三陸沖地震とは、青森県東方沖から岩手県沖、宮城県沖付近にかけての地震の総称である。
概要
この三陸沖地震は海側の太平洋プレートと陸側の北アメリカプレートの境界部分付近で発生するプレート間地震、及び沈む込む前のプレート内地震の固有地震である。沈み込んだプレート内地震(スラブ内地震)や、プレート間地震の陸よりの領域は宮城県沖地震・岩手県沖地震などに分類される。プレートの境界は日本海溝から始まり、東から西へ陸に近づくにつれて深くなっていく。海溝型の三陸沖地震はプレートの境界の10-60km前後で発生する。また震源が海底ということもあり、津波が発生する。三陸沿岸では、リアス式海岸という地盤が沈下・隆起して、海岸線がぎざぎざな地形をしてるため、入り組んだ湾、特に湾の形がV字の所では、局地的に津波が大きくなったりする(宮古市や大船渡市、釜石市など)。明治三陸地震や東北地方太平洋沖地震では10m以上の津波が観測された(溯上高30m超)。さらにプレート境界の地震が起こる位置から陸まで約100~200km程度離れているため、大きな地震が起きても揺れが大きくなりにくい。
また、この三陸沖地震のうち、後述する"三陸沖北部から房総沖の海溝寄りで発生する津波地震"では俗に言われる『ゆっくり地震』或いは『スロー地震』という地震自体のエネルギーが多いにもかかわらず、揺れ自体は大したことがない地震を発生させることがある(明治三陸地震、他の震源域だと延宝房総沖地震など)。ゆっくり地震のメカニズムはよく分かっていないが、断層のずれが通常の破壊よりゆっくり動くことにより起こるのではないかと言われている。また、ゆっくり地震は揺れが小さくても地震自体のエネルギーは変わらない為、M8前後を超えるような巨大地震の場合は最大震度が3や4程度でも津波が発生する可能性がある。(但し、ある程度の規模の地震でも地震計すら捉えられないほどずれが遅いレベルだと、津波の波現域が広がる前に津波が拡散されてしまい、大きな津波は発生しない。こちらは"サイレント地震"とも言われている。)
また明治三陸地震のような揺れが少なく、しかし地震の規模自体は大きく、かつ大きな津波を発生させるものを"津波地震"という。津波地震は揺れが少ないが故に大きな地震が発生し、大津波が襲ってくると捕らえにくく、避難が遅れ被害が拡大することもある。因みに津波地震と言う名称は、大きな揺れを伴っていても被害が津波に特化した場合に使われることも稀によくある。
また、「海溝型地震は揺れは大きくなりにくい」というのはこの地震から来ている。しかし、同じ海溝型の関東地震や東海地震などでは震源域が直下、或いは陸から近いため大きな揺れと津波を伴う。
三陸沖地震の種類
一口に三陸沖といっても三箇所、更に津波地震型、正断層型の地震がある(地震調査研究推進本部が定める震源区分)。ここではそれを紹介する。
三陸沖北部(青森県東方沖から岩手県沖北部あたり)の地震
- 気象庁の震源区分で青森県東方沖、三陸沖にあたる部分。さらに三陸沖北部の陸よりの地震、三陸沖北部の海溝よりの地震と分かれる場合もある。
発生頻度は約100年。マグニチュードは7.8前後。主な地震は1968年十勝沖地震など。 - また、この領域の地震は間違えた名称を変えるのがめんどくさくて便宜的に十勝沖地震と呼ばれている。
三陸沖中部(岩手県沖南部あたり)の地震
- 気象庁の震源区分で岩手県沖、三陸沖にあたる部分。この領域では有史以来過去地震は発生しておらず、よく分かっていないが地震が起こる確率はかなり低い。
(by地震調査研究推進本部)
とされているが、三陸沖北部から房総沖で発生する津波地震が発生した際、震源域となる場合がある。
三陸沖南部(宮城県沖の海溝より)の地震
三陸沖北部から房総沖の海溝寄りで発生する正断層地震
- 気象庁の震源区分で三陸沖、東北地方東方沖、福島県沖、関東東方沖にあたる部分。主な地震は昭和三陸地震だけ。海溝型の大地震の発生した前後に発生するとされているタイプ。
昭和三陸地震の場合、明治三陸地震の37年後に発生した。
この地震は海側のプレート内(太平洋プレート内)で起きるため、陸から離れており揺れがやや弱いということが多い。
三陸沖北部から房総沖の海溝寄りで発生する津波地震
- 気象庁の震源区分で三陸沖、福島県沖、関東東方沖にあたる部分。この内、三陸沖の部分の一部と福島県沖の部分は東北地方太平洋沖型に分類される。
この領域は過去に貞観地震、慶長三陸地震(?)、延宝房総沖地震、明治三陸地震、 東北地方太平洋沖地震しか確認されておらず、東北地方太平洋沖型以外二回以上確認されていない為、周期が不明として詳しい震源区分や想定はされていない。
東北地方太平洋沖型の地震は発生周期は600年程度で規模はMt8.6~9.0と想定されている。
- 因みに、気象庁設置以来"三陸沖地震"及び"三陸地震"という名称は使われていない。
これら度重なる大地震、大津波のため、三陸沿岸には大規模な防潮堤が築かれており、中でも岩手県田老の高さ10m,長さ2433mの防潮堤は特に有名である。(しかし東北地方太平洋沖地震の津波で一部が粉々に粉砕した。)
過去の地震
三陸沖北部・中部・南部で起きた推定マグニチュード7.6以上程度の地震が記録されてる地震をここでは書く。括弧内は種別。基本的にモーメントマグニチュードで記述する。
貞観地震(三陸沖北部から房総沖の海溝寄りで発生する津波地震)
13世紀ごろの地震?(三陸沖から房総沖の海溝寄りで発生する津波地震?)
