下士官兵ニ吿グ
一、今カラデモ遲クナイカラ原隊ヘ歸レ
二、抵抗スル者ハ全部逆賊デアルカラ射殺スル
三、オ前 達 ノ父母兄弟ハ國賊トナルノデ皆泣イテオルゾ
下士官兵ニ吿グとは、1936年に東京で飛行機から撒かれたビラ(チラシ)である。
なお、上記とは異なり原典は縦書きである。
概要
1936年2月26日に、陸軍の青年将校たちが1000人を超す下士官兵[1]を引き連れ、内閣総理大臣などを暗殺して政権を乗っ取ろうとした。結果的に岡田啓介総理を暗殺することはできなかったが、岡田の秘書だった松尾伝蔵や、高橋是清大蔵大臣、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎陸軍大将、警察官数名が犠牲になった。これは後に「二・二六事件」と呼ばれるようになる。事件の詳細な展開については「二・二六事件」の記事を参照。
斎藤実らの殺害を聞いた昭和天皇は激怒し、青年将校らの鎮圧を求めた。それを受け29日の8時30分からばら撒かれたのが「下士官兵ニ吿グ」というチラシである。将校に直接向けたメッセージではなく、その指示で動いている下士官兵を解散・帰隊させて反乱を抑える目的で撒かれたものである。
内容は縦書き・3行で簡潔に書かれている。「元いた隊に帰ること(すなわち、反乱をやめること)」「抵抗する者は射殺する」と上2行で書かれており、良心に訴えるためか「家族が泣いているぞ」ということも載せられている。
他の「兵ニ吿グ」
インターネットのような便利な通信手段はない時代なので、様々な方法で告知が行われた。チラシについても活字だけでなく、手書き文書のガリ版印刷もあった(参考
/参考2
)。
西新橋の建物である飛行館には「勅命下る 軍旗に手向かふな」と書かれたアドバルーンが掲げられた。8時55分からは日本放送協会(NHK)でラジオ放送が行われた。以下に原稿を掲載する(引用元:Wikisource
)。
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「兵に告ぐ」 |
この原稿も掛け軸などの形で書き写された(参考
)。
これに加え上官が直接対面して説得に当たったことで、午後2時までには下士官兵は指示通りに原隊に帰り、将校も午後5時ごろに逮捕された。
将校・下士官兵のその後(参考
)
将校は一部が自殺し、残った者は免官ののち軍法会議にかけられ、ほとんどに死刑判決が下った。
下士官兵も、作戦の中核にかかわった者には禁錮刑が下った。しかし、何が何だかわからず、ただ上官の命令に忠実に従って参加した者も多かったため、無罪で済む者も多かった。
だが、公な処分はなかったものの、その後「裏切り者」の汚名を着せられ、日中戦争で前線に立たされる下士官兵も多かった。
後世
学校の授業で使う歴史の資料集に載っていることが多いため、歴史資料の中では知名度は高く、パロディのネタにされることがある。ただし、元は人が死んでいる事件に対するチラシなので、使いどころには注意が必要である。
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https://twitter.com/yaruse_34/status/970580556676087808
また、事件から80年以上経っているものの、チラシそのものも現存している。下記の古物商の例では5万円で販売されていた。
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https://twitter.com/awacs1200/status/1046272033296793600
関連動画
関連項目
脚注
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