html
- *https://www.aviationwire.jp/archives/195555
- *https://www.nikkei.com/article/DGXMZO55342900W0A200C2EA2000/
- *三菱重工、スペースジェット開発中止を正式発表 泉澤社長「機体納入できず申し訳ない」 2023.2.7
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