「上杉憲政」(うえすぎ・のりまさ 1523 ~ 1579)とは、代々関東管領を務めた山内上杉家の15代目にして最後の当主である。
概要
1523年に関東管領・上杉憲房の子として生まれ、父の死去時には3歳であったことから養子・憲寛が一旦は管領職を継ぐが、5年後には家臣たちの手によって憲寛が追放され、改めて管領を継いだ。
父親・憲房の代から勢力を拡大しつつあった後北条家(北条氏綱~北条氏康)の勢力拡大を阻止しようと、当時長い間勢力争いを繰り広げていた古河公方足利家の足利晴氏や扇谷上杉家の上杉朝定らと同盟を結び、1546年北条家の河越城を攻めた。世に言う河越夜戦である。この戦いは連合軍が「これはもう虐殺だ!」レベルの兵力差を持ってあたりながら(むしろそれゆえの油断のために)、関東最高峰のチート3代目こと北条氏康の奇襲により蹴散らされ、憲政自身も3千あまりの兵力を失って撃退された。
のち、関東管領の権勢を維持しようと信濃にちょっかい出しては信玄にぶちのめされ、氏康の上野国侵攻を喰らって居城を追われ、常陸の名家・佐竹義昭を頼るも素気無く追い払われ、最終的に越後の長尾景虎(後の上杉謙信)を頼り、彼を養子として関東管領職を譲渡して一線を退いた。
越後長尾家に逃れたあともある種の相談役的な地位にいたと考えられ、最後には謙信よりも長生きし、謙信の相続争いである「御館の乱」では中立の姿勢を取るものの、劣勢となった上杉景虎(氏康の七男)に頼られ、和睦交渉のために景虎の嫡子とともに景勝の元を訪れたときに殺害された。享年57歳、あれほど敵対していた氏康の子に協力したために殺されるという、皮肉な最期であった。
人物
北条氏康にボロ負けした河越夜戦や武田信玄(当時は晴信)にボロ負けした小田井原の戦いなどがよく取り上げられるため、「臆病」「弱将」という評価をされることが多い人物であるが、実際には越後の長尾家を頼った後も数度に渡って北条家と交戦を続けるなど、一概にそうとは言い切れない部分もある。
また、関東最強のハイパーチートGこと長野業正は憲政の舅(妻の父)であり、憲政が敗退を続け南上野の諸豪族が旗を巻き変えても自身は変わらず忠誠を誓い、彼を筆頭とする箕輪衆(上野の諸豪族)達は憲政が上野を逃れ越後に逃れた後も上野を死守し続けたことから、人望が全くなかったわけではない。(長野業正の義理堅さもあるだろうが)
実は北条氏康や武田信玄より年下であるにもかかわらず、謙信を養子に迎えたことと、旧来の人物の象徴として描かれるためか、ドラマなどでは年配の俳優が演じることが多い。
補足
※初期の作品はそれなりに使えたが、烈風伝以降は能力値最下位争いの常連である。高家の大名ゆえか、野望や魅力・教養は高め。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 52 | 政治 | 64 | 魅力 | 79 | 野望 | 69 | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | 38 | 政治 | 63 | 魅力 | 84 | 野望 | 48 | 教養 | 76 | ||||
覇王伝 | 采配 | 79 | 戦闘 | 68 | 智謀 | 16 | 政治 | 64 | 野望 | 68 | ||||
天翔記 | 戦才 | 116(C) | 智才 | 80(B) | 政才 | 138(B) | 魅力 | 82 | 野望 | 73 | ||||
将星録 | 戦闘 | 37 | 智謀 | 40 | 政治 | 59 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 25 | 戦闘 | 20 | 智謀 | 19 | 政治 | 42 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 21 | 智謀 | 16 | 政治 | 24 | 野望 | 83 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 18 | 知略 | 17 | 政治 | 24 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 18 | 知略 | 17 | 政治 | 24 | 教養 | 69 | ||||||
革新 | 統率 | 28 | 武勇 | 20 | 知略 | 19 | 政治 | 27 | ||||||
天道 | 統率 | 28 | 武勇 | 20 | 知略 | 19 | 政治 | 27 | ||||||
創造 | 統率 | 33 | 武勇 | 34 | 知略 | 29 | 政治 | 36 |
関連動画
▼能力ランキング関東編において、貫禄の最下位。それもぶっちぎりで。全国ではワースト15位。
▼彼のダメさがにじみ出ています。history-reproduction「河越夜戦」
▼「ダメ君主の野望」にも当然参加。斎藤龍興と意気投合。キモイ口調。北畠具房をいい男呼ばわり。
戦国大戦
戦国大戦での彼は上杉軍に所属している。計略の「関東管領職譲渡」は味方で一番武力の高い武将の武力を何と24も上げる。あの上杉謙信の毘天の化身ですら+13だと言うのに。
しかしその消費士気は10、とあの風林火山を抜き、天下への采配と同じ全計略でもトップの消費量である。このため同盟の構え等最大士気を増やす計略無しでは、上杉家単でしか使えない。なお別に計略対象は上杉家限定ではないので、上記の通り下準備さえすれば他の家の武将も強化できる。
旧Verでは武力上昇値が+30だったのだが、武力依存度が変更されたため+24に下方修正されている。とは言えこんな計略かかった武将に乱戦されたらたちどころに溶けるが。
ちなみに計略名は関東管領職譲渡であるが、上の虎口成功時台詞は元関東管領である。どっちやねん。
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関連項目
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