- 最近になって、東北地方太平洋沖地震の前の活動、またはそれに近い地震と取り沙汰されてる地震。会津や上野、上総などで大きな揺れを伴ったとされる。更に奥州沿岸に大津波が到達したとかかれてるものもある。以前は強い揺れを伴った場所の意味不明さ、記録が乏しく地震が発生したこと自体信頼性が低い地震とされていたが、2007年から産業技術総合研究所が、貞観地震の研究として宮城県・福島県沿岸の津波堆積物を調べていたところ、地質を放射性炭素による年代測定の結果、十和田aテフラ(915年の噴火)の後に、1300-1650年に大きな津波を発生させたと思われる堆積物が二層発見された。近年分かったことなので、震源域や規模、推定最大震度などは不明。
慶長三陸地震(三陸沖北部から房総沖の海溝寄りで発生する津波地震?)
- 津波地震とされる。三陸沿岸をはじめ、北海道南東部沿岸でも津波による被害。仙台平野を2km遡上したとされる。お陰で仙台平野は塩害により10年間作物が育たなくなった。この地震を記録した「駿府記」の中に『政宗献初鱈、就之政宗領所海涯人屋、波涛大漲来、悉流失、溺死者五千人、世曰津浪云々』という一文があり、津波という言葉が初めて文中で使われた。
- さきの東北地方太平洋沖地震では、津波が河川周辺を除き、陸前浜街道、奥州街道周辺までで止まり、街道よりも陸側にあった岩沼市や仙台市などの中心街はからくも津波からの被害を免れた。これは街道の整備が1600年代に行われた際、慶長三陸地震の津波の浸水域を避ける様に整備されたからといわれている。実際に大きく被害にあったのは明治以降に開発・宅地化した部分で、街道周辺にあった宿場の位置はほとんど浸水していない。このことから、陸前、磐城沿岸を襲った津波の規模は東北地方太平洋沖地震は同程度と言われている。
- 因みに、北海道南東部沿岸や北方領土に、17世紀前半に内陸を最大で約4km溯上したと見られる大きな津波堆積物があり、十勝沖地震と根室半島沖地震が連動(更に色丹島沖の領域も連動したと言う説も)して発生し、堆積物が残されたとされているが、その地震が慶長三陸地震とする説もある。三陸沿岸では17世紀前半の巨大地震の記録はこの地震しかなく、更にこの説が押されている。
しかし、陸前や磐城沿岸で2km程度も内陸を遡上するほどの津波を発生させる規模の地震を十勝沖で起きたとするととてつもない規模になり、実際それほどの地震が発生したか、震源域や規模の研究が最近されている。
延宝十勝沖地震(三陸沖北部の地震)
宝暦十勝沖地震(三陸沖北部の地震)
寛政宮城県沖地震(三陸沖南部・宮城県沖の地震)
安政十勝沖地震(三陸沖北部の地震)
明治三陸地震(三陸沖北部から房総沖の海溝寄りで発生する津波地震)
- 発生日時:1896年(明治29年)6月15日19時32分
- マグニチュード:M8.2~8.5
- 深さ:ごく浅い
- 最大震度:4(秋田県仙北町)
- 最大津波高:13m前後、溯上高38.2m(岩手県大船渡市)
- 発震機構:海溝型地震
- 死者:2万1915人
- 行方不明者:44人
1897年宮城県沖地震(三陸沖南部の地震)
- 明治三陸地震に誘発されて発生されたともされている。人的被害はなかった。
昭和三陸地震(三陸沖北部から房総沖の海溝寄りで発生する正断層地震)
- 発生日時:1933(昭和8年)年3月3日午前2時30分
- マグニチュード:8.1~8.4
- 深さ:10km
- 最大震度:5
- 最大津波高:10m程度、遡上高28.7m(岩手県大船渡市)
- 発震機構:これから沈み込むプレート内地震
- 死者:1522人
- 行方不明者:1542人
1968年十勝沖地震(三陸沖北部の地震)
1994年三陸はるか沖地震(三陸沖北部の海溝寄りの地震)
東北地方太平洋沖地震(三陸沖北部から房総沖の海溝寄りで発生する津波地震)
- 発生日時:2011年(平成23年)3月11日14時46分
- マグニチュード:9.0
- 深さ:24km
- 最大震度:7(宮城県栗原市)
- 最大津波高:15m程度、溯上高40.5m(岩手県宮古市)
- 発震機構:海溝型地震
- 死者:1万5782人
- 行方不明者:4086人
- 国内史上最大の地震。地震・津波被害は"東日本大震災"と言う。震源域から、貞観地震以来の約1100年ぶりの地震といわれている。世界でも20世紀以降で1960年チリ地震(M9.5)、2004年スマトラ島沖地震(M9.3~9.1)、1964年アラスカ地震(M9.2)に続き、1952年カムチャツカ地震(M9.0)と同等の観測至上4番目の規模。東北沿岸部が津波で壊滅し大きな被害を受けた。またこの地震で福島第一原子力発電所事故が発生する。
- 津波堆積物から、この地震と貞観地震、慶長三陸地震は群を抜いて規模は大きいとされている。
- また、沈降した土地は石巻平野や仙台平野などは数百年すれば元に戻る見込み。(地質データから、定期的に1m程度沈降するイベントが約600年間隔で繰り返されており、それでも海岸線の変動がないため。)
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